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この限りある時の中で
どれだけの思い出が作られていくのだろう

まるで奇跡だと思える――
こうして手を繋ぎ合える、この瞬間……

 

The First Date

 

休日2日目の、朝。
デーナはまだ眠っているリリアンの……膝の上で目を覚ました。

それは多分、考え付く限りこの地上で最も安心できる場所……ではある、けれど――。

(一体何で……)

急いで身体を起こしてリリアンを見ると、座ったままの格好でぐっすり眠っている。
立とうとすると、デーナの肩からブランケットが落ちた。
――自分でそれを掛けた覚えはない。という事は、彼女が掛けてくれた事になる。

起きたばかりでも頭は冴えていて、デーナはすぐに昨日の夜の事を思い出した。

そうだ、確かに、リリアンの膝の上で休んでいた記憶はある。
それから話を……そうだ、夢を見た話を彼女にした。
そして――。

そして……?

(嘘……だろう……?)

そして、そのまま寝てしまった。
時計に目を移すとそれは、すでに9時半を指している。デーナにとっては驚異的なほど長く寝ていたといえる。

無意識に髪をかき上げて、はぁ……という、落胆とも感嘆とも取れるような複雑な溜息を吐くと、デーナはソファから降りた。
リリアンは、寝やすい姿勢に横たえてやると少し身じろいだが、まだ起きる気配はない。

静かにコーヒーを淹れてそれで喉を潤す。
もともと寝起きは良かったが……今日はいつもに増してスッキリしていて、まるで生まれ変わったような清々しさだった。

 

リリアンが目を覚ますと、もう10時をとうに過ぎていて、デーナは既にきちんと着替えた後だった。
まどろみながら身体を起こしたリリアンは、デーナの落ち着いた声に振り返る。

「おはよう」
「お、おはようございます……」
「冷えなかったか? 一応暖房は付けたままだったけどな」

その言葉と同時に、コーヒーが差し出される。
リリアンはそれを受け取ると、礼を言って気持ち良さそうにその香りを味わった。

「フレスク指揮官、昨夜……膝枕のままで眠っちゃったんですよ。大丈夫でしたか?」
リリアンがそう訊くと、デーナは低い声で一度笑ってから答えた。
「らしいな。信じられないくらい良く眠れたよ、ありがとう」
「! ……ど、どういたし……まして」

(あ、朝からこんなの……反則……っ)

最初の頃の冷たい態度からでは想像も出来ないが、デーナはこういった気恥ずかしい台詞も平然と口にした。
時々、リリアンの方が戸惑うくらいで……。

――くすぐったくて、幸せな気分。
満たされるというのは、この事を言うのだろうと……そう、思えるくらいに。

(私も、そんな風に出来たらいいのにな……)
コーヒーの湯気をくゆらせながら、リリアンはキッチンに戻るデーナの後姿を眺めた。
一応多少なら料理も出来るらしい彼は、慣れた感じで"そこ" にいる。

その姿が、愛しかった。
そして思う。

少しでもいい、この幸せを 貴方に返せたら嬉しい……。

 

 

先に言い出したのはどちらだったか……。
結局その日は、2人でテルの街まで行くことになった。

買い物をしたり、食事をしたり。そんな普通の……言ってみれば2人の初めての"デート" だ。
街の中心まで車を出し適当な場所に駐車すると、特にこれといった目的地を持つ訳でもなく、のんびり歩き出した。

もし貴方と出会っていなかったら、今頃 私は何をしていたんだろう……?

何故かそんな事を思う。
外は寒くて、息を吐くとそれが白く変わる。そんな冬の日。

「フレスク指揮官、寒くないですか?」
リリアンがそう声を掛けると、隣を歩くデーナが視線を落として、繋がっていた手をまた握りなおした。
「……そっちこそ。気分が悪くなったら言えよ」
「はい。でも大丈夫ですよ、暖かくしてるし……」

そう言うリリアンは確かに、暖かそうなベージュのコートに身を包んでいる。
対するデーナは黒い長めのコートに、灰色の薄いマフラー。

平日の街を歩く2人は、明らかに通行人の目を惹く存在だった。

 

「もうちょっと行った所に、友達が働いてるレストランがあるんです。お昼どうですか? 安いし美味しくて……でも」
リリアンはそう提案すると、途中で少し言い辛そうにした。

「値段はどうでもいいよ。"でも" って何だ?」
「いえ、もしかしたらちょっと騒がれちゃうかなって……。鬱陶しいのは嫌ですよね」
「別に……ガキじゃないんだから」
「フレスク指揮官は! でも、私達なんてまだまだ子供なんです。もし彼女がキャーキャー騒いでも、気にしないでくれますか?」

そう言われて、デーナは少し意外そうな顔をした。
今までずっと年上に囲まれているリリアンばかり見てきたので、同じ年を相手にはしゃぐ様な姿が想像し難くて――。
マリとは親しいが、彼女自身が大人でサバけている性格のせいか、「キャーキャー騒ぐ」 事態になることは少ない。

「しないよ、約束する」
「本当に?」
「嘘付いてどうするんだ。構わないよ、別に」

デーナがそう言うと安心したのか、リリアンはその友人の話をしだした。
中学からの長い友人で、高校まで一緒。大学は違ったが連絡は取り合っていたということ。就職の際にはひどく反対されて、自分の働くレストランに来いと誘われていたこと。

「――反対されてたんだな、やっぱり」
「されましたよ、沢山。マークも、ペキン大佐だって最初は随分渋ってたんですよ」
そしてそこまで言って、リリアンは隣のデーナを見上げる。

「……でも、フレスク指揮官が一番厳しかったです。荷物を畳んで帰れって言って」
「…………」
「冒険したいなら他でやれー、みたいな事も。あの時、本当はすごく怖かったんです。言葉よりも、フレスク指揮官すごく迫力があったから……」
「……悪かったよ」
「いいえ。でも……あの時逃げなくて良かったなって、今は思います」

デーナもリリアンの方を見返した。リリアンがあの時のことを話すのはこれが最初だが、別に怒っている様でも恨んでいる風でもない。
ただ"そうだった" と、事実の感想を述べているだけだ。
その口調は相変わらず屈託が無くて、無邪気な位で。
――彼女は一体、誰かを恨んだりする事があるのだろうかと、そう思えるくらい。

"あの時逃げなくて良かった"

そうだ、そのお陰で今がある。
あの頃の事だけじゃない、今まで過去に起きた全ての現実も――。

今があるからこそ思える。
――これで良かったんだ、と……。

 

 

"キャーキャー騒ぐ" という言葉の、本当の意味。
それをデーナが理解したのは、約半時間後の事だった。

「う、嘘! 嘘でしょ! リリアンじゃない、やだやだ、すっごい久しぶり!!」
「内緒で来ちゃった。シャニア、元気?」

レンガ造りのそのレストランに足を踏み入れると、入り口近くに控えていた若い女性がリリアンを見て目を丸くした。
そして「キャーッ!」 と文字通り、悲鳴の様な声が上がる。
周り――デーナも含め――の視線は、一気にその声の元へ集まった。

「嘘でしょう、信じられない! ここしばらく連絡なかったから心配してたのよっ? もう、もっとちゃんと顔みせて!」
そう早口に言ってリリアンに抱きついた彼女は、年の頃はリリアンと同じくらい……20を少し過ぎた程度で、勝気そうな茶色い目と、同色のクルクル巻かれた長い髪が印象的だ。
想像した通りと言うべきか、リリアンとは反対の気が強そうなタイプだった。

「ちょっと忙しくって……久しぶりのお休みだから来ちゃったの。ね、元気にしてた?」
「元気も何も、別に何にもないわよぉ。リリアンこそどうなの? 久しぶりの休みって何よ、扱使われてる訳じゃないでしょうね!」
「大丈夫だってば。あのね、他のお客さんに邪魔でしょ、座って話さない?」
「いいけど……ちょっと別の子に代わり頼むわね。もう一番忙しい時間は過ぎたから……と、食べてくわよね?」

シャニア、と呼ばれたその彼女は、目をキラキラさせてそう言った。
そして、一旦奥に下がろうとするシャニアを、リリアンが「待って」 と止める。

「その前に……あの、一緒に来てる人がいるの」
「えぇ?」

そう言われてやっと、シャニアはリリアンから視線を離して隣に立っているデーナを見た。
――久しぶりの友人との再会に興奮していたのか、その時やっとデーナに気付いたらしい。
まるで劇画のヒトコマの様に、目を見開いて硬直した。

「フレスク指揮官、親友のシャニアです。で、シャニア……えぇっと……こちらがお付き合いしている……」

さすがにここで"指揮官" 呼びはまずいと思ったのが、リリアンが先を言い辛そうにした。
それに助け舟を出すような形で、デーナが自分からシャニアに名乗った。

――デーナが名前を告げて「よろしく」 と言うと、シャニアは……手に持っていた店のメニューを、床に散らした。

 

「ヤダ、絵になるじゃない! ね、写真撮らせて貰って店の宣伝に使うってどう?」
「"話題のデートスポット、お2人のロマンチックな時間をお手伝い!"」
「クサいわよ。んー、でも彼素敵ね〜。職業軍人ってもっとこう、ゴリラみたいなタイプなのかと思ったけど」
「シャニアの友達もめちゃくちゃ美人じゃない! ああ、人里離れた軍の基地で繰り広げられる、美男美女の禁断の愛! とか」
「別に禁断って事はないんじゃない。いや、でも写真っ……」

シャニアの後ろで、一緒に店を切り盛りしている2人がはしゃいでいた。
2人とも同年代の女性で、このレストランはシャニアを含めた3人で始めたものだ。規模は小さいが、最近やっと軌道に乗り出したところだった。

とりあえずデーナとリリアンを席に案内すると、シャニアは厨房に引っ込んでいた。

「ちょっと、静かにして! 私にはまだ信じられないのよ……あぁ、分かるんだけど! でも信じられなくて!」
「貴女が一番声が大きいんじゃない。聞こえちゃうわよ」
「しょうがないでしょ、急だし、いきなりだし、突然だし!」
「それ、全部同じ意味よ」

興奮しているシャニアに、2人の突込みが入る。が、本人は気にしていないようだった。

「あぁっ、私のリリアンは永遠の乙女だったのにっ! あんな男ばっかりのところで遂に毒されちゃったんだわ!」
「なに訳の分からない事言ってるの。さっさと行って来なさいよ、店番は私がしてるから。ついでに写真を……」
「〜〜もうっ!」

――確かに この厨房の端から見える2人は、紛れもなく絵になるカップルの姿だった。
自分達だけじゃない。窓際の席にいる2人は、通行人の目さえ惹いている。

同僚が写真を撮ってくれと言う意味も、分からないでもない――。

 

シャニアがリリアンに会ったのは中学に入学してすぐ。
一応ちょっとした小金持ちの家の娘だったシャニアは、そのお転婆さを矯正しようという両親の目論みで、全寮制の学校に送り込まれていた。
最初は同じクラスになっただけ……。部屋も違うし、それほど接点もなかった。

それはそれは可愛い、花の様な美少女。学年に1人はいる、影の有名人。
それがリリアンだった。

普通なら嫉妬される要素にもなるのだろうが、その穏やかな性格もあって、リリアンは普通に周りと溶け込んでいた。

逆に溶け込めなかったのが、シャニアだ。
それなりの学費が掛かるので、ある程度"お嬢様・お坊ちゃま" といわれる部類が多いく、気の強くサバけた気風のシャニアは浮いていた。

といっても、その程度ならいい。学校の外には友達も多いし、ここにも全く居ない訳ではない。
個人主義の強い国民性もあって、一匹狼は珍しくなかった。

が、問題は入学してしばらくしてから――。
シャニアがクラスのリーダー格の女子生徒と、喧嘩を起こした事に始まった。
今となれば理由さえ覚えていない。些細な喧嘩だったけれど、しばらく周りに避けられるという……情けない事態に陥ってしまっていた。

(――いいのよ別に。私、強いもの)
もともとの気の強さも手伝って、シャニアは毅然としていた。
実際は、毅然としたふりをしていた、のだけれど。

最初は清々するくらいで……。
1人って楽、付き合いがなくなって、本を読む時間も出来たし。私、ちょっと賢くなるかもね?
そう虚勢を張っていた。周りにだけでなく、自分自身に対してさえも。

そのまましばらくして――1週間、いや、もう少しだったか……。
例によって1人で学校から寮へ戻ろうとすると、リリアンとばったり行き会った。向こうも1人だ。

(わ、本当に綺麗……)
と、傍に来た彼女に今更ながら見惚れる。

彼女が周りに嫉妬されない理由が分かった。嫉妬しようがないんだ――と。
ちょっと世間離れしている感じ、手の届かない相手のようなもの……あえて例えると、テレビの有名人でも見ている様なもので、憧れても嫉妬という方向にはいかない。

そんな事を思って、ぼおっと見とれていた。
どうせ今、私に話しかける人なんていないしね……と、そんな開き直りもあったのかも知れない。

「寮に戻るの? 一緒してもいい?」
――とリリアンに声を掛けられた時は、幻聴かと思ったくらいで。

「いい……って、いいけど。いいの?」
シャニアが驚いてそう訊くと、リリアンは、不思議そうに首を傾げるだけだった。
「? どうして、私が最初に誘ったんだけど……」
「いや、リリアンってアニーと仲良いんじゃないの?」
アニーはその、シャニアが喧嘩したリーダー格の女子生徒の名前だ。

「仲悪くはないと思うけど……。それがどうしたの?」
「いや、今私アニーと険悪で。クラスの子からも無視されてるの、知ってるでしょ」
「えぇ?」

美少女は素っ頓狂な声を上げても、それなりに絵になる。
――という事を、シャニアはその時学んだ。

「どうしてアニーとシャニアが険悪だからって、他の子がシャニアを無視することになるの? 変じゃない……」
「まぁ……私もそう思うけど、アニーってリーダー格でしょ」
「そんな、階級がある訳でもないのに」
「まあね。というかリリアン、知らなかったの?」
シャニアがそう訊くと、リリアンは「まさか」 と言って首を横に振った。

――それが始まり。
その日一緒に寮まで帰ると――学校から寮までは少し距離があって、外を歩く必要があった――いつの間にか打ち解けていた。

リリアンは穏やかで優しいけれど、妙な所で一本気で。
その後アニーがリリアンに詰め寄ったらしいが、リリアンはそれをはね付けたらしい。
後で分かった事によると、彼女の父親は軍人で、ちょっとした有名人だったとか。その辺から来ているのだろうか。
結局それ以降、クラスメイトのシャニアに対する無視も止んだ。

それ以来ずっと、2人は親友と言える間柄だった。
表面的な外見や性格は正反対のシャニアとリリアンだったけれど、底辺のところで共通するものがあったのだと……少なくともシャニアはそう理解していた。

 

 

「ご、ごめんなさい、フレスク指揮官。やっぱり……」
「だからいいって。気にしてないから」
「〜〜……っ」

シャニア達3人の声はデーナとリリアンの所まで丸聞こえで、やれ"禁断の愛" だの"写真を撮って宣伝に使おう" だのという会話が耳に飛び込んでくる。
あれでも本人達は2人に聞こえないように話しているつもり……らしいから、やはり若い女性なんて無邪気なものだ。

しばらくすると、シャニアが2人の席にやって来た。

「お邪魔するつもりは、ないんだけどね」
と言いながら椅子に座る。4人掛けの丸テーブルで、シャニアはリリアンの隣の席を選んだ。

「なんだかびっくりよ。リリアンってば今まで、男との付き合いには積極的じゃなかったでしょ、それが……」

と言って、何かを期待するような目でデーナの方を見た。
近くで見ると確かに、端正な顔をしている。
"綺麗" な美形とは少し違う……。そこに女性っぽさが入る隙が一切無い、"男" の顔だ。
リリアンがとても女性らしい顔をしているので、それが余計に目立つ。

「それがこんな無骨そうな男と、って?」
「はは、そういう意味じゃないわよ! お似合いだと思うわ。でも、落とすの大変だったでしょ? この子ってばすごいブラコンでおまけにファザコンで……」
「そんな事ないんだから! もう、変な事は言わないでっ」

シャニアを加えての会話が始まると、リリアンの年相応のはしゃぎようが見えて、デーナには少し新鮮だった。
お互いの近状やレストランの状況……そんな事を話しているうちに、食事は進んでいく。

リリアンはあまり苦労した話はしたくない様で……。
怪我の事も、話したくないのか避けていたので、デーナもあえて食事の席でそれに触れる事はしなかった。

随分と大事にし合っているというのが印象で、今まで見た事のなかった側面を知った……そんな感じだ。

シャニアも、最初はデーナを探るような、試すような視線と口調をしていたが、次第に打ち解けていく。
既にマークと会ったという話をすると、目を丸くして驚いていた。
"よく殺されなかったわね" と呟いて。

 

会計については、少しだけもめた。
デーナは自分が払うと言い、シャニアは店の奢りだと言い、リリアンは自分が誘ったのだからと言って。

が、結局、デーナが出すことになった。
彼が会計をしている間、シャニアはそっとリリアンに耳打ちする。

「もっと詳しくは、後でちゃんと聞かせなさいよ。今日はまぁ、これ以上邪魔しないけど」
「うん……。でも、いい人でしょ?」
「所謂"いい人" って言うのとは違うと思うけど……。でも、お似合いだと思うわよ。大事にしてくれてるみたいだし、しっかりしてるしね。あのマークがゴーサインを出したなら、取り合えず問題はないでしょ」
「そういう判断基準?」

そう言って笑うと、2人は額を寄せ合う。

「次はもっと早く連絡しなさいよ。私達はいつまでも友達でしょ?」
「もちろん。シャニアも連絡して。相談に乗ってもらうんだから……」
「お安い御用よ」

そしてデーナが戻ってくると、2人は顔を上げた。

「ありがとうございます、ご馳走さま」
「私も。なんだか悪い事しちゃったかしら、邪魔した上に、お代まで頂いちゃって」
「まさか、美味かったよ。奢って貰えるなら、また今度で」
デーナがそう言うと、シャニアは安心したように笑った。

「じゃあ、この子をよろしくね。目を離すと知らないオジサンにくっ付いて行っちゃうかも知れないから、見張っておいて」
「――気を付けておくよ」
「シャニアってば! フレスク指揮官も、そこは否定するところ……!」
「普段の行いでしょ?」
「……むー……」

頬を赤くしたリリアンにまた、シャニアが軽くキスをすると、リリアンもそれを返した。
シャニアとデーナは握手をして、もう一度休暇中に寄る事を約束すると、そこで別れる。

「シャニア〜、写真……」
という、恨めしい声が、厨房から響いたけれど。

 

室内の暖かい空気から開放されると、外の新鮮な風が肺まで入ってくる感じだ。
肌寒いが、今はそれが心地よかった。

「本当に、ご馳走様でした。私から誘ったのに」
「だからいいって。美味かったよ」

デーナがそう言うと、リリアンは少し落ち着いたように笑った。そしてデーナを見上げる。

「どう思いました? シャニア、いい子でしょう?」
「"いい子" というか、そうだな……真っ直ぐそうな……。"いい奴" だろ、お前とは合ってると思うよ」
「本当に? 周りにはよく、性格も違うし、意外な組み合わせだって言われてたんですよ」
「そうかな、あのガードナーといる所を見てるからかもな」

――ガードナーはマリの苗字だ。
確かに、シャニアとマリは似ているかも知れない。そう思ってリリアンは微笑んだ。
そう……。

「私は……すごく恵まれてます」

歩きながら、ポツリと呟くようにリリアンが言った。
デーナが視線を落とすと、リリアンはデーナの腕に顔を寄せた。

「シャニアもマリさんも、フレスク指揮官も……。好きな人達に囲まれて、好きな仕事をして。分不相応だなって、自分でも分かってるんです」
「不相応?」
デーナが聞き返すと、リリアンは小さく頷いた。

「そのうちバチが当たっちゃいそうで……。皆に大事にされてるのに、私は何も出来ないから……」
そう言ってリリアンが目を伏せると、デーナは立ち止まった。
リリアンもそれに合わせて、驚いて歩を止めて視線を上げた。

「フレスク指揮官……?」
視線が合うと、それはまた絡まるような熱を感じさせる。

「――何度も言わせるな。そういう自分を卑下するような事は、言うな」
「…………でも」
「その"でも" も。言った筈だな?」
「……ん……」

――こういう時のデーナは、少しずるい。
こんな口調の彼を相手に反論できる人間は、そう居ないはずだ。デーナ本人もそれを分かっている
少し怒ったような目を向けて、リリアンは静かに反論した。

「だからせめて、奢ってあげようって思ったのに……フレスク指揮官払っちゃうから……」

 

するとしばらく、間があって。

デーナがリリアンを驚いたような顔で見つめると、次の瞬間……。

――デーナの大きな笑い声が響いた。
今までのような静かなものではなくて、大声で笑う、通り中に響くような……そんな声で。

「え、え…………?」

リリアンがそんなデーナにきょとんとしていると、それを見てデーナはまた顔を緩めた。

「は……っ、悪い……そういう発想だったのか……?」
それでもまだ、笑いを堪(こら)えるように手で口を押さえながら。
「そうです! な、なんでそんなに笑うんですか?」
反対にリリアンは、怒ったような顔だ。といってもこの顔は、怒っても迫力は何処にもないのだけれど。

「いや……悪いかった……。笑うつもりは無かったんだ、ただあんまり……」
「あんまり、何ですか、もう! 人が真剣になってたのにっ!」

そう言って、デーナの腕を叩こうとする。
もちろんデーナにとっては何でもないものだ。軽くその手を払ってから掴むと、リリアンはもう動けなくなる。

「も、もう……っ」
と声を上げた時には、そのまま身体が包まれていて。
コート越しでも……その感触を感じた。

そう……安心する、この温もり。

これを返したかったの。貴方に――。
少しでも何か、お礼をしたかったの に……。

そう思いながらも、その温かさに……つい、目を閉じて身体を任せてしまった。

しばらく2人はそのままで。
周りから見れば、仲睦まじいカップルがふざけ合っていただけに見えるだろう。――実際、そんなものだったけれど。

しばらくすると、デーナの方から少し身を離した。
そして静かに、まるで何かを思い出したような口調で言った。

「そうだな、じゃあ……何かくれるなら、頼もうか……」
「……? 本当に……?」
「何でも?」
「はい、もちろん……! あんまり高価だと難しいですけど、でも……」

頑張ります、と言って、リリアンは顔を上げた。
その顔を見て、デーナがまた可笑しそうに笑う。が、今度は静かなものだ。

「だったら、今夜は……」

そう言って、デーナはリリアンの耳元に口を近づけた。
そして小さく"何か" を呟く。

 

"それ" を聞き終ると、リリアンがそんなデーナの顔を見返した。
2人ともどこか……まるでお互いの真意を確かめ合うように見つめ合って――。

しばらくすると、リリアンは何も言わずにコクリと小さく頷いた。

 

 

誇りに思う、から。

あなたという相手を愛せたことを――。
この幾億もの人の波の中で、出会い惹かれ合い、愛し合えた、この奇跡を――

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