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Penelopeia II

 

マックス・バイロン――というのが彼の名前だった。

リリアンとマリが座る席に案内されると、自ら進んで自己紹介を始める。
外交的で人懐こそうだが、そこにはやはり、職業軍人独特の礼儀正しさがふくまれている。リリアンにもマリにも、紹介される前から大体の予想はついた。

「実はクレフにもしばらく居たんだ。2年半くらいかな。結局、飛ぶほうが性に合ってたんで戻ったけどね」
そう説明すると、彼は景気よく笑った。

彼、マックスは現在、空軍でパイロットとして将校の地位に就いているらしい。

10年ほど前に一度、クレフ基地に配属された事もあったという。それに見合った頑健な体型もあった。
年齢ははっきりとは言わなかったが、話からするとダンと同じ年らしい――。

 

4人掛けの丸テーブルで、マックスはダンの隣に座った。
それは当然、リリアンの隣に来ることも意味する。

ダンがリリアンを紹介すると、やはりマックスは驚いたように目を丸くした。
どうも素直に考えた事が顔に出るタイプのようで、それを隠す気もないようだった。
マリは最初、彼がリリアンの隣に座ること警戒した。が、ダンに"大丈夫だから" と念を押されてしぶしぶ納得する。

マックスはダンとだけでなくデーナとも親しい友人だというのが、その説明だ。
どこか女好きそうな雰囲気はあるが、親友を裏切るような人間には見えないのも、納得させられる要因だった。

――結局、奇妙な4人組ができることになった。

 

しばらく、4人は当たり障りのない話をした。

マックスは何度かデーナの事を話題に出そうとしたが、その度にダンかマリが慌てて話題を変えようとする。
数回目でマックスも彼らの意図を汲み、それ以上は突っ込まなかった。

逆にリリアンは、それを聞きたそうな雰囲気ではあったが……。

食事が終わると明るい音楽が掛かり、会場の雰囲気もずっと打ち解けてくる。
マリは立ち上がると、リリアンを誘った。

「ね、ちょっと甘いものでも取りにいかない? 男は男同士で話もあるでしょうしね」
「う、うん……」
急なことで一瞬驚いたが、リリアンは頷くと立ち上がった。
結局また、リリアンはそれほど食事が喉を通らなかった。最近いつもこうだ。

「俺らが取りに行こうか?」
「駄目! 甘いものは譲れないの。ちゃんと自分たちで吟味しなきゃ」
「さいですか……」

方便なのだろうと分かってはいたが……確かにダンはマックスと2人で話す時間が欲しいところだ。
あまり食べていないリリアンの様子が気になったが、今はマリの好意に甘える方がいいのだろう。

2人がテーブルから離れていく姿を見送りながら、ダンは溜息を吐いた。

 

「まぁ、驚いたよ。確かに。これだけは予想しなかったな」

先に口を開いたのはマックスだった。
ダンはまだ2人の後姿を見ながら、椅子の背もたれに寄りかかる。

「……けどそんなに丈夫な子やない。意外と芯は強いけどな、このままじゃ倒れるんやないかって心配しとるとこや」
「分かるよ。で、早くデーナの野郎を帰してやりたいわけだ」
「そう――お前らはどの辺まで知っとるんや?」
「どの辺も何も……詳しい事は何も。諜報部に近い奴に聞いてみたんだ。けど彼ら自身も、居場所まではまだつかめてない感じだったな」

2人は声を落とした。
が、結局八方ふさがりなのは同じで、ダンは頭を振った。

「居場所さえ分かれば、お前らが動けるだろう。必要ならうちの手も貸すよ。チョッパーの2機や3機なら、俺の一声で出せる」
「そうやな……」

ダンは考えを巡らせた。
が――何といっても情報なしには自分達は動けない。
そのあたりをマックスに期待したのだが、彼も特に大きな何かを知っている訳ではないようだ。

「と、そうあからさまに落ちた顔するなよ。ウチはお前らと違って少し情報が通りやすい。航空写真なんかもその気になれば手に入る。アンテナは張ってるってことを言っておき たかったんだ」
「ああ……何でもいいんや。知らせてくれれば助かる」

そして幾つか専門的な話をすると、マックスは後ろを振り返った。
遠目に、マリとリリアンは立ちながら話をしているのが見える。リリアンは疲れているのだろうか、あまり自分からは喋らず、話に頷いているだけだ。

「やー……綺麗な子だな。デーナの奴が落としたのか?」
マックスは眉を下げて、真面目な調子から一変、カジュアルな感じで喋り出した。

「結果的には、かな。けどあれだ、デーナの奴もあれやから、最初は彼女に冷たくしとったよ」
「あぁ、あれか……懐かしいな。俺も最初はあいつとはぶつかったしな」
「けどその後はずいぶん大事にしとったよ。今までみたいな義務的なんじゃなくて、大切でしょうがないって感じでな。見てる分には微笑ましかったよ」
「そりゃまた」

マックスは口元に手を当てた。
何かを考えているような顔で、リリアンの方を見ながら。

数秒そのままだったが、急に、マックスは眉をあげて"お" と声を出した。

「――いいのか、あれ。若いのは見境ないからな……」
「はぁ?」

ダンも一緒に振り返ると、いつのまにかデニスがリリアンに話しかけているのが見えた。

 

「大丈夫ですか? 随分疲れてるように見えますよ、部屋で休んでいたほうが」

デニスは控えめな感じでそう言った。
けれどどこか有無を言わせないような感じがするのも、彼の喋り方の特徴だ。
リリアンは慌てて首を振った。

「平気です、少し食べ過ぎちゃったのかも」
「まさか、見てましたけど、あまり口にしてないみたいでしたよ。本当に……休むべきです」
「いえ…………」

返事に困って、リリアンは隣のマリに視線を送った。
マリは腰に片手をあて、デニスをチラりと見る。

「正論かもしれないけど……女性が食事してるとこを見てるなんてマナー違反よ、坊や」

どこか説教を始めようとするような口調だったが、デニスは表情を変えなかった。
それどころか、少し額に皺を寄せてマリに反論した。

「申し訳ありません。けど……好きな女性を放っておけるほど、僕は人間が出来てないんです」
「…………!」
デニスの台詞にリリアンが言葉を失った。
それはマリも同じようで、少しの間口をあけてポカンとした。

「あのねぇ……坊や、今それを言うのは関心しないわよ」
「だったらいつ言えっていうんです。僕はもう……見ていられないんです。もう一週間以上こんな調子だ」
「それは……もぅ、何が言いたいの!」

マリがわずかに声を上げた。
リリアンはオロオロしだした。何かを言おうとしたが、なぜかクラリと眩暈がして、声が出ない。

「止めろ、お前は……困らせてどうするんだ」

――そんな所に割って入ってきたのは、今度はガルだった。
デニスの肩を掴むと、彼を睨む。
タイミングからしてガルも、リリアン達の様子を見ていたのだろう。デニスはガルを見上げた。

「貴方もです、いい加減にして下さい。彼女は玩具じゃないんだ」
「それはこっちの台詞だ、見苦しい。早く下がれ!」

(や…………)

デニス、ガル、そしてマリの声までが頭に響いた。けれど細かい部分まで聞き続ける気力は、もうリリアンにはなかった。
目の前で繰り広げられる彼らの会話は、自分の事を言っている。
――自分と、デーナの事を。

けれど彼らの口から直接、デーナの名前が出ることはなかった。

(嫌…………)

足元が揺れるような気がする。気が付くと自分の体が倒れそうになっていた。
まずい、と思ったときにはもう遅くて、身体は重心を失っている。

「…………っ」

そして……目を閉じようとした瞬間。
急にリリアンの体がふわりと宙に浮いた。

「悪いな、お前ら! この子は俺がちょっと借りていく、ギャアギャア言ってる罰だ」
「きゃ……っ!?」

リリアンはマックスの肩に、まるで荷物の様に抱きかかえられていた。
慌てて足をばたつかせてみるが、マックスの腕は緩まない。

掴み合っているデニスとガルがマックスを見上げて、雷に打たれたような顔をした。

それを尻目に、マックスはリリアンの華奢な身体を軽々と担ぐ。
と、そのまま外へ真っ直ぐ歩いていった――。

 

 

「こっちおいで、リリちゃん……だったか」

リリアンを降ろすとマックスは数歩先を歩いた。
会場の外、人はまだ殆どいない。
途中備え付けられているベンチに辿り着くと、手を伸ばしてリリアンに座るよう促した。

「はい……あの、ありがとうございました」
どういう訳か、リリアンに警戒心は湧かなかった。素直に従い、ゆっくり腰を降ろす。

「何でお礼を言うかな? かっさらって来たんだよ、デーナには言わないでな」

"デーナ" ――その名前に、リリアンの瞳が大きく揺れた。
マックスもリリアンに続いて、彼女の隣に腰を落ち着ける。近すぎず、しかし遠すぎない距離を間に置いて。

まだ事情を詳しく知らないせいだろうか、それとも初対面の遠慮のなさからだろうか。

マックスはデーナの名前をリリアンの前でも口にした。
ここしばらく、このクレフに居る皆が控えていた事だ。
リリアンが傷付くと思っての配慮なのだろう。が――今は、リリアンにとってこのマックスの態度が新鮮で、気持ちが幾分落ち着くのを感じた。

 

夜の風が頬をなでる。
空は澄んでいて、星がきらめいていた。

「俺が……俺が初めてデーナに会ったとき、あいつはまだ20そこそこのガキで……俺もまだまだ若かったんだよ」

しばらく2人は黙っていたが、冷たい風に乗せられたようにマックスは静かに喋りだした。
視線は空に向けたまま。何かを空に描いて、計算している風にも見えた。

「まだまだお若いですよ……?」
「ははっ、ありがとさん。けどデーナの奴は若年寄だったな……俺らよりずっと大人みたいな顔してたし、冷静で。いつも周りより少し上から、状況を把握してる感じでさ」
「…………」
「正直、ずいぶん冷めたガキだと思ったよ。こう、俺には危なげに見えたかな」

リリアンは答えるべき言葉が見付からず、黙っていた。
マックスも特にリリアンの返事を期待している訳ではないようだ。そのまま続けた。

「恋愛にも、ずいぶん冷めてる感じがしたよ。……と、言ってもいいかな?」
「……は、はい」
「じゃあ遠慮なく続けよう。そう、冷めてはいたけど……なんていうか、心の中には熱いものがあるんじゃないかって思った」

そう言ってマックスは夜空から目線を外すと、リリアンの方を向いた。

「どうしてだと思う? どうして俺がそう思ったか」
「え?」
いきなりの質問に、リリアンはまた答えにつまった。
最近ずっと張り続けていた気が少し緩んだこともあって、すぐに頭も回らない。

「……分からないです。どうして……?」
素直にリリアンがそう言うと、マックスは思いっきり顔をゆるめた。
笑顔とも呆れともとれるような顔だ。そして吹き出した。

「は……ははっ! なぁリリちゃん、今断言してあげるよ。あいつはすぐ帰ってくる、もう、世界を素足で一周してでも帰ってくるね。誓っていい!」
「え、え……?」
「つまり何が言いたいのかというと……はは……、あいつは愛情深いんだよ、意外にも。すごく」
ふざけた調子でマックスが言うと、リリアンは少し眉を上げた。

「意外なんかじゃないですよ……すごく優しいし」
そう反論めいた口調でリリアンが言うと、マックスはまた続けて笑った。

「ご、ごめん……いや、知らないうちにあいつにも色々あったんだな? まさかこう来るとはな……」

マックスはベンチからそり返って、額に手をあて空をあおいだ。
隣のリリアンはきょとんとするばかりだ。突然現れたデーナの友人は、これもまた突然デーナの帰りを約束し、そして大声で笑い出す。

「……そっか、優しいか。最初から優しかった?」

今度は空を見たまま、マックスが質問した。
「最初……最初、は……厳しかったです。ずっと私が片思いしてたんですよ」
リリアンが答えると、マックスは笑うのを止め、真剣な表情に戻る。

「だろ? 最初はキツい。あれは多分、意識してやってるんじゃないんだよ。あいつの無意識な自己防衛なんだ。誰かを愛したらもう引き返せなくなる。それが心の底では分 かってるから、"誰か" を見つけるとその前にブレーキを掛けようとする」

――マックスの説明は少し象徴的だった。
けれど同じような事を、ダンにも一度言われたような気がする。

リリアンは何も言わずに頷いた。

「……リリちゃんがその"誰か" の最たる者なんじゃないかな」
それは優しい口調。しかし、どこかに厳しさもあった。何かを探ろうとしているような、そんな意思を感じる声。

「分かりません。でも……私にとっての"誰か" は、彼です」

答えたリリアンの声は静かで、でも、確かだった。
マックスは空を眺めたままわずかに微笑んだ。

「そっか、じゃあ、待っててくれるな。少し時間は掛かるかもしれない。けど、俺達も協力するから」

そう言われて……リリアンは少しずつ、ゆっくりと顔を崩した。
瞳に涙が溜まりはじめる。
ガルの前で泣いてから、ずっと我慢していたものだ。

あの時は不安に任せてガルに声を上げてしまった。声だけではない、手まで――。

1人で立とうと必死だったから。
そうしなくてはいけないと、思い込んでいたから。

"待っててくれるな"

そうね、でも1人じゃない。
真っ暗だった道に、少しずつ光が射(さ)す。

「はい……もちろん」

自分が1人ではないように、彼も1人ではない。
リリアンが一筋の涙を流しながらそう答えると、マックスはリリアンと向き合った。
涙が伝うその頬に手を触れて、ゆっくりと拭う。

「じゃあ、リリちゃんはペネロペイアなんだ。もちろん、あんなに待たなくてもいいけどね」
「ペネロペ……イ……?」

リリアンが首をかしげて聞き返した。マックスはそれを予想していたようで、すぐに説明した。

「オデュッセイア……ギリシア神話だよ。オデュッセウスっていうトロイ戦争の英雄が、戦争には勝つんだけどその帰り道で遭難する。……で、一生懸命帰ろうとするんだけど色 々と試練があって……なかなか帰れないわけだ」
「…………」

初めて聞く話だった。けれどどこか懐かしい響きもある。
リリアンはマックスの説明に耳を傾けた。

「ペネロペイアはオデュッセウスの奥さんだよ。故郷で彼の帰りを待ってる。周りからもう彼は帰って来ないんだ――って言われても、それでも待ってる」
「…………それで?」

リリアンが先をねだるように訊くと、マックスは微笑んだ。
自分が子供っぽい事をしてしまったのに気が付いて、リリアンも少し頬を赤く染める。

「……ペネロペイアには求婚者も沢山来たんだよ。もうオデュッセウスは帰って来ないから、俺と結婚してくれって言ってね。でも彼女はそれも全部はねつける。で、やっぱり待 ってるんだ」

マックスはそこまで言うとリリアンの頬から手を離した。
代わりにベンチの背に片腕を置いて、そこに寄りかかるように座る。
――まるで子供にお伽噺をするかのような、優しい声だった。

「それで……? それで、2人は会えたんですか?」

リリアンの瞳もやはり、お伽噺の先を聞きたがって目を輝かす子供のそれ……だった。
けれどそれが妙に似合うのは、彼女の人徳だろうか。

マックスは身を乗り出して、満点の笑みを浮かべると力強く頷いた。

 

「――もちろん。オデュッセウスは数々の試練もものともせず……最後にはペネロペイアのもとに帰ってくる。そして2人は幸せになるんだ」

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