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朝の光が眩しいように

道の最初は、少しだけ目に沁みるもの。

 

Road Less Traveled

 

その朝は晴れ渡っていた。抜けるような空に、澄んだ空気。
気温はいつもより少し低いような気がしたが、それはかえって心地よいものだった。

 

式典当日、実際に式が始まるのは午後なので、リリアンは朝だけ仕事する事になっていた。
クレフ基地から式典に参加するのは将校クラスだけだ。
名前を挙げれば、ペキン大佐、デーナ、ダン、そしてロゼ軍曹になる。

もう一人軍曹がいるのだが、完全に全ての将校が基地を外すわけにはいかないので、現場の指揮者として残り、式典に参加するのはこの4人だけになっている。
その他に、他の基地からは軍の唱歌隊などが来るが、クレフ基地にはそういった部隊は一切置いていない。

朝の仕事が終わると、リリアンは早々に仕事を切り上げた。
仕事場には、サリがなにやら適当に理由をつけてリリアンを早く上がらせてくれたようだ。
デーナもダンも朝食に来たが、今日ばかりは忙しいのか、ただ食事だけ済ますと早々に出て行ってしまった。

リリアンは部屋に戻ると、急いで用意しておいた服に着替えた。黒いシンプルなワンピース。それはリリアンの細身な体に綺麗に合っていて、上品なものだった。
長くウェーブの入った髪を結い上げて一つにまとめる。毛質が柔らかいので、どうしても後れ毛が出てしまうのだが、それが彼女の柔らかな容姿を引き立てるように揺れる。

(墓地まで行くのは……迎えが来るって)

しかも、ペキン大佐はデーナを遣すだろうと言っていた。
また大佐の家に夕食に招かれた時のような感じだ。あの時も大佐に言われてデーナが迎えに来てくれた。
なんだかんだ言っても、彼にはいつも助けて貰っている。……それが、彼の意思ではないにしても。

"関さない" と最初は言っていたのに、二度もホールから助けてくれて。彼が不利になるのに、その事を大佐に黙っていてくれた。
あの、迎えに来てくれた夜も……。一緒に踊った夜も。

(大丈夫、しっかりしなきゃ)

クレフ墓地記念式典。国の為に亡くなった軍人のためのもの。
未だに怯える気持ちがあるのは否定できないけれど。
それでも、きちんと向き合おうと決めたのだ。覚悟を決めるように、キュッと拳を握りながら鏡に映った自分を見た。

正確に何時に迎えが来るのか分からなくて、昼過ぎには着替えたままの格好で、寮の下へ降りて行った。一階の入り口付近には、小さな待合室代わりの椅子が置かれたスペースがあり、管理人が駐屯しているカウンターの様なものがある。

管理人は女性だが、非常に中性的な人物で、初対面の者は大抵男と間違ってしまうような骨骨しい体格と厳しい表情を持ってる。
毎朝、晩と挨拶するが、必要以上の事は一切話さない。「嫌な感じよ。すごく無愛想で」と、マリは言ってあまり気に入っていないようだったが、寡黙で仕事に忠実な人だとリリアンは思っていた。
ただ、数度にわたってデーナがリリアンを訪ねていたので、何か勘違いしているらしかったが……。
しかしだからと言って、それに踏み込んでくる訳でもない。無愛想な事は確かだが、信頼できる人間だと。

が、今日は違った。
入り口に降りてきたリリアンを見て、驚いた顔をしてカウンター越しに見詰めてきた。

「どこぞの姫かと思ったよ。あのフレスク指揮官が気にする訳だ」

そしてしゃがれた、その中性的な声で、リリアンに話しかてくる。話しかけたというより、独り言に近かったが。

「あの……?」
「いや、悪いね。つい。綺麗だからさ。気にしないで頂戴」

そう言って、管理人はリリアンに向けていた視線を外し、そっぽを向いた。
その動向が少しぎこちなく思えて、リリアンは不思議に思い、今度は自分から話しかけた。

「あの、もしかしたら誤解されているのかも知れませんが、私とフレスク指揮官は何でもありませんよ」
リリアンが話しかけると、管理人はまたゆっくりと視線をリリアンに戻した。その目は、まるで不思議なものを見るような目つきだ。

「そうなのかい? 私はまた……まぁいい、美人には色々とあるんだろ」
「色々なんて……先週の夜は、本当にお見舞いに来てくれただけですから」
「…………」
「誤解しないで下さいね、管理人さん……って」
そこまで言って、リリアンは少し赤くなった。確かに本当に管理人をしているは言え、相手も一人の人だ、それに対してただ"管理人さん" とは……。

「ごめんなさい……お名前知らなくて……、なんて仰るんですか?」
リリアンが質問すると、管理人はまた不思議そうに、リリアンを見たままだった。

「あんた変わってるね」
「は?」
「私に話しかけてくる人は殆どいないよ。挨拶くらいはするけどね。サリでさえ、挨拶以上はした事は殆どないね」
「はあ……」
確かにリリアンはいつも寮から出入りするときには管理人に挨拶をしていたが、全員がしている訳ではなさそうだった。彼女はいつもカウンターでひっそり座っているだけだったし、彼女から人に話しかける事はまずなかったように思う。気にしていなかったが、リリアンが挨拶しても「ああ」と言ったりする程度で、反応は薄かった気がする。

「でもそれは……皆さん管理人さんの迷惑になると思ったからじゃないでしょうか」
「どうだかね。まぁいい。私はアンジュ・ラインだよ」
「アンジュさん……綺麗な名前ですね」
「やめてくれよ、名前で呼びたいならラインにしてくれるかい」
「はい……?」

綺麗な名前なのに勿体無い・・・とは思ったが、本人が嫌がる名前を呼ぶわけにもいかない。結局リリアンは彼女をラインさん、と呼ぶ事になった。
まだ迎えも来ないので、いつの間にか入り口で待っているリリアンとラインは話を始めた。
話とはいっても、ライン本人は饒舌ではなく、ただリリアンのする質問にラインが短く答えるだけだったが……。

それでも、その会話から分かった事によると、ラインは既に10年以上このクレフ基地の女子寮で管理人を務めており、その仕事を 与えられた休日以外は、一日たりとも休んだ事がない、という事だった。

「凄いですね、私も見習わなくちゃ」
「何が凄いものかい。ただ、他にする事がないだけだよ」
「凄いですよ。ペキン大佐も仰ってました、女子寮の管理人はしっかりしているから安心していいって」
「……ふぅん」

そんな調子で素っ気無くはあったが、ラインは真面目にリリアンの話を聞いていた。
かといって個人的な事に踏み込んでくることはない。リリアンが何故、こんな格好でこんな時間にここに居るのかも、訊いては来なかった。
それは、これからの式典に対して不安と緊張が拭いきれないリリアンにとって、一時の安息にもなった。そして思う。ラインは寡黙だが、とても優しい人なのではないか、と。
サリの様に人懐こくて明るい優しさではないが、静かで、普段は表に出ない隠れた優しさだ。

リリアンが素直にそう思っている事をラインに言うと、彼女はまた不思議なものを見るような目つきでリリアンを見返した。
「あんたは本当に変わってるよ。どこかの温室で育ったのかい」
「温……いえ、普通でしたよ。全寮制の学校に通ってましたけど」
「普通、寮に入るとかえって変に擦れるもんだけどね」
「……そうでしょうか」

ラインがそこまで言うと、何かに気付いたように目を上げて外を見た。そしてまた、独り言の様に呟いた。
「まぁ、あんたみたいな方が、ああいうのには合うのかもしれないね」
「……"ああいうの"?」

リリアンは突然何を言われたのかが分からなくて、ラインが外に向けた視線を追うように、後ろを振り向いた。
振り向いた視線の先に目に入ったのは……一人の男性。
外から寮に向かって歩いてくるのが、ガラスのドア越しに見える。いつも通り、真っ直ぐな視線と確かな足取りで。

ドクン……と 心臓が跳ねるのを感じた。
一瞬で体温が上がるような、そんな感覚。

「ほら、お迎えだよ」
ずっと厳しい表情を崩さなかったラインが、少しだけ顔を崩して言った。

「あ、あの……」
「さっさとお行き。軍人は時間にうるさいだろ」
時間も何も、正確な時刻は言われていなかったのだが……そう、喉まで出かかったが、言わずに飲み込んだ。もう、そんな事は関係がないのだから。
意味ありげな表情のラインに、リリアンは外から視線を外し向き直った。
「本当になんでもないんです」
「分かったよ。私は人の事には干渉しないんでね」
「〜〜……っ」

ラインの何かを含んだような笑みに、リリアンは何も言い返せなくなって口をつぐんだ。
「ほら、お行きって言っただろ」
彼は既に寮の扉の前まで辿りついて、警備と何か話している。いくら彼でも、女子寮の中に入る時にはそれなりの手順を踏まなければならないのだろう。普通の兵士なら近づくことも出来ないのだ。

「じゃあ……行きます。あの……お話できて嬉しかったです」
リリアンがそう言うと、ラインは答えなかった。ただ、早く行きなさいと言うように手を振った。しかしその表情は、最初に見せたような厳しい顔でも、含み笑いでもなく、優しいものだった。

 

リリアンが寮の玄関を開けるとすぐに、警備と、そして警備と話をしていたデーナが振り返った。
そして二人とも、無言で彼女を見つめた。

「わざわざすみません、フレスク指揮官」
「いや……」
リリアンが入り口の階段を降りながら言うと、デーナはまだリリアンを見たまま呟くように答えた。

結い上げられた髪と、そこからこぼれ落ちるように揺れる髪が日に透けて、金色のように見える。
細身な体に綺麗に合った黒いワンピースは、ゆったりしているが、それでも彼女の体を美しく見せていた。
警備員は見惚れるようにリリアンを眺めていたが、彼女が傍に来ると雷に打たれたようにハッとしてデーナに向き直った。
「指揮官、じゃあいいんですね」
「ああ……ご苦労」

警備員の言葉に、デーナもリリアンから視線を外した。そして二、三言何か事務的なことを警備に話すと、リリアンに視線を戻した。

「……来るんだな」
デーナが短くそう言った。
しかしその口調には、リリアンが言われるだろうと思っていた叱責のようなものはなかった。
ただ、確認するように。

「はい……あの、この間は……」
そこまで言いかけて、リリアンは言葉に詰まった。何と言っていいのか分からなくて。お礼……というのも変な気がした。それでも、彼の言葉のお陰で決心が付いたのだという事を伝えたかった。
しかしリリアンが言葉に詰まっていると、デーナが先に口を開いた。

「あの時言った事は忘れてくれ、言い過ぎたと思ってる」
「……え?」
「俺にあんたにどうこうしろという権利はないし、怖いと思うのも当然だ」
「…………」
今度リリアンは、別の意味で何と言っていいのか分からなくなって言葉に詰まった。

そんな二人を、警備員の兵が不思議そうな顔で交互に見た。
それに気が付いて、デーナはリリアンに"ついて来い" という様に視線を投げ、歩き出した。その後をリリアンが追うように歩いていく。残された警備員に軽く会釈だけして。
警備の兵は、一応会釈を返したが、まだ不思議そうな表情で歩いていく二人を眺めていた。

しばらく行った所でリリアンがデーナに追いつくと、彼は歩調を止めて振り返った。
追いつくために小走りで来たため、少し息が上がっている。そして歩を止めたデーナに合わせて立ち止まった。
そこは、宿舎や食堂などの建物から、ゲートへと続く道で、この時間はまったくといっていいほど人気がなかった。
ただ砂っぽい地面と、申し訳程度に敷かれたアスファルトの道があるだけだ。そして、そこに居るのは二人だけ――

リリアンはその時あらためてデーナを見た。
いつもと違う制服に身を包んでいる。普段は濃い緑の軍服で、実際に戦った跡が見えるように、所々擦り切れかけていたが、今日は違う。
ずっと薄い色の制服で、そしてずっと重厚な感じだ。綺麗にプレスされていて、いつもの軍服の様な傷の跡は一つもない。
そして、胸には幾つかの勲章。さらに、肩に見えるのはクラシッド国軍の羽が交差したマークと、そして星が一つ。
それが意味するものは……

「少佐……だったんですね」

つい、リリアンが言ってしまった。そして、しまった、というように顔を赤らめた。
この、考える前にすぐに言葉を出してしまうのは、リリアンの一種の――悪い癖だ。
「すみません……勝手に」
不審な顔をしたデーナに、リリアンがすぐに謝った。別に何か悪い事を言った訳ではないのだが、何故か、無理に彼を勘繰ったように思えて。
「別に謝る事じゃない。確かにそうだ」
そして一息置くようにして、もう一度言った。
「どうして分かった?」

軍人同士なら、確かにすぐに分かる事だ。しかし一般の人間がすぐに判別が付くものではない。ただ、肩に星が付いているなら何か階級があるのだろうと、漠然と分かる程度なはずだ。それを見てすぐに言い当てられるのは、専門家か軍人くらいだろう。

リリアンは質問されると、きょとんとした表情をした。そして控えめに答えた。
「父が教えてくれたので……」
「ああ、彼か」
その答えに、デーナは納得したような顔をした。また何か、怒らせてしまうのではないかと思っていたリリアンは、その顔に安心したように言葉を続けた。
「みな、指揮官、指揮官って呼ぶから分かりませんでした」
「指揮官はただの基地内での呼称だ。正式なランク名じゃない」
デーナの答えは、無愛想ではあったが今までのような冷たい感じはない。

「その……凄いですね」
リリアンはそう、感心するようにに呟いた。
確かデーナは30を過ぎたばかりのはずだ。リリアンの父親であるアレツ・カーヴィングが少佐に上がったのが確か彼が35歳の時。それでも当時ではそれが最も若いと言われていたのだ。
それを考えると、異例的な速さだ。

デーナはリリアンの賞賛の言葉には答えずに、しばらく彼女を見ると、また歩き出した。それに合わせてまたリリアンも歩き出す。
付いていくように一歩後ろを歩きながら、リリアンが質問した。
「あの、他の方達は……」
「大佐とダン達は既に墓地の方に行ってる。俺だけ戻ってきたんだ」
「す、すみません……!」
彼だけ戻ってきたという事は、リリアンを迎えに行くため、わざわざ一度行った墓地から基地に帰ってきた……という事だろう。リリアンはまた赤くなって謝った。

「大佐には自分で行けるって言ったんですけど、駄目だって言われて……。ごめんなさい、お手数を掛けて」
デーナを迎えに遣すだろうとペキン大佐は言っていた。しかし、それはただ皆で一緒に行くために呼びに来るだけなのだろうと思っていた。
わざわざ、ただ迎えに来るためだけに戻って来させる事になってしまうとは・・・。
リリアンが困ったような声で謝って来るのを聞いて、デーナは一歩後ろにいる彼女に振り返った。

「一々謝る事じゃない。大佐がそう言ったんだ、あんたは堂々としていればいい」
振り返ってそう言うデーナに、リリアンは一瞬何か言いたそうな顔をしたが、すぐに納得するように頷いた。
「分かりました、でも……ありがとうございます」

それを聞くとデーナはまた前に向き直って歩き出した。目の前は既に基地のゲートがあり、幾つかのジープ等の軍用車が並んでいる。
リリアンがどうやって墓地まで行くのか疑問に思っていると、デーナは慣れた風に並んでいるジープの一つに近づいて、外からエンジンを掛けた。
兵士の移動用の、屋根のないタイプのジープだ。いくらか砂を被っているが、綺麗に整備されている。
そのジープのドアに手を掛けながら、デーナはリリアンを振り返って聞いた。

「嫌なら他の車でもいい、大丈夫か?」

質問に、リリアンはまた一瞬きょとんとした顔を見せた。
綺麗に整備してあるとはいえ、軍用車だ。席は硬く、薄い革が申し訳程度に張られているだけで、とても女性を乗せる為のものとは言い難い。振動が強く、慣れていないと、乗るのも疲れる代物だ。

「大丈夫です、昔、家にも似たのがありましたから」
リリアンが答えると、デーナは眉を上げてその顔を見た。
「家にこれが?」
「はい、まったく同じではないと思いますけど。軍から払い下げられたって言って、父が家に持って帰ってきた事が……」
「…………」
「軍用車ですから、勤務中以外に公道を走るのは禁止だったらしいんですけど……何度か夜に内緒に乗せて貰った事があったんです」

デーナは驚いた様な表情のまま、リリアンを見た。
数秒そのままだったが、しばらくして表情を崩した。
それは、ふわりと……僅かではあるが、微笑み……そう言えるものだった。

「本当にカーヴィング指揮官の娘なんだな」
デーナが笑うように言った。リリアンは驚いて――質問の内容ではなく、デーナの表情に――彼を見返した。
「疑ってたんですか?」
「いや……ただ、想像が付かなかったんだ、今まで。似てないしな」
「母親似らしいんです」
「らしい?」
「生まれてすぐ亡くなったので、直接見た事がなくて……でも、皆そう言います」

今度はデーナが驚く番だった。そういえばいつか彼女は両親は亡くなったと言っていた。しかし、そんなに早くだったとは考えもしなかった。
リリアンの性格からして、常に周りに大事にされて、守られて育ってきたのだろうというイメージが何処かにあったのだ。

デーナが何も言わずにリリアンを見ていると、今度は彼女から口を開いた。
「あの、もう行かなくて大丈夫ですか?」
「……ああ」
その言葉に、曖昧に答えてデーナはジープの扉に手を掛けた。その時、一瞬行動を止めて考えた。
こんな車に女性を乗せるなら、乗るのを助けてやらなければならない。扉の開け方さえも、普通の車とは違う。
そう思って開けかけた運転席の扉を離れ、リリアンが乗る助手席側に行こうとすると、リリアンの声が、その行動を止めた。

「大丈夫です。自分で出来ますから」
そう言うと、リリアンは扉に近づいて器用にそれを開けた。そしてひょい、という風に、通常より高く角ばったそのジープに乗りこんだ。それは、そう簡単に最初から出来るものではない。

デーナがそのリリアンの行動を値踏みするように見ていると、リリアンは少し頬を染めて言った。
「こうやって、内側の手で背もたれを掴みながら乗るんですよね? 教わったんです、もう随分前ですけど」
リリアンが少し赤くなりながらそう言うと、デーナは一瞬また止まったが、すぐに戻って今度は自分の運転席を開けた。
そして彼女の隣に滑るように乗ると、ギアに手を掛けた。

前を向いて走り出そうとしたが、デーナはその行動を急に止めた。
リリアンが、不思議に思って恐る恐るデーナの顔を覗くと、そこに見えたのは、また、さっきと同じ僅かな微笑みだった。
それは……リリアンにとっては初めて見るもので。
少なくとも、彼女の傍でこんな風な表情をするデーナを見るのは初めてだった。
端正な顔を柔らかく崩したその表情は、甘くて。

「あ、あの……何か変なことを言いました?」
笑顔を見られるのは嬉しい。だけど、どうしてこうなったのかが理解できなくて、リリアンは恐る恐るデーナに聞いた。こんな風に聞いたら、もうその笑顔が消えてしまうような気がして怯えたけれど、デーナはそのままの表情で答えた。

「いや、別に変なことじゃない。ただ、少し思い出してたんだ、カーヴィング指揮官を」
「思い出す?」
「ああ、彼はたまに突拍子もない事をしたからな……でも、ジープを持ち帰って娘に乗り方を教えていたとは思わなかったよ」
「……〜っ」
どう言っていいのか分からなくて、そして、デーナの笑顔と、その言葉に、リリアンは更に頬を染めた。恥ずかしいのと、彼の口から父親の名前が出て、何故か嬉しかったのと。

それを見て、デーナは真顔に戻って前を向いた。
「笑うことじゃないな。行こう、遅れる訳にはいかないだろう」
「はい」
そう言ってギアを上げ、ゆっくりと機械音を上げながらジープは滑り出した。
黄色い砂を巻き上げながら、基地の門までゆっくり走ると、ゲートの警備兵達がこちらを見た。デーナが運転しているのを確認すると、門を開ける。
デーナに対して直立の敬礼を警備兵達がした。
リリアンがそれを見て、驚いたような顔でデーナの方を見上げた。

もちろん、普段からデーナやダンは兵士達から尊敬されている存在だが、正式な敬礼を受ける事はあまり見た事がない。
国柄、そして基地の性格柄、敬礼はいつも略式で、訓練中以外は兵士達も普通に指揮官であるデーナやダンに話しかけている。

リリアンの考えている事を察したかのように、デーナが前を見たまま言った。
「制服のせいだ。別に何が変わったわけじゃない」
そう言って、そのまま前を向いてジープを走らせる。ジープ独特の強い振動が伝わってきて、体が跳ねる。慣れていないと、座っているだけでも疲れるのは、このせいだ。
座り方にコツがあるのだが、リリアンは片手でシートを、もう片方の手でドアの縁を押さえて器用に体を支えていた。
それをチラッとデーナが見る。

「それも彼から教わったのか?」
「はい……実際に乗るのは久しぶりですけど、覚えている物なんですね」
デーナはそれには答えずに、前を向いたまま運転し続けた。

墓地までは車なら5分と掛からない。
短い道中、デーナはリリアンに式典の予定について説明した。普通なら、亡くなった兵の家族は、兵士達とは別の位置に参列する。だが、リリアンは既にクレフ基地で働いている事、そしてペキン大佐の配慮から、デーナやペキン大佐と同じ場所に席が用意されている……と。

「ありがとうございます、その方が……助かります」
楽な事ではないが、知っている人達が傍にいたほうが精神的にも安心できる。
リリアンは言いながらキュッと自分の手を握った。

(泣かない様にしなくちゃ)

そんな風に決心しながら前を向く。そんな彼女を見ながら、デーナが言った。

「前に言った事なら気にするな。言った通り……言い過ぎたと思ってる」
それは、デーナとダンがリリアンを尋ねてきた夜の事を言っているのだろう。
「いえ、でもあの言葉のお陰で決心が付いたんです、来ようって。だから……感謝しています」
「言葉……どの?」
「"彼に恥をかかせるな" って、仰りましたよね?」
「ああ」
そういえば、と思い出す。だが、あれは同じ軍人に対して言うならともかく、ただの普通の女性であるリリアンに言う台詞ではなかったと……そう思っていた。

「それで、あの後考えたんです。私が怖いといって逃げていても、それは父にとっては何の為にもならないって。きっと彼自身も、私がきちんと参列できる方が誇らしいはずだと……」
「…………」
「自分が怖いっていう事しか考えていなかったんです。それに……フレスク指揮官に言われた時、気が付いたんです」

そこまでリリアンが言った時、ジープは既に墓地の入り口まで着いた。
入り口前には、今日の式典の為の警備がある。軍の重要な人物達が集まるのだから、かなり厳重なものだ。
リリアンとデーナが乗ったジープが近づくと、ライフルを下げた兵士が近づいてきて、身分証明書の提示を求めた。二人がそれを差し出すと、その兵士はそれをチェックして二人に返す。
そして、二人が乗っているジープを点検すると、入り口を開けた。

駐車場にジープを乗り入れると、そこにはダンが待っていた様に立っていた。
二人を確認すると、手を振って近づいてくる。
ダンもデーナと同じように、いつもとは違う薄い色の綺麗な制服に身を包んでいる。

「遅かったやないか! おっちゃんが痺れを切らしてるよ、年なんだから労わってやらんといかんやろ」
駐車位置に止まったジープに、ダンが歩いて近づいた。
そして、リリアンの為に助手席側のドアを開けた。

「何、本当にこの車で来たのか? 大変やったやろ、女の子には」
「いえ、大丈夫でしたよ。乗りやすかったです」
ドアを開けてくれたダンに礼を言いながら、リリアンがジープから降りた。
「ほんまに? リリちゃんはたまに逞しい事言うよな」
そう言いながら、ダンはリリアンを案内するように歩き出した。
デーナもエンジンを止め、ジープを降りて二人の後を歩いた。

デーナとダンに囲まれるような形で墓地への道を歩きながら、リリアンは今更ながら恐れる気持ちが湧いてきたの感じた。

あの、父の死の知らせを受けた真夜中。
突然の事で、夢だと思ったのだ。
伯母に連れられて病院へ行かされた。
彼の姿を見るまで、何も信じられなかった。

そして……

ピタ、とリリアンは歩調を止めてしまった。
二人がすぐに振り返る。
「どうした、リリちゃん。大丈夫か?」
ダンが心配そうに、覗き込むように顔を下げてリリアンを見た。デーナは何も言わなかったが、それでも振り返ったままリリアンを見た。

「あ……だ、大丈夫です。ごめんなさい、少しボーっとしちゃって」
「すこし顔色悪いよ、休む?」
「いえ、少し緊張してただけです、大丈夫」
そう言って、無理にまた歩を進め始めた。その姿に、デーナとダンは目を合わせる。

それ以上は誰も何も言わずに……3人は式典への道を歩いていった。

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