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どんな夜もいつかは明けて、どんな日も必ず暮れる。

夜の闇、太陽の光。
どちらも永遠には続かないのに、それでもずっと在り続けてる。

 

A Day Break

 

一日は慌ただしく過ぎていく。
日中の光に暖められていた空気が温度を下げ、今日という日の終わりを告げ始めていた。

リリアンは夕方までの仕事を終えると、部屋に戻った。そしてベッドに身体を横たえる。
随分と久しぶりの気がする"そこ" は、それでも、マリが片付けておいてくれたらしく……綺麗に整えられている。

シーツに顔を寄せると、洗濯したての甘い香りがした。

(……も、もう……皆)
退院してから最初の1日という事もあって、サリをはじめとする周りは、随分と自分を気遣ってくれた。
そして――
直接話す時間はなかったので、正確なところは分からない。
けれどデーナは多分、きちんと周りに話を通していたのだろう。デニスにも。

こうして基地に戻った事で、デーナと2人きりで居られる時間は減る。
けれど彼の気遣いや存在は、この基地のいたる所に感じられて。それが自分を安心させた。

(このまま……)

ベッドに横になったまま、上を向いてしばらく天井を見つめる。
そして思う。このまま、こうしてずっと――平和でいられるのだろうか、と。

時には問題も悩みもあって、何もかもが完璧ではない。
今日のデニスの事も……。
けれどそれでもこうして皆が揃って、一生懸命生きて、そうして日々が繰り返されていく。

願うのなら、そうであり続けて欲しい。

リリアンはゆっくり目を閉じると、誘われるまま浅い眠りについた。

 

 

夕食を終えて部屋に戻るデーナの手には、一冊のファイルがあった。
たいした厚さではないが、それでももう数日すればまた、半分以下の厚みに減るのだろう。
すでに今日一日が終わった時点で、大体半分は"アウト" だった。

あとは残りの半分から、ゆっくりと絞っていくだけだ。

デーナは部屋に入るとファイルをベッドへ投げ出し、真っ直ぐにシャワーに向かった。
熱めの湯で短く済ますと、髪を拭きながらまたそのファイルを開ける。

(確かに、か……)
ダンの言っていた台詞を思い出して、デーナはデニスの書類に目を留めた。

確かに、彼は残るかも知れない。特にずば抜けて優秀という訳では無いが、彼らしく、大体全てはそつなくこなしていた。
態度も申し分ない。これから1週間付いてこられる体力さえあれば、問題はなくここに配属になる……

――と言っても、中将の息子だ。
あまり親の七光りが利く世界ではないが、彼には彼に合った将来があるはずで。
ただ数年ここに籍を置ければ、履歴にずっと箔が付く。それで父親も承諾しているのだろう。

誰かを特別扱いするつもりは無いが……
残ったとしても、あまり危険な場面や現場には連れて行けない。

(まあ、どうなるって訳でもないな)

デーナはそう思ってファイルをまとめて机の上に置くと、腕の時計に目を落とした。
時間は、もうすぐ9時を指そうというところ――

給仕係達の仕事も終わる頃だ。リリアン本人は朝から夕方までのシフトだが、同室のマリは昼から夜までになっている。
そろそろ、戻ってきた2人が話に花を咲かせている姿が想像できた。

許可さえあれば、会いに行く事も出来なくはない。
実際そうして、何度か会いに行ったこともあった訳で。

――家族との時間をなかなか作れないと嘆いていた、兵士達の言葉を今更実感した。
今までは同情しながらも、多分、心の隅では羨ましいと思っていたのだろう。
けれどやはり実際自分がその身になると……そう単純な話でもなく……。

こうして同じ基地内に居て、少なくとも朝と昼は、顔を合わせて話す事も出来る。
その気になれば夜、会う事も。

けれど――
(足りるかよ……)

1人だった。
そしてずっと、1人なのだろうと どこか漠然と考えていた。
"だから"、耐性があるのかといえば、そういう訳ではない。

――逆、だ。

 

 

「事情は大体分かってるよ。けど、あんまり特別扱いはしないからね」

管理人、アンジュ・ラインのその口調はきつかったが……。
しかし、わずかに顔が綻んでいるところを見ると、どうも心とは裏腹のようだ。

「分かってます。出来るだけ迷惑は掛けないようにしますから……今日からまたよろしくお願いします」
リリアンが答えると、ラインは興味深そうな含み笑いを見せて、喉の奥で低く笑った。

――その夕方、リリアンがしばらく休んだ後に目を覚ますと、時間は9時近くになっていた。

もう少しすればマリも部屋に帰ってくる時間だ。が、まだその気配は無い。
目が覚めた後の気持ち良さも手伝って、リリアンは寮の下階に降りて彼女を待つ事にした。出来ればラインにも挨拶したい、そう思って。

久しぶりにリリアンの姿を視界に認めたアンジュは最初――の、一瞬だけ――、溶けるような笑顔を見せた。すぐ次の瞬間にはいつもの無表情に戻っていたので、幻だったのか現実だったのか、リリアンにははっきりしなかったけれど。

「ここじゃ冷えるだろ、部屋に居ればすぐ帰ってくるんだ。戻りな」
カウンターの前に立ったままのリリアンに、ラインがそう言った。けれど、リリアンは首を振る。

「少しだけですから……。それに、ラインさんに挨拶したくて」
「もうしただろ、ほら。風邪でも引かれたらどうすりゃいいんだい」
「ちゃんと着込んでますから、大丈夫ですよ。ラインさんこそ冷えないですか?」
「私は慣れてるんでね。ったく、あの男に見付かったら何か言われそうだよ……」
「…………?」

そして、リリアンにはよく聞こえない小声で、ラインは何かを呟いた。
最も寒い時期は過ぎたが、まだ春というには早すぎる……そんな時期の夜。
ラインは支給されたジャケットを、リリアンは私服のコートを着込んでいた。
空調も利いてはいるのだが、入り口がある為どうしても冷たい風が入り込んでくる。

「……誰を待ってるのか、当ててあげようか」
ラインはまた珍しい――けれどどこか、よく似合った――悪戯っぽい顔でそう言った。
リリアンは一瞬きょとんとして、ラインの顔を見つめ返した。

「マリさん、ですよ?」
「違うね。別にそれだけなら、ここまで来て待ってる理由はないだろうよ」

そう言ったラインの顔にはやはりまだ、何かを含んだような悪戯っぽさが残っていて……。
リリアンも流石に、言われている意味に気が付く。

「……っ。そうかも知れません。この時間になると、少し寂しくなって……」

――つまり、デーナが来るのを待っているのだろう、と。
ラインはそう言いたいのだろう。意識していた訳ではないが、言われてみると否定は出来なかった。

が、ラインはリリアンの答えを聞いて、少し拍子抜けした様な顔をした。

「何だ、すぐに認めるのかい。面白くない」
「あ、遊ばないで下さいっ」
「否定するか、怒るかって思ったけどね。なんだ、やっぱりあんたは素直でいい」
「もう……何なんですか? 滅茶苦茶ですよ……」

面白くないと言ったり、いいと言ったり。
けれどやはり遊ばれているような気分で、リリアンは頬を染めた。
するとラインは、ふっと顔を綻ばせる。

「褒めてるんだよ、素直なのが一番いい。そうすれば馬鹿な失敗をしないで済む」

「…………」
リリアンは一瞬、返事に困った。
ライン一流の冗談なのかとも思ったが、そんな雰囲気でもない。

含みのある微笑と、鋭い、けれど澄んだ瞳。目尻に刻まれた微かな皺。
――確かラインは、一日も仕事を休んだ事がないと……そんな事を言っていた。
訊いても多分、ストレートには答えてくれないだろう。
けれどきっと彼女には何かがあるのだ。サリがいつか言っていたように……。

ここに居る者は皆、何かしら心に傷を背負っているのだろう、と。

「ラインさんも待ってるんですね、誰か……」

そんな言葉が出たのは、ほぼ無意識で。
リリアンは言ってしまってからすぐにハッとして、後悔した。ラインも、そのままの表情で固まる。

「ご、ごめんなさいっ」

急いで謝ったリリアンを、ラインはしばらくそのままの表情で見つめていた。
怒っているという感じではない。が、愉快でないだろう事は確かだ。

けれど、リリアンがもう一度謝罪の言葉を繰り返そうとすると、ラインはそれを止めた。

「謝る事じゃないよ」
「……でも」
「別に何も悪い事は言ってないだろ。怒ってもいないよ。大体、先に始めたのは私だしね」

そう言うとラインは、何かに気が付いたように顔を上げた。
そして扉の外を一瞥して、すぐにリリアンに視線を戻す。その顔には、笑顔さえあった。
逆にリリアンの方が、泣き出しそうな顔だ。

「馬鹿だね。そんな顔してたら、私が怒られるんだよ。さ、笑って行っておいで」
「え?」

驚いて、リリアンも外に視線を向けた。
と、同時に……鼓動が高鳴る。

リリアンの視線が扉に固定されて動かないのを見て、ラインはまた低く笑った。
そして、ラインはカウンターの上にそえられていたリリアンの手に触れる。すると、さすがにリリアンも気が付いて、ラインの方に振り返った。
そしてまた頬を赤く染める。

――初めて触れたその手は、想像していたよりもずっと、温かい。

「いい事を教えてあげるよ」

また、最初の様な悪戯っぽい表情で。
ラインはそう言うと、握った手に力を入れた。

「誰かを待つのは悪い事じゃない。少なくとも、相手が帰ってくると分かっている限りは――ね」

その、意味を。
理解していたのかと後で問われれば、きっと答えは否、で。

けれどその時のリリアンには、ラインの温もりが嬉しかった。
そして外で自分を待ってくれているのであろう、彼の気持ちも――。

 

 

見張りの警備員が、扉の横に立ったままでこちらを見ようとしないのを確認すると――多分、気を利かせているのだろう――、リリアンは外のデーナに駆け寄った。

「デーナ」
やはり外の空気は寒々しくて、声を出すと吐いた息がまだ白く浮かぶ。

デーナは扉から出てきたリリアンを見て、最初は驚いた。
特に誰にも告げずに来たばかりで、まだ寮にも話を通していない。
それが、駆け寄ってきたリリアンは すでにコートを着込んでいて、自分が来るのも分かっていたような顔で……。

「嬉しいです。今日はもう会えないかもって、思ってたから……」
「どうして分かった?」

お互いすぐ傍まで辿り着くと、真っ直ぐに向き合う。
つい今朝までずっと一緒に過ごしていたというのに、少しぎこちない感じがした。

基地に戻ってからはお互い仕事中だと割り切って、あまり親しくし過ぎない様に、と。そう言い出したのはリリアンだった。
ここで男女が付き合うことが禁止されている訳でもない。
が、その方が他の兵士達に示しが付くのも、確かな事実だった。

こうして寮を訪れたりするのは、必要のある時だけ……。
そう2人が決めたのは昨夜だった。まだそれから24時間さえ経っていない。の、だけど……。

「……分かった、訳じゃないんです。でも、もしかしたらって思って。マリさん達もそろそろ帰ってくるし、下に降りてたんです」
「ふうん……」

低く唸るような声だけ出して、デーナはリリアンを見つめた。
すぐ、傍に。近くに。引き寄せるだけで抱き締められる距離に、お互い立って居て――。

「逆効果だったな。顔見るだけでいいと思ったのに、これじゃ生殺しになる」

そう言ったデーナの真意を、分からないほどリリアンも鈍くないし、子供でもない。
リリアンは少し恥じらいながら微笑んで、そしてほんの数センチだけ、距離を縮めた。

「だから」
「……"だから"、何ですか? フレスク指揮官」

そう言ってリリアンが微笑むと、デーナも仕方がないという様に、微笑み返した。
このまま抱き合って、恋人のキスを――。
……とは、いかない。警備員も居るし、ラインも見ている。マリやサリ達もそろそろ帰ってくる頃だ。

それは分かっている。自分達ももう、子供ではない。
けれど――。

握られていたデーナの拳に、リリアンはそっと 右手の指先だけで触れた。

それが、思ったよりも強く握られていた事に気が付いて、視線を落とす。心臓の音が……自分の物か彼の物かも分からないそれが、せわしく響く。

「再来週辺りなら、休めそうだから」
「ん……でも、無理はしないで下さいね。まだ寒い時期だから」

もっと他に、言いたい事はあった……けれど。2人はそんな当たり障りのない会話を始めた。
それはまるで、何とかこの時間を乗り越えようとする――悪あがきのようで。

デーナの手が、その間も握られたまま解かれないのが分かって、リリアンは顔を上げた。

目が合うと今度はデーナが、それから逃げるように下を向いて首を振る。
「悪い」と、何故か謝罪の言葉を呟いて。そしてまたすぐに視線を戻す――。

 

繰り返される不器用なやりとり。
好きだからこそ触れたくて、でも、愛しているからそれが出来ない。そんな、もどかしい時間。

けれどデーナは、それが自分1人だと思っているような所が、どこかにあって。
性分 なのだろうか。こうして彼が、全てを自身の背に乗せようとするのは……。

「あのね……デーナ」
リリアンがそう甘い声を出すと、デーナは動きを止めた。
細く白い指が、強く握られた骨ばった拳を、柔らかく包む。

「デーナだけじゃなくて、私も……」

そして踵を上げて背を伸ばすと、デーナの頬に軽く、口付ける。

「同じ、だから。ううん、きっともっと……"そう" 思ってるから……」

 

遠く宿舎の先から、足音と、数人分の話し声が聞こえてきたのは そんな時だった。
当然、マリ達だろう。いつもより少し遅いくらいの時間で――。

それに気が付いて、最初に離れようとしたのはリリアンの方だった。
2人の関係を彼女達にからかわれるのは今更で、もう諦めている。けれど、さすがにこのシチュエーションは……恥ずかしくて。
けれどデーナは、動こうとも振り向こうともしなかった。

それどころか――。

「きゃ……っ」
急に腕を引かれて、気が付くとリリアンはデーナの腕の中にいた。
そして、リリアンがデーナにしたのと同じように、頬に口付けを受ける――けれどもっと、力強い。

その腕はすぐに解かれて、その行為は一瞬のものだった。
きっと遠目から見ているラインには、その一部始終まで分からなかっただろう。そんな速さで。

「デ…………」
「お休み。明日も来るよ」

そう言い残して、手を離すと、踵を返す。

残されたリリアンが、頬に手を当てたまま佇んでいると……やはり予想通りマリ達が帰ってきた。

「リリアン? どうしたの、こんな所に突っ立って。風邪引くじゃない!」
マリが声を上げると、リリアンは夢から解けたように顔を上げた。
「ううん……何でも、ないの」

――けれど受け答えは曖昧で、マリは首を傾げた。
「何でもないのにこんな所に立ってたの? もう、後遺症じゃないでしょうね……大丈夫?」

マリのその声が、ひどく心配そうにしているのに気が付いて、リリアンは慌てて首を振った。

「違うの、あのね」
そう言って一息置くと、リリアンはラインの言葉を思い出して――。つい、微笑んだ。
「……待ってたの、ここで」
――もちろん、今帰ってきたばかりのマリには通じない。彼女はもう一度首を傾げた。
「また! 部屋に居ればいいでしょうが! 早く入りなさいよ、寒いでしょ」

そしてリリアンの肩を抱くと、早足で寮の扉に飛び込むように入る。

と、同時に、リリアンとラインの目が合った。

何か言いたげな笑顔で。でも2人とも結局、何も言わずに。
素っ気無い挨拶だけが交わされて、リリアンはマリに連れられて部屋に戻る。

 

――待っていたの、貴方を。

貴方と出逢うのを。
貴方の顔を見られるのを――。

本当はあまり得意じゃないけれど、貴方なら。
どれだけの歳月が掛かってもいい。きっとここに来て。

そして笑顔で貴方を迎えることが、出来るのなら……。

 

 

空も、風も、大地も――。
全てはその行方を見守っている。

旅に出よう。

 

愛しい者の元へ、早く、早く――

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