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Awake III

 

ダンとデニスが帰ってきたのは、そんな時だった。
戻ってきた二人の声を聞いて、リリアンは顔を上げたが、デーナはそのままリリアンから視線を外さない。

「よ、二人とも、大丈夫か?」
「はい……。お二人こそ、お話は済んだんですか?」
「やあ、デニス君は流石中将の息子さんや! 中々面白い話が聞けたな!」
「そんな事言って、ファス指揮官のお話も面白かったですよ。色々参考になりました」

なんだか無理やり連れられた割には、上機嫌になっていたデニスが答えた。
多分、ダンの上手い会話に乗せられたのだろう。

戻ってきたダンとデーナの視線がかち合う。ダンは、何か言いたそうにデーナの表情を覗き込んだ。
一体どうなったんだ、と聞きた気なのは分かったが、今は一々それに答える気はなかった。それは、ダンも分かっていたようだ。

「ちょっと冷えてきたな。リリちゃんはまだ病み上がりやし、そろそろ中に入ろうか」
ダンが周りの三人を見回すようにしてそう言った。
「そうだったんですか? すみません知らなくて。お疲れでしょう、早く中に入りましょう」
デニスが促すようにリリアンに言った。
「いえ、大丈夫です。もう治りましたから……」
リリアンはそう言ったが、デニスは譲らなかった。こういう所は、どうも良家の子息にありがちな独断性があるようだ。
「何を言っているんですか。さあ、早く入りましょう。体を壊したら大変です」

デニスがそう言うと、今度はさすがにダンもデーナも何も言わなかった。
さあ、という様にリリアンを会場の中へ導くデニスと、それに続いて4人とも会場に戻った。

すでに時間は10時を指していて、少しずつ参加者は帰りだしている。
犠牲者の家族達もいるが、大部分は軍の将校達だ。明日も早い朝が待っている。

会場の中へ入っていくと、数人の高ランクの将校達がまとまって話をしているのが見えた。ペキン大佐も、その中だ。
ただの方便のつもりで言っただけだったが、確かにペキン大佐やポウター中将も込み入った話があったようで、他の将校達も交えて、話し込んでいた。
デーナ達4人が戻ると、ペキン大佐がそれに気付いて顔を上げた。

「戻ってきたか。デニス君、悪かったね、うちの連中につき合わせて」
「いえ、誘ったのは僕の方ですから。楽しかったですよ」

実際にデニスが誘ったのはリリアンだけだったはずだが、そこは都合よく省かれているようだ。

ペキン大佐が、戻ってきたデーナに向かって喋る。
「さて、私達もそろそろ帰るかな。明日も早い。リリアンちゃんも疲れただろうしね」
「話はもういいんですか」
「ああ、そうダラダラ話し込んでも仕方ないだろう。お前らは一応挨拶だけでもしておけ」
「はい」

そう言って、デーナとダンは、ペキン大佐が話していた将校達に短い挨拶をした。
皆自分よりランクが上の者ばかりだったが、それでもクレフ基地の一員であるという事は、彼らにも一目置かれるのに充分だ。

彼らに挨拶をし終えると、残されたデニスとリリアンが何か話しているのが見える。
そして、デニスが何か、紙のような物をリリアンに手渡すのも……。
リリアンの困ったような表情から、それが何なのかは安易に想像がつく。

デーナがそれを刺すような視線で見る。
そしてそんなデーナを、隣のダンが値踏みするように見ていた。

「で、どうなったん? 少しは話したんやろ?」
「……別にどうもしない。今までのままだ」
「はあ?」

それどころか、ますます彼女を遠ざけたかも知れない―― そう、デニスとリリアンを見ながら思う。
ただ、彼女が最後に言っていた台詞だけが、頭について離れない。
カーヴィング指揮官の言葉―― "我慢の必要のない愛なんてないんだよ"
そして今は、そんな彼の気持ちがよく分かる、と。

それはつまり、彼女はそれでもいいと……デーナが彼女を受け入れられないとしても、それで構わないと……。
そう言いたかったのだろうか。
デーナとしては複雑だった。ああ言えば、リリアンは自分から遠ざかって行くのではないかと、そう思っていた。そうすれば、楽になれる。
たとえ一時的には辛くても、そんな物はすぐに薄れていくはず。そう、思って。

心の中に、渦巻く不安。
しかし同時に、そのずっと先に かすかな光が灯ったような、そんな感覚。
リリアンのあの言葉を聞いたとき、湧き上がったのは、確かにそんな感情だった。

ただ、それを押し潰してしまうだけの不安が、心の中から離れないのも事実で――

 

「さあて、帰るか。ジープは二台あるな。ロゼ、ダン、お前らが運転しろ」
ペキン大佐が、集まったクレフ基地のメンバーにそう言った。やはりこういう事は、ランク順になるものだ。普段は別に誰が文句を言うものでもない。
が、今夜に限っては、ダンが口を挟んだ。

「や、おっちゃん! 待ってくれ、俺ちょっと酒飲んでしもうたんや! デーナに代わってもらわなあかん」
「お前、ザルだろう。どうしたんだ」
「いや、久しぶりやったし、ちょっと飲みすぎたんや」
「まったく……。まあいい、デーナ、構わないか?」
「構いませんよ。どうせそんなに遠くないですから」

外に出ると、さっきよりもまた一層、風が冷え込んできているようだった。
会場から駐車場までは、少し外を歩かなければならない。歩きながら頬を撫でる風が、心地よい。
ジープが並んでいる所まで辿り着くと、またダンの大きな芝居がかった声が響いた。

「おっちゃん、なんか気分悪くなってきたわ! ロゼ軍曹、悪いけどとばして帰ってくれるか!」
「はあ、大丈夫ですか?気分が悪いなら少し残った方が……」
「いや、俺は帰りたい! さっさと横になりたいんだ、な、おっちゃんも疲れたやろ?」
「"おっちゃん" はいい加減やめろと言っただろうが……。とばすのはいいがリリアンちゃんも居るからな」
「リリちゃんはデーナがゆっくり送っていけばいいやろ? な、名案や!」

ダンがそう言うと、一瞬、しん……と全員が静まった。
そしてペキン大佐が溜息をついて言う。
「分かったよ、ロゼ軍曹、悪いがとばして帰ろうか。デーナ、きちんとリリアンちゃんを寮まで送り届けるんだぞ」
「……はい」
デーナとロゼが、殆ど同時にそう返事をした。

それに合わせて、ダンとロゼ軍曹、そしてペキン大佐が慣れた仕業でジープに乗り込む。
形ばかりの挨拶をすると、そのジープは地面を蹴って走り出した。
後に二人を残して――

すぐに検問を抜け、夜の道へ出る。
スピードを上げ走り出すジープの上で、少し考えるような表情だったペキン大佐が口を開いた。

「ダン、お前は優秀な兵士だが、役者としては酷いな」
「何言ってるんや、おっちゃん」
「馬鹿か、大体こんな大声を出す人間が、気分が悪い訳ないだろう」
「……流石や、分かってたんやな」
「その前にデニス君を誘ったのも、だ。見え見えなんだよ、お前のやることは」
「だったらおっちゃん、何で止めなかったんや?」
「……なんでかな」

そう言って、ペキン大佐は空を見上げた。無数の星が輝く、晴れ渡った夜空。
スピードを上げるジープに揺られ、風が心地よく流れていく。

「私も……これがいいと思ったんだ。多分ね」
ペキン大佐は、それだけ言って先は続けなかった。ダンも、それには答えなかった。
運転しているロゼ軍曹だけが、少し不思議そうな顔をしたが、彼は何も聞かなかった。彼もまた、デーナとは違う意味で寡黙なタイプだ。余計な事には一切、口出ししない。

三人を乗せたジープは、そのままクレフ基地までの道を、静かに走り続けた。

 

 

残された二人は、走り去っていくジープを無言で見つめていた。

何故かまたデーナと二人きりにされてしまったリリアンは、戸惑いを隠しきれない。
(一緒に居たいって思ったけど、こんな時くらいは……)
二人きりは勘弁して欲しい。そう思ったが、時は既に遅いようだ。ペキン大佐達を乗せたジープは、既に見えない所まで出て行ってしまっている。

自然と、デーナの方に視線を向ける。
彼もまた、走り去っていくジープの方向に目を向けたままだった。そして、リリアンの視線に気が付くと下を向て、小さな溜息をついた。

「すみません……あの、私もとばして大丈夫ですから」
そう、すまなそうに言ってきたリリアンを、デーナは見つめ返した。
「いや、そういう意味じゃない。ダンの奴が悪いんだからな」
一応、彼なりに気を使っているのだろうという事は分かったが、正直余計なお世話だ。どうもリリアンがそれには気付いていないのが、幸いと言えば幸いだったが……。
「でもダンさん、どうしたんでしょうね。お酒なんて飲んでなかったと思うんですけど……」
リリアンがダンとデニスに持っていった飲み物は非アルコールだったはずだ。ダン自身がそう頼んだのだから。

そう考えながら不思議そうにしているリリアンを、デーナは複雑な表情で見た。

……自分が酷な事をしようとしているのは分かっている。
彼女を受け入れる事も出来なければ、完全に切り離す事も出来ない。
はっきりノーと言えば、それで全て終わるはずだ。一時的には傷つくだろうが、リリアンならいくらでも他に愛してくれる相手は見つかるはずだ。
自分が答えを出せないのならば、彼女の為にも、そうしてやるべきだ――
そう、分かっている のに。

卑怯だ。分かっている。だが――

その時。 くしゅんっ という小さな声がリリアンから聞こえてきた。手を口に当てて、しまったという様な顔をする。
「ご、ごめんなさい」
デーナはその声に、彼女が随分と寒そうにしているのに気が付いた。

条件反射的に、自分の着ていた制服をさっと脱いで、彼女に渡した。
普段はあまり着ることのない正規の制服で、防寒用としても充分通用する。そのせいで気が付かなかったが、外はもうかなり冷え込んでいた。
リリアンの着ている黒いワンピースはシルク地で、昼は良くても、夜のこの時間には寒すぎるはずだ。
おまけにまだ病み上がりでもある。そしてここに残っているジープは、屋根のないタイプだ。ゆっくり走っても風を受ける。

「着てろ、冷えるだろう」
突然デーナに突きつけられるように制服を渡され、リリアンは驚いてそれを返そうとした。
「駄目です、フレスク指揮官も冷えるでしょう? 私が上着を忘れたのがいけないんですから……」
「俺は大丈夫だ、慣れてるから」
「でも……」
渋るリリアンに、デーナは少し顔を下げて覗き込むようにした。
今まで身長差のせいで違う位置にあったお互いの顔が、同じ高さになる。

「俺達は真冬の夜に野宿する事だって普通なんだ。この程度じゃ寒いうちにも入らない。早く着ろ」
そう言われると、リリアンは少し躊躇したが、おずおずと渡されたデーナの制服を羽織った。

「ありがとうございます……。温かいですね、これ」
長身のデーナの制服は、華奢なリリアンの体には明らかに大きすぎて。でも、それが愛らしくもあった。
「……行こう」
そう言って、デーナはリリアンが乗る助手席側に行き、そのドアを開けた。その行為に、リリアンが少し驚いた顔をする。
「自分で出来ますよ……?」
「知ってる。……ただ、疲れてるだろう」
「…………」

リリアンは大人しく従って、デーナのいる助手席のドアまで歩いた。ただドアを開けてくれただけだと思っていたが、リリアンが傍まで来ると、デーナはそれを助けるように彼女の手をとった。
一瞬躊躇しそうになったが、大人しくその手を借りてジープに乗り込む。確かに疲れていて、体が重く感じた。一人では大変だったかもしれない。

そして触れ合った手を離そうとした時、クシャ……という 紙がずれるような音が響いた。

その瞬間、デーナの表情が固まったのが、リリアンからも分かる。
音を立てたその紙は、そのままふわりと二人の手を抜けて、地面に落ちた。
「あ……ご、ごめんなさい、あの」
リリアンが慌ててそう言うと、デーナは無表情のまま落ちた紙を拾った。――確認するまでもない、リリアンがデニスから受け取った紙だ。内容など一々見なくても分かる。

二人の目が合って、少しの沈黙があって……そしてデーナはその紙を無言のままリリアンに返した。
そしてフイと目を逸らすと、そのままリリアンの傍を離れて運転席へ向かう。そしてやはり無言のまま、ジープに乗り込んだ。

「あの、これは……ただ渡されただけで、私は……」
何故か、言い訳のようなものがリリアンの口を突いて出た。運転席に座ったデーナは、前を見たままだ。
「……別にあんたが何を受け取ろうと自由だ。気になるなら電話でも何でもすればいい」
デーナは自分でも分かるくらい、傲慢な言い方をした。そして、言いながら既に後悔していたが、それでも止められなかった。
「しません。……する理由がないですから」
リリアンはそう言ったが、デーナは何も答えないままエンジンを掛け、ジープを走らせた。

そのまま走り出したジープは、ゆっくりと夜の道を駆けていく。吹き抜ける風が冷たくて……それはきっと、単に気温のせいだけではない。結局そのまま何の問題もなく、二人の乗ったジープはクレフ基地に戻った。
いつも通り検問を終え、基地内に入る。もとあった通りの場所に駐車すると、二人はジープから降りた。
そしてまた、女子寮までの道をゆっくりと二人で歩く。

「これ、ありがとうございました」
寮の入り口近くまで来ると、リリアンが羽織っていたデーナの制服を脱いで、彼に返した。
それを受け取ると、デーナはそのままそれを片手で抱えて、リリアンを見つめ返した。

――離すべきだ。彼女の為にも……
――いや、離したくない。

相反する二つの感情が、心の中を巡る。
次の言葉は、そんな感情の間をすり抜けるように出てきた。

「今日、言ってたな、カーヴィング指揮官の言葉を」
「……はい。でも、あれは……」
「あれは?」
「その……フレスク指揮官に何かを押し付けるような事は、しませんから……」
「…………」

少し悲しそうにそう言うリリアンを、デーナはそのままの表情で見つめ続けた。

「あんたは最初から、答えは聞かなかったな。俺に嫌われてるのは分かっているから返事はいらない、と」
「はい……」
「正直に言わせてもらう。俺は……」
「言わない下さい、それは……わかってますから」
「いや、そうじゃない。俺が言いたいのは……別にあんたが嫌いな訳じゃない。ただ……」
「…………」
「だからといって、それを簡単には受け入れられない。これは、あんたの問題じゃなくて、俺自身の問題だ」

リリアンは、まだデーナが何を言いたいのかはっきり分からないようで、ただ黙って話を聞いていた。そしてゆっくりと、その鈴の音を転がすような声で質問する。

「それ は……私が、父の娘だから……?」
「それだけじゃない。これは……俺自身もまだどう言っていいのか分からない。ただ、あんたが嫌いな訳じゃないし、迷惑だと思っている訳でもない」

そう静かに言うデーナに、どう答えていいのか分からなかった。それでも、嫌っている訳ではないという言葉は、今のリリアンにとっては充分なもので……。

リリアンが答えられずにただデーナを見ていると、また手に握っていた紙がズレるような音がした。
デニスが電話番号を書いて渡してくれたものだ。しかしリリアンは掛けるつもりはなかった。ただ、中将の息子がくれた物を無下に捨てる訳にもいかなくて、仕方なく握っていただけだ。
微かな音に、デーナはまたその紙の存在に気が付いて、再び胸の中に何かが燃え滾るのを感じた。
デーナのその表情の変化は、リリアンにも伝わった。

「何も約束できないし、あんたは自由だ」
「はい……でも」

必要ないかも知れない。彼にとってはどうでもいいことかも知れない……そうは思ったけれど、リリアンはその手に握っていた紙を、デーナの前へ差し出した。
デーナはただ黙って、そんなリリアンを見つめ返した。
そして、しばらくするとその手から紙を受け取って、それを破いた。
小さな紙の切れ端が、地面に舞い落ちる。

「早く中へ入れ。明日は仕事だろう」
「はい……あの、今日はありがとうございました。おやすみなさい……」

絡み合う視線に、外の空気の寒さを忘れかけて。
"おやすみなさい" そんな彼女の一言に、心の中に何かが響く。
デーナはただ、無意識に彼女の頬に手を当てると、もう片方の頬に、軽くキスをした。

「おやすみ」

それだけ言って、返事は待たずに踵を返した。
夜の闇の中、ただ建物の入り口の明かりだけに照らされて、リリアンはしばらく立ち竦んでいた――

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