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空は蒼い――。

平和で落ち着いた一日も、人生で一度きりの決戦の日にも。
――変わることなく。

 

夢のあと

 

身に着けたのは濃い紺の制服――戦闘服――で、普段着ているものより厚くしっかりした作りだ。
最後の装備確認をすると、デーナは無線を耳に掛けた。

駆け出しだった頃はまだ50キロ近くある無線装備が必要で、専用の通信兵を何人も連れる必要があった。
が、今は大分軽量化されている。
わざわざ巨大な公衆電話のような機器を使わなくても、各兵士にマイクロフォンが支給される。

通信の万全を確かめると、全員の顔付きが微妙に変わった。

今から完全に"イン" の世界だ――。

 

国境越えは地上経由で、大部分は装甲車を使った。
今回は入るだけでなく、捕らえた幹部達を輸送する仕事がある。

大部分はまず最初に踏み込む先陣と、それを後ろからサポートする部隊、そしてランデヴー地点で彼らを待つ待機組に分かれた。

それぞれの場所に、最も適任だと思える者を慎重に分け振る。
今回難点となるのは、幹部の大部分が居るはずの建物と、人質が拘束されているはずの小屋に距離があることだった。
同時に二箇所を急襲するとなると、人員を2つに分けなければならない。逆に一箇所づつ順番に攻める場合、後になる方の現場のリスクが倍増する。

どちらもそれほど離れては居ないが、深い森に囲まれた山だ。大人数での移動は難しい。

デーナ達は結局、二箇所に同時に入ることにした。

何よりも優先すべきは、人質の家族だ。
彼らを先に救出してから幹部達を捕らえるとなると、彼らもその過程でずっと連れ回さなければならない。
デーナ達にとっても、彼らにとっても危険なだけで利点は見当たらなかった。

最終的に先陣は、ダンの幹部達を捕らえる部隊と、デーナの人質救出の部隊とに分かれた。

 

 

『F-1、目標が視界に入ってきた。そっちは』

それはまだ夜明けだった。
他の現場でもそうだったが、基本的に急襲はこの時間を使う。

「F-2だ。こちらも同様、あと5分で入る」

無線から入ってきたダンの言葉に、デーナはすぐに答えた。
F-2はデーナ側の部隊のコードだ。ダンの方はF-1で、他の数箇所にも似たようにコードを振り分けてある。
全員ではないが、各ポイントの主要な者達には皆この無線を与えられていた。

ガルは無線から聞こえたダンの声に、口の端を上げた。
――別に嫌悪からではなく、単純に"流石だ" と思ったのだ。普段はふざけているのに、やる事はやるのだ……と。

結局ガルはデーナの部隊に、彼に次ぐ者として配置された。
ダンの方にはロゼ軍曹が付いている。
人数も、ダン達の方がずっと多く配置されていた。

デーナ達が人質を救出している間に、ダン達が幹部らのいる建物に入る。

そして両方とも麓(ふもと)で待機している装甲車で落ち合い、犯人達の身柄を渡し、自分たちは人質の家族と共にクラシッドへ帰る――。それが計画だった。

 

"その" 小屋は説明を受けたより多少小さい感じがした。

木造の粗末な佇まい。所々隙間さえできていて、まだ寒さの残るこの季節のには最悪の環境だ。
望遠鏡を持った兵士が、抑えた声で無線を流した。

『ドアの前に2人、小屋の後ろに1人……それから、離れた距離に数人います……ドアから向かって3時方向に1人、10時方向に1人……全員ライフルを持っています』

デーナ達はすでに小屋の周囲に散り、離れた距離から囲んでいた。
肉眼ではは遠いが、フィールドスコープさえ使えば撃てない距離ではない。が、小屋があまりに粗末過る。
銃撃戦になって家族を巻き込むような事はしたくなかった。

「バーンス、3時方向を。ケンプは10時方向だ。正面は俺とガルが入る、後ろはスタイン。後は護衛に就け」
素早くそう言うと、デーナは時計に目を落とした。

「予定通りの時間で入る。位置に付け」

続いて"了解" の声が聞こえるのを確認して、デーナも自分が取るべき位置に静かに移動した。
ガルもそれに付いてくる。

"両親に、子供が3人。現地には父親の仕事で赴任していたらしい。平和な、仲の良い家族だったらしい"

――それはペキン大佐から受けた情報の1つだった。
そんな彼らが突然、身代金目当ての――名目として政治目的を掲げてはいるが、結局はそこだった――テロリスト達に誘拐されてしまう。
休暇を自然の中で過ごそうと、その森の近くを車で通ったところで。

(…………)

子供達の年齢も、ちょうどあの頃のデーナ達と同じような年頃だった。
最年少はまだ小学校へ上がったばかりで、それより幾つか年上の姉と兄。

――帰してやりたい。

任務以前にそう、人として思った。
自分が今まで歩いてきた道を否定する訳ではない。けれど、同じ思いをする者を出すわけにはいかない。

自分が失ってしまったものを、持ち続けて欲しい。

そして――そうだ。
彼らを無事助けることが出来たのなら、もう……自分も前に進んでいいのだろう。
やっと手に入れた大切な女性と共に、前 へ。

 

3秒、2秒、1……

そこまで正確に数えて、全ては一斉に始まった。

人数、そして質ともに明らかにデーナ達の方が勝っている。
小屋を破るのは難しいことではなく、――もちろん、彼らの基準から言えばの話だが――計画したとおり数分でデーナは中まで入ることが出来た。

入り口の警備2人を倒し中に入ると、そこにいたのは5人、お互いを護り合うように地面にかたまった家族がいた。
全員が怯えた顔で、入ってきたデーナとガルを見上げる。

父親らしき人物を見つけ、デーナが確認の声を掛けた。

「クラウド氏ですね」
声を掛けられた男は驚いた目でデーナを見上げ、そして首を上下させた。
「クラシッド国軍です、貴方達を助けにきました。すぐに移動しますから付いて来て頂けますね?」
「……ほ、本当に!」

父親をはじめ、他の4人も驚いた目でデーナを見つめた。
母親と娘は手を握り合い、今にも喜びの悲鳴を上げそうになっている。

パッと見たところ――彼らの健康状態は思ったより良さそうだ。身体を洗うことを許されていなかったのだろうか、かなり汚れてはいたが目には生気がある。
少なくとも食事はある程度与えられていたのだろう。
いきなりではあったが、急を要する。父親の肩を持って立つのを促すと、彼はヨロヨロとそれに従った。

「も……もう駄目かと思っていました……。ありがたい……っ」
「それは帰ってからにして下さい。今はとにかく急いで森を降ります、自分の足でいけますか」
「は、はいっ。私と妻は……しかし子供達が」
「子供は俺達が運びます」

デーナは答えると、ガルに視線を送った。分かったというようにガルが頷く。

すぐに他の数人の兵士も中に入ってきて、ガルを含めた3人がそれぞれ子供を抱き、素早く外に出る。
外にはすでに、別の兵士が何人かの犯人を拘束していた。

全員が揃ったのを確かめると、部隊はすぐに出発の形を整える。
子供の両親もそれに慌てながら混ざった。

「F-1、F-2は片が付いた。今から降りる」
『了解』
――デーナの無線にダンが短く答えた。

 

ここまで順調に進んだのは、日頃積み重ねてきたものの成果であり、そして繰り返した予行のお陰でもあった。

成功に偶然は1つもない――。
一瞬のチャンスを掴む事さえ、その結果でしかない。

しかし失敗は、あまりにも簡単に足をさらう。

 

「お、お父さんっ……」

ガルが肩に抱えていた子供が、小屋から出てすぐに動揺しだした。
例の、最年少の子供だ。突然知らない者に抱かれるのに抵抗があるのか、不器用に身体をよじる。

「下に降りるまでだ、大人しくしてろ」
そしてガルもまた、特に子供の扱いに慣れている訳ではない。
ただ子供の動きを抑えるように腕に力を入れ、ペースを緩めなかった。

すでに坂を降りはじめていた部隊の先頭は、当然のようにデーナだ。
ガルは後ろの方……子供を抱いているため最後尾ではなかったが、列の後半を走った。

「こ……怖いよぉ……っ!」

子供がまた足掻き出す。唯一自由になっている手で、ガルの背中を叩きだした。

一々あやしている時間はない――。
ガルは顔を歪めて舌打ちすると、抱き直そうと肩を揺らした――その時。

後の草木が不自然に揺れるのが視界に映った。
の、と同時だった。

バァン! という銃声が、湿った朝の空気に鈍く響きわたる。
そのまま足元の泥が散ったのはほとんど同時で、ガルはそのまま子供を庇いながら地面に倒れた。

「ブローデン!」

すぐに叫んだのは、ガルのすぐ後ろに居た最後尾の兵だ。
素早く銃を構え、銃声がした方に数発撃つ。甲高い悲鳴が聞こえて、人が倒れる音がした。

しかしそれに続いてまた、数発の銃声が草木の影から放たれる。

「くそっ! 1人じゃないのか……っ」

ガルは急いで上半身を起こすと、銃を構えた。傍の子供はほとんどパニックになっている。
「俺の後ろに居ろ、動くな!」
とだけ言って、頭を押さえて子供を後ろに追いやる。そして敵に向かって撃った。

ガサガサッという人が走る音がすぐに聞こえた。
――当たらなかったんだ。ガルはすぐに2発目の為に構え直した。

「あ…………」

少年は目を見開いた。まだ幼い彼が、こんな場面に遭遇したのは当然初めてだ。
そして一週間以上続いた人質生活の緊張が、少年に極度のストレスを与えていたのも明らかだった。

目の前で繰り広げられる銃撃戦。

生きるか死ぬかも分からなかった、この1週間。

母親の涙、姉の悲鳴、不安、恐怖……。

「――――待て!」

――そう、ガルが叫んだ時には遅かった。
少年は突然、闇雲にもと来た道を走り出していた。

「待つんだ、行くなっ! くそっ!!」
ガルはすぐに2発目を諦め、少年の後を追おうとした。
最後尾の兵がそんなガルを援護するように銃を構える――が、森が深く標的がはっきりしない。

逆に相手は、ここの地理を知り尽くしているはずだ。

銃を握る手と額に汗が噴きだす。
この頃になると、銃声を聞きつけたデーナが後ろまで走ってきていた。

が――

木の影から、突然人の手が伸びる。

その動きはどこか野生の動物のもののようだった。
ここで暮らし、鍛え、生き延びてきた者だけが得られる、巧妙な動き。

「うわぁっ!」

少年が声を上げたとき、すでに彼の体は1人の男に捕らえられ、こめかみにピタリと銃を当てられていた。

 

「手を緩めるんじゃない! 絶対にそのまま離すな!」

気を取られかけた兵士達の前に、デーナの怒声が響いた。
その場に大きな緊張が素早く駆け抜け、全員の歩みが止まる。

しかしデーナに言われた通り、犯人を拘束してる兵士達はその腕を緩めなかった。

「お、……お父さ……っ」
少年の震えた声が、緊張の中に響く。
母親と父親の悲鳴に近い声が、それに続いて聞こえた。

少年を拘束した男が、一歩、一歩とゆっくり後進する。銃は少年のこめかみに向けられたまま。
その場の全員が、静かに息を呑んだ。

男は、明らかに犯人達の仲間の1人だ。
どこか濁った目を持ち、背は高くも低くも無いが、太っていた。
脂ぎった肌は日に焼けて黒い。

――距離

デーナはゆっくり前に出ると、咄嗟に計算した――犯人を撃つことは出来る。
この程度の距離なら絶対に外さない。
しかし同時に、男の少年に向けられた銃が火を噴けば、それはデーナから放たれるそれより必ず先に目標に当たってしまう。

『F-2、F-1だ、こっちも片付いた。すぐに降りる』

――ダンの声が、デーナの無線に流れた。
「行け、こっちも後から行く」
デーナはそう、短く答えた。

 

少年を捕らえた男は、またその腕に力を入れる。少年の体は僅かに宙に浮いて、足をばたつかせた。

「――取引をさせてもらおうか、軍人さんよ」

男は言った。低い声だ。低いだけでなく、どこか湿ったような、粘り気のある嫌な声だ。
少年は涙を流し始めた――が、今は両親からの悲鳴は聞こえない。多分、兵士達が彼らに黙るよう諭したのだろう。

「そちらから1人、出して貰おう。交換だ。雑魚じゃなく、指揮者をな」
にじり、にじりと少しずつ後ろに進みある程度の距離を取ると、犯人は歩を止めた。

「小細工は考えるんじゃねぇぞ……俺はどうせ死んだ身も同然だ。このお坊ちゃんを道連れにするのも、悪くねぇからな」

不気味な声――その言葉は多分、真実だろう。
相手もただの素人ではない。犯人を撃つことは出来る。が……それは少年の命と引き換えになるかも知れない。

「……俺が、行きます」
デーナの斜め横から、ガルの声が聞こえた。
「俺の責任です――けじめを、付けさせて下さい」

しかし男の視線は、すでにデーナを真っ直ぐ捕らえている。彼には分かるのだろう、誰がここで最も重要な者なのか――。

例えそうでなかったとしても、誰かを犠牲にする気はデーナにはなかった。
彼らを助け、もとの温かい"家" まで送り届けること。
そしてガル達をもまた、全員無事に帰すこと――それが自分がここにいる理由だ……。

「――子供が戻ったら、すぐに全員を連れて降りるんだ。絶対に振り向くな。下にはダンが先に着いてるはずだ」
デーナは前を見たまま、ガルに言った。

「フレスク指揮官……っ」
「俺を待つな、終わるまでの指揮はお前が取れ」

そして、デーナはすぐに肩の銃をおろす。それを見て、犯人が口の端を上げた。
「そうだ、いい判断だぜ……そのままゆっくり全部捨てるんだ。手を上げてこっちへ来な」

デーナは言われた通り、腰にあった別の銃と銃弾を捨てると、無線を外してそれをガルに押し付けた。

「お前が持て。それから……あいつに謝ってくれ」

「…………っ!」
声にならない、声にしてはならない……そんなガルの叫びが聞こえた気がした。
が、それに構っている時間はない。
デーナはそのまま手を頭と同じ高さまで上げると、一歩進んだ。

「そうだ……ゆっくりこっちに来な。変な事は考えるな。真っ直ぐ、ゆっくりだ」

――辺りは静かだった。

誰も一言も発することなく、犯人と、デーナのやり取りに息を呑んでいる。
が、デーナが何かを犯人に言うことは無かった。
この状況で何を言っても、逆効果にしかならない。

デーナはゆっくり前に進んだ。

少年の顔がよく見えるようになると、大丈夫だ、というような視線を送る。少年は涙を止めた。

 

――子供。
冷静さを失うことは無かった。が、デーナは胸に溢れる葛藤を必死で抑えていた。

"小学校に上がったばかり"

――ああ、そうだ。ディーンもちょうど同じ頃だった。

子供独特の大きな瞳が、涙を溜めて縋るようにデーナを見つめた。
犯人と少年に近付けば近付くほど、それは鮮明になってデーナの前に突きつけられる。

記憶の中の彼らの声が蘇る……。
いつだって自分を頼っていた、幼い弟達。
護ることも救うことも出来なかった、あの日。

犯人と少年、2人の目の前まで辿り着くと、デーナは初めて犯人に向かって口を開いた。

「ここまででいいだろう、子供を放してくれ」

しっかりとした声が響く。犯人はデーナの顔を見てフフンと鼻を鳴らすと、銃の標的を少年からデーナに移した。
そして少年を解放する。

「お父さん、お母さん……っ!」

放されるとすぐに、少年は泣きながら必死で走った。
デーナの横をすり抜け、彼自身の両親と兄弟の下へ――。

背を向ける格好だったデーナにも、少年が彼らのもとへ辿り着いて嗚咽する声がすぐに聞こえてきた。

 

「――ガル、さっさと行け! 今度は絶対に離すな!!」

それ、は 空気を揺するような声だった。デーナの背から響く、声。
その背を見ながら、ガルの表情が崩れる。目には涙が溢れてきて、微かに視界を邪魔した。

「はい……必ず……」
擦れた声でガルは答えた。デーナに聞こえていたかどうかは分からない。
しかし今はもう、他の兵士も保護した一家も、ガルの一声を待っている。責任は彼の肩に移ったのだ。

「……行くぞ!」

ガルが声を上げると、それに合わせてすぐに全員が下を向け走り始めた。

男とデーナ、2人を森の中に残して……。

ガルだけではない、他の者も必死で後ろ髪を引かれる思いを断ち切っていた。
今はとにかく、この家族を無事に帰さねばならない。

息子を抱えている父親を助けながら走る格好で、ガルもその最後尾を走り続けた。

――視界がかすんだ。涙など流すのはもう、十年以上無かったことだ。
それでも止まらなかった。きっともう、止め方を忘れていたんだ……。

 

 

"だから、帰ってきて……ね。ここに"

ああ、そうだな。
そうして2人で築いていけたらいい。

お互いの帰る場所、そう――"家族" を。

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