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それはもう、二度と見ることはないだろうと思っていた姿。
聞くことはないだろうと思っていた声。

もしこれが違う姿だったら、もっと冷静になれたはずだったのに――

 

"It" Declared

 

がやがやと人が集まり始めた中、ペキン大佐の挨拶が始まると、親睦会の幕があける。
――といっても、デーナにとってはこれが終わりだ。
大佐の挨拶が終われば、挨拶だけして病院へ戻るつもりだった。

けれどそれは、会場に現れた"彼" のお陰で、大きく狂うことになる――

 

 

マークは会場に足を踏み入れると、周りを見回した。しばらくしてペキン大佐の姿を確認すると、せわしげな足取りで会場内に入る。

「ペキン大佐、お久しぶりです! あの子が世話になっています」
マークが大佐に声を掛けた時、周りには数人の本部の将校たち、そしてデーナがいた。
「マーク君! デーナから聞いたところだったよ、すまなかったね」
「何を言うんですか、謝るのはこっちの方です。リリアンが世話になりました」

大佐がマークの挨拶に答えると、その周りの者たちの注意がマークに行く。特にポウター中将は、マークの容姿に驚いたようだ。彼もまた軍に長い。カーヴィング指揮官のことはよく見知っていた。

「私は何もしていないよ、礼ならデーナに言った方がいい」
ペキン大佐がそう言うと、マークは一瞬だけ、デーナの方へ視線を向けた。そして憮然な声で一言、"そうですね" とだけ答えて視線を戻した。

その不自然さに大佐も気が付いたようだ。お、という顔をしてデーナの方を見る。
……デーナは無表情のままだ。

最初は驚いたが……すぐにその2人の態度の意味する所に気が付く。ペキン大佐は面白がるように喉を鳴らして、小さく何度か頷いた。

 

「それで、どうしてあの子と付き合う気になったんです?」

――それは、挨拶も終わり、デーナが病院に戻ろうとした、その時。
マークはそれを足止めするように、今まで避けていたデーナに声をかけた。

その口調も内容も、明らかに挑発的だ。
といっても、デーナはそれに乗る気はなかった。

「好きだからです、理由なんて他にないでしょう」
そう、静かに答える。
周りで何人かが聞いていたようだが、気にしなかった。一々隠す気もないし、すでに感のいい連中は気が付いている。けれどマークは、そのデーナの答えに眉を上げた。

「そうかな。今はもの珍しいでしょうけど、すぐに飽きるんじゃないかな。貴方相手じゃ、あの子は子供っぽいでしょう」

そのマークの言葉に、デーナは改めて彼を見た。――相手が兵士だったら、怒鳴るか縛り上げるかしていたところだ。が、相手はリリアンの従兄、おまけに彼女の父――そして自分の元上官――に生き写しだ。

「まさか。真剣に付き合わせてもらっています」
「……へえ……」
マークはそう曖昧に答えると、手に持っていたカクテルを一気に飲み干した。
……その姿はまるで、ヤケ酒をあおっている様にさえ見えて。

大佐の話では、マークはリリアンの父親代わりでもあったらしい。それが本当なら、気持ちは分からなくもない――デーナはそう思った。
久しぶりに会った彼女には男がいて、しかも真剣に付き合っているという。少しくらい自分に棘々しく当たってくるのは、当然といえば当然なのだと、そう納得していた。

けれど、次のマークの言葉は……地雷だった。

「でも、貴方はあの子の事を知らないでしょう。可愛い顔をしているから、興味が湧くのは分かりますけどね」

その口調はまるで、相手を試そうとしているようで。
デーナも、それは分かっていた。自分を抑えてゆっくりと、"適切" に答える。

「そういうつもりはありません、外見なんてただのきっかけです」

――きっかけどころか、リリアンの容姿は最初、デーナが彼女に厳しくする原因となっていたのだけれど……。
が、その辺の話は、今するべきだとは思えなかった。

そんな当たりさわりのない、"大人な" デーナの答えに、しかしマークは挑発的な口調を止めなかった。

「でも、あの子の事を知らないのは事実だ。違いますか?」
はっきりそうは言わないが、デーナとリリアンの関係に反対しているのは明らかだ。
デーナはいい加減、自分を抑えるのに限界を感じてきた。

――自分を抑えることは得意だった。
たとえどんな状況で、どれだけ挑発的なことを言われても、不必要にそれに乗ったりする事はなかった。

――けれど今となってはそれは、"彼女" に関する事以外、という条件付きで。

 

「確かに、一緒に育ってきた貴方に比べれば知らないでしょう。けど、これからゆっくり知っていけばいい事です」
それでもまだ、デーナは静かに押さえた口調でそう続けた。が、多少の苛立ちはマークに伝わったのだろう。
会話はさらに続いた。

「これから? どういう意味です?」
「――そのままの意味ですよ、他意はありません」
「へえ……それは、あの子との将来を考えている、と……思っていいんですか?」

その時の、どこか満足したようなマークの口調に。
乗せられたのかも知れない、と直感した。そのデーナの答えが聞きたくて、わざと挑発的に話していたのだろう、と。

けれど――
それはそれで構わない。
本人との約束がある訳ではないが……少なくともデーナにとって、"その結果" を否定する理由はない。

"あの子との将来"

「――そう、取って貰って構いません」

デーナはそう、真っ直ぐマークを見ながら答えた。
それは、妙な気分……。
本人でないのは分かっているが、マークはカーヴィング指揮官にそっくりだ。そう、当の本人の父親に―……。

 

けれどマークはデーナの答えを聞くと、一瞬だけ下を向いた。
そしてデーナに視線を戻す。どこか、勝ち誇ったような目で――。

「そうですか、とりあえず遊びじゃないのは安心しましたよ。でも……」
「…………」
「思った通りだ、貴方はあの子の事を知らない。あまり深入りしない方がいいと思いますよ」
「……どういう意味です?」

デーナが低い声でそう聞くと、マークは逆に、高く明るい調子で答えた。

 

「あの子には結婚の約束をした相手がいるんです。今日もその話をしたら、否定はしませんでしたよ」

 

 

すでに夜――
きっと基地では、恒例の親睦会が賑やかに行われているはずだ。
外の風は冷たくて、どこか湿(しめ)っている。
もしかしたら雨になるのかも知れない、そんな空気だった。

マークは「大佐に挨拶をしたい」 と言って会場へ行ってしまったので、リリアンは1人の病室で、時間を持て余していた。
本を読んだりしてみるが、落ち着けない。

「ふう……」
一息ついて、結局、本を傍の机に戻した。
背もたれ代わりの枕に身を預けると、何気なく外を眺める。

(そろそろ、戻ってきてくれるかな……)

リリアンはそう思いながら、室内との気温差で湿っている窓を眺めた。
外は寒いようだ……。そう思うと、時が過ぎるのはとても早い気がした。
リリアンがここに来た時はまだ夏だった。夏の初めの夜――そう、あの頃デーナと初めて逢った……。

"名前を呼ぶのが恥ずかしいなんて、褒められた関係じゃないな"
マークのそんな台詞が蘇る。

(でも、まだ半年しか経ってないんだから……)

出逢ってから。
色々あったけれど、普通に会話をするようになったのは、マルディ・キャンプがあった頃。そして、付き合っていると言っていい関係になったのは、数週間前だ。
確かに少しよそよそしいかも知れないが、それはこれから、ゆっくり変わっていけばいい事で――。

(そうきっと、これから――)
リリアンはそう考えながら、外を見つめ続けた。

名前を呼ぶこと、親しくなること、もっとお互いを知ること――。
沢山あるけれど、それと同じくらい、時間だって沢山ある。そう思っていた。
リリアンからデーナと離れる気はなかったし、デーナだって……少なくとも今は、真剣に想ってくれている。
そう、信じているから……。

 

人の気配を感じたのは、そんな時。

色々と考え事をしていたせいで、それがドアのすぐ前に来るまで気が付かなかった。
リリアンがハッとして窓からドアに視線を移すと、そこにはデーナの姿があった。

「――フレスク指揮官?」

リリアンはゆっくり、その名前を口にした。それは、溶けるような甘い声。
本当なら駆け寄って抱きつきたい気分だが、今の自分の身体ではそうも行かない。
けれどきっと彼はそれを分かっていて、すぐに傍に来てくれる。

そう思って、甘えるような視線でデーナを見つめた。
早く傍に来て、キスをして、そして沢山話をしよう……。そんな思いで。

今まですれ違ってきた時間を埋めたい、と――。

けれど次に聞こえたデーナの低い声は、期待したものとは違う、冷たい調子だった。

「さっき、あんたの従兄から話を聞いたよ」
「え……?」

唐突にそう言ったデーナに、リリアンは首を傾げた。
何を言われているのかが分からなくて。そして、デーナの雰囲気がいつもと違うのに気が付いて。

「マークですか? 何か変な事でも言って……」
リリアンがそう言うと、デーナはやっとゆっくりベッドの方へ歩いた。
が、その歩調も、軽いとはとても言えないものだ。それが分かって、リリアンは少し不安になった。

――そういえばマークはデーナと付き合うことに随分反対していた。何かデーナに言ったのかも知れない。そう思って、リリアンは言葉を続けた。

「ごめんなさい、マークは昔からお節介好きで……変な事を言っても、気にしないで下さい」

そして最後に、同意を求めるように"ね?" と付ける。

そんなリリアンに、デーナは少しだけ硬い表情を崩した……ような気がした。
けれど同時に、物憂げな表情になったような気も して。

「フレスク指揮官?」
もう一度その名前を呼ぶ頃、デーナはすでにリリアンのすぐ隣にいた。けれどいつもの様に椅子に座ることはない。

「じゃあ、あんたの従兄は嘘でも言ったのか?」
「え……」
「"結婚の約束をした相手がいる" んだって? 事実じゃないんだな、あれは」
「…………!」

""マークのお嫁さん"になるのが夢なんだろ?"
子供の頃の話だ。今ではそんな事があったということさえ、忘れかけていて。

でも確かに、あの時は本気でそう思っていたし、そういえばそう、約束をした事も……あったような気がする。

「で、でも……あれは……」
「――"でも"? じゃあ事実なのか、あの男が言ったのは」
「そ、それは……でも、聞いてください、あの」
「説明はいい。ただ……事実なのか事実じゃないのか言ってくれ」
「……っ」

嘘……ではない。確かに実際にあった"事実" だ。

けれど――こんな時くらい、適当に「違う」 と言っておけばよかったのはずだ。普通ならそうしたところだろう。
しかしリリアンの嘘を吐けない素直な性格は、そういう芸当が出来なかった。

「本当……です。でも……」

リリアンがそう、静かに言った瞬間、だった。
バン! という壁を叩く大きな音が部屋に響く。その音に、リリアンはビクッと身体を硬くした。

「……あ……」
部屋が震えるようなその音に、そしてデーナのその、真剣な顔に。
リリアンは口を噤んだ。
咄嗟には言うべき言葉が見つからなくて。

怒ってる。それは分かった。
だけどそれを必死で押し潰そうとしている、そんな表情で――。

「"でも"、なんだ? 俺とはただの恋愛ごっこだから関係ないって?」
「……!?」

"恋愛ごっこ" ?
"関係ない" ――?

一体どこからそんな言葉が出てくるの……?
理解できずに、リリアンはただ絶句してしまった。どうして急にこんな事を言われるのか、分からなくて。
何かの誤解なのだろうか。そうだ、そうに決まっている、早く説明しなくちゃ……。

そう思っているのに、分かっているのに、言葉は簡単には出てこない。
リリアンが迷っていると、デーナは既にくるりと踵を返してまたドアの方へ歩き出した。

「待ってください、フレスク指揮……っ!」
……と言うのと同時に、ドアを叩き閉める乾いた音が響いた。

(な……なんで……?)

デーナが去ってしまい閑散とした病室に、リリアンは1人ぽつんと残された。
どうして? 何が原因で急に、こんな風になったの……?

 

リリアンが放心していると、また、ドアが開く音がした。
「……フレスク指揮官……?」
戻ってきてくれたのかも知れない、そう思ってリリアンはデーナの名前を呼んだが、入ってきたのは別の人物だった。

「どうだ、リリアン。いい子にしてたか?」
「マーク……」

デーナが出て行った後に部屋に入ってきたのは、マークだった。
懐かしいその笑顔――。今までなら、この笑顔を見るだけで安心できたはずだった。
けれど今は……。

「マーク、ねえ、今 フレスク指揮官が出て行ったでしょ? 見なかった?」

リリアンが挨拶もせずにそう聞くと、マークは少し憮然な顔をした。

「ああ、怒ったような顔して、凄い速さで歩いて行ったよ。言っただろ、お前にはまだ早いって。合わないんだよ」
「……何か言ったの?」
「挨拶だけだよ、それとちょっと、俺の意見を……」
「意見って? 何か怒らせるような事言ったの……?」

怒ったような顔をして、キッと視線を向けたリリアンに、マークは小さな溜息を吐いた。
ただ怒っているだけならいいが……同時に泣くのを我慢しているような顔で――。マークはこのリリアンの顔には弱かった。黙っているつもりだった事を、つい言ってしまう。

「お前に深入りするなって言っただけだよ。お前は子供っぽいし、合わないだろうって」
「…………」
「分かるだろ? 後で傷つくのはお前なんだから……」

マークはなだめる様にそう言うと、リリアンの傍の椅子に座った。
そして彼女の柔らかい髪を撫でながら、諭すように言葉を続ける。

「それに、俺が何か言ったくらいでこじれるなら、それだけの関係だったってことだ。そうだろ?」
「…………」
リリアンは黙ったまま、マークを見つめた。
――よく見ると、マークは本当にリリアンの父親にそっくりだ。

(……だから、きっと……)

「私に結婚の約束をした人がいるって……そう言ったの? 私はフレスク指揮官と恋愛ごっこしてるだけだって……?」

リリアンが擦れそうな小さな声でそう言うと、マークはバツが悪そうに少し視線を外した。
「……まぁ、確かにそんな事も……言った、かもな」

「どうして? フレスク指揮官、きっと傷ついたわ」
「おい、俺なんてただの従兄だ。それにちょっと言われただけでヒビが入る様じゃ、やっぱり真剣じゃなかったんだよ」
「……違うの、マーク。きっと……マークだったから……」
「どうしたんだよ、俺は間違ったことは言ってないだろ?」

そんなマークの言葉に、リリアンは首を横に振った。

「マークはお父さんにそっくりなの、分かってるでしょ? ……きっとフレスク指揮官は、お父さんに言われているような気がしたんだから」
リリアンのそんな台詞に、マークは分からない という様な顔をした。

「……なんで、別に面識もないだろ」
「フレスク指揮官が最初にここで就いたの、お父さんだったの」
「まさか! 俺とほとんど年も変わらないんだ。アレツさんが亡くなった頃じゃ、まだガキだったはずだろ」

そう言ったマークを、リリアンは黙って真っ直ぐ見つめ続けた。
――そして気付く。この子は嘘を付けないのだ、と……。

「……本当に?」
マークが聞くと、リリアンはこくんと頷いた。

「うん……大佐は、フレスク指揮官はお父さんの最後の秘蔵っ子だった、って。フレスク指揮官も、お父さんを慕ってたって……」
「…………」
「だからきっと、お父さんにそう言われてる気分だったはずよ。……もちろんマークはマークだけど、でも、声までそっくりでしょ?」

リリアンのその話を聞いて、マークはしばらく黙った。

そういえばデーナは、いつまでも自分に敬語だった気がする。
もちろん今日会ったばかりの者同士なのだから、いきなり親しい口利きはしないだろう。けれど、マークの方が数年ではあるが年下だ。
軍人独特の礼儀正しさなのかと思っていたが、それだけではなかったのかも知れない。

「……それは知らなかったよ。ごめん」

マークが静かに謝ると、リリアンはまた静かに首を横に振った。

「謝るならフレスク指揮官に謝って。それから少しだけ、1人にして……考え事、したいから……」

まだ怒ったままの、しかし潤んだ瞳でそう言ったリリアンに――。
マークはしばらく考えたが、結局彼女の言うとおりにした。

「分かったよ、お互いちょっと頭を冷やそう。でも、反対なのには変わらないからな」
マークはそう言って椅子を立つ。リリアンが納得したように頷くのを見ると、ゆっくりと部屋の外へ出て後ろ手にドアを閉める。

白い無機質な廊下へ出て、マークは大きく溜息を吐いた。

(はぁ、どうするか……)

リリアンを取られたことで、従兄として、兄として、父親代わりとして、デーナに反発する気持ちがあるのはは変わらない。しかし人として、――リリアンが言っていた事が本当なら、嫌なことをしてしまった。マークはそう反省した。

デーナが去って行った方角を見る。
きっと基地に帰ったのだろう。
――ちょうどリリアンにも、少し1人にしてくれと言われたところだ。

(謝っておくか……一応、な……)

マークはさらにまた大きく溜息を吐くと、ゆっくりと歩き出した。

 

 

それはそれから5分後。

巡回に来た看護婦が、からっぽのリリアンのベッドを発見して、慌てふためくのは――。

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