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前を見て。
顔を上げて。

人生も 恋も そうしなければ真っ直ぐ歩けないから。

 

On The Way To Forward

 

次の朝、リリアンがまたいつもより早めに厨房へ行くと、そこには意外にも既に人影があった。
(珍しい……)
いつも一番に出勤していたリリアンには意外で、不思議に思った。
今朝はいつもより早く来た位だ。
「サリさん、どうしたんですか? こんなに早くに……」

声を掛けられたサリは、ハッとしたように顔を上げた。
「あら……まぁ、リリアンちゃんじゃない」
「……大丈夫ですか?」

「嫌だ、ごめんなさい、変な所を見せたわね」
サリはそう言って、慌てたように手を頬に走らせた。
リリアンからは一瞬しか見えなかったが、明らかに泣いていたのが分かった。

どう言葉を続けていいのかリリアンが迷っていると、サリはそれを察したように喋りだした。
「嫌だわ、リリアンちゃん。そんなに深刻そうな顔をしないで頂戴。ちょっと物思いに耽っていただけだから」
「……でも、大丈夫ですか? 何か私に出来る事があれば……」
そう言うと、サリは儚げに微笑んだ。それは、いつかリリアンがサリにデーナの話を聞いたときに見せた表情で……。

もしかして、と。

直感でしかなかったけれど。

「サリさんも行かれるんですか? 明日の式典に……」

サリはリリアンを見つめて、驚いたような顔を見せた。
「"も" って、あなたもなの?」
「はい……今年が初めてですけど」
「まあ……」

確か、サリは息子がここに居たと言っていた。そして亡くなったとも。
理由は知らないが、任務中に亡くなったのなら、国葬になったはずだ。という事は、明日の式典にも参加するだろう。

「初めてって事は……最近誰かが亡くなったの? もしかして恋人とか……」
「いえ、あの……ずっと前です。ただ、今までずっと行けなくて」
「そう……じゃぁ、明日は仕事はお休みね。平日だから皆いるし、大丈夫でしょう」
「あの、でもサリさんは……」
リリアンが問うと、サリはどこか自嘲的な、それでいて寂しそうな微笑を見せた。
「……私は行かないわ。というか、行けないの」
「?」

「ふふ、貴女になら言ってもいいかしらね。私の息子がここに居た話はもうしたわよね」
「はい、一度……」
「亡くなった事も」
リリアンは言葉では答えずに、首だけ縦に振った。
「実はね、基地や任務中に亡くなった訳じゃないのよ。休暇中に、事故でね」
「……え」
「やんちゃな子でね。大学卒業してすぐに軍隊に入って……なかなか頑張っていたのよ。クレフ基地に選ばれたいって言ってね」
確かに、クレフ基地に配属される兵士は皆エリートだ。軍に入る者にとっては、一種の憧れでもある。
「それで、頑張って選ばれたと思ったら、何もしないうちに最初の休暇で事故を起こして……よ。馬鹿な子でしょう……?」

「そんな事……」
「任務中に、誰かを助けるためにだったら……まだ救いがあったんだけどね。クレフ基地に配属が決まって、危ないんじゃないかって心配してたのに、それが休暇中によ。ここに居たのはたったの一ヶ月。まるで笑い話ね?」
無理に笑いを作ろうとするサリに、リリアンは首を横に振った。

「それで、明日の式典の事を思い出したら、なんだか空しくなっちゃってね。ごめんなさいね、変な所を見せて」
「いいえ、そんな」
「リリアンちゃんは行くのね? 嫌なら答えなくていいけど、ご家族かしら……?」
「はい……父が」
「お父さん?」
「ええ……、もしかしたらサリさんの息子さんも知っていたかもしれません」
「……そんなに前なの? 私が来る前だから、もう17年も前の話なのよ」
「その頃なら居ました。17年前ならもしかしたら……息子さんの上官だったかも」

サリの表情が一瞬固まった。
「上官……軍曹かなにかでいらしたのかしら」
「いえ、最初は多分そうでしたけど……17年前ならもう、指揮官をしていたはずです」
「…………」
サリの人懐こそうな黒い瞳が、丸く見開かれた。
「あの子が就いた指揮官はもう……亡くなったはずだけど」
「……ええ、だから式典に行くんです」

「…………」
驚愕する、とはこの事を言うのだろう。そんな表情でサリは固まった。
「リリアンちゃん、貴女の苗字って……」
「カーヴィングです。よくある名前ですけど」
確かにこの苗字はクラシッドでは少なくない名前だった。しかし……

「フレスク指揮官やダンさんが入った頃にもういらしたなら……サリさんもご存知かも知れませんけど」
リリアンがそう言おうとすると、それを遮るようにサリが手を上げた。

「待って頂戴。まさか……嫌だ、どうして言ってくれなかったの?」
首を振りながらそう言うサリに、リリアンは困ったような微笑を返した。
「あまり特別扱いはされたくなかったんです。それに、父のした事は父の物ですから」
「アレツ・カーヴィング指揮官の娘……なの?」

リリアンはそれには答えずに言葉を続けた。
「父はよく私に基地の話をしてくれました。もちろん、子供に話す事ですから、難しい事は省いていたでしょうけど……でも」
「…………」
「この基地まで来た兵士達は、それだけですでに英雄だって……。普通の人では出来ないだけの訓練を国民の為にして、お互いに助け合って……」
サリは何か言いたそうだったが、黙ってリリアンの言葉を聞いていた。
「もし彼自身が誰かを助けるために直接働いたわけでなくても……彼の仲間がそうしたなら、それは彼のお陰でもあるはずです。ここでは誰も、一人では戦えないと……父は言ってましたから」

サリはしばらく何も言わなかった。
リリアンもそのまま黙った。

少しして、サリが何か吹っ切れたような声を出した。
「そうね、そうかも知れないわ」
「そうだと、思います。私は……」
そして、儚げなのはそのままだったけれど、その微笑がさっきよりも少し明るくなった。

「ありがとう。なんだか少し気分が晴れたわ……。それにしても、貴女がカーヴィング指揮官の娘とはね……。誰か他に知っている人はいるの?」
「はい。ペキン大佐と、それから指揮官の二人が」
「デーナも? あらあら……これは運命かもしれないわね……」
「?」
「いえ、何でもないわ。でもリリアンちゃん、この事は……他の人に言って欲しくないのかしら?」
「ええ、隠してる訳ではないんですけど……。出来れば言わないで欲しいんです」
「分かったわ、大丈夫よ。明日の事なら適当に言い繕っておくから」
「ありがとうございます」

「お礼はいいのよ。それにしても……まぁ……。これはますます頑張らなくちゃいけないわね」
「頑張る?」
「いえ、なんでもないのよ、こっちの話。さぁ、ちょっと早いけど仕事を始めましょうか」

 

 

朝、デーナが食堂まで行くと、ちょうど入り口でダンとかち合った。
大抵少しデーナの方が早いのだが、今朝は違う。

目が合うと、ダンは挨拶もせずにデーナに近づいてきた。
「デーナ、今からでも遅くない。さっさと謝ってくるんや」
それが、ダンがデーナに言った朝の第一声だった。

デーナはそれを無視してそのまま食事を取りに歩いた。
ダンも追うようにそれに付いて行く。
「お前、おかしいやろ。最初からリリちゃんに対して、らしくない事ばかりや」
「言ったはずだ、あいつは苛つく、と」
「それだけやないやろ?」
「何が言いたい?」

その声に、ダンはやれやれ という様に首を振って溜息をついた。
「質(たち)が悪いな、お前は……」
「だから何が……」
「分かってるんやろ、自分で。自覚ぐらいはないのか?」

デーナは黙ってダンを見返した。
「……お前には関係ない」

が、それだけ言うと、ダンを振り切るように早足で机に向かう。
ダンはまたその場でもう一度溜息をついて、そして、食堂の中ではなく厨房へ歩いていった。リリアン達の所へ行くのだろう。毎朝の事だ。
デーナはそのまま簡単な食事だけ取って席に付いた。途中、周りの兵士達が気が付いてデーナに挨拶した。デーナもそれに返して少し話をしたが、正直上の空に近かった。

(人の気も知らないで……)

そう、心の中で悪態を吐きながら。

 

式典を明日に控え、それでも、その日はいつも通りに過ぎていった。

 

夕方、仕事が終わるとその足で、リリアンはペキン大佐のいる執務室へ向かった。
明日の式典に出るつもりだという事を伝えたくて。
外を歩き出すと……落ちかけた日が、訓練場を赤く照らす。まるで砂漠のような黄色い砂と、その夕日の朱色が交じり合って、この時間のクレフ基地は幻想的だった。

(綺麗……)

リリアンは執務室までの道で、外を見ながらそう思った。その景色と、そしてその中で汗を流している兵士達。毎日、ひたすら訓練の繰り返しだ。そうでなければ、何かがあった時に対応できないのだから。
それを眺めながら、リリアンの心の中でデーナの言葉が蘇った。

"彼に恥をかかすな"

その言葉は、リリアンの中で、まるで雷のように衝撃的だった。そして思う ――彼の言うとおりだと。
逃げていてもしょうがない。デーナには散々迷惑を掛けて、これ以上繰り返さないように強くなろうと、そう決心したばかりだったのだ。それなのに逃げているのは、間違っている。
きっと、しっかり前を向いて現実を受け入れる事が、父にとっても誇らしいだろう。
そう思いながら、砂っぽい地面を一歩一歩歩いていった。

執務室が入っている建物は、意外にも質素だ。殆どバラック作りと言ってもいいかもしれない。入り口、ペキン大佐の使う執務室と、それにソファが一組置いてある小さな待合室だけしかない。
入り口に警備の兵が一人と、待合室の手前の小さな机に座った秘書がいるだけだ。
既に何度か来ているので、警備兵も秘書もリリアンの事を覚えていて、すぐに通してくれた。

ドアをノックすると、いつも通りの低い声が「入って来い」と返事をした。
リリアンがドアを開けると、ペキン大佐は書類から顔を上げ、そして驚いた顔をして止まった。

「リリアンちゃんじゃないか! どうしたんだい?」
「急にすみません、お忙しいところを……今、お時間取らせて頂いていいですか? すぐ済みますから……」
「いや、構わないよ。どうしたんだね、実を言うと君の事を考えている所だったんだよ」
「ご報告させて頂こうと思って……あしたの式典の事を」
「ああ、それだ……。どうだね、来てくれるかい?」
「はい、行かせて下さい」

リリアンがしっかりした声と、真っ直ぐな瞳でそう言うと、ペキン大佐はその顔を感慨深そうにくずした。
「よかった。アレツも喜ぶと思うよ」

その台詞は、一種の熱のような物が篭っているようだった。
ペキン大佐はカーヴィング指揮官の親友だった。その彼が、こう喜んでくれるなら……それだけでも行く価値はあるかもしれない。

「私も嬉しいよ。でも、どうして決心がついたんだい」
「実は、言われたんです。父に恥をかかすな、って。それで……考えてみたら、私は自分の事しか考えてなかったと思って」
「言われた? 誰に?」
「……フレスク指揮官に」

そう言うと、ペキン大佐は驚いたように目を見開いた。サリといい、何だか今日はこの表情をよく見る気がする。
「デーナか……。あぁ、確かにあいつが最初に就いたのは、アレツだったしな」
「ええ、伺っています」
「そうか、これはデーナが君に言ったかどうか分からないが、アレツはかなりあいつを気に入ってたんだよ。あいつも慕っていたと思う」
「そう……だったんですか?」

今度はリリアンが驚く番だった。デーナが父を慕っていた……?

「恥をかかすな、か……。確かにね、軍人にとっての死というのは、普通の死とは違う意味があるんだよ。残された者には、悲しむよりも誇って欲しいと思うものなんだ。まぁ、少なくとも私にとってはね」
「そうでしょうか……」
「そしてアレツも、きっと君の事を誇りに思うよ」

その時、不意にドアをノックする音が響いた。ペキン大佐が返事をすると、秘書の女性が遠慮がちに顔を出し、本部から連絡が入っていると告げた。
「すまないね、せっかく来てもらったのに。実は明日の事で色々と詰めなくてはいけない事が多いんだ」
「いえ、こちらこそすみませんでした。お忙しいところに……」
「いや、構わないよ。嬉しいくらいだ。明日の事は……そうだな、時間の前に誰か迎えにやらすよ」
「だ、大丈夫です、自分で行けますから」

ペキン大佐の提案に、リリアンは慌てて首を振った。この話の流れから行くと、ダンか、そうでなければデーナが来る事になりそうで。しかしリリアンの否定は、大佐の一言で軽く退けられた。
「ダメだ。この基地の英雄の娘を一人で行かせるなんて、それこそ恥というものだ。デーナ辺りを迎えに寄越すから、いいね」
「…………!」

大佐はリリアンにもう一度すまない、と言うと、机の上にある電話を取った。
明日の式典の為に、彼も忙しいのだろう。記念式典は、クレフ基地だけでなく、クラシッド共和国軍全体で共同で行われるが、たまたま国葬用墓地がクレフ基地から一番近くに位置しているために――そして、ここが最も軍の中で尊敬されているために――クレフ基地がその主な舵を握らねばならなかった。
そのクレフ基地の責任者であるペキンは、当然、各方面から引っ張りだこだ。

電話口でなにやら忙しそうに話しているペキンに、頭だけ下げて、リリアンは執務室を後にした。
まだ、外は夕日が落ちきっていない。地平線にぼんやりと浮かぶ太陽。来た道と同様、リリアンはまたその光景を見詰めた。

まばらに駆け出す兵士達……。自然にその目がある人物を探してしまう。
そしてやはり、その人物は兵士達の先頭に立って、声を上げている。

(知らなかった……本当なのかな……)

父がデーナの事を気に入っていたと。
彼が亡くなったのが15年前、デーナが軍に入ったのもその頃だ。一緒に居たとしてもそれほど長い時間ではないはずだが……。

それを思って、リリアンは少し微笑んだ。
(もしお父さんが今の私を知ったら、どう思う……?)

ペキン大佐はデーナ自身もカーヴィング指揮官を慕っていたようだったと言っていた。
よりによってその娘は、デーナから嫌われていて、それでも片思いをして告白して・・・振られたなんて。
(笑われちゃうかな)
少し寂しげな微笑と共に、リリアンは寮へ戻った。

式典は、明日――

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