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You Are The Only Place
――それから。 壁を背もたれ代わりにして、2人はベッドの上で足を休めていた。 手の中に収められた指輪に視線を移して、リリアンはふっと微笑む。 「休暇の2日目って……テルに出掛けた日、ですよね。全然気が付かなかったの……いつ、どうやって?」 それはまるで仔猫が、悪戯の仕掛けを知りたがるように。 「――内緒」 「ずるいですよ、隠し事……っ」 そこでリリアンは頬を染めた。 肌に触れるその指輪の重みと色から、それが安物でないのは、リリアンにも容易に想像できた。 自分にそれを受け取る資格がある様には、まだ思えないから……。 「怒らないで下さいね……? ただ、あんまり高価だったらどうしようって思って」 リリアンはまた手元に視線を落として、どうしていいか図りかねる様に眉を下げた。 ――愛しいとか可愛いとか、そんな簡単な言葉では表しきれない。 その笑顔の為なら、何だって出来る。 デーナはリリアンの手を取ると、それを彼女の胸に押し当てた。 「嫌なら捨てていい。他のがいいなら、代えるから」 「そんな事ないです、凄く素敵……」 リリアンは大きく瞳を瞬かせて、慌てたような顔をする。 何となく反応から分かっていた事だが、どうもリリアンは……デーナの意図が完全に飲み込み切れていないらしい。 ただの愛情表現だけではなくて。 そして、男の身勝手さを許して貰えるのなら――それは一種の儀式だった。 しかし彼女の瞳は一生懸命、"いいの?" と……。その許可を求めているような感じで。 「貸してごらん」 デーナはそのまま、リリアンの手を自分の胸の前まで持ってくると、右手の薬指にすっと指輪を通す。 一瞬の行為だったはずが、何故かとても長く感じて。 「さっきから、どうしてそうなるんだ」 「俺が勝手に買って、勝手に渡して、答えを聞くのはまだ早いと思ったから"預ける" って言っただけだ。いいのか駄目なのかなんて、俺が今聞きたい」 リリアンが答えを先延ばしにしようとしたのは、彼女なりの願掛けの様なものだと、デーナも理解している。 "だから、帰ってきて……ね" だから、少し酷だとは分かっている。 「悪い、別にごねてる訳じゃないんだ」 まるで照れているのを隠すように、リリアンはデーナの胸を叩こうとした。 最初は懸命だったリリアンも、じゃれ合っているようなその状況に小さな笑い声を漏らす。 そしてそのまま、気が付くとリリアンの身体はベッドに背を預ける形になっていた。 目が合うと……どちらからとも無く、声を出して笑った。 「……意地悪」 「かもな。逃げたいなら今だ。どうする?」 そうは言われても既に身動きの取れない格好で、リリアンは今更どうする事も出来ない。 「逃げません。だけど悔しいから、私も……少し意地悪を言います」 そう言ったリリアンは、まだ微笑んではいたけれど、それでも少し切なそうな雰囲気を纏っている。 「……本当は、ね、行って欲しくないの。ずっとここに居て、離れないで欲しい」 手を伸ばせば、すぐにその肌に触れる事が出来る。 けれどこれが数日の内に――たとえ1日だけだと言っても――どんなに頑張っても手の届かない距離まで離れてしまう。 「だから答えも……やっぱり今は言いません。そうすれば、出来るだけ早く帰ってきてくれるでしょ……?」 リリアンの手が伸びて、デーナの腕にゆっくりと触れる。 吐息さえ絡まりそうなこの距離は、長い道の果てでやっと見つけたもの。 この世界でたった一つの、心から安らげる場所。 「――それなら頑張るよ。出来るだけ早く」
そして、重なる手と手に力と熱が加わると、リリアンはもう抵抗せずにそこに身を預けた。 ――帰ろう、早く。やっと見つけたんだ。もう離さない。 そう、たった一つの、自分の帰るべき場所へ……。
*
「フレスク指揮官、お話があります」 呼び止められてデーナは歩を止めた。 振り返るとやはり予想通り、必要以上に真っ直ぐな姿勢のデニスが佇んでいる。 「今日決めた事なら、もう動かすつもりはない。大人しく従うんだ」 "あの" 次の夜――。 そして何を話したがっているのか、その理由も想像はつく。 「決定は決定だ。理由は一々言う必要はない――それがここのルールだ。分かっていてここまで来たんだろう」 デーナがきつく言い切っても、デニスはまた食い下がって来た。 デニスはそれを見ると、ゴクリと喉を鳴らしてデーナに視線を戻した。 「……自分が未熟だという理由なら、きちんと受け入れられます。けど、それだけとは思えないんです」 それは、今日発表した今回の作戦に連れて行く人選について、だ。 かなりの規模になるため、緊急の為の数十人を残し、殆どの兵は何らかの務めに任命されていた。 「――お前はまだ早い、それが理由だ。分かったな」 「……っ、言って下さい。これは、父から何かを言われたからなんでしょう!?」 普段は大人しい感じのデニスの声が、微かに怒りの様なものを含んでいて。 「違う、俺の判断だ。中将は何も言って来ていない。少なくとも、俺には」 その落ち着き払ったデーナの答えを聞いて、デニスは自分の足元に視線を落とした。 「……納得が行きません。僕と同期で入った奴らにはゴーサインが出ています。こんなのは……」 そんなデニスを見て、デーナは心の内でもう一度溜息を吐いた。 ――気持ちが分からない訳ではない。 そして"特別" な者だけに送られる、周りの厳しい視線を。 デーナ自身も嫌になるほど経験してきたことだ。 しかも今回デーナがデニスを外した事で、若い兵士達の間でつまらない噂が立っているのは、容易に想像できた。 が、こんな事で一々気を揉んでいたら、これから先クレフではやって行けないだろう。 デーナは回りに誰も居なくなったのを確認すると、声を低くして言った。 「だったらはっきり言う。今回お前を外したのは、お前が中将の息子だからだ」 顔を上げたデニスの瞳が、揺れているのが分かった。 「怪我でもされたら一大事になる。怪我だけならまだいい、何かあったら他の連中以上にややこしい事になる」 それは万が一、任務中に捕虜になった場合を指していた。 「けど……っ」 抑えてはいるつもりなのだろうが、デニスの苛立ちは簡単にデーナに届いた。 「だったら何の為に……っ。僕を入れたのは、お坊ちゃまのお遊びに付き合う為ですか!」 そうデニスが声を上げても、デーナは冷静なまま。 「話がそれだけならいい加減にしろ。さっさと部屋に戻れ」 「っつ……」 「悔しいか? だったらもっと鍛えろ。俺達が一々、お前が捕まるんじゃないかなんて心配をしないで済む様にするんだ。そうすりゃ連れてってやる。お前が考えている様ないい 所じゃないけど――な」 するとパッと手を離した。 「他に話がないなら、さっさと戻るんだ」 デーナはそれだけ言うとデニスに背を向けて、もと歩いていた通路を進んで行った。
*
誰もが何かを抱えているのだろう。 想いを、悩みを、過去を――。 それでも時は止まることを知らない。
それから数日はあっという間で、既に明朝が部隊の出発の日だ。 リリアンに言った通り、あれからのデーナに彼女の元に行く時間はなかった。 一度――デーナがリリアンの手に目をやると、そこにはきちんとあの指輪が収まっていた。 デーナが気が付いたことに気が付くと、少しはにかむ様に微笑んで……。 (必ず) 無事に終わらせて見せる。 いつだって、こうした事の前は気が高ぶった。 ――自分自身が、帰るということ。 今まではどうでも良かった。
――帰ろう。
その場所はひとつだけ。 どれだけ時が掛かっても、どんな路を通る事になっても――。 |
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