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想いをつらぬく と いうこと。
――本当の、愛のかたち。

 

Penelopeia I

 

重い心を引きずったまま。けれど、だからといって止まってはいられない。
ただ、今は自分に出来ることをしなくちゃいけない。
それが彼の為にもなるはず。だから頑張らなくちゃ――。

 

そう必死で自分を奮い立たせて、ここ3日間のリリアンはどこか盲目的に仕事を続けていた。

無理をしているのは、回りにもすぐに分かる。
特にリリアンは、自分の感情を隠すのがあまり上手くない。
サリはもちろん、マリも気を使ってはいたが、こんな状態が長く続けば彼女の身体も気力も持たないのは目に見えていた。

リリアンがサリにあることを願い出たのは、そんな時。

 

「夜も出たい? でもそれは……」
驚いたような、しかし半分は予想していたような複雑な表情で、サリはリリアンを見つめた。その視線を受けてリリアンはこくりと頷く。

「はい。ちゃんと朝も今まで通り出ますから、お手伝いさせて欲しいんです」
「それはね、リリアンちゃん、もちろん助かるけど……大変よ。あまり賛成は出来ないわ」
「私なら大丈夫です。そうしたいんです……お願いできませんか?」
「まぁ……」

サリは頬に手を当ててますます複雑な顔をした。
――こんな事を言ってくるのではないかと、薄々気付いてはいたのだ。ここ数日のリリアンは何かから逃げようとするように、必死で仕事をしていた。
その"何か" が何なのかは、もちろん分かってはいるけれど。

「考えておくわ。大佐にも相談した方がいいでしょうしね、今日はちゃんといつも通り上がりなさい」

諭すようにサリが言うと、リリアンは一瞬何かを言い返したそうにした。
が、思いとどまったようで、キュッと口を閉じ頷く。そして礼を言うと仕事へ戻った。

(……どうするべきなのかしら)

リリアンの後姿を見ながら、サリは考えた。
多分、1人になる時間が怖いのだろう。夕方リリアンが仕事を上がった後は、彼女は部屋に1人だ。
そうなれば嫌でも、辛い現実と不安とに、向き合わなければならなくなる。

かといってあの調子で毎日朝から夜まで働き続けていれば、すぐに限界を迎えてしまう。
それは、デーナが望むものでもないはずだ。

やりきれない気持ちを抱えたまま、サリは深い溜息を吐いた。

 

 

どこか常に重苦しい雰囲気なのは、ダンも同じだった。

デーナの代わりにはロゼ軍曹が就いてはいるが、やはり同じようにはいかない。
いままでデーナに就いていた何人かはダンの指揮下に移動してきていた。
――その中にはガルと、そしてデニスの姿もある。

「まだ何か、進展はないんですか?」

夕方までの訓練が終わり、ガルは顔や制服についた泥や埃を荒い手つきで払いながら、ダンに問いかけた。
ダンはガルを一瞥すると、小さくかぶりを振る。

「こっちが聞きたいくらいや、まだ何も知らされとらん」
「けどもう3日以上経ちます。向こうから身代金か、捕虜交換の要求が出てもおかしくないでしょう」
「知らん、何度も同じ事を訊くな」

――そう言ったダンの口調にはやはり、普段の彼にはない棘々しさがあって。それだけ言うと踵を返す。
結局それ以上訊く気にはなれず、ガルは足元に視線を落とした。

焦りと喪失感、怒りとやるせなさ。
そんな負の感情が渦巻いて、誰もが大なり小なりの苛立ちを感じていた。

確かにあれから3日以上が経とうというのに、デーナの消息は掴めないままだった。普通ならすでに何らかの要求が犯人から出されている頃だ。
大抵はそれを手掛かりに、犯人の場所を割り出す。
そして場合によっては、自分たちが"出る" ことになる。

しかし今回は、それがない――。
ない、のか それともまだ自分達には知らされていないのか。

そこまでは分からないが、何から何までいつもと違う感じがした。
多分犯人も、今回デーナ達が仲間の大部分を逮捕したことで神経質になっているのだろう。
隠れ家もあの森から移ったのかもしれない。

「…………」

ガルは拳を握った。
溢れるフラストレーションの行き場を探して、訓練中も無茶なことばかりをしていた。
今夜も、自分が出る必要はない夜間訓練に自主参加するつもりだ。そうしないと居ても立ってもいられない。

そして――。

(あの人は……)
リリアンの事を想った。彼女も同じくここ数日、必要以上に働いているように見える。
鍛えている自分達と違い、彼女のようなか弱い女性が無理を続ければ、その結果は目に見えている。

けれど、彼女がそうしたい気持ちもまた、よく分かるのだ。
彼女の力になりたい。しかし、彼女への想いがデーナへの忠誠心と相反し、それを妨げようとする。

ただ今は見守ることしか出来ない自分に、ガルはひどい焦燥を感じていた。

 

「ひどい顔ですね」
その時。――気が付くと、ガルの横にデニスが立っていた。
真っ直ぐな姿勢で立ったデニスの態度は落ち着いていて、それが、もともとあまりないガルの忍耐を簡単に削る。

「そういうお前は、平気そうだな」
毒のある口調でガルが言うと、デニスは眉をひそめた。しかしそれに構わずに、ガルは言葉を続けた。

「――お前はいなかったしな。恋敵がいなくなって良かったくらいだろ?」

すると、デニスの瞳が曇った。彼もまたリリアンに近い、嘘を吐けない目をしている。
「心外です、そんな風に思われてるとは思いませんでした。それに……好きで行かなかった訳じゃないんです」

そう答えたデニスの口調は、間違いなく、傷付いた者のそれだ。
が、それに一々気を使ってやる余裕もまた、今のガルにはなかった。
ガルは勘弁してくれとでも言うように頭を振った。

「分かったよ。今の俺はまともに頭が回らないんだ、一々本気に取るな」
「……ですね、そうしますよ。自分の事はどうでもいいんです。他に言いたい事があって」
「は?」

話しながら2人は水道へ向かった。
乱暴に手を洗い頭から水をかぶるガルに対して、デニスは軽く顔を洗う程度だ。
それが終わると、2人は向き合った。

「まともに頭が回る状態じゃないのは、貴方だけじゃないらしい。ファス指揮官もですし、他もあまり落ち着きがないし……それに」

デニスの声に妙な熱が加わるのを感じて、ガルは彼が何を言おうとしているのか感じた。
無意識に眉間に皺を寄せて、言葉の続きを待つ。

「――彼女も。正直、見ていられないんです」
「なんで俺に言うんだ、選りによって……」
「他に誰に言えっていうんです。大佐は忙しすぎるし、ファス指揮官は苛々していて僕の言葉なんて耳を貸さない。話を出来るのは、貴方くらいだと思って」

やはり――ガルの思ったとおりデニスはリリアンについて話し出した。

あの後、事情を知るものは誰もが、リリアンは仕事を休むのだろうと思っていた。
が、その予想に反して彼女はあれからも働き続けている。
それどころか1日に2、3回しか顔を合わせない自分達でも分かるほど、彼女は気を張っていた。

それは、少しでも弾けばプツリと切れてしまいそうな、脆いものだ。
彼女の涙を見たとき、ガルにもそれが分かった。

もちろん他の者にもそれはすぐに分かったのだろう。デニスは言葉を続けた。

「……どうにかならないかと思って。何か彼女のために出来たら、と」
「フレスク指揮官ならすぐ帰って来る。それまでの辛抱だ」
「すぐっていつですか! あんな風じゃ、フレスク指揮官が帰ってくるまえに彼女が駄目になってしまうでしょう!」

デニスは珍しく、声を荒げた。
顔を背けようとしたガルの肩に、デニスが手を掛ける。2人が睨みあう――と、お互いの意思を感じ取った。

それは、ガルも、デニスも、護りたいものは同じだということ。
けれど、その方法は違う……と。

「――彼女に手を出すな」
ガルは言った。低い、威嚇するような声だ。けれどデニスも怯まなかった。

「無理強いをしたりはしません。けど僕は、今の状態が長く続くようなら彼女を放っておけない。それが言いたかったんです」
「…………」

言い終わると、デニスは簡単な敬礼をして、ガルに背を向け歩き出す。

その後姿を見ながら、ガルはただ立ち尽くした。
――殴ってやりたいような気分でもあった。けれどそれが出来なかったのは……何故だろう。
もしかしたら自分の心の隅にも、似た思いがあったからかもしれない。

 

 

「親睦会……?」

首を傾げたリリアンに、マリは大きく頷いた。
寮の2人の部屋の中、日はとっくに暮れていて、時間は夜の9時をわずかに過ぎたところだ。
マリは部屋に帰ってくるなり、リリアンに今週末の親睦会の話を切り出した。

「いつもより少し規模は小さくなるでしょうけど、ちゃんとやるんですって。リリアン来る? それとも休んでた方がいい?」
「ん、休むのはいいの……。でも、どうしようかな……」

リリアンはそう言って無機質に微笑んだ。
――それはまるで、壊れてしまった人形のようで。マリは眉を下げると溜息を吐いた。

「リリアン、無理しないの。やっぱり休みを取った方がいいんじゃない?」
ベッドの脇に腰掛けるリリアンの横に、寄り添うように腰を下ろすと、マリはリリアンの顔を覗きこんだ。

「無理なんてしてないのに……平気よ。皆、気の使いすぎ」
「もう、馬鹿言わないで。ちゃんと食べてなかったでしょ? 顔色も悪いし」
「ちょっとだけよ、大丈夫だから……」

リリアンはそう"大丈夫" を繰り返したが、マリは頭を振った。
大丈夫な筈がない、きっとリリアン自身もそれは分かっているのだ。けれど自分でそれを認められない。

こうと決めると、リリアンは意外にもかなり頑固だった。
それに見合うだけの体力と気力があればいいのだが……今回の事は、明らかに彼女の許容量を越えている。
まだ今はあれから4日。なんとか意地を張ればやっていけたのだろう。
しかしこれ以上この状況が続けば、とてももつとは思えない。

(それでも、帰ってきてくれればいいのよ)

マリは思った。そして目の前の少女の、美しい瞳に思いを馳せる。
ほんの1週間ほど前までは喜びで輝いていたそれが、今は儚く揺れている。
――それでも綺麗だった。
油断をしていたら吸い込まれてしまいそうな、そんな瞳。

(帰って来るって分かってるなら、護ってあげられるの――)

デーナの行方は未だに分からない。
確かな何かがあれば、彼が帰ってくるまで彼女を元気付けてやりたい。
彼は帰ってくるのだと。少しの間の辛抱なのだと、そう。

しかし、もし…………?

 

最悪の場合を考えると、手放しで元気付けることも出来なかった。

きっと今のリリアンは、デーナがすぐに帰ってくると信じることだけで自分を保っている。
もし最悪の事態になれば……壊れてしまう気がする。

言うべき台詞が見つからず、マリはそっとリリアンの背に触れた。
するとリリアンは一瞬だけビクッと身体を硬くした。

そのままマリが労わるように背を撫でてやると、僅かに微笑む。
2人とも、あえてデーナの名前は口にしなかった。
甘えるように傾けられたリリアンの頭を肩に乗せて、マリは"少し休みなさい" と静かな声で告げた。

「うん……」

と、頷きはしたが……。
リリアンはやはり、次の日も、その次の日も変わらず、朝から働き続けていた。

 

 

"言っただろう、こうなると"

そう確か……そんな事を言われた。
初めて親睦会に出た夜。襲われそうになったところを助けてくれて――。

"悪い事は言わない。さっさと荷物をまとめるんだ"

そんな事を言われて、基地から出て行くように諭された。
あの頃はそれに傷付いたはずなのに、今は、甘く優しく、あの声が心を震わす――。

 

リリアンがマリについて親睦会に顔を出すと、確かに普段より人数が少ない気がした。

今回の事件の後、休暇を取っている者も多い。
ペキン大佐はいつも以上に忙しくしているらしく、挨拶だけすると席を外していた。

軽く会場内を見渡すと、確かに普段よりは少なくはあるが、それでも家族連れなどもいてガヤガヤと賑わっている。
"から騒ぎ" とでも言うべきか――。
どこかデーナが居ない隙間を埋めようとするような、若い兵士達の騒ぎ方でもあった。

「リリちゃん! 本当に来たんか、休んでなくて大丈夫か?」

――皆、リリアンを見ると似たり寄ったりのことを言ったが、ダンは直球だった。
隣にいるマリがあわててダンを窘(たしな)める。が、ダンは肩をすくめるだけだ。

「大丈夫ですよ、1人で部屋にいても寂しいし……」
「そうは言ってもなぁ、リリちゃん、ちょっとは休まんと体が持たんから。あんまり長居せんといてな」
「……はい」

ダンはそう言いながら、リリアンに自分が座っていた机の席を勧めた。
ダンの隣にはマリが。そしてマリの隣に、リリアンが座る。

その時、ダンはあらためてリリアンを見つめた。
(痩せたな……)
というのが、最初の感想であり、杞憂だった。
もともと華奢な体型をしていたが、それでも女性らしい柔らかさがあって一見しただけでは分からない。
が、痩せた、と思う。特に今夜は私服を着ているせいで、それがよく見て取れた。

「ちゃんと食べないとあかんよ。今夜はたっぷり食べるんや! いいな?」
「そうよ、その為に連れて来たんだから。何がいい? この人に取ってきてもらうから、私達は座ってていいのよ」
「え、そうくるんか!」

目の前のダンとマリの掛け合いに、リリアンは僅かに顔を綻ばせる。
何でもいいです、とリリアンが答えると、ダンは女2人を残して席を立った。
まだ早い時間でもあるし、マリが居るならしばらくは大丈夫だろうと踏んでのことだ。

(どうするべきなんか……な)
ダンは食事の用意されたテーブルで適当なものを取りながらも、心では別のことを考えていた。

すでにデーナの行方が分からなくなってから1週間以上が経つ。
が、やはり事態は右にも左にも動かなかった。
背後では動いているのかもしれないが、少なくともダンの耳にまでは届かない。

ダンはマリに会うのも少し控えていた。
マリにしてもそれは同じで、あまり話しかけてこない。リリアンの手前、そうする気も起きないのだろう。

(くそ…………)

心は重いままだ。
どうするべきかさえ分からないのが、何よりも歯がゆかった。

こういう時どういう身の振り方をすればいいのか、良く分かっていたのはデーナだ。
だからこそ5歳も年下でも、デーナの方が上官だった。
ただ戦うだけでなく、本部とのやり取りや政治的な部分までしっかり把握していたから――。

それは、ダンにはどうしたって出来ないもので。

だからこそペキン大佐もあまり、必要以上の事はダンに報告しないのだろう。
信用されていない訳ではなく、信頼されていないのだ……あえて言えば。

それ以前に、デーナは必要以上にそういった責任も抱えていた。本来ならペキンが決断を下すべきことにも関わっていたのは、多分ペキン本人が、将来的にはデーナに自分 の後を任せるつもりだったからだろう。

それが悔しい訳ではない。
ダン自身も、そうなって欲しいと思っている。

確かにデーナは兵士としても優秀だった。
けれど、それだけで終わるタイプではないのも確かだ。
もし家族を失ったあの事件がなかったのなら、何かもっと別の仕事をして……そしてきっと成功していたのだろう。

"もし"、"……だったら" などという話をしても、意味がないのは分かっている。

けれどリリアンと結ばれた今、デーナはやっと本来の未来を取り戻すところだったのだ。
これはその矢先の出来事で、それを思うとまた苦しかった。

 

「ダン。お前がそんな辛気臭い顔してたって、奴は戻ってこないだろうよ」

「――は?」
突然、後ろからどこかで聞いたことのある声が響いて、ダンは振り返った。
そして目を見開く。そこに立っていたのは……もうしばらく見ていなかった、懐かしい者の姿だった。

「マックス! 一年以上何の連絡もよこさんで、どうしとったんや!」
「忙しかったんだよ、悪く思うな」
「何やお前! ついに空軍までクビになったんか?」

――ダンの声はまた、よく響く。

が、マックスと呼ばれたその相手もまたよく通る声をしていた。
加えてこの基地の兵士達と比べても遜色のない、しっかりした体型と人の目をひく赤茶の短い髪。
2人が話し始めると、回りの視線が自然と集まった。

「馬鹿言うなよ、今じゃ結構上の方に就いてる。今週はたまたま休暇が入ったんだ」

そう言うとマックスは上着の肩の部分をチラつかせた。
下に着ている服は私服だが、そのジャケットだけは軍のものだ。肩には大尉のランクを示す印が縫い付けてある。

「悪くないだろ? まぁ、デーナの奴には敵わないけどな。……話は聞いたよ」
「だったら分かってるやろ。くそ……お前は、戦友が行方不明にならんと顔も見せんのか」
2人は身を近づけると声を下げた。

マックスが屈み、ダンの耳元にささやくように言葉を続ける。

「お互いさまだ、でも今日はそれで来たんだ。見てのとおり……今はそれなりに力のある地位に就いてる。何か出来ることがないかと思って」

ダンが顔を上げると、2人の目線が絡み合った。
確かめ合うようにしばらくそのまま見つめあう。ダンは小さく頷いた。

「……時間があるなら、それは相談したい。頼む」
「オーケー。今週末は完全にフリーなんだ。出来るだけのことはするよ」
「どうも。けど今は……そうだな、お前も食ってくんやろ?」

だしぬけにダンがそう言うと、マックスは少し拍子抜けした顔をした。

「ああ。と、なんだお前、その食い物の山みたいな皿は。上官が何使われてるんだよ。それともヤケ食い……」

マックスが言い終わる前に、ダンは顎をしゃくってリリアンとマリがいる席を指した。
彼女達もダンとマックスの会話が気になっているのか、こっちに視線を向けている。当然目が合った。

「……なんだありゃ、幻か?」

マックスの視線がリリアンを据える。と、彼は呆けた声を出した。

「……お前の?」
リリアンを見つめたまま、マックスがそう訊いた。ダンは少しだけ口元をあげて答えた。

「いんや。俺のはその隣。彼女は……まぁ説明するわ。驚けよ」

 

ダンはそう言って目配せすると、マックスをリリアンとマリがいる席に案内した。

 

 

踊れ、運命の子供達――。

海の旋律が聞こえる、今。
帰還の歌を歌え。彼は帰る、長い旅路のすえに――。

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