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それは、"帰る" というその意味。

命ある全てのものが求める、魂の帰郷――

 

Song Of Return I

 

リリアンが寮に入ろうとしたところ、視線を感じてハッと顔を上げた。

その先に居たのは誰でもない……この入り口の番人、管理人のアンジュ・ラインだ。
もう既に居ないだろうと思っていたラインがそこに居て、リリアンは驚いて何度か瞳を瞬いた。

「ラインさん、もう遅いのに……どうしたんですか?」

疲れも手伝って、静かな声でそう言ったリリアンに、アンジュは意外にも笑顔を見せた。
"仕方ない" とでも言いた気な、慈愛と安堵の混ざった顔で。

「その分じゃ、悪い様にはなっていないみたいだね。早く部屋に戻って休みな、同室の女がやきもきしてたよ」

そう言って、ラインはカウンターから離れた。
――時間は既に夜の11時を過ぎている。ラインがここに居るのは、日にもよるが大体10時までと決まっていた筈だ。
それ以後は彼女も、寮の中の部屋へ戻る。普段なら。

「……待ってて下さったんですか?」
「仕事だよ。特にあんたは、良く見張っておけと言われてるし」
「見張……」

しかし受け答えは相変わらず素っ気無い。
素っ気無い――が、それは感情が篭っていないという意味ではない。ただそれを大袈裟に表さないだけだ。

ラインはカウンターから離れると、傍の壁に備え付けられている電気系統のボタンを、慣れた手付きで弄った。
幾つかの強い照明が消えて、淡い、夜間用の光だけが入り口のホールを照らす。
肌色に近い、薄い光だ――リリアンはそのままそこに立ち止まった。
振り返ったラインと、目が合う。

「早くお戻り。まだ完全に治ってないんだろ? 全く、大佐達も、よくこんな時間まであんたを連れ回したもんだよ」
言いながら、ラインはリリアンに向かって顎をしゃくる。リリアンは仕方なさ気に微笑んだ。

「私が頼んだんです。途中で、帰った方が良いって言われたんですけど」
「馬鹿な子だね」
「分かってます。でも……そうしたくて。結局ずっと横にならせて貰っていたから、大丈夫ですよ」
「そういう所が、だよ」

既に深夜近く。リリアンは今やっと本部から帰ってきたところだった。

――確かにラインの言うとおり、リリアンにこんな時間まで本部にいる必要はなかった。
ペキン大佐を始めとする彼らは、デーナの連絡を受けて、調整するべき事が山ほど出来た。そのせいでこの時間までずっと本部に張り付いていたのだ。
しかし実際の作戦に関わる事のないリリアンには、もう全て手の届かない話だ。

先に帰ることも勧められた。
しかし一緒に来たクレフ基地の面々はまだする事がある――自分の為だけに車を出させるのは気が進まなかった。

そして彼らと共に居たほうが、デーナの存在を強く感じられたのも事実だ。
動き出していく事態が、彼の帰りを奏でているようで。

「……ありがとうございます、待っていて下さって」
そう言って浮かべた今度のリリアンの微笑みは、どこか悪戯っぽかった。それでも――小悪魔にさえなりきれていないのが、リリアンのリリアンたる所以、だろうか。
ラインは肩をすくめた。

「細かい事は極秘だって分かってるよ。一々聞かない。けど、帰ってくる事になったんだね」

リリアンは数秒彼女を見つめて、そして小さく、声を出さずに頷いた。
それに合わせてラインは安堵に似た溜息を吐く。
そして、カウンターに置いてあった日誌のような物を手に取ると、ラインはそのまま部屋へ戻ろうとした。

「あ、あの!」
――と。リリアンがラインを呼び止めてしまったのは、殆ど条件反射だった。
去ろうとするラインの背中が、リリアンには何故か、それを求めているように思えて。

「1つ……聞いてもいいですか」
一度上げてしまった声を落として、リリアンがラインに言った。ラインは横顔をリリアンに向けたままで、特に振り返りはしなかったが、かといって無視もしない。
それは彼女なりの肯定のサインなのだろうと、リリアンは続けた。

「前に、仰ってましたよね。"誰かを待つのは悪い事じゃない" って。それから、それはその人の帰りが分かっている限りは……て」

リリアンがそう言っても、ラインは特に驚くこともない。
予想していたというより、期待していた――という方が合っていそうな雰囲気だった。

「どういう意味……だったんですか?」

ラインはリリアンの言葉を受けて、小さく溜息を吐く。落胆や失望からではなく、あえていえば観念……だろうか。

「言葉通りの意味だよ。他に何があると思ったんだい」
「言葉の意味は分かります、何が言いたかったのかも……大体は。でも」
「何か理由があったんだろう、って?」

図星だ……。リリアンは小さく頷いた。

「……あの時すぐは、気が付かなかったんです。でもこの一ヶ月、ずっとあの言葉が忘れられなくて」
リリアンが言葉を続けても、ラインは横を向いたままだ。
しかしリリアンは先を続けた。
「聞きたいとも思っていたんです。でもそれだけの勇気もなくて……ずっと、私自身どうなるのか分からなかったから」

そこまでリリアンが言うと、ラインはやっと顔を上げて、リリアンの方に顔を向けた。
真剣――ではあるが、同時に微かな笑みが口元に浮かんでいる。
けれどその微笑みは、喜びからではない。そんな、少し切ない微笑みだ。

「……私も思ってたよ、なんであの時あんな事を言ったのかってね。何か不吉な事を言ってしまった気にもなって」
「まさか」
「いや、あるんだよ。こういう事は。あんたはまだ若いから信じたくないだろうけど」

ラインはそう言って、特に意味もなく手にあった日誌を持ち替えた。
次に何を言うべきか、考えているように。

「少し座るかい? 昔話をしてやるよ」

 

「リリアンってば! こんなに遅くなるなんて思ってなかったから、流石に心配したわよ!」

リリアンが部屋の扉を開けようとした時、既に時刻は深夜に近く――出来るだけ静かにしたつもりだった。しかし意外にも部屋はまだ明かりが灯っていて、扉を開いたと同時にマリが駆け寄ってきた。

「ごめんなさい、寝てて良かったのに」
「寝てられますかっ! さぁ、どうなったの、どうなってるの!?」
「待って、待って。説明するから……」

マリはリリアンが手にしていた上着を取ってハンガーに掛けると、ベッドの端へ彼女を誘った。
ここは、2人が大事な話をする時の定位置だ。
別にどちらがそうと決めた訳でもないのだが、いつの間にかそういう事になっている。

「……お話できたの、少しだけだったけど。それから、もうすぐ帰れるだろうって」
「やった! やったじゃない……っ!」
「うん、それに元気みたいで声もちゃんとしてたし……」

それからリリアンは今日の出来事を話し始めた。デーナと話せた事、ガルに謝ったことも。

それを聞きながら、リリアン本人よりもマリの方が嬉しそうにしている位だ。
声も、頬も蒸気した風で――それだけ、心配してくれていたという事なのだろう。
とりあえず一通りを説明し終えると、リリアンは一息ついた。

「どうしたの? あぁ、疲れてるわよね。早く寝ちゃいなさいよ。一日くらい、ちょっと遅刻したってサリも怒らないでしょ」
マリはそう言って、壁にある時計に目をやる。
時間を確認すると途端に眠気がきたのか、マリは小さなあくびをして背を伸ばす。

「マリさんこそ寝なきゃ、でしょ? あんまり心配させてたら、私もダンさんに怒られちゃう」
「まさか! あの人が貴女に怒る理由なんて、ないでしょ。怒るとしたら、あの指揮官の方へね」
「そう思う?」

結局2人は少しの間ふざけ合って、そして明日、話の続きをすることを約束するとお互いベッドへ潜り込んだ。
――そして相変わらず、マリはそれからすぐに安らかな寝息を立て始める。

それを確かめると、リリアンは静かに寝返りをうった。
そのまま何度か瞬きを繰り返すと、暗くなった部屋に目が慣れてくる。
本部で少し横にならせて貰っていたせいもあって、多少の気だるさはあるものの、まだ意識ははっきりしていて――。
デーナの声が、もう一度胸の奥に響いた。

"すぐに帰るよ。そうしたら答えを聞かせて欲しい"

――あんなに 誰かの声を 優しいと思ったことはなかった。
愛しいと思ったことも。
あの時はもっとしっかりした事を言いたかったのに。彼を力付けられるような、立派な言葉を。
けれど出てきたのは――"帰って来てね" そんな、子供の様な台詞だけ。

(帰って きたら――)

何を迷うことがあるだろう。

(帰って きて くれたら――)

そう、きっと離してあげられなくなる。
馬鹿みたいに泣いて、貴方の胸に自分を預けて、そのまま……

"帰る" のは自分の方なのかもしれない。

今の自分にとって、帰るといえる場所は、彼の腕の中にしかないのだから……。

 

しらばくそのままデーナの事を考えていた。
けれど実際に眠気に襲われて目を閉じると、今度思い出されたのはラインだった。

少し擦れた、女性にしては低い声。

――"昔話をしてやるよ"
ラインはそう言って、日誌をカウンターに戻すと、入り口に備えられていた小さな応接用のソファを指した。
2人はそこに腰を下ろす。そして彼女らしく……余計な前置きは何もせず話し始めた。

「昔々、馬鹿な女が1人いた。はねっ返りで気が強くて、あんたみたいな真面目で素直な娘とは正反対の」

口調もやはり、淡々としていて――
ただその時だけはいつもと違う、声の揺れがあった。今ならその理由も分かる。

「素直じゃなくて、愛していた男にまで反発してばかりだった。選りによってその男もまた無鉄砲で頑固で、おまけに、命を張るような仕事をしてた」

それ、が。彼女自身の話だと気が付いたのはすぐだ。
ラインは自身の過去の話をしている。
それはきっと――あの時リリアンが言ってしまった事、"ラインさんも待ってるんですね、誰か……" の答えだと、それもすぐに感じた。

「喧嘩してばっかりでね、よく考えるとろくな思い出もない。なのに女は今でもその男に会いたいと思ってる。もう帰って来ないって分かってるのに」

その淡く揺れた声はしかし、悲壮的な響きはなかった。
後悔よりも諦め、執着よりも達観を選んだ、そんな者の声。

「この仕事も、本当は一時だけのつもりだったんだよ。出来るだけ奴の傍に居たくて、無理を通して入れてもらったんだ。料理はからきしだったから、あんたの様に給仕は無理だったしね」
「ラインさん……」

リリアンが彼女の名前を呼ぶと、ラインは頷きながら微笑んだ。
静かで切ない、そんな一瞬。
詳しい説明はない。リリアンも、ラインから言い出さない限り訊くつもりもない。
――これは歴史の裏だ。英雄達の影にあった女の姿と、その葛藤。

「……つまり、何が言いたいのと言うと」
ラインはそう言って短い咳払いをした。リリアンを見据えるとまた微笑む。今度は仕方無さそうに。

「あんたを見て、羨ましいと思ったよ。素直で優しくて、男の事情もちゃんと受け入れてる。だからあの男も帰って来られるんだ」
「でもその人も……帰って来たかったんだと思います。きっと」
「多分ね……でも、私は充分に奴の力になれなかった。怒鳴ったり怒ったりしてばかりで、それじゃ駄目なんだよ」
「…………」

あの日、あの記念式典の朝。ラインは参加していなかった。
その男性が帰って来なかった理由が、"そういう" 事情からでは無いのか、それともラインが行けなかったのか――それは分からない。
――ラインの考えが、本当に正しいかどうかも。
それでも、それは彼女が彼女の人生と経験の中で出した、1つの答えなのだ。

「帰って来たら、離すんじゃないよ。それから、大事にしてやりな。男なんて脆いもんだよ」

リリアンが黙っていると、ラインはそう言って立ち上がった。
座ったまま彼女を見上げたリリアンを、叱るように促して立たせる。

「はい……」

と、リリアンは短く答えた。
何か慰めの言葉を言うべきなのかも知れない。けれど、無駄な言葉を羅列したところで、彼女の心には届かないのだ。

「頑張ります。それで……いいですか?」
「別にあんたはそのままで大丈夫だよ。ただ、経験者からのアドバイスだ。聞き流していい」
「はい、でも……ありがとうございます」

リリアンが立ち上がるとラインはまた日誌を取って、そのまま部屋に戻ろうとした。"おやすみ" も何もない、相変わらずの素っ気無い終わり方。
去っていくラインの背中に、リリアンは声を掛けた。

「……その人が羨ましいです。ラインさんみたいな素敵な人に、待っていてもらえて」

――聞こえたのか、聞こえなかったのか。
ラインは手にあった日誌をひらひらと掲げて見せると、そのまま廊下に消えた。その背中から、表情までは見えなかったけれど……

 

 

「あぁ〜! これでやっとこの仕事地獄も終わるんや。あの阿呆、"終わったら休暇でも取れ" とか言っとったのに捕まりおって、逆に仕事を増やしくさって……」

黒の丈の長い革靴を磨きながら、ダンがそう軽口を叩いた。
周りにいた兵士達には、笑う者もいるし、不謹慎だと眉を上げる者もいる。
――ガルは間違いなく後者だ。

「フレスク指揮官の責任じゃないですよ。そういう言い方はないでしょう」
「うるさい。ユーモアも分からんのか、お前は」
「またそういうこじ付けを……」

空は小気味がいいほどに晴れ渡っていて、太陽が眩しい。
夏の様な暑さはないものの、空気は肌に心地よい――そんな朝だった。

そしてそんな朝の一幕。
クレフ基地に広がる殺風景なグラウンドの端で、ダンとガルを含んだ10人弱が、ベンチに座りながら準備を整えていた。

靴を磨いているのは、ガルも同じだ。くるぶしの少し上まで来るブーツ状の黒皮靴は、彼らの制服の一部でもある。
それを磨くのは毎朝毎晩と定められた義務で、慣れてくると、しないと落ち着かなくなる程だった。
誰もが慣れた手付きでその作業を終わらせていく。
ダンは自分のそれを素早く終わらせると、颯爽と立ち上がった。

「さあ、公園の散歩や。今度こそ間違いなくいくからな!」

 

出発の日は、あれから3日後になった。

デーナが捕らえている捕虜――もとはデーナを捕らえていた者達だが――を捕らえ、相手国に引き渡すこと。そしてデーナ自身を連れ帰ること。
それが今回の任務の内容だ。

デーナ本人が1人でそれをやり遂げるのも、考えてはいたようが……
最終的にはこの形になった。
ただデーナが逃げるだけなら問題なかった――が、捕虜を抱えているとなると、勝手が違ってくる。
1人で、おまけに輸送手段も無いとなれば、複数の相手を連れ出すのには無理がある。良くて出来たとしても、かなりのリスクを伴う。

"もう、同じ事は繰り返したくないので"
――というのが、デーナの言い分だった。

デーナだけが先に1人で逃げ、後から彼らの捕獲を相手国に頼む……というのが、最も楽な選択だ。

しかし逃げられてしまう可能性が高い。相手国の軍隊のレベルは、お世辞にも高いとは言えない。
そして腐敗も多く、テロリストと裏で繋がっている者もちらほらと混じっている。
結局、ザルに水の結果になるのは目に見えていた。

しかし、わざわざ別の国――クラシッド――が引き渡した捕虜となれば、相手国としても体面上、簡単に離すわけにはいかなくなる。

きちんと裁判が行われ、それに見合った結果が得られるはずだ。
完全に、とはもちろんいかない――。
国が貧しく教育も与えられないでいる状況である以上、似たような事態はまた起こり得る……

しかし少しでもいい、状況を緩和させたい――というのが、デーナの意図なのだろう。

彼らがが捕らえられていた森は深い。
が、出来るだけ国境よりの、開けた場所まで移動してみると言っていた。
その傍には確かに、小型の輸送ヘリがなんとか着陸出来る程度の広さが、航空写真から確認されている。

(公園の散歩か……確かに、な)

自分達はそこまでマックスの操縦する小型輸送機で移動し、デーナと捕虜達を確保して、飛び立てばいいのだ。
今まで彼らが潜ってきた修羅場と比べれば、それは確かに"公園の散歩" と表現できるものだった。

ガルはダンの台詞を心の中で繰り返して、そして両手を握った。

 

気が付くと、上空にプロペラ音が響いてくる――低く始まって、それは、数秒のうちに耳を裂くような轟音に変わる。
それがクレフの乾いた土の砂を巻き上げた。

ダンやガルをはじめとする10人弱が、既に飛び立てる準備を済ませた格好でそれを見上げた。

十数メートル先に、黒と茶の混ざったような色のヘリが軽快にランディングする。
パイロットの腕を最もよく確かめれる場面だ。

コクピットには2名、マックスと、その助手であろう操縦士が座っていた。ランディングが完全に終わりプロペラが止まると、マックスは外にいるダン達に親指を立てて見せた。

 

「阿呆がもう1人や……」

ダンはそう呟きながらも、不敵な笑みを漏らした。

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