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たとえ何処へ行っても
どんな場所で何をしていても

私は貴方を待ってる。ここで、いつまでも、それが永遠より長くても――

 

Far Longer Than Forever

 

ポツ、ポツ…… と、それは。
数秒だけその到来を告げるように窓にあたって、気が付くと本格的に振りだしていた。

(雨…………)

ずっと眺めていた窓から、景色が奪われる。それに代わったのは大粒の雨だ。
景色だけでなく空気までもが、すぐに湿りだしていく。
自然現象に過ぎないそれに――リリアンはなぜか、不安に胸が高鳴るのを感じていた。

(ちゃんと、温かくしてる……? 雨、濡れてないよね……?)

デーナが居なくなってから、今日ですでに2週間目を数えた。
けれど新しい知らせはまだ何も入っていない。

何かあればすぐに知らせると約束してくれたペキン大佐はしかし、ほとんど姿を見せないほど動き回っている様だ。

サリは結局、少し中途半端な形でリリアンの申し出を受け入れてくれた。
週に2日だけなら、と、夜も厨房に出るのを許してくれたのだ。そんな訳で昨夜はリリアンも仕事が――居場所が――あった。
しかし今、今夜はまた部屋に1人。マリが戻るまでまだ時間がある。そして雨――。

(どう、してるの……?)

――痛い思いはしていないだろうか。
――どんな扱いを受けているのだろう、食事は? 部屋は? 雨は?

憂いは尽きる事がない。
いくら大丈夫だと信じようとしても、次の瞬間には簡単に不安の波に溺れてしまう。そんなことの繰り返しだった。

"そっか、じゃあ、待っててくれるな。少し時間は掛かるかもしれない。けど、俺達も協力するから"

そう言ってくれたのはマックスだ。
デーナの友人でもあるという彼は、協力を約束して帰っていった。
話をしたければいつでも……と言って連絡先まで渡してくれたが、それは流石に手を付けないまま。

しかしあのマックスの訪問で、元気付けられたのは事実だった。

ほとんど喉を通らなかった食事も、今はなんとか毎日を維持できる程度に摂れるようになっている。
彼の帰りを待っているという事実が。彼の帰りを笑顔で迎えたいという希望が。
なんとか1日1日を乗り越えていく糧――。

けれど1人の時間はやはり怖かった。
マリもそれを分かっているのだろう、早めに仕事を切り上げて来てくれる事が多かったが、仕事は仕事だ。毎日という訳にはいかない。

(…………っ)

圧し掛かってくる不安を振り払うように、リリアンは頭を振った。
溢れ出しかけた涙を止めるために、きゅっと手を握る。

(何か)

一つでもいい、ひと欠片でも、構わない。

そう思った。どんなに些細な事でもいい、彼の無事を確認できる何かがあれば――。

 

 

ペキンは息も忘れるような思いで、"それ" を見つめていた。
透明なカバーに覆われ、彼の執務机の中央に置かれている、それ。

もう今更――心まで乾いてしまったような気分だ。

そして思い出したのはあの日――。
父親であるアレツ・カーヴィングが亡くなって、その葬儀で小さくなって泣いていたリリアンの姿だ。

まるで人形のように愛らしい子だった。
大きな瞳は宝石のように煌いていて、そう遠くない将来、大輪の華を咲かせることをしっかり約束している。
小さいながらも、誰もの目を惹いていた。

"お父さんはお母さんの所に会いに行ったんだよ"

――そんな、今思えばひどく酷なことを、幼いリリアンに言った。

"これからは、2人一緒に君の事を見守ってくれるんだ。だから泣かないで"

あの時彼女は何を思ったのだろう。
幼いながらも、頭のいい子で……すでに周りへの気遣いを知っている様だった。頷いて涙を止める。
しかしまた伯母の足元に隠れて泣く……。

それから、成長したリリアンが突然、ペキンに連絡を取ってきたのはもう今から約1年前だ。

その声は柔らかく、生前に何度か会った彼女の母親――アレツの妻――を髣髴とさせた。
電話を受けて、一度会うことを承諾すると……そこに現れたのは、ペキンの想像を遥かに越えて美しく成長していた彼女だった。

一通りの挨拶を済ますと、リリアンはここ、クレフ基地で働きたいと申し出てきた。

最初はまさか、就職先で困った挙句の行為ではないかとさえ思ったものだ。
クレフではなく本部での仕事を都合しようかと言うと、彼女はそれでは意味がないのだと断った。

"ここで働きたいんです。父の居た、ここに"

――それは自分の義務に思えた。
親友だった男の、忘れ形見。彼が最後まで愛して止まなかった者――リリアンの願いを叶えること。
しかし同時に、猛者ばかりが集まるこの男の世界で、彼女がやっていけるかどうかも謎だった。

けれどその杞憂もすぐに覆されることになる。

 

(あの馬鹿が……)

ペキンはもう一度、机の上に投げ出されているデーナの認識票を睨んだ。
すでに何年もデーナの所有物だったそれは、お世辞にも綺麗とは言えない状態で数日前、本部に送りつけられてきた。

汚い封筒の中には一枚、紙が同封されていて、そこには乱暴な文字でこう記されていた。
"よく考えておけ"
――当然、すぐに交渉が始まるのだと誰もが沸き立った。
しかしどういう訳か、犯人達からの連絡はそこからプツリと切れてしまったのだ。

誰も何が起こったのか理解できなかった。そして今もまだ、分からないまま。

結局、指紋や付いていた血痕の分析を済ますと、その認識票は上官であったペキンへ預けられた。
本来なら家族へ渡されるのだろうが、デーナには無い。
そして今唯一、それに相応しいと思えるのは……リリアンだった。

(何をしているんだ?)

秘書にリリアンを呼びに行かせ、ペキンは自分の執務室で自問自答していた。

――本来ならこれから、何かしらの交渉が始まるはずだった。
状況から考えれば、向こうは間違いなく捕虜交換を申し出てくる筈だ。
認識票だけではデーナの生存証明にならない……だからこそ皆、これから厳しい交渉が始まるのだと覚悟したところだというのに。

中には、デーナの生死を危ぶんでいる連中も多かった。
だからこそ犯人たちはこんな物を送りつけてきて――血痕は、デーナ本人の物だった――、それ以後連絡をよこさないのだ、と。

間を空けることで自分達を追い詰めようという心理作戦だろうと言う者もいたし、現場は混沌としていた。

(いや、違う。絶対に何かあるんだ。匂うんだよ)

しかしペキンには違う"何か" が感じられた。
デーナはきっと、何かを自分でしようとしている。そんな確信に近い感覚が、頭から付いて離れなかった。

それはそれだけ長い間デーナを見てきたからでもあり、今までの経験で磨かれた勘の産物でもあった。
ここでデーナが大人しくしているとは思えない。必ず"何か" を始めるはずだ。

――しかし厄介なのは、この勘はいくら当たるからといっても、それを証明出来ない事だった。

 

「ペキン大佐……」

執務室に入ってきたリリアンは、ペキンに縋るような瞳をしながらそう言った。
場違いなほど甘く響くその声は、不安と期待が入り混じっている。ペキンはリリアンの肩を持って席を勧めた。

「何かあったんですか? 連絡でも……」
「結論から言おう……そうだ。犯人達らしい者からこれが送られてきたんだ」
「"らしい"……?」

リリアンは数回、瞬きを繰り返す。
必死に自分を保とうとしているのか、ずっと両手を握ったまま。
ペキンがゆっくり、机の上に置かれたものをリリアンの方へ差し出した。

「まだこれ以外は何も届いていないんだ。検査は済んでる」
「…………っ!」

"それ" を目にして。リリアンは息を呑んで握っていた両手を口元にあてがった。

「た、大佐…………」
声が震えだす……これは、ペキンもすでに予想していたことだ。
座っているリリアンの前に腰を屈めて、両肩を支えるように持つと口早に説明を始めた。

「落ち着いてくれ。犯人からはまだこれ以外の連絡は来ていない。本部では色々噂が立っている――しかし、私には分かるんだ。奴は絶対に無事だ、そして何かをしようとしている。だからこそまだ連絡がない――」

リリアンの瞳が、ペキンの真意を知ろうとするように揺れる。
ペキンは無意識に小さく息を呑んだ。

「――証拠は無いんだ。しかし確信はある。理解してくれるかどうか分からないが……」
「大佐」
「あいつは多分自分で何かをしようとしている所だ。ただ逃げるだけではなくて……犯人を連れてくるつもりかも知れないし……それは分からない。だが分かるんだ、信じて欲しい」

――自分が、酷で無茶なことを言っている自覚は、ペキンにもあった。

しかし今は他に説明の仕様がない。
そして賭けるしかなかった。彼女の強さと、その心に。
黙っておこうかとも考えた。しかし……それで他の者の口から漏れるよりは、今ここで話すべきだと思ったのだ。

「これは君の物だ。奴の家族といえる唯一の相手だから」

リリアンは答えなかった。
――そしてペキンも、それ以上は何も言えなかった。

 

本当は喜ばしい事実のはずだったんだ。

デーナと、リリアン。
遠い過去に、家族を失ったはずの子供達。

無関係のようでいて、実はどこかで深く繋がっていた、そんな不思議な巡りあわせ――。

そんな2人が結ばれて、そして、失ったはずのものを再生していく。
愛し合い、暖めあい、支え合っていく人間の底辺――家族を……。

あの日泣いていた、小さな子供。
そうだ、あの場にはデーナも居たはずだ。まだ17歳だった、背も伸びきっていない少年だった頃の彼が。
同じように傷付いて、しかし、きっと涙を飲み込んでいた。

――しかし運命は、最後には彼らを祝福したのだ。

微笑ましいくらいに愛し合っていた。
ただ傷を舐め合うだけではない、本来の意味で、心からお互いを受け入れ合っていた。だからこそ遠回りをしていたのだろう。
壊れた道を建て直すように、ゆっくり、けれど確かに……。

リリアンはしばらくその銀の認識票を見つめていた。
血痕が付いていた話は、さすがにペキンもするつもりはない。今はもう綺麗に洗われて、そのままの形で置かれている。

ペキンが手渡そうとすると、リリアンは首を横に振った。

「受け取れません……駄目、です」
「……そうか」
「預かっていて……下さい、帰って来たらまた……必要になるでしょうから……」

リリアンの目は、混沌としているようにも見えた。けれど意外にも声はしっかりしていて、ペキンは一度手に持った認識票を、静かに机の上に戻す。

「そうだな。とにかく……今夜はこれだけだ。私は本部に行かなければならないから、何かあったらダンかサリに言いなさい」
「はい……」
「明日は休むんだ。疲れているようだからね……しっかり休養して欲しい」

今度は、リリアンは声は出さずにただ小さく頷いた。

心が痛むとはこの事を言うのだ――そう思うほどに、ペキンは身体の芯が軋むのを感じた。しかし立ち止まっても居られない。
やるべき事はまだ山ほどある。そしてそれは、彼らの為でもある……。

 

秘書に送られて部屋を後にするリリアンを窓から確認して、ペキンは思いを固めた。
そして祈る――相手は神でも仏でもなく、あの男だ。

(アレツ……分かっているのか?)

――泣いているのはお前の娘なんだ。
他の誰でもない、お前が事あるごとに"幸せにしてやるんだ" と宣言していた、あの少女なんだよ――

……と、そう。

 

 

雨は止まなかった。止む気配もない。
それは自分の涙も同じで、もう自分が泣いているという感覚さえなかった。

色々な人の声が、代わる代わる頭の中に響く。

"あいつはすぐ帰ってくる、もう、世界を素足で一周してでも帰ってくるね。誓っていい!"
"君のお父さんも……あいつを護ってくれてるよ、違うかい?"

"――そんな顔するな。すぐ帰ってくるから"

「ねえ、すぐって いつ……?」

雨の空に向かって、ぼんやりと呟く。
しかし、冷たい雨音はそんなリリアンの細い声を簡単に飲み込んだ。

執務室から寮へ帰る途中。明かりのある場所までくると、リリアンはペキンの秘書のに礼を言って送りを断った。
少し躊躇されたが、すでに寮が目に入るほどの距離だった事も手伝って、"気を付けて下さいね、お休みなさい" と言い残すと戻っていく。
きっと、彼女にもまだ仕事があるのだろう。

「教えて……お願い……」

寮に戻るつもりだったのだ、本当に。
部屋に戻って、マリと話を……そう、思っていた。

けれど気が付くと、足は別の方へ向いていた。
雨は気にならなかった――濡れた身体も服も、どこか他人事に思えて。
人も明かりも少ない"どこか" へふらふらと辿り着くと、リリアンは堰を切ったように声を上げて泣いて、しゃがみ込んだ。

リリアンが意識を手放したのは、それからすぐだった。

 

 

ドクン……と、突然妙な胸騒を感じて、ガルは顔を上げた。

すでに食事も終わり部屋に帰ってきたところだ。ルームメイトはシャワーを使っている。
(何だ?)
――相変わらず、デーナが居なくなってからの焦燥感が収まらないガルは、夕食後も自主訓練をしている事が多かった。
が、今夜ばかりは雨もあって、部屋に戻っていたのだが――。

(何で……)

急に、胸騒ぎと一緒に浮かんだのはリリアンの顔だった。
正直なところ、珍しいことではなく――手は出さないと誓ってはいても、惚れている女性の顔だ。ふとした瞬間に思い浮かべることは、やはりよくあった。
けれど今回はどこか違う。

(今夜は厨房にも居なかったはずだ。別に何も……)

昨夜リリアンが夕食時も働いているのを見た時は、許可した者を怒鳴ってやりたい気分だった。
しかし聞いてみると、週に2回だけ、夜が寂しいようなのでここに残ることを許可してあげたのだと――そういう事だったらしい。
確かに今夜は居なかった。だから安心したのだが――。

「――おい、やっぱり俺、外に出て行くから」
「はあ!?」

シャワールーム――ルームと呼べるほど広い物ではないが――にいたルームメートに声をかけると、ガルはジャケットを手にとって外に出た。

(やっぱり、部屋にいたんじゃ気が狂いそうだ)
――理由はそれだった。が。

 

バシャバシャと音を立てながら走ったのは、ワザとだった。
そうした方が、頭の中の無駄な雑音に紛らわされずにすむ。

雨くらいで怯んでいては、とてもここではやっていけない。まだ新人だった頃、雨の夜も勝手に射撃場へ出て行って――他には誰も居ないのに、デーナとかち合ったことがあったのを思い出す。

――そう、確かにデーナは強かったし、それは元からの才能でもあった。
けれどそれ以上に彼をあの地位に押し上げていたのは、何よりも彼の努力だったのだ。

(2週間……)

デーナがただ大人しく捕まっているだけとは思えなかった。
そろそろ何かが始まるのではないかという予感が、ここ数日ゆっくり胸を占め始めてきていたところだ。
(けど……もっと長く感じるな)
それは、1日がいつまでも終わらないような感覚が、最近ずっと続いていたから……。

ガルは射撃場の端までくると、携帯していたライフルに手を伸ばした。

的を撃つために意識を集中すると、その時だけは他に何も考えないですむ。それが今は、ガルにとって数少ない息抜きの時間といってよかった。

射撃場の別の端には、常備してある板の的が置かれたままだ。
ガルはそれに照準を合わせようとした。

(――――?)

その、時。
標的よりもずっと先、少し別の角度に、何か見慣れないものが地面に転がっているのが見えた。
不審に思って目を凝らす。雨が邪魔して見難かったが、何か生きた物のような気がする……。

(茶色……野犬か? どうやって入って……)
肉眼では埒があかなくて、ガルは安全装置を戻すと、ライフルについているスコープを望遠鏡代わりに覗いた。

「…………!」

血の気が引くのを、自分で感じた。
雨の降りしきる地面の上に倒れていたのは――そう、他でもない、たった先刻まで心に浮かんでいた相手だ。

ガルはすぐに全力で走った。
(まさか――)
走りながらも、身体の血が逆流しているような感じがする。
倒れた彼女は、まるで息をしていないように動かなかったから――。

「……っ、どうしてっ!」

辿り着くとガルは地面に膝をつき、すぐにリリアンの身体を抱き上げた。
しかし反応はなく、ぐったりしているだけだ。冷たい――と一瞬思ったのは雨のせいで、肌に触れると沸騰しているような熱さが伝わってきた。

「くそっ! だから……っ」

すぐに上着を脱いで彼女に被せる。
しかしお互いずぶ濡れの状態で、それは気休めにしかならない。
リリアンの身体を抱き上げると、ガルは腕に力を入れた。
彼女の口から何か、小さな声が漏れた気がした。それが"デーナ" と聞こえたのは、きっと空耳ではない。

けれどそれに構っていられる時間は、今はなく。
光の灯った建物の方へ、急いで走りだした。

 

 

一秒を永遠より長く感じた。

時という名の檻の中に、閉じ込められたように――

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