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時はやがて満ちる。
限りない愛と、切ないほどの想いに包まれて。

君は帰るだろう。その腕の中に――

 

Our Way Home

 

白が好きだと、そんな事を言っていたような気がする。

リリアンはマリが数時間掛けて選んだらしい、小振りの、淡い白のブーケを片手に持ちながらゆっくり歩いていた。
歩道に敷かれた小石を不器用に避けながら、ブーケを持つのと逆の手を、デーナの腕に柔らかく絡ませて。

「素敵な式でしたね。すごく華やかで、皆幸せそうで……」
無垢な笑顔と共にリリアンがそう言うと、デーナは前に向けていた視線を彼女に移した。

リリアンは薄い桃色の軽やかなドレスを纏い、その髪は、襟首辺りの位置で緩やかに纏められている。
瞳と唇は、そのドレスに合わせた淡い色で、美しく彩られていた。
もし天使が存在するなら、それはきっと彼女の様な姿をしているのだろうと――

初めて逢った頃にそう思ったのを、不意に思い出す。

 

それは、あの派手なプロポーズからやっと1ヶ月が経ったばかりという、よく晴れた日。

ダンとマリの結婚式は確かに、そして豪華に行われた。

緑の芝生に、白い布と花々に飾られた沢山のテーブルが並ぶ、爽やかなガーデンウェディングだ。
ダンは親睦会で宣言した通り、呼べるだけ基地の兵士も呼んでおり、その人数はかなりのものに上った。
古典的といえば、古典的と言えたかもしれない。そんな、華やかで明るい式だった。

そして、式もいよいよ盛り上がってくると、女性にとっては最大のイベントであろう、ブーケのトスが行われた。
マイクを通じて、独身女性は前へ出るようにと促される。
親戚だろうか、若い女性も多い。リリアンは遠慮する意味で、端のほうにちょこんと控えていた。
傍では、豪華な式のせいか、夢見がちに目を輝かせた少女や女性が今か今かとその時を待っている。
――リリアンには、彼女達に"それ" を譲るべきな気がしたのだ。

愛する男性に愛され、守られて、傍に寄り添うことを許される――

そんな幸せを授かった自分が、更にこの幸福な役目を頂くのは、過ぎている。
そう、思えて……

けれどブーケを投げる瞬間、マリはリリアンの方を振り返って、意味ありげに微笑んで見せた。
まさか――と、リリアンが目を瞬いた時にはもう遅くて、ブーケは壮快な弧を空に描くと、リリアンの目の前に飛んできた。
変に、人の少ない場所に立っていたせいだ。リリアン以外にそれを受ける者はいない。
慌てて手を伸ばすと、ブーケはすとんとリリアンの手の中に落ちて、それと同時に周りから感嘆の声が上がった。

――憧れていなかった訳じゃない。期待が、無かった訳でも……

柔らかい、しかし溢れるほどの生気に満ちた、美しい白。
受け取ってみると、その華奢な外見に反して、ブーケはしっかりした重さを持っていた。

つい匂いをかぐように花々に顔を近づけると、やはり、想像した通りの甘い香りが伝わってくる。
顔を上げるとまたマリと目が合う。彼女は同じ笑顔で、何か言いたげに微笑んでいた。

――微笑み返すのが、少し難しかった。
笑顔だけではとても足りなくて。夢も愛も友も――時に苦しくなるほどの、この熱い思いを、受け止めるには……

しばらくしてリリアンがフラフラと席に戻ると、デーナは立ったまま、まるで、全てお見通しであるかのような優しい表情で彼女を迎えた。

「ね……受け取っちゃった」
と、リリアンは既に分かりきっている、事実の報告を無意識に口にした。

「分かってるよ、良かったな」
デーナはそう答えた。

 

いつかこんな日が来るのではないかと、心のどこかで知っていたのかもしれない。

出逢い惹かれ合い、時に苦しみ時に涙し、そして時に、喜びに胸を震わせた。
確かなものなど何も無いこの地上で――
繰り返される生命の息吹。万物に宿る、生への力。幸せになりたいという、その、思い。

人は繰り返す。この壮大な系譜を。

そして掴む。
未来を。その、意思と力の限りをもって――

 

 

久しぶりではあったが、そこは、以前見た時と何の相違もないまま静かに佇んでいた。
しかし自分達は違う、変わったのだ。それは、彼らと自分達の時間の違い……でもあるのだろうか。

「きっと、素敵な方達だったんですね……」
リリアンがそう静かに言うと、デーナは少し切なげに微笑んで、墓石を見たまま呟くように答えた。
「どうかな。そうだな、悪い人達では無かったよ」
「お会いしてみたかったです、1度」

――こんな会話も、あの頃は出来なかったはずだ。
それはお互いの心の中の問題でもあったし、2人の関係のせいでもあった。

しかし今はもう、少なくとも2人の間では、そんなタブーは何処かに溶けて消えてしまったように、なくなっていた。時々過去の話をする。それが、かえって落ち着ける時さえあった。

ダンとマリの結婚式からの帰り道。2人は、基地へ戻る前に少しだけ……と、デーナの家族が埋葬された墓地へ足を運んでいた。
今度は週末の午後なので人も多い。以前に2人で来た時の閑散さはなかった。
けれど墓石の前の静けさだけは、そのままだ。
時が止まってしまったように思えるのは、ただ感傷のせいだけではないだろう。

車は例の駐車場へ停めたまま、ブーケはそこへ残し、別の落ち着いた花束をリリアンが運んでいた。
それを渡そうとすると、デーナは軽く首を横に振る。

「会いたかったんだろ?」
「で、でも」
「いいから。今日はその為に連れて来たんだ」

デーナはリリアンにそう言って、前に出ることを促す。
優しく、しかし力強く肩を支えて、まだ戸惑いの残るリリアンを前に立たせた。

――風が吹き抜ける。
少し涼しくて、でも爽やかな、そんな風が。

それが何を意味していたのだろう。いや、意味など何も無かったのかもしれない。しかし、それでも構わなかった。

傍にあった大きな木が、風に乗ってざわざわと音を立てる。
髪が揺れて、首筋をくすぐった。
リリアンはデーナの横顔を見て、不意に込み上げてきた何かを、息を呑んで抑える。
咽の奥がツンとする――そして、胸の奥が熱くなった。

悲しくないと言えば、それは嘘になる。
悲しくて、切ない。

それは変えられない過去と、これから築いていく未来の、狭間。

リリアンは静かに一歩前に出ると、ゆっくりとした動作で手元の花束を墓石に備えた。
そしてまた一歩下がり、姿勢を戻す。
数秒、その薄い灰色の墓石を見つめたまま佇んでいた。が、しばらくすると自然と言葉が口を付いて出た。

「……ありがとう、ございます。素敵な人を生んで、育ててくれて」

今、泣くのを許されているのは、自分ではない。そう、リリアンは自分を落ち着かせようとしたけれど、涙は簡単に理性の間をすり抜けて零れ落ちる。
数滴の涙が、リリアンの頬を緩やかに伝った。

顔を上げると、デーナと目が合う。
デーナは愛おしむような仕草で、優しくリリアンの頬の涙の跡を拭うと、その細い肩を強く抱き寄せた。
リリアンもそのまま、それに、甘える様に身体を預ける。
――2人、何を言う訳でもなく。

しかし同じ思いを胸に抱いて、しばらくそのまま抱き合っていた。

 

 

「もうそろそろ帰らなくっちゃ……ね、"フレスク指揮官"」

リリアンが少し悪戯っぽくそう言うと、デーナは視線を横に泳がせて短い溜息を吐いた。
上半身を動かすと、背にしていた芝生がザクリと音を立てる。まるで、跳ね返そうとする弾力があるかのようだ。
この土と草の力強い感覚が、デーナには心地よかった。

しかし、華奢なリリアンまで芝生に直に寝転ばせるのは、さすがに気が進まない。
墓地に併設されている広い公園の中、木陰のある静かな場所を選んで2人は休息をとっていた。デーナはそのまま直に芝生に、リリアンはデーナのジャケットを背にして。

「あの野郎……何が短く、だ」
「しょうがないですよ。一生に一度の事だし……」

結局、ダンとマリは新婚旅行と称して3週間近い休みを取っていた。
当然デーナはその間休めないし、リリアンもマリがいないお陰でそれなりに忙しくなる。今も、夜になる前に基地へ戻る必要があった。
新婚旅行は豪華にするかわり期間を短く――と当初、ダンは言っていた。しかし実際に計画を練り始めるとあれもこれもと膨らんでいったらしく、結局この日程だ。
デーナにも強く反対は出来ない弱みがあった。

「そうだな、今は」
デーナは上半身を起こして、ジャケットの上で横向きに寝転んでいるリリアンを見下ろした。
「ん……」
軽くまどろみながら、リリアンが彼を見上げる。

時は、永遠ではない。ただ時々、そんな気がしてしまう事がある。
今がそんな瞬間だった。

頬に、瞼に、そして髪へと、デーナはゆっくり指を這わせた。微妙で柔らかいその感触に、リリアンが微笑と共に小さな声を漏らす。

「また……しばらく、こんな風には出来なくなっちゃいますね」
まるで、だからもう少しだけ、と懇願するように。リリアンは甘い声でそう言うとデーナを真っ直ぐに見つめた。

確かに暫く休みは取れない。という事は、顔を合わせる機会はあっても、こんな風に2人きりで過ごす時間は殆ど取れなくなるのだ。
それは2人が選んだ道の延長線上であり、今はまだ、これを続けていくつもりだった。
いくら愛し合う相手を見つけたところで、日常は日常であり、それが突然ドラスチックに変わることはない。
仕事があり、友がいて、それに伴う面倒や苦労も……

変わったのは、なんだろう。
そこに"理由" が出来たことだろうか。

ただ漠然と生きていくだけではない。幸せにしたい相手が出来たということ。

未来に残したい何かが、自分の中で、生まれたということ――

 

「……家でも建てようか、そのうち」

そう言ったデーナの手は、柔らかな薄い茶色の髪を漉いているまま。
リリアンはその言葉の意味を咀嚼しようと、暫くデーナを見つめたまま、何も答えなかった。

しかしそれを理解し、同意するのに、長い時間は掛からない。
微笑んだまま僅かに頬を染めて、小さく頷く。
肌を撫でる風が少し肌寒かったのに、胸の奥は焼けるように熱くて、それが妙な気分だった。

「そうですね……基地から遠くなければ、通えるし」

明日を描く。そんな、単純で誇らしいこと。
私達の時間。
自分達の、未来。

確かなものなど何も無いのに、今は、何の不安も感じない。

ああ、そうだった――と。
あなたの瞳の中に答えを見つける。

これが、帰るということ。

溜息をついて。時に、愚痴を言って。
甘えて、笑って、愛し合う。

どんな風に襲われても、どんな波に飲み込まれそうになっても
どんな苦しい人生の岐路に立たされても――

ここにいる時だけは、安らげる。
柔らかな母の腕に包まれた赤子のように、ただ、愛だけを求めて。

「子供は?」
少し唐突に、デーナはリリアンの髪を指に絡ませながら言った。
流石のリリアンも、急なこの発言に瞳を瞬いた。そして気付く、ああ、やっぱりこういう事は、彼の方が真剣なのかも知れない……と。

年の差もあるのだろうか? どちらにしても、結婚もデーナの方から言い出したことだ。

それはリリアンにはまだ少し夢物語の感が拭いきれなく、くすぐったい話題だ。
しかし考えていなかった訳ではない。いつかとは思っているのだ。"いつか"――とは。

「……沢山、欲しいです。私、一人っ子だったから」
「どのくらい」
「んー……数ですか? 3人とか、4人……もっと?」

必死に言葉を探すリリアンを、デーナはからかうように遮った。

「どうして訊くんだよ」
「だ、だって……!」

リリアンははにかみながら頬を膨らませて、そして、今出来るの精一杯の抗議……らしきものを口にした。

「だって、私1人じゃ出来ないから……デーナも一緒に、考えて……」

 

――初めて逢った、あの頃。

ねぇ、誰がこんな未来を思っただろう。それは、想像さえもつかなかった筈の、遠い夢。
それでも時は満ちて、私達はここにこうして、佇んでいる。今語る、この未来への夢もきっと同じ……ね。

気が付けば時に追われ、流されて、辿り着くでしょう。
振り向けば懐かしくて、少し切ない。

 

闇の中に昇る、鮮やかな光。

未来への兆し、そして――

 

繰り返す奇跡。
あなたと紡ぐ、懐かしい夢――

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