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まるで恵みの雨のように――

降りそそぐ幸せを胸に抱いて、誰もが一歩を踏み出す。
つらくなった時には、今を、きっと思い出して。

 

L'Hymne A L'Amour

 

ガヤガヤとした喧騒も、今はどうしてか心地よい。
騒がしさの元である人々の声もまた、今夜はどこか軽快な調子だ。

いつも通りの親睦会――ではあるのだが今回は、お祝い、に近い意味があるからだろうか……。

 

「こんないい気分は久しぶりやな。デーナが居るから俺は何もする必要ないし、隣にはマリさんや」
ダンがそう言いながら、隣に座るマリの顔を覗きこんだ。
「テーブルに肘、付かないの。子供じゃないんだから」
腕をテーブルにのばして、肘を付き手に顔を乗せているダンを、マリはそう言って窘めた。けれどダンはそれに嬉しそうに微笑むだけで、姿勢を改める気はないようだ。

ダンとは別の側で、マリの隣に座っているリリアンが、そんな2人を見て可笑しそうに笑い声を漏らす。
――リリアンの隣にいるべき筈のデーナは、本部から来ている数人の将校の相手で、たった今席を外したところだ。

「すごく仲良い」
小さく笑いながらリリアンが言うと、ダンは意を得たとばかりに身体を乗り出した。

「だろ、さすがリリちゃん。話が早くていいわ!」
「私が最初に言ったんですよ、ダンさんとマリさん、合いそうな気がするって」
「何、ほんまに!?」
「もう、調子に乗らないの! リリアンもっ」

自分を間に挟んでクスクスと、子供の様に笑い合っているダンとリリアンの2人に、マリは抗議の声を上げた。
が、2人の反応は薄い――。
ダンは元々、人にどうこう言われたからといって気にするタイプではなく。リリアンの前には、彼女の最も弱いものの一つ――アルコールのグラスが置かれていた。

「内緒で教えてあげます。ダンさんが居ないときマリさんってばね」
「あー、もう、だからっ! 止めなさいってば、リリアン。誰が飲ませたの?」
「え、ええやん、今一番面白い所……」
「あなたね? フレスク指揮官に見つかったら事でしょう、もう」

僅かに頬を染めているリリアンを見て、マリは、彼女がいつの間にかグラスに口を付けていたのが分かった。
そろそろ会に集まった全員の前で、ペキン大佐の短い挨拶が始まる筈だ。
それに合わせる為にダンが、ワインのグラスを持ってきていた――のだが、リリアンはあまり飲まないように、と、デーナから言い渡されていたところで。

「大丈夫だよなー、リリちゃん? ちょっと位は愛嬌や。可愛いやないか」
「その可愛いのが問題なんでしょうよ、フレスク指揮官には」
「ははっ! その通りや、これで少し困らせてやるのも一興で……と」

と……そこまで言いかけて、ダンは動きを止めた。
どこか先を見て微笑むダンの表情を見て、マリも、自分からは死角になっているダンの視線の先に、誰が居るのかが分かる。

「――誰が飲ませた?」

背中から低い声が聞こえて、マリは、自分ではない というように首を振った。
ダンは肯定も否定もせず、からかう様な笑顔を見せる。
ガタン、と椅子を動かす音がして、デーナがリリアンの隣に座った。リリアンがデーナを見上げる。

「ご苦労様。お仕事、もういいんですか?」
「ああ……その代わり後で挨拶しろだと。しばらくは自由だよ」

慣れた風に――見つめ合ってそんな会話を交わす2人を、ダンは微笑んだまま見ていた。けれどその笑みは、今度は少し種類の違うものだ。
からかいではなく、安心からくる笑顔で。

デーナの指が軽くリリアンの頬に触れて、熱を計る。
それは、普段の彼女よりも温かく、アルコールからくる火照りを感じた。
叱ろうと思っても――無防備に自分に預けられる笑顔に、その気概を挫かれる……。

――最近、こんな事が多くなった気がする。

しかしそれに抵抗を感じる事はなくて、ごく自然に、ただ"そう" なのだと――
受け入れてしまうと楽だった。楽で、心地よい。
自分が変わったとは思わなかった。多分、これが本来の形だったのだろうと、そう思っている。

本来の自分だ。
ずっと、どこかに隠れて表に出ることのなかった、本当の自己。

「これ以上は駄目だ。勧められても飲むなよ」
「ちょっとだけ……駄目?」
「その"ちょっと" でこれなんだろ、駄目。」

リリアンの懇願するような瞳に、また、言い様のない愛しさと保護欲を掻き立てられて、抗えない。
「飲みたければ、家でだ。帰ってからな」
そう彼女の耳元に囁くと、柔らかく微笑みながらはにかんで、小さく頷く。

 

――この幸せを、愛しさを。夢ではないと……どうやって実感すればいいのだろう。

時は満たされながら流れ、自分達をここまで運んだ。
道程は、時に厳しく、時に優しい。

 

 

親睦会はいつになくスムーズに進み、気が付くと皆がリラックスして、各々を楽しんでいた。
食事を続ける者もいれば、気の合う仲間との会話を楽しむ者もいる。掛かっている音楽に合わせて踊る者もいたし、堅苦しい雰囲気は余りない。

最初にペキン大佐の挨拶があり、デーナの帰還と功績、そして昇進を発表した。

他にも今回の功績により、階級が上がる者も多い。
その発表があったせいもあり、会はどちらかと言えば、親睦の為というより祝いの様相をしていた。
ダンもガルもその例に漏れない。ガルは二等兵から伍長への昇進が決まっていて、それを発表された所だ。
実際に階級が上がるのはもう少し先で、別に正式に行われる。今は前祝い……という感じだろうか。

「おめでとうございます、流石ですね」

――そう、デニスに声を掛けられて、ガルは顔を上げた。
ガルの周りに居た仲間が、少し表情を険しくして固まる。実は、デニスもガルとは違った意味で、部隊では浮いているのだ。
中将の息子だという特別な経歴と、彼の丁寧な物腰は、猛者の集まるクレフでは異質なものとして扱われる。

妬む者も無いわけではなく、微妙な立場だった。
ガルはどうしてかそんなデニスに、妙な同情を感じていたのだ。それはもしかしたら――デーナがガルに感じていたものに、近いのかもしれない。

「面倒が増えるだけだ。お前の親父とは違うからな」
「いえ……違いなんて給料くらいですよ。座ってもいいですか」
片方だけ空いていたガルの隣の席を指して、デニスはそこに座る了解を求めた。
「好きにしろよ」
ガルが素っ気無い風に答える。デニスは黙ったまま、そこに腰を下ろした。

が――特に喋る事がある訳でもなく……
2人はしばらく黙っていた。ガルは目の前にあるビールに軽く口を付ける。
そして視線は自然と、2人とも同じ方を向いていた。

「……式に呼ばれたりするのかな」
デニスがポツリと言った。その声には、笑いさえ含まれていて。
「多分ね。今から練習でもしておけよ」
つられてか、ガルの答えにも嘲笑が混じってしまう。

視線の先のデーナとリリアンは、まるで当然のように……寄り添いながら座っている。
時々、話し掛けてくる本部からの来客や隊員達の相手をして、その場を楽しんでいる様だ。

リリアンと出逢う前のデーナはいつも、親睦会のような場は疎んでいる感じがした。それが今は自然に溶け込んでいる。
人はどうにでも変わるのだと――見せられているような気分だ。

彼女が幸せならそれでいいと……言ったのは自分だった。
嘘を言ったつもりは無いのに、現実はそう楽でもない。
幸せには変わりないのだ。彼女の笑顔に、喜びを感じる。けれど時々、思い出した様に、心がチクリと痛む。

「まぁ……悔しいけどお似合いですね。入り込む隙は無さそうだ」
まるで独り言のように呟いたデニスに、ガルは、デーナとリリアンを見たまま頷いた。

確かにデニスの言う通り……隙が無いというより、2人の笑顔を見ていると、邪魔する気など簡単に何処かへ吹き飛んでしまう。
そんな雰囲気だった。

 

たとえば10年後、今を振り返って――
心が痛まないかといったら、そうではない。きっと身体はこの苦しみを覚えている。

たとえどんなに幸せになれても、この苦味はどこかに残るだろう。

それは真実だ。真実で、現実だ。
けれどだからこそ何かを学んで、幸せを幸せだと感じる事が出来るのかもしれない……。

それは誰もが同じで、生きている限り切り離せない、人生の業――。

喜びだけに囲まれて生きることが出来ないように。
そうだ、悲しみも永遠には続かない。

 

 

親睦会も終盤に差し掛かってきた頃――。

雰囲気は打ち解けていて、大きな家族がガヤガヤと騒いでいるような様相をしていた。
子供を連れて来た者達はそろそろ、と、帰りの支度を始め出す。

そんな、宵も更け始めた時間。
今夜は珍しく、ずっとテーブルでの談笑に始終していたダンが、突然、立ち上がると会場の中央へ歩いて行った。

会場の中央近くには簡単な台とスピーカーが設置されていて、音楽を流したり、挨拶をするのに使われている。
――ダンの行き先はそこだ。

「? どうしたの、ダンさん、急に」
突然席を立ったダンの後姿を眺めながら、リリアンがマリにささやいた。

「さあ! あの人のする事って時々、私にもよく分からないのよ」
質問されたマリも、自分が聞きたい、という風に首を傾げた。
ダンが、こういった席で急に突拍子もない事を言ったりやったりするのは珍しい事ではなく、また何かが始まった……という、諦めに近い表情をして。

デーナだけが、そんなダンを片目に、どこか可笑しそうな顔をしていた。

「……知ってる、でしょ?」
リリアンが少し、懇願するような口調でデーナにそう呟いた。
「すぐに分かるよ。俺は、止めておけって言ったからな」
「「?」」

そんなデーナの答えに、リリアンとマリは顔を合わせて瞬く。
デーナが止めておけと言うような事……?
しかし、完全否定をしている訳では無いところを見ると、ただの些細な悪戯なのか……。

「えー、諸君! 今夜は俺から重大な発表がある。ありがたく拝聴するように!」

そんな時。マイクを通じたダンの声が、大きく会場に響いた。
リリアンとマリが、会場の中央の壇に上ったダンに、あわてて視線を移す。

ダンは壇上でマイクを握っている。周りを一瞥すると、リリアン達が居るテーブルに視線を戻した。
――その時、デーナとダンの間に、一瞬の意志の疎通があった様に見えたのは……きっと気のせいではないだろう。

「今夜はめでたい席や! 昇進した奴も多いし、ずっとフラフラ行方不明だった我等がデーナ隊長も帰ってきた」

最初は何かと驚いていた周りも、ダンが喋り出すとそれに耳を傾け、拍手を送った。
その拍手が止むと、ダンは1度咳払いをして、マイクを握り直す。

「そこで! ついでや、もう一つめでたい知らせを加えたいと思う!」

――そんなダンの声が響くと、会場は驚きと期待で一瞬、シン……という静寂が響いた。

「……運命の瞬間って奴かな。覚悟しておけよ」
ガルがデニスに小さく呟いた。デニスは、息の仕方を忘れたように硬直する。
「……ええ、まさか、もう……?」
「知るか」

別の席ではリリアンが、その大きな瞳を瞬かせながら、両隣のマリとデーナを交互に見た。
デーナは椅子の背もたれに寄りかかったまま、ダンの方を見ている。無表情で、でも、口の端だけ僅かに上げて。
マリの方は、リリアンよりも更に驚いた顔をして、同じようにダンの方を見ている。

とりあえず、デーナは何かを知っている。けれどマリは何も知らない――という事は分かった。

(な、何……?)
それは不思議と、ドキドキするような、ワクワクするような……。
そんな瞬間だった。隣のマリは逆に、緊張したような顔をしている。リリアンはつい、彼女の手を取った。するとマリもそれに答えるように、握った手に力を入れる。

「まぁ、大体の予想は皆、ついている筈やけどな……」
ダンは少し声を落とした。

――確かに、皆、大体の予想はそれぞれの心の中にある。
それは――誰の目にも明らかで、既に知れ渡っている――デーナとリリアンについて、だ。

けれどダンのそれに続く言葉は、そんな周りの予想を軽快に裏切った。

「昇進もした事やし、俺はこの春結婚することにした! 式には、ここに居る全員を招待するつもりや。親を質に入れてでも来るように!」

――ええ!?
という、ざわめきと動揺が、会場を揺らした。
皆が、目と目を合わせあってお互いを確認し合っている。ガルとデニスも、だ。口を開けてポカンとしている者も居て――。

「え、え、え、相手はマリさん……よね……?」
「し、知らないわよっ! 何言ってるのか……」
「凄い……おめでとう、マリさん! どうして言ってくれなかったの?」
「だから知らないってば! もう何が何だかさっぱり……」

軽く興奮したリリアンが、マリの手を揺すった。
しかしマリは目を見開いて首を横に振るばかりだ。会場の視線がそんな彼女達に集まったが、それに構っていられる余裕は、今は無く――。

会場が、ざわざわと色めく。
マリだけが不安気に、リリアンと握り合っている手に力を入れた。

(どうなってるのよ……?)
――そこには期待があった。しかしそれ以上に大きな、不安も。突然の宣言。自分には何も知らされていない……
それはまるで、心が、嵐に荒らさているような感覚。

しかし壇上に立っているダンの視線は、明らかにマリの方へ注がれている。

何か言いた気な、不敵な表情……。
あぁ……と思った。

本当にただ、あぁ、と。

「相手は皆知ってるやろ、給仕係のミス・マリ・ガードナーや。この世界で唯一、俺の手綱を引ける女や」

――人を好きになるとき、こんなに胸が高鳴るのは何故だろう……?
身体が教えてくれるのだろうか――。幸せになれるのは今だと。

さぁ、この人を捕まえなさい、と……。

「そんな訳や。マリさん、俺と結婚してくれるか?」

ダンがマイクを通じてそう言うと、周囲から笑いが巻き起こった。
からかいの野次を飛ばすものもいる。
しかしダンは、そんな物は聞こえないとでも言いた気に、ただ真っ直ぐにマリの方を見ていた。

マリは微笑みながら、首を横に振った。
――それは、拒否を意味するものではない。その笑顔を見れば、きっとそれが分かる。
瞳にはゆっくりと涙が溢れ出して、咽が渇きだす。

それを見て、ダンはマイクを壇上に残してゆっくりと戻って来た。
マリの前に立つと、片膝を折る。

「馬鹿…………」
「知っとる。けど気持ちは誰にも負けん。それも知っとるやろ?」
「そうね……」

そして2人は、何かを低く呟き合った。それはすぐ傍にいるデーナとリリアンにさえ聞こえないような、小さな声だ。
見つめ合うと、きつく抱き合う。

――今度は熱い歓声が湧き上がった。

しかしそれは、今のダンとマリには、聞こえていない様だったけれど……。

 

 

「先を越される事になるな」
「? 何がですか?」
突然の台詞に、リリアンは顔を上げてデーナを見つめた。

あれから。
誰かが、気を利かせたつもりなのだろう。ダンとマリの騒動のあと、会場にはずっとロマンチックでゆっくりとした感じの曲が流れ続けている。
それに合わせて、デーナとリリアンは――皆に混じって――踊り始めたところで。

少し離れた所では同じように、ダンとマリも音楽に合わせて身体を寄せ合っていた。

結局、デーナはリリアンの質問に答えないまま。
が――デーナの視線がダンの方へ向いていたのに気が付いて、リリアンも何となく意味を悟った。
そして小さな吐息と共に、デーナの胸に顔を寄せた。

「前にここで一緒に踊った時は……片思いだったの。だから……今はこれで充分……」

胸の奥を振るわされる。そんな甘い声に、デーナは彼女を抱く腕に力を入れた。
強く抱いて、その体温を感じて。
そしてゆっくりと手を取ると、指に柔らかく口付けた。

「――そういう事にしておこうか」

そう言って、また、ゆっくりと時と音楽とお互いに身を任かせる。

 

貴方が微笑むとき、この心はいつだって高鳴る……。
――微笑み返すと、優しい口付けをくれる。

繋いだ手はあたたかくて力強くて、そして優しい。

 

歌おう、愛の歌を。
日が暮れるまで、夜が明けるまで。ずっと……

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