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これでいい――

手に入らないのなら、失う事もない。

 

Somber and Threat

 

リリアンがサリと話していた、その夜の事。
外は完全に暗くなっている。部屋に戻ったデーナは、そのまま着替えもせずにベッドに腰を掛けた。
前屈みに膝に肘をつく。考えている時の癖だ。

大抵の兵士は数人の大部屋だが、指揮官クラスには個室が与えられている。
個室といっても、ベッドと机、そしてシャワーが備えられているだけの小さなものだ。

食事はすべて食堂で済ますので、キッチンはない。
デーナの部屋は、机の上に数冊の本が散乱している以外、綺麗に片付いている。
汚すにも、あまり物がないので散らからないのだ。

(これでいいんだ)
自分に言い聞かす様に、デーナは心の中で呟いた。

リリアンを送った週末の夜。
すでに自分でも僅かな自覚はあった。彼女に惹かれていく、自分の気持ちに。
ただそれを、受け入れる事は出来ない。

今まで付き合ってきた女性達の様に、一線を置いて付き合える相手なら構わない。しかし彼女は――リリアンは――今までの様には行かない。そんな気がする。
こんな風に誰が一人の事が頭から離れないのは、初めてだ。
少なくとも、彼が軍に入ってからは……。

しかしそれは同時に、彼女を遠ざけてしまう理由でもあった。
本能的に。

(まだ、大丈夫だ)

今まで幾つかの出来事が重なって、気になっていただけだ。そう、自分に言い聞かせる。まだ、愛しているわけではない。
今のうちに遠ざけて、近づけないでいれば、こんな気持ちなどすぐに薄れるだろう。
今朝、彼女を見たとき。ダンと何気なく楽しそうに話していた。

きっと彼女にはダンのような相手が合うのだろう。
そう、自分を納得させた。
楽しそうに話している二人を見たときに感じた感情……あれは、明らかに嫉妬だった。
だが、自分にそんな権利はない。

(これでいい)

想いなど、押し潰してしまえばすぐに消える。
それはデーナが、自分を護る為に学んだ防衛本能の一つ――。

 

 

「あら、リリアン、どこに行ってたの?遅いから心配したじゃない!」
「ちょっとお話が合って、サリさんの所に行ってたの。マリさんってば、まだ寝てなかったの?」
「やぁね、まだ11時よ。子供じゃあるまいし。私はお昼からの当番だしね」

サリの部屋から帰ってきたリリアンを、マリは大袈裟に迎えた。
「ねぇ、リリアン、ちょっと」
「うん?」
「実は、あなたにって預かり物をしちゃったんだけど」
「預かり物?」
「ええ、夕食のときにね。あなたは休憩中だったでしょう。兵士の一人があなたに渡して欲しいって言って、給仕する時にパッと渡してきたの。一瞬の事だったから断るにも断れなくって」
「…………」

「手紙みたいなんだけど……。本当はこういうの禁止でしょう?だからサリに言おうかどうか迷ったんだけど、まぁ、多分可愛いラブレターかなにかでしょう、それも可哀想かなって思って」
「誰……だったか分かります?」
「ううん、名前は知らないけど……金髪青眼の綺麗な男だったわよ。こっそり手紙を渡すようなタイプには見えなかったけどね」

金髪青眼……?
まさか……。

「見せて……もらえますか」
「ん、どうぞ。これなんだけど」
そう言うと、マリはポケットの中から少しクシャクシャになった紙を出した。
リリアンがそれを受け取り、広げるのを見ながらマリが言った。
「読んでないわよ。読みたかったけどね」
それを聞いてリリアンが笑う。

「美人は大変よね、羨ましいわ」
「そんな事ないですよ」
そう言いながら手紙に目を落とすと、リリアンの体が固まった。

「…………!」
手紙を持った手が、強張った。
手紙の上には、走るように書かれた雑な文字が並んでいる。
しかしその内容は……。
「? ……どうしたの、何か変な事でも書いてあった?」
「…………」
「リリアン?」

「……あ、あの……何でもないです。その、悪戯みたいで……」
「悪戯? 嫌だ、変な物貰って来ちゃったわね、ごめん」
「ううん……マリさんのせいじゃないですから……」
「捨てて置きなさいよ、何か嫌らしい事でも書いてあったの?」
「……そんな様なものです……その、本当に悪戯……」

リリアンはその紙をくしゃっと手で丸めると、ゴミの中に捨てた。

「嫌ね、悪戯なんて気が付かなかったわ! 次は何を貰っても突っぱねるから安心して」
「……はい」

それからしばらくリリアンとマリは二人で話をした。
何気ない事だ。仕事場での事など、女同士がよくする何気ない会話。そんな中で、マリがリリアンに訊いた。
「そういえばリリアン、次のパーティーは来るの?」
「パーティー?」
「ああ、なんか違う名前があったわね、"親睦会" だったかしら」

一瞬、その名前にリリアンの心臓が跳ねた。

「この前は来なかったし、一番最初の時は途中で帰っちゃったでしょう? 今回は来なさいよ、なかなか面白いんだから」
「う、うん。どうしようかって迷ってて……」
「迷うくらいなら来なさいよ。その方が私も楽しいし、周りも喜ぶでしょうし」

その話はとりあえずそこで終わった。
また少し違う話題を話して、夜も12時近くになった頃、二人とも寝る事にした。
「じゃあおやすみ、電気消すわよ」
「おやすみなさい」

そう言って明かりが消されると、部屋が静かになった。
マリは相変わらずすぐに安らかな寝息を立てだした。

(……どうしよう……こんな)
話をしていた間も気になって心から離れなかった事が、こうして静かになってますます心を埋め尽くしてくる。
あの、手紙。
マリは、金髪青眼の男性からだと言っていた。
クラシッドでは珍しい訳ではない。現にクレフの基地の中でもかなりの人数がいるはずだ。
しかし、そう言われてすぐに思いついたのは、一人。
確か、デーナを撃ったあの事件の後、3日ほど謹慎になっていたはずだ。帰ってきたのだろうか……。

ホール・セリー……。
手紙には、名前は書かれていなかった。
ただ雑な字で、こう書かれていた。

"次の親睦会に来てほしい。お楽しみを用意しておく"

(どうしてこんな事までして……)
もし本当にホール・セリーからなら、"お楽しみ" とはあの日の続きの事を意味するのだろう。
考えるだけでも震えがしてくる。一体、彼は何がしたいのか……。わざわざリリアンに拘らなくても、ホールなら外でいくらでも女性を見つけることが出来るはずなのに。

次の親睦会……。
実はリリアンはあの後、また一度あったものを欠席した。ホールに襲われそうになったあの夜の恐怖があったし、実際に家に帰ってやりたい事があったのだ。
そして今度は、確かこの週末に行われるはずだ。
また欠席するつもりだったが、それでも心の何処かに、行ってみたい気持ちがあるのは拭えなかった。

(また……少しでもいいから話が出来たらって……)
デーナと。
普段、食堂で彼を見かける事が出来ても、それは本当に一方的でしかない。彼はダンの様に厨房に入ってくる事はないし、昼食の時に少しサリと話をしていたりするが、リリアンの事は相変わらず無視だ。
リリアンも仕事中なので無理に話かける事は出来ない。

たとえ親しく話すことは出来なくても、お礼ぐらいはきちんと言いたかった。
そのために、次の親睦会はチャンスかもしれないと、密かに思っていたのだ。
そして今日は、サリが"協力する" とまで言ってくれたのだ。

(でも……)

あの手紙は、リリアンにとっては脅迫の様なものだ。
ホールは何か企んでいるのかもしれない。
もしそうだとしたら、自分で自分の身を護れるだろうか……?
デーナに迷惑を掛ける事だけは、もう絶対にしたくない。

しかし他に、デーナと話が出来る方法が……?

どうするべきなのだろう。暗闇の中、答えのない疑問が、リリアンの心から離れなかった。

 

次の日。
よく眠れなかった重い瞼で調理場へ行くと、そこには意外にもペキン大佐がいた。

「ペキン大佐……?」
「ああ、おはよう。リリアンちゃん、やっぱりサリの報告通り、君は早いね。ご苦労様」
そう言ってリリアンににっこりと微笑んだ。

「おはようございます。大佐こそ……どうなさったんですか、こんなに朝早く」
「いや、いつもこの時間には起きているんだよ。ちょっとたまにはこっちの様子も見ておこうかと思って来たんだ。どうだい、調子は?」
「ありがとうございます。お陰さまで、問題ないです」
……そう言いながら、昨夜受け取った手紙が心に浮かんだが、それを必死で打ち消した。

「シーラさんとクリスティはお元気ですか?」
「ああ、彼女達は相変わらずだよ。そうだ、シーラはまた君に会いたがっていたよ」
「あ、あの夜はすみませんでした。途中であんな風に帰ってしまって……」
「いや、もう充分遅かったし問題ないよ。ただ家内が話好きでね……こちらこそ悪かった」
「いえ……」
「そういえば今週末はまた親睦会がある。家内も来るはずだからよかったら来なさい」
「……あ」

意外な所で、また親睦会の話が出てきてリリアンは驚いた。
(シーラさんも来るんだ……)
ペキン大佐やシーラと一緒にいれば、安全かも知れない。そして何より、デーナと話す機会もあるかも知れない……。

「……はい、行けると思います」
「よかった、シーラも喜ぶよ」

そこまで話していると、サリがやってきた。
「あら、ペキン大佐! 朝からこんな所でどうしたんです?」
「ちょっと美人達の顔を拝みにね。どうだい、何か問題はないかな」
「毎日同じですよ。特にこれと言った問題はないですよ」

それでもペキンとサリは何か報告する事でもあるのか、色々と話し込んでいた。
それを見るとリリアンは二人に挨拶だけして、仕事に戻った。

(大丈夫かな……でも、大佐と一緒なら……)

もしかしたら、本当にただの悪戯だったのかも知れない。あの手紙がホールからだという証拠は、まだ無い。もし本当にホールからだったとしても、大佐と一緒にいる所を無理に連れ出したりは出来ないはずだ。
しかもホールにはデーナを怪我させた前科がある。

大きな不安と、少しの期待が、心の中で鬩ぎあった。

そんなリリアンの心の内とは裏腹に、時はいつも通りに過ぎていった。
デーナは相変わらずで、あの朝以来、目が合うことさえほとんど無かった。ダンはいつもの様に元気に挨拶に来る。リリアンが次の親睦会には行くかもしれないと言うと、大袈裟なくらい喜んでいた。
そしてホール・セリーは、謹慎が終わり基地に戻ってきていた。

別に話かけてくる訳ではない。ただ、昼食の時に目が合うと、やはりあの気味の悪い笑みを見せてくる。

 

そしてその週末……。
その夜は、クラシッドでは珍しく雨が降っていた。

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