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おいで、子供達―― この話は知っているかい? ある英雄と呼ばれた1人の男が、愛する女を故郷に残し、望まない長い長い旅をする話さ……
Beginning of the Odyssey
「そこ、これ以上遅れるな!」 デーナの声が響くと、若い兵士達はやっとピッチを上げた。 「止め! 全員すぐにここに戻って整列しろ!」 そう、もう一度怒鳴ったデーナの隣にはダンがいて、腕を組みながら珍しく真剣な顔をしている。 「意外と、お坊ちゃんはいけそうやな」 ダンが口を挟むと、デーナは無表情でそう答えた。 とにかくデーナとダンの2人の前には、十数人の新人達が、必死で息をしながら集まってきていた。
「リリアンちゃんがいてくれると本当に助かるわ! なんて言ったって、あの怪獣達のマナーがずっと良くなるのよ」 給仕係の1人が、朝食の後片付けをしながらそう言った。 「そうよ、いくら強者気取りでも、結局は皆ただの男の子なのよ。マドンナには弱いの」 今朝から入ってきた十人ちょっとの新人たちについて――。 「さぁ、どうかしら。デーナがあの調子だから、大丈夫でしょう」 サリがそう言って意味ありげに、けれどどこか誇らしそうに微笑むと、周りもそれに習うように口元を緩めた。
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「無理はするなよ。サリには言っておくから、一々気を使わなくていい。ガキ達も静かにさせておく」 「ん、大丈夫。心配しないで……?」 リリアンはそう答えたけれど、デーナはそのまま先を続けた。 「何かあったらすぐに言うんだ。俺でもサリでも大佐でもいい。それから……」 「も、もうっ」 ――それは朝。 リリアンにとっては、怪我が治ってからの"初日" に当たる。 「本当に大丈夫です。サリさんもいるし、お昼からはマリさんも一緒だし、それに」 数日振りに聞くその名前の響きに、デーナは小さく笑った。 「別に給仕は俺の直接の部下じゃない。大佐ならともかく、サリだって名前の呼び捨てだろ」
2人が基地に着くと、すでに執務室にはペキン大佐がいて、2人を満点の笑顔で迎え入れた。 「本当に良かった。今日からまたよろしく頼むよ、サリが痺れを切らしてたからな」 「お前も充分休んだだろう。今日からガキ達が入ってくる、しっかり絞り込んでおいてくれよ」 ガキ達……というのは、彼らの間の隠語で"新人" を指すらしい。 父親に教えられた事もあって、その幾つかはリリアンも知っていた。が、時々分からない言葉もある。 ――そんな事を思い出しながら、リリアンはただ2人の会話を静かに聞いていた。 その時やっと、ペキン大佐はリリアンに視線を落として、少し言い難そうに話を切り出した。 「まぁ……今更だ。どうにもならないだろうし、それとこれとは話が別だからな」 ペキンの口から、珍しく歯切れの悪い台詞が出てくる。 「――俺から言っておきます。彼女が気にする事じゃないですよ」 デーナが書類から視線を上げてそう言うと、ペキンは肩をすくめた。 「実は……覚えているかな、デニス君を。中将の息子だ。今日からクレフに来るんだよ」
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それからすぐ。リリアンが久しぶりに厨房に入ると、皆に大袈裟に迎えられた。 それは、わざわざ厨房まで送りに来ていたデーナをも驚かせるような、皆の歓迎のしようで。 サリに至っては目まで赤くしていて、リリアンはつられて涙ぐんでしまう始末だった。 「色々あったみたいだけど、とにかく良かったわ。リリアンちゃんは私が責任持って預かっておくから、しっかり新人達を叩いていらっしゃい」 「じゃあ行ってくるよ。無理はするなよ」 それはデーナがリリアンの頬にしたキスによって、いつの間にか遮られていた。 2人は数秒だけ名残惜しそうに見つめ合って、そして、デーナが踵を返して厨房を出て行く……。 「……"行ってきます" のキス、ね?」 誰かがポツリとそう言うと、やっと皆――リリアン本人も含めて――が正気になって、ガヤガヤと騒ぎ出す。
(私が気にする事じゃない……か……) 昼食の準備を始めながら、リリアンはあのデニスの真剣な顔を思い出した。 そういえばもう、随分前の事の様な気がする。 (確かに、考えてもしょうがない けど……) デーナにその役を押し付けてしまっているようで、あまり良い気分ではなかった。 (でも、そう……) リリアンはもう一度、彼を思い出してみる。 (うん、大丈夫)
「リリアン、きついなら代わるわよ。今日は新人達も来るらしいし、うるさくなると疲れるでしょ」 お昼近く。マリが厨房にやってきて、白いエプロンを腰に巻きながらリリアンにそう言った。 「ううん、大丈夫よ。皆そう言ってあんまり仕事回してくれないから、全然疲れてないの」 「でしょうね。甘やかし甲斐があるのよ、貴女は。自覚ある?」 マリが慌ててリリアンの口を片手で塞いだ。 「一体どこから聞いたの、そんな話」 急に赤くなりだしたマリを見て、リリアンは目を瞬かせた。 「……マリさん、本当にダンさんの事が好きなんだ」 マリに詰め寄られると、リリアンは少し考える様な顔になった。 「ダンさん本人から……何度かデ……フ、フレスク指揮官に電話があって、そんな惚気話をしてて」 多分、周りは皆もう、何となく気が付いているだろう。 意外と可愛いダンとマリの関係に、リリアンはつい微笑んだ。
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「まさか本当に来るとはな。精々、振り落とされないようにしがみ付いておくんだな」 そんなガルの挑発的な言葉を、デニスは半ば予測していたようだった。顔を上げて、微笑み返す。 「……言った事は実行しますよ。こう見えても、一応この中でも有望で通ってるんです」 そして差し出されたデニスの手に――ガルは答えなかった。 「辛口は後にして下さい。今はもう……飯にあり付ける事以上は何も考えられないんです」 よく見ると――いや、別によく見なくても一見して――デニスの制服は既にかなり汚れていて、何をしてきたのかを容易に想像させた。 「好きにしろよ。けど彼女が目当てだったなら、もう望みはないぜ」 ガルがそう言うと、デニスは不意に横を向いた。 午前中の訓練が終わり、全員がそこで少し身奇麗にしてから、食堂へと向かう。 こうして新人が送られてくるのは、年に数度あることだ。 そして少し同情した。自分と同じ立場の男として……。 「……それを言うのはもう、遅いですよ。既に本人にバッサリ切られましたから……」 ご愁傷様、という言葉が口を付きそうになって、ガルはそれを飲み込んだ。 「――邪魔はするなよ」 ガルの口調は鋭くて、それに答えるデニスの声も自然と強いものになる。 「けど、貴方だって似たような立場でしょう。意外と人間が出来てるんですね」
そんなガルとデニスが食堂に入った時、既に席の半分は埋まっている状態だった。 給仕のための列は、今が一番忙しい時といったところだ。 無意識に視線が、ある人物を探してしまう。――もちろん探さなくても、彼女はここではよく目立つのだけれど。 久しぶりに基地に戻ってきたリリアンに、新人だけならず、長年の隊員達も嬉しそうに彼女に声を掛けている。 「俺が倒れたら支えて下さいよ」 「馬鹿か、自分くらい自分で支えろ」 ガルが突き放すようにデニスを先に列に並ばせると、さすがに観念したように、デニスはトレイを手に取った。 ――まるで被告台に立たされに行くような気分だ。 デーナがリリアンの事を密かに想っていたのだろうという事は、あのキャンプの時に既に分かっていた。 ただ、全くチャンスがない訳ではないだろうと思っていた。 ――それとは別に、クレフ基地に対する憧れと情熱があったのも、もちろん間違いない事実だ。 ――彼女だけが目的だった訳じゃない。 けれど この悲愴感はなんだろう……? 失恋だけでここまで傷つく様な年でもないはずだ……。 "彼女が幸せならそれでいい" そんな思いと緊張、訓練の疲れで、デニスは立って列に並びながら今更、吐き気を感じていた。 (君が幸せなら) そうだ、まだ数度しか見ていないあの笑顔が。 「デニスさん?」 そう声を掛けられて、デニスはやっと、自分が既にリリアンの前まで来ている事に気がついた。 「えっと……お久しぶりです、ご苦労さま。食事、どれがいいですか?」 (その笑顔が、見たかったんだ。その声が……聞きたかった) リリアンは、デニスに対して微笑んだ。 「…………」 それでも少し、間があって。後ろに並んでいた隊員達が、少し怪訝な顔をする。 「……久しぶりです、本当に」 そんな会話が、静かに交わされて。 「どうぞ。午後も頑張ってください、ね」
――いつかこの想いを、振り切れる日が来るのだろうか。 それはきっと、明日ではない。明後日でも。 けれど時は巡っていつか、これが思い出になる日が来る。 「……ありがとう」 そう言ってデニスも微笑んだ。 やっと自分達の分の食事を取り終わって列から離れると、ガルは自分のトレイを片手で抱えて、もう片方の手をデニスの肩にまわす。 「悪くなかったよ」 それを、何と呼べばいいのだろう。 デニスはぼんやりとそんな事を考えながら、勧められるままガルの隣に座った。
*
「懐かしいなー。いや、青いってええなぁ。そう思わん?」 「お前はまだ青いままだろ」 「あ、そういう事言うんか。あの若葉の友情はどこへ行った!」 「阿呆……」 彼らと離れた席では、デーナとダンが既に一足先に食事を始めていた。 「ま、大人への階段って奴やな。気にすんなよ」 そう言ったダンに、デーナはただ"分かってる" と言うように視線だけ向けた。 「けどあの二等兵と坊ちゃんが仲良さ気、とはなぁ……。なんか昔を思い出さんか?」 デーナが食事のフォークを休めると、ダンは子供っぽく笑う。 「同時だっただろ。大体、先に突っ掛かって来たのはお前だったからな」 「……それが今じゃその娘と宜しくやってんやから、大したもんや」
何かが終わるとき、また別の何かが始まる。 ――それはこの世の常。 そしてこれはその物語。 英雄と呼ばれたある1人の男が、戦いを終えて、故郷へ帰ろうとする その道程で。 オデュッセイア――。 長い長い、愛する人へのみち。 |
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