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Ready and Steady

 

本部のゲートに到着する――。

と、待っていたというように案内役が車に近付き、全員が建物の中へ案内された。

形式のみの検査が行われ、首から掛けるIDカードが渡される。
余計な挨拶などはほとんど無く、数人の警備兵に付き添われながら、全員がまっすぐ部屋へ通された。

そこは、リリアンが想像したよりもずっと広い部屋で――通信用らしい大きな機器が、壁に張り付くように並んでいた。

既に部屋にいたのは、数人の通信仕官と、関係者らしき男達だ。
その中には、ポウター中将とマックスもいた。
他に、キャンプで見た顔も数人――いたような気がする。

「まだ予定の時間まで少しあるよ。リリちゃんは休んでた方がいいんじゃないかな。これ飲む?」

マックスはリリアン達が入ってくるとの見て、彼らの間を縫って前へ進んだ。

親しげに近付いてきて、手に持っていた紙コップを傾けて見せる。
微かな苦い香りが、湯気を通してリリアンにも伝わって。
――コーヒーそのものに、というよりも、その温かさに惹かれてリリアンは首を縦に振った。

「なんでリリちゃんにだけなんや。俺らにも持って来いよ」
ダンがその間に入った。しかし言葉とは裏腹に、表情は柔らかい。

「ヤだね。大体、本当に病人連れてきちゃってなぁ……本当に大丈夫? 辛くなったらちゃんと言うんだよ」
「大丈夫です、薬も貰ったし……ありがとうございます」

リリアンが礼を言いながらカップを受け取る。
想像したとおりの心地よい温度が手から伝わって、リリアンは一息ついた。
その安心した風な表情を見て、2人が顔を緩める。

「あ〜ぁ、俺も女に生まれりゃ良かったな」
「馬鹿か。相手がお前じゃ、女でも何もやらないよ」

「場所、教えて下されば取りに行きますよ」
コーヒー一杯を巡ってふざけあっているダンとマックスに、リリアンは湯気から顔を上げてそう言った。
目を輝かせたダンを、マックスが隣から肘でつつく。
そんな、中で――。

「――俺が取りに行ってきます」

ガルが落ち着いた声でそう言ったのが妙に響いて、一同の視線が彼に集まった。
ペキン大佐は既に挨拶の為に離れていて、入り口辺りに固まっているのはリリアンと、ダン、ガル、マックスの4人だけだ。

「……二等兵。さすが、立場っちゅうもんを分かってるな。砂糖なしでミルク多めや。行ってこい」
「おいおい」

ダンの言葉をマックスが窘めようとしたが、ガルはそれを聞く前に踵を返して部屋を離れていた。
寡黙なその背中を、皆が見送る。

「いくら部下だからって、それはないだろ」
ガルが部屋を離れた後、ぽつりとマックスが続けた。

「奴が自分から言い出したんや。行きたかったんやろ、俺を鬼みたいに言うな」
「なんだ、あの坊やも色々考えるところがあるのか」
「まぁ今回ばっかりはな……」

息の合った2人の会話に耳を傾けながらも、リリアンはガルが去って行った先を見つめていた。
無機質に続く白い廊下は、理由もなく緊張感をあおる――本部にここまで入ってきたのは、リリアンには初めてだ。
しかし他の皆は何度か訪れていて、大体の勝手を知っているらしい。

「…………」

――これから、デーナの声が聴ける。
もしかしたら話さえさせてもらえるかもしれない。

期待と喜びは溢れて、止まることを知らなくて……。

けれど待つだけのリリアンと、彼らは違う――。
詳しい事はこれから決まるのだろうが、彼らにはまだこれから"やる事" があるのだ。
マックスが来ているのもそれが理由だろう。デーナは輸送機を出して欲しいと言っていたのだから。

このままでも、いいのかも知れない。
このまま静かに、彼の声を、彼の帰りを待っているだけで。

そうは思ったけれど、リリアンは立ち上がってガルが消えた方向を指した。
「……私も行ってきます。この先、ですよね」

マックスはそれに少し驚いた顔をしながらも、肩をすくめてうなづく。

「あと30分くらいだから――早く済ませておいで」

……自分の行動が、それほど分かりやすいのか。それともマックスが鋭いのか。

飲み物を取るのを手伝うだけ……と言うつもりが、既に見透かされていて。
リリアンは礼を言うように頭を下げると、ガルの後を追って部屋を出た。

 

 

部屋を出て少し歩くと、そこにはホールのような場所がある。
簡易の接待用と思える小さな机が10ほど、椅子と一緒に中央に規則正しく置かれていて。人の行き来も多く、椅子も半分近くが埋まっていた。

「ブローデンさん」

リリアンがそこに辿り着いた時、ガルはそこに座ってどこか一点を見つめていた。

声を掛けられると顔だけ上げたが、立とうとはしない。
「……ごめん。何だ、コーヒーだっけ」
力なく、義務的な感じでガルが答える。リリアンは首を横に振った。

何人かが、リリアンを物珍しげに眺めていく。が、それはあえて気にしない様にした。

「はい……でもその前に、私、ちゃんとお礼が言いたくて……」
「聞いたよ、車の中で」
濃い、青の瞳がリリアンを据えて短くそう答える。
けれどリリアンはもう一度首を横に振って、先を続けた。

「あの時は大佐達も居て……もっとちゃんと言いたかったんです。あの夜、助けて下さって本当にありがとうございました。それから……あの日、叩いちゃった事も……ごめんなさい……」

リリアンはそう言ってから、息継ぎをするように、一旦言葉を区切る。
そして更に先を続けようとする――と、それを遮るようにガルが立ち上がった。

「もういいんだ。本当に、無事でよかった。それだけだよ」
「…………」
ガルが立ち上がると、今度は身長差でリリアンが彼を見上げる形になる。
一度は合った視線をパッと外すと、ガルはホールの端に設置されている台へ足を向けた。

コーヒーマシーンやポットに入った牛乳が用意されていて、自分で好きに作れるようになっている。
リリアンがガルに続いて行くと、ガルは台の前で足を止めて不器用にカップに湯を注ごうとした。

「……やります。貸して下さい、ね」
リリアンが見かねてそう言うと、ガルは抵抗らしい抵抗もせず一歩引いて場所を譲った。
そして、器用に用意を始めるリリアンを横から眺める。

しばらくして数人分の飲み物を用意し終わると、リリアンが顔を上げた。自然と、2人の目が合う。
そして ポツリ、と。

「……最初の頃、俺を認めてくれたのはフレスク指揮官だけだったんだ」

リリアンの瞳を見ながら、ガルがそう言った。
それは例えるなら、まるで、少年が自分の父親を自慢するような調子で。
――とまで言えば大袈裟かもしれないが、とにかくその時のガルの表情は、どこか誇らしげで、そして優しかった。

「俺は周りとぶつかってばっかりで、生意気だったし。今でもファス指揮官とはあんなだろ? 前は誰とでも似たような感じだった」
「…………」

リリアンが答えないでいると、ガルは何かを思い出そうとする様に一瞬だけ上を向いて、そしてまたリリアンに視線を戻す。

「"お前らはここに遊びに来ている訳じゃない" って言って、他の奴らに怒って。別に友達になれと言ってはいない、嫌いなら嫌いで構わない、でもここではどんなに良い奴だってろくに銃も扱えなきゃ使えない――その点、こいつはどんなに嫌な奴でも安心して背中を任せられる……って言ってね。それからかな、周りも柔らかくなったのは」

目立つのか、周りが時々2人に視線を向ける――。
が、ガルはそれに構わず話を続けた。

「でも俺に対しても厳しかった。何でも1人で出来ると思うな、もっと仲間を尊重しろ――とか」
「……嫌、じゃなかったんですか?」
「いや……格好良いと思ったし……尊敬した。後にも先にも、俺がこんな風に誰かを慕ったことはないし、他にも色々教わったし」

そしてその瞬間、僅かにガルの表情が変わったのが分かった。
何かを決心したような、真剣な顔。

「――恩を、返せたらといつも思ってた。役に立ちたい、と。けど結果は散々で、迷惑掛けてばっかりだ。今回も俺のミスが原因だったんだ……それでも」
「…………」
「それでもきっとフレスク指揮官は俺を責めない。悪いと思うなら次に結果を見せろって言って、責任だって自分で被る。そういう人なんだよ」

――何、を。
言われるのだろう。デーナに自分は釣り合わないと……そんな言葉を予想して、リリアンは身体を硬くした。
けれどガルはそのまま続けた。

「最初あの人が独り身だって聞いて、なんでだろうとも思ったし、ああやっぱり、とも思った。釣り合う相手がいないんだろうなって」
「ブローデンさん、それは……」
「けどいつか幸せになって欲しいとも、ずっと思ってた。それだけの価値のある人だ」

最後は少し口早で、何かに急かされているような感じだ。何かを吐き出そうとしている風でもあった。
その口調に、リリアンはその場に固まる――。
しかし、次のガルの台詞は、リリアンが予想した何とも違った。

「……初めて君を見た朝、天使だと思った。キャンプの夜も、告白した時も。あの夜、雨の中で倒れてたのを見つけた時は……心臓が止まるかと思った、本気で。今も」

ガルは、抑えて喋っているつもりだった。
が、周りには人が居るといっても、大きな声を出す者は誰もいない。
自然とその声は聞く者たちの耳に響いた。しかし振り向く者たちの視線を無視して、ガルは続けた。

「今も、このまま攫って行きたいと思ってる。嫌だって泣かれたってそうしたい。でもしない――それが、今フレスク指揮官に対して俺が出来る精一杯だ」

 

過去と、現在と、未来と。
――全てが複雑に絡み合って、私達を絡めとる。

それでも全てはきっと、たった一つの想いで始まっている。
誰かを愛したから。
だから人は泣くの。悲しみも喜びも、だからこそ――。

 

「今度は、失敗しないよ。必ずフレスク指揮官を帰すから……だから」

ガルの声が震え始めたのに気が付いて、リリアンは一歩彼に近付いた。
そして理解する。ただ頭の中でだけではなく、心から。
デーナが居なくなってからずっと。苦しんでいたのは、自分だけではなかった事――。

きっと泣いていたのも、自分だけではない と……。

「はい……きっと。今度は皆、無事に帰ってきて、それから……」

そして何となく、デーナがガルを贔屓と言っていいほど良くしていた理由が分かった。
似ているのだ、2人が――。
強くて真っ直ぐで自分に厳しくて。けれどそのせいで、心に重荷を抱えてしまう、その姿が……。

「きゃ……っ」
続けようとしたリリアンの言葉は、肩に覆いかぶされたガルの腕に、遮られた。

最初は驚いて目を見開いたリリアンも、肩越しに見えるガルの背中が僅かに震えているのが分かって、次第に眉を下げる。
そっと片手で、労わるようにガルの肩を撫でると、一瞬だけその身体がビクッとした。
しかしすぐ身を預けるように力を抜いて、リリアンに被さったまま、ガルは動かなかった。

声を出さずに泣くのも、この2人は似ている――と、そんな事を思った。

「……これでおあいこ、ですね……?」

ガルの胸にすがって泣いてしまった時の事を言っているのか……。
そうリリアンの甘い声が響くと、短い、本当に一瞬だけの笑い声がガルから漏れた。

 

 

約束の時間ちょうど――。
そしてまた約束していた番号に、デーナから連絡が入ってきたのはそれから数十分後だった。

念のための逆探知機と録音機が回っていて、声はスピーカーを通じて部屋の中に響く。
最初に対応に出たのは、やはりペキン大佐だ。

「こういう時の連絡は、出来るだけ早くしろと言った筈だろう」
ペキンがそう言うと、短い笑い声と、デーナのはっきりした声がすぐに続いた。

『これでも急いだんです。今もそれ程時間がないので手短に』
「分かってる、何分くらい話せる?」
『これから10分で切ります。人は用意して貰えましたか』

イヤホンを掛けていた通信士が、デーナの10分という言葉を受けて、ストップウォッチに素早く時間を入力した。
赤い文字盤が器械の上部に表示される。
9分57秒、56秒……と、正確な時間が皆の前で刻まれ始めた。

(――こえ)

どのくらい聴いていなかったんだろう、この、声を。
でも時間なんて、もうどうでもいい。

電話の声を更にスピーカーに通した、機械的な響き――。

でもデーナの声だ。
間違いなく彼の声で、いつもと変わらない口調で。まるで身体に染み渡るような、低い声。
リリアンは両手を口元に当てた。
――そうしないと、声が漏れてしまいそうで。

ただ涙までは、いくら抑えようとしても抑え切れなかったけれど……。

 

それから幾つか、事務的なやり取りがデーナとペキン大佐の間で交わされた。

現在の正確な位置、目印、状況など――正直、リリアンには細部まで分からない事だ。
逆に周りの男達にはこれが今、最も大切なことなのだろう。皆、耳を澄まし神経を尖らせて聞き入っていた。
時々ペキン大佐だけでなく、他の者も質問を挟む。
デーナはそれに一つ一つ短く、しかし的確に答えていく。

リリアンに出来るのはただ、彼らの邪魔をしないように黙っていることだけだ。

『出来るだけ国境近くまで出ます。相手も場所も分かっていれば、こっちの政府も文句は言わないでしょう』
「ああ、すぐに許可を申請する。お前を含めて4人でいいんだな」
『ええ、でも連中はここの政府に引き渡した方がいいと思います。後々問題になるのも面倒でしょうから』

――そして、彼らの間の必要なやり取りが終わった時……時間はあと2分と少しを指していた。
ペキンが後ろに控えていたリリアン達を振り返る。

喋ってもいい……という意味なのだろう。

「おい馬鹿野郎が! 一年半ぶりの再会がこれか!?」

一番最初に声を上げたのはマックスだった。
デーナは驚いたのか、一瞬黙ったがすぐに低い笑い声を漏らした。

『……マックスか? 輸送機はお前が出すんだろうな』
「そうだよ、誰かさんが捕まったりするからな。借りはきっちり付けさせてもらうぜ」
『落とすなよ、俺はまだ死にたくないんだ』
「言ってろ」
マックスと一緒に、傍に居たダンも笑った。と、どうもその声もデーナの元まで届いたらしい。

『ダン、お前までいるのか? そっちは大丈夫なんだろうな』
デーナがそう言うと、ダンはわざとらしいくらい大きな咳払いをして、スピーカーに向かって喋った。

「何がや! お前のような阿呆は他におらん。こっちはお前の分の仕事も抱えて、毎日毎日働き詰めや!」
『すぐ帰るよ、もうここに居る意味もない。許可さえ下りれば終わりだ』

それを聞いて、ダンがリリアンを振り返った。
――時計は、あと1分を示している。

「……ふぅん、まあええ。いいもん聞かせてやるよ。これでさっさと帰る気になるやろうからな」
『は? おい、それよりあいつは……』
「ほらリリちゃん、あとちょっとしか無いからな」
『え…………』

声が、止まった。
それはデーナだけではなく、リリアンの周りにいた彼らも。
何か見てはいけないものを見るような気になるのか、視線を泳がせている者もいる。

「……デーナ……?」

どうしてだろう。
言いたい事が、沢山あった。聞きたいことも数え切れないほどあって。
考えていた筈なのに、その時はもう全てどこかへ忘れてきてしまったようで、言葉は心のままにしか紡げない。

『――リリアン? どうしてる、大丈夫か?』

彼の声が、自分の名前を呼ぶ――それは毎晩、夢に見ていたこと。
それでも現実の声は、どんな甘い夢さえよりも優しく心に響く。

「うん、うん……大丈夫、皆優しくて……でも」
『悪かった、遅くなって。でもすぐ帰るよ――もうすぐ、全て上手く行く』
「うん、待ってる。待ってるから……帰って来てね」

もっと特別なことが言いたかった。
貴方の力になれる、素敵な言葉を――。

けれど出てきたのは甘ったれた声と言葉だけで、しかも、時間は無情にも着々と進んでいく。

『分かってる、すぐに帰るよ。そうしたら答えを聞かせて欲しい』
――そうデーナが言った時、あと残りはあと15秒だった。

「デーナ、悪いがもう時間だ。次の連絡は言った通りでいいな」
『――はい』
「ではここまでだ、今は切る。頑張ってくれ」
『分かりました』

ペキン大佐が間に入って、そんな短い会話が交わされると、プツリと通信が切れた。
それはデーナの方がそうしたのかも知れないし、こちら側からかも知れない。

 

一瞬の沈黙のあとに、部屋に沸いた歓声――。

涙を浮かべていたリリアンの肩を抱いたのは、ペキンだった。
笑顔とも泣き顔ともつかないような表情のままで、しかし、リリアンも温かく彼を抱き返した。

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