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You Are The Only Place

 

――それから。
壁を背もたれ代わりにして、2人はベッドの上で足を休めていた。

手の中に収められた指輪に視線を移して、リリアンはふっと微笑む。
そして、思い出したように静かに呟く。

「休暇の2日目って……テルに出掛けた日、ですよね。全然気が付かなかったの……いつ、どうやって?」

それはまるで仔猫が、悪戯の仕掛けを知りたがるように。
期待と、興味と、甘えが混じったような瞳で。

「――内緒」
デーナがそう短く答えると、それが一転して、拗ねたような困ったような表情になる。
別に苛める気はないのだけれど……こういう顔をされると、からかいたくなるのも隠せない事実だった。

「ずるいですよ、隠し事……っ」
「別にずるくない。普通言わないだろ、何処でどうやって幾らで買ったかなんて」
「む……。幾らなんて、訊いてないです」
「今はまだ、な。でも訊きたそうな顔してる」
「〜〜っ!」

そこでリリアンは頬を染めた。
……のは、多少の事実も含まれていた、という事だろうか。

肌に触れるその指輪の重みと色から、それが安物でないのは、リリアンにも容易に想像できた。
その感触は、とても肌に馴染みやすくて。けれど同時に、畏れを感じてしまう。

自分にそれを受け取る資格がある様には、まだ思えないから……。

「怒らないで下さいね……? ただ、あんまり高価だったらどうしようって思って」

リリアンはまた手元に視線を落として、どうしていいか図りかねる様に眉を下げた。
その仕草を見て……。
正直、デーナは吹き出すのを堪えていた。
もちろん嘲笑ではなくて、安心から来る微笑だ。

――愛しいとか可愛いとか、そんな簡単な言葉では表しきれない。
今のデーナにとって、彼女の傍が、隣に居る時間が、その表情の1つ1つが、心から安らげる唯一の場所だった。

その笑顔の為なら、何だって出来る。
それを守るためなら、どんな事でも厭わない――。

デーナはリリアンの手を取ると、それを彼女の胸に押し当てた。

「嫌なら捨てていい。他のがいいなら、代えるから」
そう言うと、リリアンは少しショックを受けたような瞳でデーナを見返す。
そして大袈裟なくらい、大きく頭を振った。

「そんな事ないです、凄く素敵……」
「だったら問題ないだろ。……しないのか?」
「え……?」

リリアンは大きく瞳を瞬かせて、慌てたような顔をする。
隠せない、とはこの事を言うのだろうか。

何となく反応から分かっていた事だが、どうもリリアンは……デーナの意図が完全に飲み込み切れていないらしい。
"それ" は彼女次第なのだという事を――。

ただの愛情表現だけではなくて。
生涯の愛を誓うという その意志を。
その答えを待っているのは、彼女の方ではなく、他ならないデーナの方だということ。

そして、男の身勝手さを許して貰えるのなら――それは一種の儀式だった。
旅立つ前に彼女に残す、刻印。
愛情のしるしと、その宣言――。

しかし彼女の瞳は一生懸命、"いいの?" と……。その許可を求めているような感じで。

「貸してごらん」
とデーナが言うと、リリアンは――首を傾げながらも――素直に手の中のそれをデーナに預けた。

デーナはそのまま、リリアンの手を自分の胸の前まで持ってくると、右手の薬指にすっと指輪を通す。
まるで肌に吸い付くように、自然に。それはリリアンの細い指を滑った。

一瞬の行為だったはずが、何故かとても長く感じて。
「でも……預けてくれるだけでしょう? いいの? していても……」
自分の指に落ち着いた指輪を見つめて、リリアンはそう訊いた。

「さっきから、どうしてそうなるんだ」
デーナはただ、そんなリリアンを覗き込みながら答える。

「俺が勝手に買って、勝手に渡して、答えを聞くのはまだ早いと思ったから"預ける" って言っただけだ。いいのか駄目なのかなんて、俺が今聞きたい」
「……っ!」

リリアンが答えを先延ばしにしようとしたのは、彼女なりの願掛けの様なものだと、デーナも理解している。

"だから、帰ってきて……ね"

だから、少し酷だとは分かっている。
それでも訊いてしまうのは、その欠片だけでもいい……その声で肯定の答えを聞きたい、そう心の何処かで願っているから……だろうか。
けれど決心が揺らいだようにうろたえる彼女を見て、デーナは苦笑しながら頭を振った。

「悪い、別にごねてる訳じゃないんだ」
「! もうっ」

まるで照れているのを隠すように、リリアンはデーナの胸を叩こうとした。
けれどもちろん、それは簡単にかわされてしまう。
リリアンがついムキになって抵抗しようとすると、今度は手繰り寄せられて2人の身体が絡んだ。
そして腕の中でもがくリリアンと、それを押さえるデーナの腕との、不利な抗争がおきて……。

最初は懸命だったリリアンも、じゃれ合っているようなその状況に小さな笑い声を漏らす。

そしてそのまま、気が付くとリリアンの身体はベッドに背を預ける形になっていた。
すぐ傍には、デーナがそれを組み敷くように、上半身だけ起こしている。

目が合うと……どちらからとも無く、声を出して笑った。

「……意地悪」
リリアンはそう呟いたけれど、そこにはそれを責めるような響きは無い。
ただ、まるで"降参" とでも言うように。

「かもな。逃げたいなら今だ。どうする?」
「…………もう」

そうは言われても既に身動きの取れない格好で、リリアンは今更どうする事も出来ない。
出来たとしても、傍を離れるつもりは無かったけれど。

「逃げません。だけど悔しいから、私も……少し意地悪を言います」

そう言ったリリアンは、まだ微笑んではいたけれど、それでも少し切なそうな雰囲気を纏っている。
デーナは特に何も言わずに、リリアンの言葉を待った。
ただ愛おしむ様な瞳で、彼女を見詰めながら。

「……本当は、ね、行って欲しくないの。ずっとここに居て、離れないで欲しい」

手を伸ばせば、すぐにその肌に触れる事が出来る。
――その位、今の、2人の間の距離は近くて。

けれどこれが数日の内に――たとえ1日だけだと言っても――どんなに頑張っても手の届かない距離まで離れてしまう。
それを思うと、今のこの距離があまりにも愛しく、大切だった。

「だから答えも……やっぱり今は言いません。そうすれば、出来るだけ早く帰ってきてくれるでしょ……?」

リリアンの手が伸びて、デーナの腕にゆっくりと触れる。
そこから伝わる、温かい温もり。傍に居るからこそ共有できる、お互いの体温。

吐息さえ絡まりそうなこの距離は、長い道の果てでやっと見つけたもの。

この世界でたった一つの、心から安らげる場所。

「――それなら頑張るよ。出来るだけ早く」
「でも、無理はしないでね。危ない事は……」
「分かってる。心配しなくていい」

 

そして、重なる手と手に力と熱が加わると、リリアンはもう抵抗せずにそこに身を預けた。

――帰ろう、早く。やっと見つけたんだ。もう離さない。
――帰ってきてね。待っているから。いつまでも、何があっても。

そう、たった一つの、自分の帰るべき場所へ……。

 

 

「フレスク指揮官、お話があります」

呼び止められてデーナは歩を止めた。
その声の主は、実を言えば予想していたものだ。

振り返るとやはり予想通り、必要以上に真っ直ぐな姿勢のデニスが佇んでいる。
デーナは短い溜息を吐くと、ゆっくりと言った。

「今日決めた事なら、もう動かすつもりはない。大人しく従うんだ」
「――っ。せめて、理由だけでもはっきり言ってくれませんか」

"あの" 次の夜――。
宿舎に戻る途中の通路で。
デニスはデーナが1人になるのを見計らっていたのだろうか、何となく誰かの気配は感じていた。

そして何を話したがっているのか、その理由も想像はつく。

「決定は決定だ。理由は一々言う必要はない――それがここのルールだ。分かっていてここまで来たんだろう」
「それは……っ。もちろん、理由が正当なら……」

デーナがきつく言い切っても、デニスはまた食い下がって来た。
周りにはまだ数人兵士達が行き来していたが、デーナが視線を投げると空気を察したのか、離れていく。

デニスはそれを見ると、ゴクリと喉を鳴らしてデーナに視線を戻した。

「……自分が未熟だという理由なら、きちんと受け入れられます。けど、それだけとは思えないんです」

それは、今日発表した今回の作戦に連れて行く人選について、だ。

かなりの規模になるため、緊急の為の数十人を残し、殆どの兵は何らかの務めに任命されていた。
今回入ってきたばかりの新人達も、その例に漏れない。
が――、デニスはそこから外されていた。

「――お前はまだ早い、それが理由だ。分かったな」
デーナは厳しい口調のまま、そう続けた。が、それがかえってデニスに火を点けた。

「……っ、言って下さい。これは、父から何かを言われたからなんでしょう!?」

普段は大人しい感じのデニスの声が、微かに怒りの様なものを含んでいて。
デーナは数秒黙ったままでいた。一方デニスは、縋るようにデーナを見たまま。

「違う、俺の判断だ。中将は何も言って来ていない。少なくとも、俺には」
「じゃあ、どうして……」
「言ったはずだ、まだ早いからだと」

その落ち着き払ったデーナの答えを聞いて、デニスは自分の足元に視線を落とした。
眉間を歪めて、デーナの言葉の真意を探っている様な感じだ。

「……納得が行きません。僕と同期で入った奴らにはゴーサインが出ています。こんなのは……」

そんなデニスを見て、デーナは心の内でもう一度溜息を吐いた。

――気持ちが分からない訳ではない。
彼は彼で、その経歴の中で辛い思いをしてきたはずだ。
中将の息子だということ。常に特別扱いされ、本当の彼自身を見てもらえないということ。

そして"特別" な者だけに送られる、周りの厳しい視線を。

デーナ自身も嫌になるほど経験してきたことだ。
噂、からかい、そして嫉妬――。

しかも今回デーナがデニスを外した事で、若い兵士達の間でつまらない噂が立っているのは、容易に想像できた。

が、こんな事で一々気を揉んでいたら、これから先クレフではやって行けないだろう。
デーナやガルがいい例だ――。
周りの噂や嘲笑を乗り越えられるだけの気の強さがあったからこそ、こうして残っていられる。

デーナは回りに誰も居なくなったのを確認すると、声を低くして言った。

「だったらはっきり言う。今回お前を外したのは、お前が中将の息子だからだ」
「……っ!」
「――もし俺が外さなかったら、大佐が外した筈だ。面倒な事になるのは御免だからだ」

顔を上げたデニスの瞳が、揺れているのが分かった。
けれど、デーナはそのまま先を続けた。

「怪我でもされたら一大事になる。怪我だけならまだいい、何かあったら他の連中以上にややこしい事になる」

それは万が一、任務中に捕虜になった場合を指していた。
彼の父である中将は、軍の中心の1人だ。
1人息子に何かあったとなっては、まともな判断は出来なくなる。

「けど……っ」

抑えてはいるつもりなのだろうが、デニスの苛立ちは簡単にデーナに届いた。
強く握られた拳が、微かに震えている。

「だったら何の為に……っ。僕を入れたのは、お坊ちゃまのお遊びに付き合う為ですか!」

そうデニスが声を上げても、デーナは冷静なまま。
いままで以上に厳しい視線を、デニスに向けるだけで。

「話がそれだけならいい加減にしろ。さっさと部屋に戻れ」
「……指揮官!」
そして背を向けようとするデーナの腕を、デニスは触れようとした。
が、すぐにかわされて、逆にデーナに強く二の腕を掴まれる。

「っつ……」
その力の強さに、デニスは一瞬眉をゆがめた。
デーナはすぐに低い声で、唸るように言った。

「悔しいか? だったらもっと鍛えろ。俺達が一々、お前が捕まるんじゃないかなんて心配をしないで済む様にするんだ。そうすりゃ連れてってやる。お前が考えている様ないい 所じゃないけど――な」

するとパッと手を離した。
デニスはただ、ショックを受けたようにデーナを見返したまま。

「他に話がないなら、さっさと戻るんだ」

デーナはそれだけ言うとデニスに背を向けて、もと歩いていた通路を進んで行った。

 

 

誰もが何かを抱えているのだろう。

想いを、悩みを、過去を――。

それでも時は止まることを知らない。
ただ未来に向けて、進んでいくだけ――。

 

それから数日はあっという間で、既に明朝が部隊の出発の日だ。

リリアンに言った通り、あれからのデーナに彼女の元に行く時間はなかった。
食事も不規則な時間が多く、顔を見れたのはほんの数回。しかも良くて数分だった。

一度――デーナがリリアンの手に目をやると、そこにはきちんとあの指輪が収まっていた。

デーナが気が付いたことに気が付くと、少しはにかむ様に微笑んで……。

(必ず)

無事に終わらせて見せる。
全てを。人質になった家族の救出、犯人達を捕らえ、兵士達を無事帰すこと――。

いつだって、こうした事の前は気が高ぶった。
押さえが利かない程の、緊張。強い決心と決意。けれど今回だけは、今までと違う思いが1つだけある。

――自分自身が、帰るということ。

今まではどうでも良かった。
結果として帰れていたというだけで、それに執着した事は、正直無かった。

 

――帰ろう。

 

その場所はひとつだけ。

どれだけ時が掛かっても、どんな路を通る事になっても――。

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