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"Dean"



4人を乗せた車が病院へ滑り込む――
院内へ入ると、道中に連絡を入れておいたお陰で、アメリアが準備を整えて待っていた。
看護婦がマリとダンを手際よく分別室に案内すると、アメリアはとりあえず一息をついて、デーナを振り返った。

「心配しなくても大丈夫よ、任せて頂戴。って……あら!」
アメリアは、デーナの後ろにリリアンの姿を見つけて、声を高く上げた。

「リリアンちゃん、ついて来ちゃったの? 大丈夫かしら、産気って時々移ったりするのよ」
「平気みたいです。アメリア先生、それよりマリさんは……」
「心配しないでいいわ。予定日とそんなに変わらないし、初産だから少し時間は掛かるかもしれないけど、大丈夫よ」

リリアンがほっと安堵の溜息を吐いた。
デーナはそんなリリアンを振り返って、時計に視線を移す。
――まだ午前10時までもう少し、という時間だ。
待ちたい、とリリアンが望むのは分かっていたが、長丁場になる可能性があると分かっているのに、いつまでも居させる訳にはいかない。

そんな2人を察したのか、アメリアが笑いながら言った。

「彼女には旦那さんが付いてるから大丈夫。生まれたら連絡するから、今は戻ってなさい」






結局、家に戻ったデーナとリリアンが吉報を受けたのはその午後――
母子共に元気で、順調だとのこと。
最終的には2人の両親も駆けつけ、お祭り騒ぎを起こして病院から叱られていたほどだ、と。
どうも赤ん坊の名づけについて、家族ぐるみで賑やかに騒いでいたらしい。
電話口でその話を聞いたデーナがそれをリリアンに伝えると、安心に大きな瞳を細めて、笑顔を見せた。

「良かった……今朝はどうなるかと思ったけど、終わりが良ければ全て良し、ですね」
らしいよう、ならしくないような妙なリリアンの表現に、デーナは受話器を置いて彼女が座るソファへ向かった。

「終わりじゃなくて、始まりだろ。これからが煩くなる」
想像するだけで疲れる、とでも言いた気な口調だ。身を投げるようにソファに座ったデーナに、リリアンは笑った。

「デーナってば、実は、子供の扱いに詳しいから」
「長男に生まれればね」
「……年も離れてたんですよね、弟さん達と」

リリアンはそう言って、自身の大きくなった腹部に手を触れた。
そのまあま撫でていると、デーナの手がそれに重なる。
隣り合って座りながら、さらに、2人はお互いを求めるように身を寄せ合う。リリアンはデーナの肩に頭を乗せた。

――こうして2人で寄り添っていても、不安がないと言えば、それは嘘になる。

愛し合った、その証拠と、想いの結晶。
そう言ってしまえば単純だ。しかし現実には、これが始まりに過ぎない。しかも、楽な門出ではないのだ。

リリアン自身の生命の危険、ひいては子供の。そして――

「頑張らなくちゃ、ね。この子には私達しかいないから……」

そう言ったリリアンに、デーナはすぐに答えなかった。
頻繁に口に出しはしないものの、確かにそれは現実で、変えられない現実だ。

生き残るということ。生き残った、という、こと。
その中で、今、失ったはずの何かを再生していく。
それは祝福されるべきものだ。しかし、その先頭に立つ者は、必ずいくつかの孤独がつきまとう。どうしようもない、覆しようのない事実。

「――名前はどうしたい?」
デーナは別の方向に話題を変えた。

どうしようもないのだ、本当に。こればかりは変えてやる事は出来ない。
この子にとって血の繋がりのある家族と言えば、精々リリアンの従兄と伯母であるマークとレイチェル。他にはデーナとリリアン以外誰も居ない。

「沢山考えたんだけど……いつも、考えすぎて分からなくなっちゃって」
「それはまた」
「あっ、呆れないでっ! デーナこそ、何かないの?」

また今度もデーナはすぐには答えなかった。ただ、リリアンの腹部を撫でていた手を、ゆっくりと止めた。



あれはまだ、デーナがやっと10歳を数えたばかりの頃――
一番目の弟はすでに生まれていたが、この弟は比較的穏やかな性格で、あまり手も掛からなかった。
しかしこの頃、デーナの2番目の弟して生まれてきた赤ん坊は、違った。
産声さえ他の赤ん坊の2倍はあったと、両親が何度か笑い混じりに話していたほどだ。

"ディーン"、それが彼の名前だった。

本当はお前に付けるつもりだったんだ、と、父親は言っていた。
先頭に立つもの、周りを導くもの、という意味があると。
結局使わなかったものの、惜しくも思っていて……ディーンが生まれた瞬間、その元気さと気の強さに押されて、付ける気になったんだ――と。

まるで刷り込まれた雛のようだったと、時々思い出す。
自分を母親か父親と勘違いしているのではと思えるくらい、ディーンはデーナに懐いていた。

将来の夢は、と聞くと、答えはいつも決まっていた。
――"お兄ちゃんみたいになること"、だ。

意思の強そうな、焦げ茶の、大きな瞳。
時々リリアンの中に面影の様なものを見るのは、錯覚なのだろうか――しかし生きていれば、確かにディーンはリリアンと同じ年だ。

"僕はいつか、お兄ちゃんみたいに強くて大きくて、かっこよくなるよ!"

繰り返される尊敬と賞賛の言葉。
ディーン自身は母親によく似ていて、父親似のデーナとは、背格好も顔立ちも少し違った。それをよく不満に漏らしていて、母はその度、困ったような、しかし甘い顔をして慰めていたものだ。

デーナ自身も結局、ディーンには甘かった。
兄弟という絶対的な血の繋がりと、それ以上の、説明の出来ない強い上下の絆。

"いつかお兄ちゃんみたいになる!"

――自分のようになること?

それが夢? 孤独の海でもがき続けているだけの、この、愚かな自分の様に――?
なんて馬鹿だったんだ、そう、ずっと思い続けていた。彼らが亡くなってから15年間、リリアンと結ばれるまでの間、ずっと。
自分のようになりたいと言っていた彼を、哀(あわ)れだと。

それさえも叶わなかったのだ。
彼の夢も、命も、未来も。全ては爆風と共に一瞬にして消えていった。



「……俺に似るかな」
しばらくしてリリアンの耳に届いたのは、デーナの物にしては珍しく、あまりはっきりしない呟くような声だ。
内容も、あまり彼らしくない。リリアンは小さく首を傾げた。

「男の子だから……うん、似てたらいいな。デーナにそっくりな男の子」

"お兄ちゃんみたいになる"
――感傷だ。馬鹿馬鹿しいくらいに感傷的で、物悲しい。

"僕はいつか、お兄ちゃんみたいに強くて大きくて、かっこよくなるよ!……"

しかしそれが何だというんだろう? 人生など結局、その繰り返しなのだ。逃げていても、目をそらしていても、それが人生の一部である事に変わりはない。
短くして散った夢も、いつか。形を変え姿を変え、どこかで叶う。

「――"ディーン"」
「え」
「ディーンだ。俺が決めてもいいなら……こいつの名前はディーンにするよ」

それを聞いたリリアンの瞳は、最初は驚いたように大きく見開かれて、そして次第に、嬉しそうに笑顔へ形を変えていく。

「……うん、素敵」

リリアンがそう言うと、デーナは彼女の肩を抱いた。強く。
そうしてその日は静かに終わっていった。

時は、あと一ヶ月――







「もうすぐね、準備はオーケー? リリアンちゃん」
「大丈夫だって思ったり、やっぱり急に不安になったり……色々なんです」
――リリアンの答えに、アメリアが可笑しそうに声を上げて笑った。
「正直者ねぇ。大丈夫、皆そんなものよ。安心して私達を信じて頂戴」



そしてまた時は移る。
2週間などあっという間だ、リリアンはアメリアに勧められたとおり、あれから2週間後には入院をはじめ安静を守っていた。
そして、今日――予定日はすでに明日だった。
少しずつお腹が張ってきた感もあって、このままいけば予定日当日、遅くてもその次の日になるだろうというのが、アメリアの見解だった。
入院を始めてからは毎晩、いつかのように、デーナの訪問がある。
幸いこの病院は基地からも近い。"その時" が来たらすぐ基地に連絡を入れるから、ということで、デーナは普段どおりに働いていた。

決心は、そう、それぞれの心にあった。

今こうして未来を臨むと、長く困難だったと思っていた過去が、あっけないくらい短かったような感じがする。

――厳しかった最初の貴方。
すれ違って、ゆっくりと歩み寄って、そして、貴方を待った時間。

それでもこの愛は、ねぇ、きっとまだ始まってもいないの。
私はもっともっと貴方を好きになる。
これから始まる私達の奇跡に、今……そう、天使が降りてくる。



ある日中のクレフ基地――
肌に冷気が染み入るような寒い日だというのに、全員が額に汗を光らせていた。
今、下手に逆らえば腕を折られるくらいでは済まないだろう――そんな雰囲気のデーナを前にして、兵士達の緊張感も自然と上がっていた、という訳だ。
理由は誰もが程度の差はあっても理解している。
彼ら自身も、制服を脱げばただの男だ。母親がいて、恋人がいて、妻がいる。
今がデーナの"番" だ、というだけで。

連絡が入ったのはその日の、夕方とも夜とも言い切り辛い、ちょうど訓練が終わる時間だった。



「今の所は順調よ。ただ少しだけ、血圧に問題があるの。万一の時の準備はしてるわ。傍に行ってあげて」
アメリアはそう言いながらデーナを分別室に案内した。
人の肩ほどの高さがある機器や、点滴、チューブ、そういった非日常的なものが幾つも置かれていたが、デーナに見えていたのは泣き出しそうな顔のリリアンだけだ。
真っ直ぐ彼女の傍に寄ると、すぐに手を取った。
いつもは柔らかくて細いばかりのその手が、今は汗ばんでいる。握り返してきた指先は、僅かに震えていた。

「来て……くれたの、」
微笑むことさえ単純ではなくて、声に出して答えるのは、もっと難しい。

誰もがこんな時を乗り越えて生まれてくるのと思うと、気が遠くなる。失ってしまうのはあんなに簡単で、一瞬だったというのに。

「リリアン」

――人はなぜ祈るのだろう。
届くかどうかも分からない、不確かなこの行為を、いつまでも貪欲に繰り返し続ける。

――初めて逢った夜。
誰がこんな別の夜を想像しただろう……
どうして……

「頑張れ。終わったらいくらでも甘やかしてやるから……今だけは、頑張ってくれ」

――リリアンはゆっくり、汗ばみながらも微笑み返した。

どうすればいい? どうすればこの愛が、2人が、永遠にこのままでいられる?

もしこの夜が最後なら、どうして出逢ったというのだろう。
――決まっているんだ、俺達の未来は、必ず2人一緒に、その愛の結晶たちに囲まれて、いつまでも続く。
そう決めたんだ、そう、信じている。
だったらどうして、こんな風に胸が焼けるほど熱くて、息が苦しい。

「いい……の?」
深い息と共に漏れる、鈴を鳴らすような声。

「いいよ、いくらでも、いつまでも」
「ね……」
「ん?」
「大丈夫、だから……分かるの。きっと……」

その宝石のような瞳を、柔らかい声を、心を。
天使だと思った。突然目の前に現れて、幸福と愛をもたらしてくれた、天使。

「……ディーンも、ね。すごく頑張ってるの……分かる、から……」

離れない。離さない――そうだ、誰が行かせるものか。

「だから……」

声が擦れて、リリアンが痛みに眉をひそめた。
アメリア達が何かを叫んでいるのが聞こえた――リリアンに繋がれていた血圧と心音を計る器械が、ピー、ピーという警告のような音を上げるのも。

しかしデーナに聞こえたのはただ一つ、リリアンの囁くような声だ。

"信じていて" と。







長い夜だった――
一つの夜を、これほど長く感じられたのが不思議なくらいに。
長くて、苦しくて、熱くて、やはり苦しい。

この苦難の夜は、しかし、信じられないほどの喜びで幕を閉じた。

疲れ切って赤ん坊を腕に抱くことが叶わなかったリリアンに代わって、最初にディーンを抱いたのはデーナだ。
熱い塊のような、生まれたばかりの命。



デーナは約束を守った。
――それは、当然のように。
しばらく床を離れられなかったリリアンへの甘やかし様は、病院の伝説に残ったとか、残らなかったとか……そのくらいに。




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