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二日目の朝が明ける。

澄んだ空気と 熱い太陽。
未来を照らす、光。

 

The Past 〜過去〜

 

久しぶりに、ぐっすりと眠れた。
起きてすぐそんな事が考えられる位、デーナは軽くなった体を感じた。

ここしばらく、あまり深く眠れる事もなかったのに――

 

朝。起きてすぐ体を起こすと、鼻をくすぐるような、良い香りがただよってくる。
顔を上げるとすぐに目に入ったのは、簡易用の小さなコンロを器用に使い、朝食の用意をしているリリアンだった。

「おはようございます、フレスク指揮官」
デーナが起きたのに気が付くと、リリアンが顔を上げて微笑んで、そう言う。
「ああ、……おはよう」
それだけ言って、視線をそらした。周りを見ると、まだ大部分は寝ている。リリアンも、まだ一人だ。

「……早いな。もう一人は?」
「マリさんですか?彼女はいつもお昼からの係なので……朝が苦手みたいなんです。でも、もうそろそろ起きてくれると思いますよ」
リリアンがそう言うと、デーナはゆっくり立ち上がって、髪をかき上げた。
「指揮官も早いですね。でも、一番はブローデンさんでしたけど」
「ガルが?」
「ええ……今、顔を洗いに行ってくるって外に。食材を持って来てくれたのも彼だったんです」

珍しい……と思った。
ガルは優秀だが、朝に弱いらしく、いつも遅刻ぎりぎりに起きてくるのが常だった。
それが朝一番に起きて、おまけに食材まで運んで来ているという。

「自分で取りに行こうと思ったんですけど……。一人だと駄目だし、誰かを起こすのも嫌でどうしようか迷ってたんです。そうしたらブローデンさんが起きてきて、自分が行ってくれるって」
「へえ……?」
周りはまだ寝ている。出来るだけ音を立てないように、リリアンの方へ歩いて行った。
デーナがすぐ近くまで来ると、少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻って"おはようございます" をもう一度繰り返した。

(…………)
これを一番に見たのが自分でないという事が、悔しかった。
昨日も、今も。まるで子供の様な競争心が自分の中にあるのを、今更ながら感る。覚悟していたとはいえ、今の状況でデーナはそれを持て余していた。

リリアンの笑顔が直視できないで、結局、デーナも顔を洗いに外に出た。

 

 

デーナが外に出ると、すぐ顔を洗っている途中のガルの姿が見えた。

「フレスク指揮官! おはようございます、早いですね」
テントのすぐ後ろ。簡易式のタンクがあり、そこから水が出るようになっている。
ガルは後から来たデーナに気が付くと、挨拶した。

「そっちこそ早いな。いつも最後なのに」
「ええ、そうなんですけどね。今日はなんだか目が覚めてしまって……起きたらちょうど彼女が困った顔をしてうろうろしてたんで、本部まで食材を取りに行ったんですよ」
ガルがどこか誇らしげにそう言って、笑った。
「可愛い人ですね。どうしてこんな所まで来たのか分かりませんけど、優しいし女性らしいし」
「手は出すなよ、言ったはずだ」
「分かってます。そういう意味で言った訳じゃないんです」

そうは言ったが、それを正直に鵜呑みにする程、相手もナイーブではない。
それは、言ったガル本人も分かっているようだった。手は出さなくても、想うくらいは自由なのだから。

「じゃあ、先に失礼します。今日も頑張りましょう、指揮官」
先に来ていたガルは、タオルで顔をサッと拭き、一礼するとデーナを残してテントへ戻った。

"可愛い人ですね――"
今更だが、リリアンが魅力的な存在でいることを思い知る。
今まで 出来るだけ視界に入れないように、出来るだけ近づけないように……そうしていたので、急に目の前に現実を突き付けられた感じだ。

ホール・セリーといいデニスといいガルといい ――勿論他にもいるのだろう、自分も含めて。
あの瞳も、声も、華奢だが女性らしいその体も、優しさも。惹かれない方がおかしい、冷静になってみれば そう思えてしまう。

 

ガルが去って、デーナは一人昨夜の事を思い出した。

昨日の夜。
また、昔の夢を見た。

今の自分なら彼らを助けられる……そう分かっているのに、夢の中の自分は、まるで彼らを見殺しにするように一人だけ助かる。
そして弾かれたように目が覚る。心臓が高鳴って、汗が滲んでいるのを感じながら。
ふと入り口に人の気配を感じたのは、そんな時だった。
周りは寝静まっていて、こんな時間にうろうろしている者はいない筈――。夢から覚めた緊張感も手伝って、デーナはすぐに間近にあった銃を手に取り、その人物に近づいた。

"何をしている" そう言って、カチ、と弾を装填したその時、彼女が振り返った。
彼女と目が合う。何が起こったのか分からないような顔をして、自分を見詰め返してきた。

……今まで、彼女に強く当たって後悔した事はあった。
しかしあれは 後悔するとかしないとか、そういうレベルの話ではなかった。いくら悪夢から覚めたばかりとはいえ、彼女に銃を向けたのだから。
その自分に、震える声で謝ってくるリリアンを見て……言うべき言葉さえ見付からなかった。

とりあえず外に出ると、やはりリリアンはまた謝ってきた。
彼女はいつも条件反射的に謝ってくる。もちろんそれが、今までの自分の態度に責任があるとは分かっていたが、正直に言えば今はそれがきつい。

おまけに、入り口に一人で立っていたのも、デーナが出るなと無理を言ったからだ。
挙句の果てに、そのデーナに銃まで向けられて。

何か言おうと思ったが、相応しい言葉が見付からずリリアンを見詰めていると、突然彼女がお腹を鳴らした。
ガルに食事を譲って、自分は食べていなかったらしい。
すぐに言ってくれば何とかしてやったものを―― そう思ったが、それを彼女に思い留まらせたのも、今までの自分だと思うと……後悔を通り越して気が遠くなるような気がした。

デーナがリリアンを連れて本部へ行くと、そこでは現地責任者の一人である中佐が番をしていた。
余っている簡易食を彼女のために都合して貰って、すぐに帰るつもりだったが、中佐は時間を持て余していたのか2人を残るように勧めた。

中佐は、あの昼間のデーナとデニスの賭けについて耳にしたらしく、それを嬉しそうにリリアンに話す。
最初は口止めしようとも思ったが、あまり強いことを言う気にもなれなくて、中佐が話すままにさせておいた。

帰り道。
リリアンがまた謝ってきた。"そんなに迷惑な事だと思わなくて" そう、言って。
それはつまり彼女が、デーナがその賭けに乗ったのは、デーナがリリアンを迷惑だと思っているから……面倒な事を起こして欲しくないからだったと、そう解釈しているという事で。
デーナが振り返って彼女を見ると、また不安そうな顔をしてきた。

もっと何か言いたかった。しかし今の中途半端な自分では、また彼女を傷付ける事を言ってしまいそうで……。
ただ言葉少なに、昼間言った事を謝った。
その言葉に、リリアンはただ静かに首を横に振った。

その彼女の優しさが――嬉しかった。
完全に前に進む事も出来ないままでいる自分を、受け入れてくれているようで。
あの後、2人で自分達のテントへ戻り、彼女が自分の場所へ入っていくのを見届けると、自分も床についた。

それからは何故か深く眠れた。それは本当に、久しぶりで――

 

 

「おはよーさん、リリちゃん。お、美味そうやな〜、俺目玉焼きは両面な」

少しずつ兵士達が起きてくる。マリもついさっきフラフラと起きてきて、準備を始めた。
ざわめきに誘われるように起きてきたダンが、いつも通りリリアンに声を掛けた。

「はい、知ってます。ちゃんと作ってありますから、早く顔を洗ってきて下さいね」
ダンは毎朝の様に厨房に来て話をするので、好みは分かっている。リリアンが微笑みながら答えると、ダンは満足そうに笑った。

「なぁ、リリちゃん、俺んとこに嫁に来ない?」
ダンが冗談めかしてそう言うと、傍にいたガルが口を挟んだ。

「ファス指揮官、そういう職権濫用は頂けないですよ」
「何が職権濫用や。俺は素直なだけや」
「僕達には彼女に近づくな手を出すなって言っておいて、それはないでしょう」
「ありゃ俺じゃなくてデーナや。鬼のデーナ指揮官の命令――っと……」

ダンがそこまで言うと、デーナがテントの中へ入ってきた。すでに制服に着替えて、準備も済んでいる。
「噂をすれば、やな。早いな、相変わらず」
「お前が遅いんだよ。さっさと準備しろ。それからガル、準備が済んでいるなら先に機材の用意をしておけ」
「はい、今すぐ」

朝一番のガルは、すでに軽く朝食も済ませたようで、そのままリリアンの傍で喋っていた。
そのガルを機材の準備に仕向け、ダンは顔を洗わせに行かせる。
すでに数人の兵士は食べ始めていて、テーブルの上で、テーブルからあぶれた者は立ちながら、食事を摂っていた。

デーナは去っていくダンとガルを横目で見ると、リリアンに向き直った。
「ご苦労様です、なんにしますか?」
「適当に何でも……」
興味なさそうに答えたデーナに、リリアンが少し笑った。大抵の兵士は―ダンも含めて―食事にはそれなりに好みがある。こういう世界にいると、楽しみなど三度の食事位になってしまうのだ。
が、デーナだけは違った。サリも何度か言っていたが、デーナはとにかく何でも、食べられる状態でさえあれば食べるし、味など気にしない、と。

じゃあ、と言って、リリアンは用意してあった食事を幾つかバランスよく皿に乗せて、デーナに手渡した。
「もっと欲しかったら言って下さいね。お代わりはありますから」
「自分の分は取ってあるんだろうな」
デーナが確認するように聞くと、リリアンは少し恥ずかしそうにした。
「はい、大丈夫です……。あの、昨夜は……ありがとうございました」
「いいよ。ただ、ああいう時は先に言ってくれ、何とかするから」

デーナがそう言うと、リリアンは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻って頷いた。
それを見て、デーナも食事を受け取るとリリアンから離れた。

先に食事を始めていた兵士達がデーナに挨拶をする。デーナもそれに答え、今日の予定などを話し合いながら食事を進めた。

 

兵士達の食事が終わり、訓練の為に全員が外に出て行くころ。
それは、"嵐の後" と表現するのが最も相応しいような状況が、リリアンとマリの前に残されていた。

「ったく、男はこれだから嫌なのよね! 自分の靴下の世話も出来ないのよ!」
マリが、妙に現実味のある台詞を放った。
普段なら反論したいところだが、今の目の前の状況に、今回ばかりはリリアンも頷いた。

兵士達が去った後。テントの中に残されたのはブランケットやパジャマ代わりの古い制服、余分の軍靴やそれぞれのリュック。そしてマリの言うとおり、靴下などが散乱していた。
基地でなら厳しく整頓する事が義務付けられているが、キャンプで気が緩んでいるのか、逆に緊張しているのか、全てが散らかったままだった。

「でも……時間もあるし。片付けておく?」
「確かにねぇ。一日中この汚い状態は嫌ね」

朝食の後片付けが終わると、リリアンとマリは残された散乱を片付けることにした。
銃やライフルなどの機材もあるので、それは触れない。それ以外のブランケットや脱ぎっぱなしの制服を畳むことにした。何しろ時間はあるのだ。外には出ないように言われているし、食材は昼の分もガルがすでに運んでくれていた。

「ね、リリアン。これ、フレスク指揮官のじゃない?」
ブランケットにかかった土を叩きながら畳んでいる時。
ずっとぶつぶつと文句を言っていたマリが、突然リリアンに嬉しそうに話しかけた。
マリは畳んでいたズボンのポケットから、黒い革張りの、カード入れの様なものを取り出して眺めている。

「……! マリさん、人のもの勝手に取っちゃ駄目っ」
「嫌ね、取らないわよ。見るだけ」
「見るのも〜! 失礼だからっ!」

リリアンがマリを止めようと、すぐ隣にいる彼女の手に腕を伸ばす。
するとマリは、ひょいと手に持っていた黒い物を上にかざして、悪戯っぽく言った。
「そんな事言って、リリアンだって気になるでしょ? ちょっとだけ!」
「気になりません! 戻しなさい〜」

ふざけるように2人が揉み合っていると、マリが手に持っていたそれが落ちた。

「あらら、失礼……」
マリの手から落ちると、その黒い革張りのケースが開いて地面に落ちる。
それを見て、二人はゆっくりお互いの手を離して、地面に広がったそれを見詰めた。

「もうっ!」
リリアンが急いでそれを片付けようとしゃがむと、目に入ったものに一瞬動きが止まった。

落ちたのはカード入れで、中には幾つかのメモの様なものと、免許証や身分証明書の様なものが入っている。マリの言った通り、デーナのものだった。

(わ、フレスク指揮官だ……)
ついさっきまで、実物を目の前に見ていたのに……。そこに写った彼の写真を見て、体が金縛りになったように止まってしまった。写真で彼を見たのは、初めてかも知れない。ただの身分証明写真だが、端正な彼の顔に、心臓が跳ねるような感覚を覚えた。
(すこし今より若い……かな?)
それは運転免許証だ。クラシッド共和国では書き換えが10年に一度しか必要ないため、かなり昔の写真を使う事になる場合が多い。
つい日付に目が行くと、それはもう7年前のものだった。

それを見つめながら固まっているリリアンを、隣でマリがニヤニヤしながら見ていた。
「好きな男の写真、いいわよねえ?」
「……っも、もう! もう終わり! 片付けなくちゃ……」
リリアンが赤くなって、慌てて他に落ちたカードや紙切れを拾おうとした時――。

紙切れでもなく、カードでもない、少し厚い紙が、はらりとその中から現れた。
四つに折られていて、角は擦り切れている。

(……写真?)

幾つか散らばったものの中に、古い写真らしき紙が混ざっていた。
裏返して四つ折にされているので、何が写っているかまでは分からない。
ドキン……と。さっきとは違う意味で、心臓が鳴った。

駄目だと――頭がそう自分に伝える前に、手が動いてしまう。
もしかして昔の彼女の写真だったら……立ち直れなくなってしまうかも知れない……そう思ったけれど、体は頭より正直だった。

ゆっくりと、それを開く。古い、もう、少なくとも十年は経っているだろうと思わせるような色あせた写真。
縁は既に変色していて黒っぽく、中も折り目の部分がかすれて見難くなっていた。

でもそこに写っているのは……

まだずっと若い、デーナ。
雰囲気は違うけれど、すぐに分かった。その端正で真っ直ぐな顔だけは変わらない。
そしてその彼の傍にいるのは、2人の、写真の中のデーナよりもさらにずっと若い男の子たち。

誰かは、訊かなくても分かった。 それはもう 本能的に――
ただ似ているというだけでなく、写真の中の彼の、その表情に――

(お兄さん……だったんだ……)

家族が亡くなった、という話は聞いていた。サリからも、ペキン大佐からも。そしてデーナ本人の口からさえも。
そしてそれがどんな悲劇だったかも。
でも、本当に詳しい事情までは知らない。どんな風に育ったのか。どんな家族がいたのか……。

リリアンはもう一度だけ写真に目を落とすと、それをゆっくりとたたみ直した。そして、元入っていた場所にそっと戻した。

"これは、あんたの問題じゃなくて、俺自身の問題だ"
あの式典の後の夜。リリアンを嫌っている訳ではない、しかし受け入れる事も出来ないと……
デーナがあの時 言った台詞を思い出した。

彼自身の問題――
デーナは、詳しくは語ってくれない。だから、まだ本当に分かった訳ではない。

でも、少し覗いてしまった気が した。
彼の心の闇と、その葛藤を――

写真の中で、2人の弟達に向かって 優しそうに微笑んでいる彼に

 

結局、そのまま片づけを済ますと昼近くになり、またいつも通りに昼食の準備をする。
兵士達が戻ってきて、食事をして、話をしたりふざけ合ったり。そしてまた彼らは外に出て行く。

夜になるまで、リリアンは心に閊(つか)えたものがあるのを拭えなかった。
勝手に彼のものを見てしまった罪悪感と、それと同時に……迷惑だと分かっていたけれど……あの写真の話を聞いてみたいという思いが溢れて。
夕食の時間になり、デーナをはじめとする兵士達が戻ってきたが、それは変わらなかった。
それどころか、デーナの顔を真っ直ぐ見られなくて。つい、目を逸らしたりしてしまった。

夕食が終わり、片付ける時間になっても、どこか晴れない顔のリリアンに、マリは心配して声をかけた。
「ちょっと外の空気でも吸ってきなさいよ、少しは気分が良くなるわよ?」
「ん……でも、皆疲れてるだろうし」
一人で外に出るな、という言葉を思い出して、リリアンは遠慮した。が、それを聞いていたダンが声を掛けてきた。

「何、リリちゃん外出たいの? 丁度ええわ、一緒に散歩付き合ってくれる?」
「いいんですか?」
「ええも悪いもないやろ。嬉しいよ。天気もいいし、ちょっと歩きながらお国自慢でもさせてや」

ダンが優しく笑いながらそう言った。
食事の後、ちょうどデーナは本部に報告があると言って席を外している時だった。
そのダンの優しい笑顔を見ながら……少し心が軽くなるような気分を感じた。

この人なら――相談してもいいのかも知れない。そう思って。

「じゃあ、片付けが終わったら……少しいいですか?」
リリアンがそう言うと、ダンは満足そうな顔をした。

 

「もちろん。俺もちょっと、リリちゃんに聞きたいことがあってな」

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