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空は蒼い――。 平和で落ち着いた一日も、人生で一度きりの決戦の日にも。
夢のあと
身に着けたのは濃い紺の制服――戦闘服――で、普段着ているものより厚くしっかりした作りだ。 最後の装備確認をすると、デーナは無線を耳に掛けた。 駆け出しだった頃はまだ50キロ近くある無線装備が必要で、専用の通信兵を何人も連れる必要があった。 通信の万全を確かめると、全員の顔付きが微妙に変わった。 今から完全に"イン" の世界だ――。
国境越えは地上経由で、大部分は装甲車を使った。 今回は入るだけでなく、捕らえた幹部達を輸送する仕事がある。 大部分はまず最初に踏み込む先陣と、それを後ろからサポートする部隊、そしてランデヴー地点で彼らを待つ待機組に分かれた。 それぞれの場所に、最も適任だと思える者を慎重に分け振る。 どちらもそれほど離れては居ないが、深い森に囲まれた山だ。大人数での移動は難しい。 デーナ達は結局、二箇所に同時に入ることにした。 何よりも優先すべきは、人質の家族だ。 最終的に先陣は、ダンの幹部達を捕らえる部隊と、デーナの人質救出の部隊とに分かれた。
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『F-1、目標が視界に入ってきた。そっちは』 それはまだ夜明けだった。 「F-2だ。こちらも同様、あと5分で入る」 無線から入ってきたダンの言葉に、デーナはすぐに答えた。 ガルは無線から聞こえたダンの声に、口の端を上げた。 結局ガルはデーナの部隊に、彼に次ぐ者として配置された。 デーナ達が人質を救出している間に、ダン達が幹部らのいる建物に入る。 そして両方とも麓(ふもと)で待機している装甲車で落ち合い、犯人達の身柄を渡し、自分たちは人質の家族と共にクラシッドへ帰る――。それが計画だった。
"その" 小屋は説明を受けたより多少小さい感じがした。 木造の粗末な佇まい。所々隙間さえできていて、まだ寒さの残るこの季節のには最悪の環境だ。 『ドアの前に2人、小屋の後ろに1人……それから、離れた距離に数人います……ドアから向かって3時方向に1人、10時方向に1人……全員ライフルを持っています』 デーナ達はすでに小屋の周囲に散り、離れた距離から囲んでいた。 「バーンス、3時方向を。ケンプは10時方向だ。正面は俺とガルが入る、後ろはスタイン。後は護衛に就け」 「予定通りの時間で入る。位置に付け」 続いて"了解" の声が聞こえるのを確認して、デーナも自分が取るべき位置に静かに移動した。 "両親に、子供が3人。現地には父親の仕事で赴任していたらしい。平和な、仲の良い家族だったらしい" ――それはペキン大佐から受けた情報の1つだった。 (…………) 子供達の年齢も、ちょうどあの頃のデーナ達と同じような年頃だった。 ――帰してやりたい。 任務以前にそう、人として思った。 自分が失ってしまったものを、持ち続けて欲しい。 そして――そうだ。
3秒、2秒、1…… そこまで正確に数えて、全ては一斉に始まった。 人数、そして質ともに明らかにデーナ達の方が勝っている。 入り口の警備2人を倒し中に入ると、そこにいたのは5人、お互いを護り合うように地面にかたまった家族がいた。 父親らしき人物を見つけ、デーナが確認の声を掛けた。 「クラウド氏ですね」 父親をはじめ、他の4人も驚いた目でデーナを見つめた。 パッと見たところ――彼らの健康状態は思ったより良さそうだ。身体を洗うことを許されていなかったのだろうか、かなり汚れてはいたが目には生気がある。 「も……もう駄目かと思っていました……。ありがたい……っ」 デーナは答えると、ガルに視線を送った。分かったというようにガルが頷く。 すぐに他の数人の兵士も中に入ってきて、ガルを含めた3人がそれぞれ子供を抱き、素早く外に出る。 全員が揃ったのを確かめると、部隊はすぐに出発の形を整える。 「F-1、F-2は片が付いた。今から降りる」
ここまで順調に進んだのは、日頃積み重ねてきたものの成果であり、そして繰り返した予行のお陰でもあった。 成功に偶然は1つもない――。 しかし失敗は、あまりにも簡単に足をさらう。
「お、お父さんっ……」 ガルが肩に抱えていた子供が、小屋から出てすぐに動揺しだした。 「下に降りるまでだ、大人しくしてろ」 すでに坂を降りはじめていた部隊の先頭は、当然のようにデーナだ。 「こ……怖いよぉ……っ!」 子供がまた足掻き出す。唯一自由になっている手で、ガルの背中を叩きだした。 一々あやしている時間はない――。 後の草木が不自然に揺れるのが視界に映った。 バァン! という銃声が、湿った朝の空気に鈍く響きわたる。 「ブローデン!」 すぐに叫んだのは、ガルのすぐ後ろに居た最後尾の兵だ。 しかしそれに続いてまた、数発の銃声が草木の影から放たれる。 「くそっ! 1人じゃないのか……っ」 ガルは急いで上半身を起こすと、銃を構えた。傍の子供はほとんどパニックになっている。 ガサガサッという人が走る音がすぐに聞こえた。 「あ…………」 少年は目を見開いた。まだ幼い彼が、こんな場面に遭遇したのは当然初めてだ。 目の前で繰り広げられる銃撃戦。 生きるか死ぬかも分からなかった、この1週間。 母親の涙、姉の悲鳴、不安、恐怖……。 「――――待て!」 ――そう、ガルが叫んだ時には遅かった。 「待つんだ、行くなっ! くそっ!!」 逆に相手は、ここの地理を知り尽くしているはずだ。 銃を握る手と額に汗が噴きだす。 が―― 木の影から、突然人の手が伸びる。 その動きはどこか野生の動物のもののようだった。 「うわぁっ!」 少年が声を上げたとき、すでに彼の体は1人の男に捕らえられ、こめかみにピタリと銃を当てられていた。
「手を緩めるんじゃない! 絶対にそのまま離すな!」 気を取られかけた兵士達の前に、デーナの怒声が響いた。 しかしデーナに言われた通り、犯人を拘束してる兵士達はその腕を緩めなかった。 「お、……お父さ……っ」 少年を拘束した男が、一歩、一歩とゆっくり後進する。銃は少年のこめかみに向けられたまま。 男は、明らかに犯人達の仲間の1人だ。 ――距離 デーナはゆっくり前に出ると、咄嗟に計算した――犯人を撃つことは出来る。 『F-2、F-1だ、こっちも片付いた。すぐに降りる』 ――ダンの声が、デーナの無線に流れた。
少年を捕らえた男は、またその腕に力を入れる。少年の体は僅かに宙に浮いて、足をばたつかせた。 「――取引をさせてもらおうか、軍人さんよ」 男は言った。低い声だ。低いだけでなく、どこか湿ったような、粘り気のある嫌な声だ。 「そちらから1人、出して貰おう。交換だ。雑魚じゃなく、指揮者をな」 「小細工は考えるんじゃねぇぞ……俺はどうせ死んだ身も同然だ。このお坊ちゃんを道連れにするのも、悪くねぇからな」 不気味な声――その言葉は多分、真実だろう。 「……俺が、行きます」 しかし男の視線は、すでにデーナを真っ直ぐ捕らえている。彼には分かるのだろう、誰がここで最も重要な者なのか――。 例えそうでなかったとしても、誰かを犠牲にする気はデーナにはなかった。 「――子供が戻ったら、すぐに全員を連れて降りるんだ。絶対に振り向くな。下にはダンが先に着いてるはずだ」 「フレスク指揮官……っ」 そして、デーナはすぐに肩の銃をおろす。それを見て、犯人が口の端を上げた。 デーナは言われた通り、腰にあった別の銃と銃弾を捨てると、無線を外してそれをガルに押し付けた。 「お前が持て。それから……あいつに謝ってくれ」 「…………っ!」 「そうだ……ゆっくりこっちに来な。変な事は考えるな。真っ直ぐ、ゆっくりだ」 ――辺りは静かだった。 誰も一言も発することなく、犯人と、デーナのやり取りに息を呑んでいる。 デーナはゆっくり前に進んだ。 少年の顔がよく見えるようになると、大丈夫だ、というような視線を送る。少年は涙を止めた。
――子供。 冷静さを失うことは無かった。が、デーナは胸に溢れる葛藤を必死で抑えていた。 "小学校に上がったばかり" ――ああ、そうだ。ディーンもちょうど同じ頃だった。 子供独特の大きな瞳が、涙を溜めて縋るようにデーナを見つめた。 記憶の中の彼らの声が蘇る……。 犯人と少年、2人の目の前まで辿り着くと、デーナは初めて犯人に向かって口を開いた。 「ここまででいいだろう、子供を放してくれ」 しっかりとした声が響く。犯人はデーナの顔を見てフフンと鼻を鳴らすと、銃の標的を少年からデーナに移した。 「お父さん、お母さん……っ!」 放されるとすぐに、少年は泣きながら必死で走った。 背を向ける格好だったデーナにも、少年が彼らのもとへ辿り着いて嗚咽する声がすぐに聞こえてきた。
「――ガル、さっさと行け! 今度は絶対に離すな!!」 それ、は 空気を揺するような声だった。デーナの背から響く、声。 「はい……必ず……」 「……行くぞ!」 ガルが声を上げると、それに合わせてすぐに全員が下を向け走り始めた。 男とデーナ、2人を森の中に残して……。 ガルだけではない、他の者も必死で後ろ髪を引かれる思いを断ち切っていた。 息子を抱えている父親を助けながら走る格好で、ガルもその最後尾を走り続けた。 ――視界がかすんだ。涙など流すのはもう、十年以上無かったことだ。
*
"だから、帰ってきて……ね。ここに" ああ、そうだな。 お互いの帰る場所、そう――"家族" を。 |
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