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それは、"帰る" というその意味。 命ある全てのものが求める、魂の帰郷――
Song Of Return I
リリアンが寮に入ろうとしたところ、視線を感じてハッと顔を上げた。 その先に居たのは誰でもない……この入り口の番人、管理人のアンジュ・ラインだ。 「ラインさん、もう遅いのに……どうしたんですか?」 疲れも手伝って、静かな声でそう言ったリリアンに、アンジュは意外にも笑顔を見せた。 「その分じゃ、悪い様にはなっていないみたいだね。早く部屋に戻って休みな、同室の女がやきもきしてたよ」 そう言って、ラインはカウンターから離れた。 「……待ってて下さったんですか?」 しかし受け答えは相変わらず素っ気無い。 ラインはカウンターから離れると、傍の壁に備え付けられている電気系統のボタンを、慣れた手付きで弄った。 「早くお戻り。まだ完全に治ってないんだろ? 全く、大佐達も、よくこんな時間まであんたを連れ回したもんだよ」 「私が頼んだんです。途中で、帰った方が良いって言われたんですけど」 既に深夜近く。リリアンは今やっと本部から帰ってきたところだった。 ――確かにラインの言うとおり、リリアンにこんな時間まで本部にいる必要はなかった。 先に帰ることも勧められた。 そして彼らと共に居たほうが、デーナの存在を強く感じられたのも事実だ。 「……ありがとうございます、待っていて下さって」 「細かい事は極秘だって分かってるよ。一々聞かない。けど、帰ってくる事になったんだね」 リリアンは数秒彼女を見つめて、そして小さく、声を出さずに頷いた。 「あ、あの!」 「1つ……聞いてもいいですか」 「前に、仰ってましたよね。"誰かを待つのは悪い事じゃない" って。それから、それはその人の帰りが分かっている限りは……て」 リリアンがそう言っても、ラインは特に驚くこともない。 「どういう意味……だったんですか?」 ラインはリリアンの言葉を受けて、小さく溜息を吐く。落胆や失望からではなく、あえていえば観念……だろうか。 「言葉通りの意味だよ。他に何があると思ったんだい」 図星だ……。リリアンは小さく頷いた。 「……あの時すぐは、気が付かなかったんです。でもこの一ヶ月、ずっとあの言葉が忘れられなくて」 そこまでリリアンが言うと、ラインはやっと顔を上げて、リリアンの方に顔を向けた。 「……私も思ってたよ、なんであの時あんな事を言ったのかってね。何か不吉な事を言ってしまった気にもなって」 ラインはそう言って、特に意味もなく手にあった日誌を持ち替えた。 「少し座るかい? 昔話をしてやるよ」
「リリアンってば! こんなに遅くなるなんて思ってなかったから、流石に心配したわよ!」 リリアンが部屋の扉を開けようとした時、既に時刻は深夜に近く――出来るだけ静かにしたつもりだった。しかし意外にも部屋はまだ明かりが灯っていて、扉を開いたと同時にマリが駆け寄ってきた。 「ごめんなさい、寝てて良かったのに」 マリはリリアンが手にしていた上着を取ってハンガーに掛けると、ベッドの端へ彼女を誘った。 「……お話できたの、少しだけだったけど。それから、もうすぐ帰れるだろうって」 それからリリアンは今日の出来事を話し始めた。デーナと話せた事、ガルに謝ったことも。 それを聞きながら、リリアン本人よりもマリの方が嬉しそうにしている位だ。 「どうしたの? あぁ、疲れてるわよね。早く寝ちゃいなさいよ。一日くらい、ちょっと遅刻したってサリも怒らないでしょ」 「マリさんこそ寝なきゃ、でしょ? あんまり心配させてたら、私もダンさんに怒られちゃう」 結局2人は少しの間ふざけ合って、そして明日、話の続きをすることを約束するとお互いベッドへ潜り込んだ。 それを確かめると、リリアンは静かに寝返りをうった。 "すぐに帰るよ。そうしたら答えを聞かせて欲しい" ――あんなに 誰かの声を 優しいと思ったことはなかった。 (帰って きたら――) 何を迷うことがあるだろう。 (帰って きて くれたら――) そう、きっと離してあげられなくなる。 "帰る" のは自分の方なのかもしれない。 今の自分にとって、帰るといえる場所は、彼の腕の中にしかないのだから……。
しらばくそのままデーナの事を考えていた。 けれど実際に眠気に襲われて目を閉じると、今度思い出されたのはラインだった。 少し擦れた、女性にしては低い声。 ――"昔話をしてやるよ" 「昔々、馬鹿な女が1人いた。はねっ返りで気が強くて、あんたみたいな真面目で素直な娘とは正反対の」 口調もやはり、淡々としていて―― 「素直じゃなくて、愛していた男にまで反発してばかりだった。選りによってその男もまた無鉄砲で頑固で、おまけに、命を張るような仕事をしてた」 それ、が。彼女自身の話だと気が付いたのはすぐだ。 「喧嘩してばっかりでね、よく考えるとろくな思い出もない。なのに女は今でもその男に会いたいと思ってる。もう帰って来ないって分かってるのに」 その淡く揺れた声はしかし、悲壮的な響きはなかった。 「この仕事も、本当は一時だけのつもりだったんだよ。出来るだけ奴の傍に居たくて、無理を通して入れてもらったんだ。料理はからきしだったから、あんたの様に給仕は無理だったしね」 リリアンが彼女の名前を呼ぶと、ラインは頷きながら微笑んだ。 「……つまり、何が言いたいのと言うと」 「あんたを見て、羨ましいと思ったよ。素直で優しくて、男の事情もちゃんと受け入れてる。だからあの男も帰って来られるんだ」 あの日、あの記念式典の朝。ラインは参加していなかった。 「帰って来たら、離すんじゃないよ。それから、大事にしてやりな。男なんて脆いもんだよ」 リリアンが黙っていると、ラインはそう言って立ち上がった。 「はい……」 と、リリアンは短く答えた。 「頑張ります。それで……いいですか?」 リリアンが立ち上がるとラインはまた日誌を取って、そのまま部屋に戻ろうとした。"おやすみ" も何もない、相変わらずの素っ気無い終わり方。 「……その人が羨ましいです。ラインさんみたいな素敵な人に、待っていてもらえて」 ――聞こえたのか、聞こえなかったのか。
*
「あぁ〜! これでやっとこの仕事地獄も終わるんや。あの阿呆、"終わったら休暇でも取れ" とか言っとったのに捕まりおって、逆に仕事を増やしくさって……」 黒の丈の長い革靴を磨きながら、ダンがそう軽口を叩いた。 「フレスク指揮官の責任じゃないですよ。そういう言い方はないでしょう」 空は小気味がいいほどに晴れ渡っていて、太陽が眩しい。 そしてそんな朝の一幕。 靴を磨いているのは、ガルも同じだ。くるぶしの少し上まで来るブーツ状の黒皮靴は、彼らの制服の一部でもある。 「さあ、公園の散歩や。今度こそ間違いなくいくからな!」
出発の日は、あれから3日後になった。 デーナが捕らえている捕虜――もとはデーナを捕らえていた者達だが――を捕らえ、相手国に引き渡すこと。そしてデーナ自身を連れ帰ること。 デーナ本人が1人でそれをやり遂げるのも、考えてはいたようが…… "もう、同じ事は繰り返したくないので" デーナだけが先に1人で逃げ、後から彼らの捕獲を相手国に頼む……というのが、最も楽な選択だ。 しかし逃げられてしまう可能性が高い。相手国の軍隊のレベルは、お世辞にも高いとは言えない。 しかし、わざわざ別の国――クラシッド――が引き渡した捕虜となれば、相手国としても体面上、簡単に離すわけにはいかなくなる。 きちんと裁判が行われ、それに見合った結果が得られるはずだ。 しかし少しでもいい、状況を緩和させたい――というのが、デーナの意図なのだろう。 彼らがが捕らえられていた森は深い。 (公園の散歩か……確かに、な) 自分達はそこまでマックスの操縦する小型輸送機で移動し、デーナと捕虜達を確保して、飛び立てばいいのだ。 ガルはダンの台詞を心の中で繰り返して、そして両手を握った。
気が付くと、上空にプロペラ音が響いてくる――低く始まって、それは、数秒のうちに耳を裂くような轟音に変わる。 それがクレフの乾いた土の砂を巻き上げた。 ダンやガルをはじめとする10人弱が、既に飛び立てる準備を済ませた格好でそれを見上げた。 十数メートル先に、黒と茶の混ざったような色のヘリが軽快にランディングする。 コクピットには2名、マックスと、その助手であろう操縦士が座っていた。ランディングが完全に終わりプロペラが止まると、マックスは外にいるダン達に親指を立てて見せた。
「阿呆がもう1人や……」 ダンはそう呟きながらも、不敵な笑みを漏らした。 |
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