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どんな夜もいつかは明けて、どんな日も必ず暮れる。 夜の闇、太陽の光。
A Day Break
一日は慌ただしく過ぎていく。 日中の光に暖められていた空気が温度を下げ、今日という日の終わりを告げ始めていた。 リリアンは夕方までの仕事を終えると、部屋に戻った。そしてベッドに身体を横たえる。 シーツに顔を寄せると、洗濯したての甘い香りがした。 (……も、もう……皆) こうして基地に戻った事で、デーナと2人きりで居られる時間は減る。 (このまま……) ベッドに横になったまま、上を向いてしばらく天井を見つめる。 時には問題も悩みもあって、何もかもが完璧ではない。 願うのなら、そうであり続けて欲しい。 リリアンはゆっくり目を閉じると、誘われるまま浅い眠りについた。
*
夕食を終えて部屋に戻るデーナの手には、一冊のファイルがあった。 たいした厚さではないが、それでももう数日すればまた、半分以下の厚みに減るのだろう。 すでに今日一日が終わった時点で、大体半分は"アウト" だった。 あとは残りの半分から、ゆっくりと絞っていくだけだ。 デーナは部屋に入るとファイルをベッドへ投げ出し、真っ直ぐにシャワーに向かった。 (確かに、か……) 確かに、彼は残るかも知れない。特にずば抜けて優秀という訳では無いが、彼らしく、大体全てはそつなくこなしていた。 ――と言っても、中将の息子だ。 誰かを特別扱いするつもりは無いが…… (まあ、どうなるって訳でもないな) デーナはそう思ってファイルをまとめて机の上に置くと、腕の時計に目を落とした。 給仕係達の仕事も終わる頃だ。リリアン本人は朝から夕方までのシフトだが、同室のマリは昼から夜までになっている。 許可さえあれば、会いに行く事も出来なくはない。 ――家族との時間をなかなか作れないと嘆いていた、兵士達の言葉を今更実感した。 こうして同じ基地内に居て、少なくとも朝と昼は、顔を合わせて話す事も出来る。 けれど―― 1人だった。 ――逆、だ。
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「事情は大体分かってるよ。けど、あんまり特別扱いはしないからね」 管理人、アンジュ・ラインのその口調はきつかったが……。 「分かってます。出来るだけ迷惑は掛けないようにしますから……今日からまたよろしくお願いします」 ――その夕方、リリアンがしばらく休んだ後に目を覚ますと、時間は9時近くになっていた。 もう少しすればマリも部屋に帰ってくる時間だ。が、まだその気配は無い。 久しぶりにリリアンの姿を視界に認めたアンジュは最初――の、一瞬だけ――、溶けるような笑顔を見せた。すぐ次の瞬間にはいつもの無表情に戻っていたので、幻だったのか現実だったのか、リリアンにははっきりしなかったけれど。 「ここじゃ冷えるだろ、部屋に居ればすぐ帰ってくるんだ。戻りな」 「少しだけですから……。それに、ラインさんに挨拶したくて」 そして、リリアンにはよく聞こえない小声で、ラインは何かを呟いた。 「……誰を待ってるのか、当ててあげようか」 「マリさん、ですよ?」 そう言ったラインの顔にはやはりまだ、何かを含んだような悪戯っぽさが残っていて……。 「……っ。そうかも知れません。この時間になると、少し寂しくなって……」 ――つまり、デーナが来るのを待っているのだろう、と。 が、ラインはリリアンの答えを聞いて、少し拍子抜けした様な顔をした。 「何だ、すぐに認めるのかい。面白くない」 面白くないと言ったり、いいと言ったり。 「褒めてるんだよ、素直なのが一番いい。そうすれば馬鹿な失敗をしないで済む」 「…………」 含みのある微笑と、鋭い、けれど澄んだ瞳。目尻に刻まれた微かな皺。 ここに居る者は皆、何かしら心に傷を背負っているのだろう、と。 「ラインさんも待ってるんですね、誰か……」 そんな言葉が出たのは、ほぼ無意識で。 「ご、ごめんなさいっ」 急いで謝ったリリアンを、ラインはしばらくそのままの表情で見つめていた。 けれど、リリアンがもう一度謝罪の言葉を繰り返そうとすると、ラインはそれを止めた。 「謝る事じゃないよ」 そう言うとラインは、何かに気が付いたように顔を上げた。 「馬鹿だね。そんな顔してたら、私が怒られるんだよ。さ、笑って行っておいで」 驚いて、リリアンも外に視線を向けた。 リリアンの視線が扉に固定されて動かないのを見て、ラインはまた低く笑った。 ――初めて触れたその手は、想像していたよりもずっと、温かい。 「いい事を教えてあげるよ」 また、最初の様な悪戯っぽい表情で。 「誰かを待つのは悪い事じゃない。少なくとも、相手が帰ってくると分かっている限りは――ね」 その、意味を。 けれどその時のリリアンには、ラインの温もりが嬉しかった。
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見張りの警備員が、扉の横に立ったままでこちらを見ようとしないのを確認すると――多分、気を利かせているのだろう――、リリアンは外のデーナに駆け寄った。 「デーナ」 デーナは扉から出てきたリリアンを見て、最初は驚いた。 「嬉しいです。今日はもう会えないかもって、思ってたから……」 お互いすぐ傍まで辿り着くと、真っ直ぐに向き合う。 基地に戻ってからはお互い仕事中だと割り切って、あまり親しくし過ぎない様に、と。そう言い出したのはリリアンだった。 こうして寮を訪れたりするのは、必要のある時だけ……。 「……分かった、訳じゃないんです。でも、もしかしたらって思って。マリさん達もそろそろ帰ってくるし、下に降りてたんです」 低く唸るような声だけ出して、デーナはリリアンを見つめた。 「逆効果だったな。顔見るだけでいいと思ったのに、これじゃ生殺しになる」 そう言ったデーナの真意を、分からないほどリリアンも鈍くないし、子供でもない。 「だから」 そう言ってリリアンが微笑むと、デーナも仕方がないという様に、微笑み返した。 それは分かっている。自分達ももう、子供ではない。 握られていたデーナの拳に、リリアンはそっと 右手の指先だけで触れた。 それが、思ったよりも強く握られていた事に気が付いて、視線を落とす。心臓の音が……自分の物か彼の物かも分からないそれが、せわしく響く。 「再来週辺りなら、休めそうだから」 もっと他に、言いたい事はあった……けれど。2人はそんな当たり障りのない会話を始めた。 デーナの手が、その間も握られたまま解かれないのが分かって、リリアンは顔を上げた。 目が合うと今度はデーナが、それから逃げるように下を向いて首を振る。
繰り返される不器用なやりとり。 好きだからこそ触れたくて、でも、愛しているからそれが出来ない。そんな、もどかしい時間。 けれどデーナは、それが自分1人だと思っているような所が、どこかにあって。 「あのね……デーナ」 「デーナだけじゃなくて、私も……」 そして踵を上げて背を伸ばすと、デーナの頬に軽く、口付ける。 「同じ、だから。ううん、きっともっと……"そう" 思ってるから……」
遠く宿舎の先から、足音と、数人分の話し声が聞こえてきたのは そんな時だった。 当然、マリ達だろう。いつもより少し遅いくらいの時間で――。 それに気が付いて、最初に離れようとしたのはリリアンの方だった。 それどころか――。 「きゃ……っ」 その腕はすぐに解かれて、その行為は一瞬のものだった。 「デ…………」 そう言い残して、手を離すと、踵を返す。 残されたリリアンが、頬に手を当てたまま佇んでいると……やはり予想通りマリ達が帰ってきた。 「リリアン? どうしたの、こんな所に突っ立って。風邪引くじゃない!」 ――けれど受け答えは曖昧で、マリは首を傾げた。 マリのその声が、ひどく心配そうにしているのに気が付いて、リリアンは慌てて首を振った。 「違うの、あのね」 そしてリリアンの肩を抱くと、早足で寮の扉に飛び込むように入る。 と、同時に、リリアンとラインの目が合った。 何か言いたげな笑顔で。でも2人とも結局、何も言わずに。
――待っていたの、貴方を。 貴方と出逢うのを。 本当はあまり得意じゃないけれど、貴方なら。 そして笑顔で貴方を迎えることが、出来るのなら……。
*
空も、風も、大地も――。 全てはその行方を見守っている。 旅に出よう。
愛しい者の元へ、早く、早く―― |
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