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強さを 下さい。

貴方を愛し続けるられるだけの、力を。

 

Dans Son Coeur

 

一人の家の中。
かつては、帰りを待つ人がいた。
きっとこんな夜は、慰めてくれただろう。
でも……。

リリアンは部屋の中に入ると、真っ直ぐにベッドに向かった。

(泣いちゃだめ……)
分かっていた事なのだから。彼がリリアンに対してだけ冷たい事……。

仰向けに横たわり、上を見上げた。
一度は諦めかけたはずだった。
もう、三日前までは話すことさえ叶わなくなると思っていたのだから、こんな事で泣くのは、卑怯だ。

溢れそうになる涙を我慢しながら隣に目をやると、机の上のいくつかの写真が目に入った。
一枚は、父と母のもの。まだ、リリアンが生まれる前のものだ。
そしてもう一枚は、父とリリアンのもの。
まだ幼い頃の自分が、彼に抱かれて無邪気に微笑んでいる。

(…………)
彼は、いつも優しかった。
仕事には厳しい彼だったけれど、リリアンに対してだけは、本当に本当に、優しく、そして強い愛情を注いでくれた。
今の自分があるのは、彼のお陰だ。
けれど、自分は彼に何も返せないまま……。

ペキン大佐はいつか、父とデーナが似ている……と言っていた。
そうかもしれない。自分に対する態度は正反対だけれど……。

 

(お父さんの恋に比べれば……ずっと幸せ よね……?)

もう一度写真に目を向ける。二枚の別々の写真。
家族三人一緒の写真は一枚もない。
母は、リリアンを産んだその夜に亡くなったのだから。

二人はとても仲が良かった、そう、聞いている。父は最後まで母の事を想っていた。彼の死を乗り越えられたのも、きっと二人がこれで一緒になれると……そう思えたからだ。
母が亡くなってから、7年間。
7年、彼はもう姿も見えない、話すことも出来ない相手を想い続けていたのだ。
(だから、泣かないの……)
それに比べれば、自分の思いはずっと楽なはずだ。たとえ相手に無視されていても、嫌われていても、彼は生きているのだから。話すことは無くても、遠くから見つめる事ならいくらでも出来るのだから……。

そう思って、泣きそうな自分を止めた。
ただ彼がクリスティと楽しそうに話しているのを見ただけで、泣いてしまう権利なんて自分にはない。

――嫉妬した訳ではない。ただ、クリスティは自分と年も変わらないし、同じように指揮官の娘であるのに、これだけ扱いが違うという事に傷ついたのだ。
それだけ嫌われていると……。

しばらくすると、写真のお陰だろうか、気分が落ち着いてきた。
キッチンに出てお湯を沸かす。

(明日、またきちんとシーラさんにお礼を言わなきゃ……)
そう思いながら、ゆっくりとお茶の用意をする。
(フレスク指揮官にも……お礼を言いたいけど)
でも、また、話かけるだけでも迷惑になるだろう。せっかく家まで送ってくれたのに、まともなお礼も言わずに車を降りてきてしまった。

(そういえば……彼も家族がいないって……)
彼も、一人の家に帰ったのだろうか。
キッチンの窓から夜空を見上げながら、沢山の事が心に溢れてきて、その夜はなかなか眠れなかった。

 

 

次の週明け。
リリアンは朝一番でクレフ基地に戻った。

同室のマリはこの週末、基地に残っていたらしく、リリアンが部屋に着いた時はぐっすり眠っている。
起こさないように静かに部屋を出て、まだ朝も早い厨房に顔を出した。
テキパキと準備を始めると、しばらくしてサリ達がやってくる。うち数人はまだ眠そうだ。

「おはようございます」
「あら、リリアンちゃん! 早いのねぇ! 週末はどうだった、楽しかったかしら?」
「ええ、お陰さまで。サリさん達はどうでした?」
「いやぁね、どうもこうも無いわよ、この年になるとね。毎日毎週同じ事の繰り返しよ」

腕まくりをしながら用意を始めるサリは、なんだかんだと言いながらも、この仕事が好きなのだろう。彼女は給仕係の責任者でもあり、ほぼ一日、このクレフ基地の厨房で働いている。
実際に調理したりはあまりせず、食材の管理をしたり、現場の監督的な役割だ。
そして彼女は、この基地を知り尽くしている一人と言えるだろう。

リリアンはいつも通り仕事をしながら、サリに話かけた。
「あの、サリさん……実はお聞きしたい事があるんです」
「どうしたの? なにか分からない事でもあった?」
「いえ……そうじゃないんです。その、少し個人的な事なんですけど……」

そうリリアンが言うと、サリは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに満点の笑顔になった。"個人的な話" は、彼女が大好きな事らしい。世話話が好きなのだ。
周りの給仕係たちが聞いていない事を確認して、少し声を落として言った。

「どうしたの、なにか相談事かしら?」
「実は……フレスク指揮官の事をお聞きしたくて」
「まぁ!!」

サリが驚いて大きな声をあげた。すると周りの数人がどうしたの? という様に顔を上げたので、恥ずかしそうに声を下げた。

「まぁ……ごめんなさいね、大きな声出しちゃって……」
「いえ……こちらこそ驚かしてしまってごめんなさい。あの、無理にではないんです」
「別に無理なんて事はないわよ。いやだ……ただちょっと驚いちゃって」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいのよ。かえって嬉しいくらいだもの! 私はてっきり……その、無理にお見舞いに行かせちゃった日があったでしょう。実はあれ以来、なんだか貴女がが沈んでいるみたいに見えたから、なにか悪い事でもあったのかしらって心配してたのよ」

――やはり、周りからもそう見えたのだろうか。

「それは……大丈夫です。それで、その、前にサリさんが昔のフレスク指揮官の事を少し仰っていましたよね? もし良かったら教えて頂けないかと」
「つまり、あの子の昔話ね?」
「ええ……何か、少しだけでもいいんです」
「ふぅ〜ん、それはやっぱり、リリアンちゃんはあの子が好きだって事だと思っていいのかしら?」

ニコニコしながら顔を覗き込んでくるサリに、リリアンは少し頬を染めた。
言葉では答えずに、小さくうなずくと、サリは満足そうな笑みを浮かべた。
「だったら色々教えてあげようかしらね。こう見えても、もう15年以上ここにいるのよ。ここの子達の事は彼らの母親の様に知っているわ」

「そんなに沢山じゃなくていいんです……彼のご家族の事とか……知っている範囲だけでいいので」
「分かってるわ、任せて。まぁ今は仕事中だし、今夜私の部屋にいらっしゃいな。一人部屋なのよ。来てくれると嬉しいわ」
「……はい」

サリは嬉しそうに口笛を吹きながら去っていった。
(ちょっとずるいかも知れないけど……でも、これ以外に何も出来ないし……)

デーナの事が気になってなかなか眠れなかった、あの夜。
消そうとしても、出来ない。そして彼もまた自分の様に一人の家に帰っていくのだろうかと思うと、胸が苦しくなった。

彼の家族の事。
クレフ基地に来た理由も……。
知りたいと、思った。

だからと言って本人に聞けるとは思えないし、ダンやペキン大佐に話したら、すぐに本人に筒抜けになってしまいそうな気がして、出来ない。
でも、サリならきっと、なにか知っていると……。
最初の頃、デーナについて教えてくれたのも彼女だったのだから――。

 

しばらくすると兵士達がまばらに食堂に入ってきだした。週明けなので、皆、いつもより元気がよさそうに見える。
すると、いつの間にかダンが入ってきた。

「おはようさん、今日も皆元気そうやな!」
「おはようございます」
「あら、ダン。今週は一人で残ってたんですって? ご苦労様だったわねえ」
「そうなんや、サリさん。まあ、デーナも大佐もいないんでなかなか気を使ったわ」
「らしいわね。実は私も休暇をとってたんだけど……大丈夫だったかしら、問題はなかった?」
「まぁいつも通りだったかな。問題はなかったよ、ええことや」

そう言いながら、ダンはリリアンが準備している食材を摘み食いした。
「だめですよ、そんな事しちゃ」
「お、リリちゃんでも怒る事があるんやな」
「怒ってません。でも、サリさんに叱られちゃいますよ」
「はは、ほんまにリリちゃんは可愛いな!」

こんな風にダンとリリアンが楽しそうに話していると、その時、ちょうどデーナが食堂に入ってきた。
そして、厨房の方に視線を向けた彼とリリアンの、目が合う。

いつもは一瞬で終わるはずなのに、何故か今日は……それが数秒続いた。
しばらくしてデーナは目をそらすと、テーブルの方へ早足で歩いていった。

「お、今のデーナやな」
ダンがそれに気が付いて、食堂の方を見る。

「それじゃ、行くかな。色々と面倒な報告なんかがあってな。じゃ、みんな頑張ってな」
そう、ダンは厨房に居る全員に向かって言ったが、リリアンの頭をポンと叩いた。
「美味しかったで」
と、ウィンクしながらリリアンに小声で言って。

「もう、ダン指揮官はリリアンちゃん贔屓よね?」
「……そうですか?」
「そうね、彼は皆に優しいけど、やっぱり若くて綺麗な女の子がいいんでしょう! ちょっと年は離れてるだろうけど、どう、彼は?」
フィラがからかう様にリリアンに言った。
「もう、へんな事言わないで下さいっ」
「ふふ〜、そんな事言って〜……」

こんな風に他の給仕係たちと話をしていたが、心はさっきのデーナが気になって離れなかった。
いつもは、たとえ目が合うことがあっても、すぐにそらされてしまうのに。
(きっと、ダンさんの方を見てたのよ、ね……?)
そう思いながら心を落ち着かせた。

それでも。
たとえ数秒でも、こうやって顔を見れる自分を、幸せだと思わなくては。
(そう……仕事、仕事!)
これしか、彼のためになるような事はないのだから。
だとしたら、それだけでも一生懸命やりたい。

遠目には食堂でダンとデーナが話しているのが見える。週末明けなので色々と話すことがあるのだろう。

そんなデーナとリリアンを交互に見ながら、サリは優しそうに微笑んだ。

 

 

「さて、何から話そうかしら。難しいわね。何が知りたいかしら?」

リリアンが用意したお茶を二人で飲みながら、サリが話を切り出した。

その夜。サリの仕事が終わった9時過ぎ。
約束通りサリの部屋に来たリリアンを、彼女は暖かく迎え入れた。

 

「何でもいいんです。話し難い事ならそれは結構ですから……」
「そうね、じゃあ、順を追って話そうかしら。最初にデーナがここに来たときの事、ね。色々とあったのよ」
そう言いながらサリは懐かしそうに笑った。

「あの子が初めて基地に来た時、確かまだ17歳だったはずよ。外見はもっと大人びて見えたけどね」
「17……」
「そう、例外だったのよ。この国の兵役は希望制だけど、来るのは早くて18歳、大抵は大学を卒業して22、3歳でしょう。しかも、このクレフ基地は普通に兵役をこなして優秀だと認められた兵士が集まる場所なの。だからどう頑張っても、若くて23歳位で初めて来るものなのよ。確かダンも早かったけど、それでも22にはなっていたと思うわ」
「それは……どうして」

サリは、飲みかけのお茶を机に置いた。
「あの頃……ああ、貴女はまだ子供だったわね。覚えていないでしょう。でも、酷い事件があったのよ」
「…………?」

サリはいつもとは少し違う、低い声で話し始めた。

「テロ事件よ。酷いものだったの。テロリストが街のある建物を破壊したのよ。爆弾を使ってね。たしか、20人近くの人が亡くなったわ」
「…………」
「それでね、その中に、デーナのご両親と兄弟がいたのよ」
「……そんな!」
「なにかのパーティーの最中だったそうよ。デーナの家族は招待されていたんでしょうね。ただ、デーナだけはその時、外に出ていて助かったの。彼がクレフ基地に来る一年前の事よ」
「…………」

何を言っていいのか分からなかった。
それをサリも分かっているのか、リリアンの返事は待たなかった。

「犯人は逃走したのよ。酷い話でしょう。それから……」
「…………」
「彼は軍に志願したのよ。まだ16歳だったから、親戚の家か、養子へ行くかするべきでしょう。でも、彼はとても大人びていたし、もうすぐ17……一年早まる位なら良いだろうと、軍にも許可されたそうよ。何よりもテロの犠牲者の子供だったから、軍は寛容だったんでしょうね。彼に居場所を与えるためでも、あったんだと思うわ」
「……居場所……」
「あの子は最初からすごく優秀だったそうよ。最初の数ヶ月で、殆どの事はベテランの兵士並みにこなす様になったらしいわ。それでね、彼はクレフ基地に志願したのよ。何故かは分かるかしら……?」

サリがそう訊くと、リリアンは息を呑んでゆっくりと答えた。

「ご家族の……復讐のため……?」
クレフ基地は、他の軍や部隊と違い、対テロ対策に主柱をおいている。
「復讐……というのではないと思うわ。ただ、あの子なりに考えたんでしょう。どうせ戦うなら、ここだと」
「…………」

何も言えなくなっているリリアンを見て、サリは優しそうに目を覗き込んだ。
「怖くなっちゃったかしら? そんな人は好きになれないって」
「……まさか! そんな事ありませんっ!」

「……そう、それなら良かった。あのね、あの子は……普段は見せないけれど、まだその傷をずっと抱えているんだと思うわ。恋人を作ってもすぐに別れてしまうし……これは私の考えだけど、あの子は特別な存在を作るのが怖いんだと思うの。家族のような、ね。それを失ってしまった痛みを知っているから……」

リリアンは何も言わなかったが、サリはそのまま言葉を続けた。

「最初にクレフ基地に来たとき、周りはデーナに険悪だったのよ。皆、選ばれてきた優秀な兵士達だったから、プライドもあったんでしょう……それが、17歳の子供がのこのこやって来るんだから」
「険悪?」
「そうよ、皆、彼に突っかかってね。しばらくしてそれも自然に消えたけどね。デーナが本当に優秀だったから。その辺は、男は単純で良いわよね?」

そう言って、サリは何か思い出したように、ふふ と笑い声を漏らした。
「それで、最初リリアンちゃんが来て……デーナに叱られて帰れって言われたと聞いて……笑っちゃったのよ。デーナだって最初のうちは、皆に帰れ帰れって言われてたんだもの」
「あ、あれは……」
思い出してリリアンが赤くなると、サリはまた笑った。

「でもね、恨まないであげてね。きっと自分が特別だって事で辛い思いをしたから、そんな思いをリリアンちゃんにさせたくなかったんだと思うわ」
「…………」

少しの間、リリアンとサリの間に沈黙が流れた。
――でもそれは、何故か暖かいもので。

「どちらにしても、ここにいる人間は皆、何かしら心に傷を持っているんだと思うわ。だからこそ来るのよ」
「……サリさんも……ですか?」

リリアンがそう問うと、サリはまた、あの懐かしそうな微笑を見せた。
年相応に皺が入り、ふっくらとした顔だが、リリアンはその微笑を美しいと思う。

「息子がね、ここにいたのよ。亡くなったけどね」
「…………」
「リリアンちゃんも、なにかあるんでしょう?」
「ご存知……なんですか?」
「いいえ、でも、そうでなければ貴女の様な子がここには来ないでしょう」

リリアンは答えずにサリを見つめた。サリは続ける。

「何かは、聞かないわ。でもね、私のアドバイスを聞いて頂戴」
「…………」
「ここは、大きな家族の様なもの……私はそれで満足しているわ。でもね、リリアンちゃん、貴女も、それから……デーナも、まだ若いわ」
「サリさん……私は……」
「ちゃんと自分の家族も作れるのよ。デーナにも言いたい事だけど、どうせ聞いて貰えないでしょうからね」

サリはそう言うとまた一息置いて、リリアンを見つめた。
その視線は温かくて……甘えたくなる。そんな笑顔だった。

「だから、リリアンちゃんがデーナの事を好きだというなら、それは……素晴らしい事だと思うの。まぁ、あの子も頑固だから難しいでしょうけど、好きなら諦めないであげて欲しいの」

サリはそう言って、リリアンの頬に手を伸ばした。
まるで母親が娘にそうするように優しく数度撫でると、だんだんとリリアンの瞳が潤んでくる。

「……彼にはいつかきっと誰か、そんな女性が……現れると思います。私は、嫌われてます」
「そうかもしれないし、そうじゃないかも知れないわ。あの子がはっきり嫌いだって言った訳じゃないでしょ?」
「……いいえ、でも」
「なら、諦めないの。それとも、諦めちゃうの? 何のためにわざわざ私にまであの子の事を聞きに来たのかしら?」
「彼の事が知りたくて……」
「好きだから、じゃないの?」
「…………はい」
「諦めないでしょう?」
「見返りを求めている訳じゃないんです、今はまだ……好きになって貰おうとは思えなくて……。ただ、彼の為に何かしたいとは、思います」

そのリリアンの答えに――サリは満足したように微笑んだ。

 

「それでいいのよ、最初はね。私も協力するわ」

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