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それは幻。
ありえない幻想。

それでも時に、それにすがってしまう。
分かっているのに。それは、叶わないと。

 

Edge of Precipice

 

それはその日。
デーナとダンは1人だけ部下を連れて、出て行ってしまった、その後。

 

――それは、意外なほどあっけなくて。
ミラはまた、監査の為に倉庫で備品を眺めながら、微笑を浮かべていた。

きっとデーナは、あれをリリアンのせいだと疑ったはずだ。
そうなるように仕組んだのだから。

あの、夜。
デーナのリリアンへの告白を聞いた、あの後。

浮かんだのは、あの2人を引き裂きたいという、渇望。

最初は、ただ自分が色気を使ってデーナを誘えば、それで全てが済むと思っていた。が、それはあっけなく否定される。
あの時デーナは断る理由を言わなかったし、ミラも聞かなかった。しかし今なら分かる。それはデーナがあの子を愛していたからだ。

(馬鹿にしないで……)

そして思いついたのは、1つの賭けだった。
それはあまりにも微妙で、必ずしも成功するとは限らない。でも、もし成功したなら……これほど有効な手立てはない。
――それは悪魔の所業。
決して手を出してはならない、禁断の果実。

けれどその時のミラには、そんな判断力はなくなっていた。
それは嫉妬のせいであり、過去の傷のせいであり、そして、彼女自身の愚かさのせいでもある。

とにかく、ミラには"方法" があった。
これでも何年も、軍の裏を見てきたのだ。

まだ高官の秘書をしていた頃。捕らえられたテロリストの裁判に参加することがあった。
証言をする高官について法廷へ行き、その細かな実情を見せられる。そしてその証言の中には、彼らの仲間への連絡ルートなども、当然含まれていて――

……正直なところ、これほど簡単にことが運ぶとは思っていなかった。
デーナとガルが、あんな風に急に出ることになるという事は、すぐにテロが起ころうとしている筈だ。しかも、出て行くのは2人だけのようだった。とすると、規模は大きくない。少なくとも、実行者は1人か、多くても2、3人のはず。
そんな断片的な情報でさえ、彼らの手を借りるには充分だった。

"分かった。しかし聞きたい、何故あんたはこんな事をする?"
――密会を取り付けた犯人は、そう、ミラに聞いてきた。

"一泡吹かせたい子がいるのよ。だけど聞いて、相手は殺さないで欲しいの"
"へぇ?"
"その代わりに言って頂戴。これは密告だったこと、そして……そうね、「綺麗な顔した女だった」 とでも言っておいて頂戴"
ミラがそう言うと、犯人は驚いた顔をした。と、思う。相手も用心のため、会う事は承諾しても顔は隠したままだったのだ。

"あんたにとって、リスクじゃないのかい?"
そんな彼の言葉を、ミラは喉の奥で笑った。そして答える。

"そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないわ。でも、どうでもいいのよ。今はとにかく、あの子をはめてやりたいの"

 

こんな事が、最初から最後まで上手く行くはずがない。
それは……冷静になって考えれば、すぐに分かること。

でも、そう。

壊れかけているその心には、そんな理性の声は届かなかった。そして、逃げ切れない泥沼へ――自らを投げ込んでいく。
目的は達せられる……の、かもしれない。
ただしその代償は、あまりにも高いけれど――。

 

(あとは、仕上げ だけ)
そう、ミラは心の中でほくそ笑んだ。

それは狂気で
すでに人の心を失っている。

(私を馬鹿にしたらどうなるか……ね)

破滅するのは、自分で分かっていたのかも知れない。ただ今は、それでもいいと……。それにリリアンを巻き込むことが出来るのなら、それでも構わないと。そう――思っていたのだ。

 

 

結局その朝、デーナは食堂には顔を出さなかった。
デーナだけではない、ダンも来なかった。
理由は、だいたい想像がつく。昨日の件だ。リリアンは、兵士たちが使った朝食の食器を片付けながら、考えていた。

(話……したかったけど)
もちろん、必ずしもそれをデーナが聞いてくれるという確信はない。
無視されるかも知れないし、また、信じてもらえないかも知れない。それは分かっていたけれど、それでも聞いて欲しかった。いや、聞いてもらう必要があったのだ。

しかも当のミラさえ、今朝は見かけなかった。
サリに尋ねると、彼女は倉庫の検査をしているはずだという。そもそも泊り込みなのも、これに時間が掛かるからだ、と。

こんな時、どうすればいいのか――
リリアンには想像もつかなかった。ペキン大佐に報告した方がいいのだろうか……?
ただ自分への疑惑がどうのという以前に、これには人の命が関わっているはずだ。それを放っておいていいとは思えなかった。
でも、どうやって――? 考えれば考えるほど、どうしていいのか分からなくなってくる。

リリアンは無意識に袖をきゅっと掴むと、まるで祈るように心の中で繰り返した。
(お父さん……)
――彼ならきっと、どうするべきか教えてくれた。
どうするべきか、何を信じて、何を語って、何を選べばいいのか……。

(どうしよう……どうするべきなの……?)
答えは、自分で見つけるしかない。そう、分かっている。でも今だけは、彼の力を借りたかった。
彼はここを救ったのだ。ここにいる人々を、この基地を。その娘である自分は今、何も出来ずに佇んでいるだけ。

考えても答えは出ない。けれど結局、このまま黙っているべきではないと、その思いだけは変わらなかった。
デーナが何処にいるのか分からない今、これを話す相手はペキン大佐以外には考えられない。
(そう、大佐ならきっと……)
そんな希望に近い思いは、すぐに決心に変わった。言わなくちゃいけない。また自分が疑われるかも知れないけれど、彼なら話せば分かってくれる……

「あの、サリさん」
リリアンが決心したように、傍にいたサリに声を掛けた。サリはすぐに顔を上げる。
「どうしたの? なんだか今日は疲れてるみたいよ。少し休憩したら?」
「いえ、大丈夫です。ただ、ペキン大佐にお話しなくちゃいけない事が出来て……お昼までには戻れるようにしますから、少し外してもいいですか?」

リリアンがそう言うと、サリは少し驚いたようだった。けれど、リリアンの真剣な顔を見ると、すぐに首を縦に振った。
「もちろんよ、マリもそろそろ来るしね。構わないけど、本当に大丈夫? 疲れてるみたいよ」
「大丈夫です。昨日あまり寝付けなかっただけで……」

と、リリアンがそう言った時。サリがリリアンの肩越しに遠くを見て、少し不快そうな顔をした。
それを不思議に思ってリリアンが振り向くと、そこには、こちらに向かって歩いてくるミラが見えた。まるで何事もなかった様に。いつも通りの、艶っぽいその歩き方で。

「こんにちは、お邪魔だったかしら」
ミラは、リリアン達のすぐ傍に来るとそう言った。けれどそれは、質問をするという感じではない。サリは機械的な調子でそれに答える。

「いいえ、ご苦労様です、シェルフィール監査員。どうしたんですか?」
「様子を見に来ただけよ。倉庫の方はだいたい片付いたの。それで……」
そう言うとゆっくりと、ミラはリリアンへ視線を移した。

「彼女にはまだ質問をしていなかったと思って。ちょっとお借りしてもいいかしら」

質問、とは 面接の様なものだ。この基地で上手くやっているかどうか等を訊いてくるらしい。マリが最初に怒っていたのも、この時に"おばさん" 発言をされたからだ。

「いいですけど、この子は今から大佐に用事があるらしいの。後にしてくれると助かるわ」
リリアンが答えようとする前に、サリがそう機敏に答えた。
そして僅かだが、大佐の名前を聞くと、ミラはそれにピクリと反応したようだった。

「……そう、ちょうどいいわ。私も色々と大佐に報告することがあるのよ。一緒に行きましょう?」

そう言ったミラの声は、不自然なくらい甘くて。リリアンはまたぎゅっと強く手を握った。
(この人は……)
決心が、鈍らないように。リリアンは真っ直ぐにミラを見つめ返した。

(……逃げちゃ、駄目)

「分かりました、監査員」
リリアンはそう言ってミラの方へ一歩進むと、サリを振り返って言った。

「じゃあサリさん、少し失礼します。お昼ごろには戻りますから……」

 

それは――叶わなかったけれど

 

 

長身のミラが早足で進むと、リリアンはその後ろを着いて行くように急いで歩いた。
その後ろ姿に、リリアンはごくりと息を飲んでから、声を掛けた。

戦慄と迷いが、頭をよぎる。しかしもし言えるとしたら、そのチャンスは今だけだと、本能的に悟って。

「待ってください、シェルフィール監査員。大佐の所へ行く前に……お話があります」
リリアンにそう後ろから声を掛けられて、ミラがその歩調を止めた。

「昨日の事です。あれは――貴女、ですよね?」
リリアンがそう、ゆっくりと言った。しかしミラはリリアンに背を向けたままで、動かなかい。
周りに人はいない、執務室へと続く道。もともと人通りは少ないし、兵士達はまだ訓練中で、給仕係たちは皆仕事中だ。

確信が、あった訳じゃない。
でもあの時……サリが大佐の名前を出したとき、ミラの表情が強張ったのが分かった。それは、疑いを裏付ける材料の1つになった。
ミラはしばらくすると、リリアンの方へ振り返った。

「いいえ、違うわ」
そう言いながら振り返ったミラの表情には、微笑さえ浮かんでいて。
「……やっぱり……そうなんですね」
本当ならミラは昨日の事さえ知らないはずだ。それをこんな風にすぐに答えるという事は、やっぱり――

「どうして、ですか? 貴女もフレスク指揮官の事を好きなんじゃ……」

そのリリアンの質問に、ミラは答えなかった。ただ、そのまま言葉を続ける。

「いいえ、言ったでしょう、違うって。あれをやったのは貴女よ、貴女が密告したの」
「……何を……」

その、声に。
狂気が混じっているのを感じた。正気の人間ではない、どこか、壊れてしまった心から聞こえる、声。

リリアンがそれを感じて、一歩さがろうとすると、ミラはリリアンの腕を掴んでそれを止めた。その力は、女性のものとはいえ、強い。

「……なっ!」
それに、リリアンが声を上げようとした、その時。

ピタリ、と。
冷たい何かがリリアンの胸元に押し当てられた。

「…………!!」

ドクン……と、心臓の音が自分で聞こえるほどに高鳴る。そして、捕まれた手が震えた。
ミラの片手はリリアンの腕を強く掴んでいた。そしてもう片方の手に握られているのは……銃、だ。

「騒がないで。そうすれば、楽にやってあげるわ。貴女はお金に目がくらんで密告をして、兵士を傷付けて。その良心の呵責に悩んだ末に……」

震えるリリアンの手を押さえたままで、ミラはそう、ゆっくりと言った。

「可哀想に、ね? でも大丈夫よ、デーナは私が慰めてあげるから」

 

悲しかったのは、自分のためだけじゃない。

愛する人がいるから。
彼らを傷付けたくなかったから。

こんな風に、こんな形で――

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