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"誰かを好きになったら、後悔しないようにするんだ"

まだその意味さえ分からない、幼い私に貴方はそう言った……。
そうね、でも、今ならよく分かるの――

 

Finding The One

 

"事実じゃないんだな、あれは"

 

それはまるで、否定して欲しいと懇願しているような声。
――どうして上手に説明できなかったんだろう?
突然のことでよく分からなかった……けれど……。

"ただ……事実なのか事実じゃないのか言ってくれ"

マークが具体的に何を、どんな風にデーナに言ったのかは分からない。でもきっと、何かきつい事を言ったはずだ。マークは昔からそうだったから――。
そしてそれは、デーナには辛かったはずだ。本人ではないとは言え、カーヴィング指揮官そっくりの彼から、否定の言葉を言われること。

――あれは幼い日の約束。

(そう確か、お父さんが亡くなってからすぐ――)
泣き止まないリリアンにマークは、自分が傍に居るから、と。ずっと離れず一緒にいてやるからと、そう言ってそんな約束をしてくれたのだったと思う。
まだ幼い頃のことで記憶は断片的だけれど、それからしばらく本気でそう思い続けていたことは、覚えている。

そしてその約束に、幼い日々の長い間、支えられていたのも事実で。
――それを嘘で否定したくなかっただけ。

デーナに対しても、マークに対しても。自分がもっときちんと説明できていれば、こんな事にはならなかったはずだ。そう思うと情けなくて涙が出そうになる。きっと2人とも、きちんと話せば分かってくれたのに。

(早く謝らなきゃ……フレスク指揮官に)

そうしたらその後で、マークにもきちんと話さなくちゃいけない。
それをしなかったから、こんな事になったのだから。

 

失くす訳にはいかないの。

やっと手に入れた、貴方の傍にいる時間――。

 

 

外の風は思ったよりさらに冷たくて、リリアンは身震いした。
ずっと室内で安静にしていたせいで、こうして身体が外気にあたることさえ、久しぶりだ。

(でも行かなくちゃ――)
唯一病室にあった、薄手の長袖カーディガンを羽織っただけの格好で、風が直接肌を冷やす。

リリアンがこっそり抜け出したのは、病室からすぐ傍の非常口からだった。正面の入り口には受付や警備がいて、とても外に出して貰えない。
この非常口は、ガルが教えてくれたものだ。彼は時間を持て余しているのか、たまに医者に無断で外を散歩しているらしく、この非常口を使うのだと――。
話を聞いたときはまさか、自分がそれを使うとは思わなかったけれど。

重い鉄製の扉を開けると、そこは螺旋階段に繋がっている。
外にむき出しの形なので、一歩外に出ると強い風が当たる。

(大丈夫、すぐ近くなんだから……)

医者からは、やっと、少し位なら床を上がってもいいと言われたところだ。
ここに来るまでも不思議と――数メートルだけだけれど――痛みは殆んど感じなかった。

決心するようにきゅっと服の裾を掴むと、前に歩を進めた。

大丈夫、ここは2階、ほんの少しだけだから――そう、自分に言い聞かせて。

 

 

会場に戻ってきたデーナに、ダンが目ざとく声を掛けた。

「あれ、何やお前、また戻ってきたのか? 一体今夜はどうなってるんや?」
「少し飲ませろ」
「はあ?」

が、デーナは返事もそこそこにダンが持っていた飲み物のグラスを奪い取ると、すぐに飲み干してそばの机に空になったそれを置いた。ダンはそれを見て呆れたような顔をする。

「何なんやお前らはまた、ええ加減にせえよ。それともあの男が原因なんか?」

ダンは諭すような口調でそう言った。このデーナの態度の理由は、一々聞くまでもない。
普段は冷静なデーナがこういう風になる原因は――いつも1つだからだ。

「多分な……けど、違うかも知れない」
デーナは短くそう答えると、すぐ傍にあった椅子を引いてそれに座った。
すでに会場は無礼講に近くなっていて、皆自由に歩き回ったり踊ったりしている。デーナ達に気付く者も少いない。

身体を投げ出すように座って、天井を仰ぐと片手で頭を覆う。
疲れ果てたようなその仕草に、ダンは首を傾げた。

「本部の連中が居たから俺は近付かんかったけど……確かに瓜二つやったな、あの男」
「顔だけじゃない、声までそのままだ」
「ふうん、まぁ血が繋がってるんやから。けど、それで何が問題になってるんや?」
「あの男はあいつの父親代わりだったんだと」

どこか投げやりなデーナの口調に、さすがにこれは珍しいな、とダンは低く唸った。

「父親代わり……ね、何や。"娘は嫁にやらん!" って奴やな?」
「…………」
「あのなぁ、リリちゃんみたいな素直で可愛い娘がおったら、男なら誰でもそうなるもんやろ。一々深く考えるなよ」
ダンの言葉に、デーナはそのままの姿勢で首だけ振った。
「――それだけなら別にどうでもよかったんだ」

そしてあの時の事を思い出す。
マークはリリアンには結婚の約束をした相手がいると言った。そして今日も、それを否定しなかったと――。
最初は試されているだけなのかと思った。
家族として、デーナがどれだけリリアンの事を真剣に想っているのか知りたくて、そんな事を言ったのだろうと……。

"あの子はまだ子供だ。恋愛ごっこを楽しんでいるだけでしょう"

――鵜呑みにした訳ではない。
リリアンがまだ将来云々を真剣に考える年齢ではないのは分かっていたし、ただ好きだから一緒に居たいと思う、そんな曖昧な愛情でも構わなかったはずだ。

けれど喉が渇く。
感じた事がないほどの焦燥感。
想像してしまった、彼女が他の男と幸せになる図――。

否定して欲しかった。
すぐに、そう。否定さえしてくれれば、それで冷静になれた筈だった。

"本当……です。でも……"

――何か続きを言おうとしていた。
聞いてやるべきだった、と思う。
けれど出来なかった。それは、その答えがもし……と思うと、冷静で居続けてやれる自信がなかったからだ。

やり場のない焦りをぶつける様に、壁を叩くとリリアンは身体を硬くした。

……あれはその続きを聞きたくなかったからだ。
口では説明しろと言っておきながら、同時に、それを遮るような態度を取る――。

(最悪だな……)
自己嫌悪とはこの事を言うのだと……何故か他人事のように納得してしまう。

 

「――あのねぇ、何があったのかよく知らないけど、リリアンを1人にしてきた訳じゃないでしょうね?」

その時やっと、ダンの隣に居たマリが口を挟んだ。
どこか怒ったような顔で、胸の前で腕を組みながら。――それにやっと、デーナは彼女がダンの傍に居たのだと気が付いた。

「いや……あの男がいるはずだ」
デーナがそう短く言うと、マリは小さな溜息を吐く。

「そう、ならいいけど。でも、あの子は楽しみにしてたわよ、貴方が来るの。今日は早く終わるはずだからって言って、嬉しそうにしてて」
「…………」
「や、マリさん。今はそれはキツいって。男には男の事情っちゅうもんが……」
「何が事情よ、どうせ事情という名の詭弁でしょ? 分かってるんだから」

……そんなダンとマリの親しげな会話に、デーナはその異変に気が付いた。
よく見ると、2人とも傍に寄り添っている。そういえば今夜のダンは珍しく身奇麗にしていた。

「……お前ら……?」
デーナがダンに向き直ってそう聞くと、ダンは妙な含み笑いをしながら肩をすくめた。隣のマリも目を泳がせている。
――その意味することに気が付くと、今度はデーナが溜息を吐く番だった。

「いや、でも何だ。まだ"お試し期間" なんかな? 俺はどっちでもいいけどな」
ダンがそう言ってマリの方を見ると、彼女は"余計な事は言わないで" とでも言いたげに、ダンを見返した。
けれどその2人の姿は……どこか幸せ気でもあって。

デーナは気が遠くなるような気分だった――まるで自分だけが取り残されているようで。
自分だけが、愛する相手を泣かせてばかりで――幸せに出来ない……。

 

そんなデーナに同情したのか、マリは少し声を穏やかにして諭すように言った。

「まずい事があるなら、早く謝ってきた方がいいんじゃないかしら。あの子の事だから、きっとすぐに許してくれるでしょ。貴方はツイてると思うのよ、フレスク指揮官」

マリがそう言うと、デーナは少しだけ考える様に前を見て、そして立ち上がった。
「私達も後でお見舞いに行こうと思ってたの。今すぐじゃお邪魔でしょうから、後でね」
そんなマリの言葉に、隣のダンも頷く。

デーナは低く「そうだな……」 とだけ言って、もう一度傍にあったグラスを飲み干すと、外に戻った。

 

「なあマリさん、俺もツイてるんかな」
「はぁ?」
去っていくデーナの後姿を見ながら、ダンがポツリと言った。

「デーナは"ツイてる" んやろ、相手がリリちゃんで。じゃ、俺は?」
そう言いながらマリの顔を覗きこんで、悪戯っぽく笑うダンに――マリはその意図するところに気が付いた。
不敵に微笑み返して、首を横に振る。

 

「――私だったら? そう簡単に許さないわよ、覚悟してね」

 

 

それはまた基地から出るゲートの検問所で。
デーナは意外な人物を発見した。
検問に当たっている警備の兵士と、何やら言い合いをしている……ように見える。

「――どうしたんだ?」
デーナが声を掛けると、兵士の方は驚いて姿勢を正した。
「フレスク指揮官、ご苦労様です」
「俺は任務中じゃない。彼がどうかしたのか?」

そしてその兵士と話していたマークは、急に現れたデーナを、まじまじと眺めた。

「身分証明書を忘れて来られたらしくて、入れられないって説明していた所なんですよ。大佐の知り合いだって仰るんですけど」
警備兵は手助けしてくれとでも言うように、デーナに事情を説明した。
デーナがマークを見返す。
――いや、睨み返すと言うべきか……。

「――間違いない、俺も見知ってる。入れてやってくれ」
デーナがそう言うと、警備兵は肩の荷が下りてホッとしたのか、笑顔になった。
が、「分かりました」 と言ってゲートを開けようとする警備兵を、今度はマークが遮る。

「やっぱりいいですよ。実は彼に話があっただけなんです」
「……俺に?」
「ええ、その、さっきの事で」
「…………」

そう言うと、2人は向き合う。
しばらくの沈黙に、警備兵だけが意味を把握できずに眉をひそめる。

「開けてくれ」
とだけデーナが言うと、彼は大人しくそれに従ってゲートを開いた。しかしマークは中には入らずに、デーナが外に出るだけだ。
デーナはその警備兵に挨拶だけすると、歩き出した。

「何の話だ?」
デーナの口調は既に敬語ではなくて。吹っ切れたようないつも通りの喋り方だ。マークは喉の奥で小さく笑うと、自分より少し背の高いデーナを見上げて言った。

「聞かなくても分かるでしょう。リリアンの所へ戻るつもりなら、歩きながら話しましょう」

それを聞くとデーナはそのまま歩き出した。マークもそれに付いて行くように歩き出す。
しばらくは2人とも無言のまま――。
先に口を開いたのは、マークだ。

「あの警備兵も貴方を尊敬しているみたいですね。すごい態度の変わり様でしたよ」

そんな台詞に、デーナは一瞬だけマークに視線を移したが、答えはしなかった。
しかしマークは気にせずに先を続ける。

「リリアンが随分言っていて……。貴方はしっかりしてて尊敬されている人だ、まるでアレツさんの様にってね。その時は疑ったけど、今は信じますよ」
「そんな話をしたい訳じゃないんだろ、何が言いたい?」
「謝ろうと思ったんですよ、貴方がアレツさんと認識があったなんて知らなくて。少しキツかったかな、と思って」

その言葉に、一瞬だけデーナが反応したような気がした。
が、相変わらずポーカーフェイスのままだ。マークはやれやれという様な小さな溜息を吐くと、話し続けた。

「あの子には泣きそうな顔されましたよ。きっと貴方は俺からじゃなくて、アレツさんから言われたような気分だっただろう……って言って。謝ったら、自分にはいいから貴方に謝れって言われましたよ」

デーナはまたマークの方を見て――睨んで――怪訝な顔をした。

何故、マークからリリアンに謝る必要があるのか、と。
マークが言った事が真実なら、デーナに対してはともかく、リリアンに対して謝る必要はないはずだ。
――そんなデーナの視線に気が付いたのか、マークは歩きながら肩をすくめた。

「お詫びに……教えましょうか、その、リリアンの結婚の約束をした相手について」

そう、静かにゆっくりとマークが言うと、デーナはピタッと歩を止めて振り返った。
言ったら殴られるだろうな……とマークは思った。そんな、デーナの表情だったからだ。

けれど今更止められない。マークは諦めたように静かに言った。

「……俺ですよ。ガキの頃、アレツさんが亡くなったばかりの頃かな。あの子があんまり泣くんで、そう言ったんです。本人はよく覚えてさえいなかったんじゃないかな。……でも」

と、そこまで言って、一息置く。
そして続けた。

「けど、あの子は嘘が苦手だ。だから、貴方の質問に否定できなかったんじゃないかな」

 

悔しかったのかも知れない。――マークはそう思った。
リリアンにとっての一番は、ずっと自分だった。

……いや、正確には、彼女は自分を通して父親を見ていただけなのかも知れないが……。

それでも自分にいつも付いてくる、天使の様な彼女が愛しかった。
彼女に近付く男達の邪魔をしたのも、一度や二度ではない。

恋愛感情とは違う、それでも、マークにとって一番の愛情の対象は、長い間リリアンだった。

"まだ早い" という言葉に真実を包み隠して、彼女が異性と付き合うのを反対し続けてきた。
――実際、早いと思っていた。
彼女はマークが最も信頼した男性の忘れ形見――……誰よりも幸せになって欲しいと思う気持ちに、噓は全くない。

間違いなく"この人だ" と思える相手が現れるまで、汚したくないと思っていたのだ。

最初はデーナも、今まで駆逐してきた男達と同類だと思っていた。――正確にはそう、思いたかっただけ、だけれど。

けれど今は何となく分かる。
きっと目の前に立つこの男が……"それ" なのだろう。

認めたくはないが、リリアンを傷付けることはしたくない。

 

「……そんな訳で、誤解だと思いますよ。失礼ですが、貴方の声は随分良く響くんで、聞こえたんですよ」

マークがそう言うと、デーナはしばらく黙ったままマークを真っ直ぐ見続けていた。
幸い、覚悟していた拳は飛んでこない様だったが……それでもデーナは表情を崩さない。

しばらくすると、デーナはやっとマークから視線を外して、道の先を見る。
そして一言だけポツリと、低い声で言った。

「――泣いてたか?」
「え?」
マークが聞き返すと、デーナはまたマークに視線を戻した。

「あいつだよ。泣いてたのか、泣いてなかったのか」
「あ、ああ……泣きそうな顔はしてかな……でも、涙までは見なかったな」
と言って、マークは焦って付け足した。

「けど、1人にしてくれって言われたから、多分今頃は……」

その答えを聞くと、デーナはマークを置いて歩き出した。
……マークもまた、そのデーナの早い歩調に、慌てて付いて行く。

 

――もう泣かせないと、そう誓ったはずだ。

1人で病室で泣かれるなど、想像しただけでも自分が許せない――。

 

 

けれど数分後、それを更に後悔することになる。
1人で病室で泣いていてくれた方が、まだよっぽど良かった、と……。

 

外は寒く、強い風が吹いていて、冷たい雨が降り始めていた。

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