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言葉は、数ではなくて。

誤解も傷も、愛も喜びも
すべてが一つの言葉に溢れている。

 

Ce Silence 〜沈黙と沈黙のあいだ〜

 

リリアンの前に立っていたのは、デーナだった。
いつも通りの、冷たい表情でリリアンを見ながら。

「どこへ行くんだ」
その声に、ピクンと心臓が打つのを感じた。
言いたい事が溢れて来そうになったが、上手く言葉にならない。

「あの……ペキン大佐に呼ばれて食事に……」
「それで?」
「バスで行こうと……」
「ペキンには俺と行けと言われたんじゃないのか」
「そ、そうですけど」

デーナが寄り掛かっていたのは、彼の車だろうか。
濃い藍色の男っぽい車だ。いかにも彼らしい、そんな気がする。

「でも……きっとご迷惑だと思って」
「嫌ならそう言えばいい。別に強制はしない」
「い、嫌なんて……。ただ、本当にご迷惑を掛けたくないと思って……」
デーナはそのままの姿勢で、視線だけ車に移した。
乗っていってもいいという事なのだろうか?

リリアンは、恐る恐るデーナと車に近づく。
デーナはそれを見ると、運転席のドアを開け乗り込んだ。もちろん、リリアンの為にドアを開けたりはしない。
(…………)
この場合、自分は助手席に乗っていいのだろうか。
それとも、やはり後ろの席へ行くべきだろうか。
リリアンが迷っていると、内側からデーナが助手席のドアを開けた。

「早くしろ」
と、一言言って。

 

 

車の中は、比較的清潔で、そして、何もなかった。
もちろん、会話も。

リリアンは何から話していいのか分からなかったが、とにかく沈黙が苦しくて口を開いた。
「あの……ごめんなさい、迷惑でしたよね」
デーナはチラッとリリアンの方を見たが、答えなかった。
「それに……もう運転なさって大丈夫なんですか……? 肩は……」
「大した傷じゃなかった。運転くらいなら問題ない」
「そうですか……よかった」

そこまで言うと、また会話は途切れた。
そのまま、二人を乗せた車がスムーズに発進する。

何故……こうなってしまうんだろう。デーナは口数の多いほうではないが、かといって話すのが嫌いなタイプではない筈だ。兵士達やサリとはよく話しているし、ダンの様に愛想がいい訳ではないが、会話は上手いくらいだ。

だが、リリアンが相手の時は違う。
嫌われているのは分かるが……話もしたくない程なのだろうか。
だからといってひたすらの沈黙も苦しい。ペキン大佐の自宅まで、着くまで半時間はかかる筈だ。着いてしまったら、もう二人きりで話すチャンスは無いかも知れない。迷惑を承知で、リリアンは会話を続けた。

「あの、私……お礼を言わせて下さい」
「…………」
「ペキン大佐に、報告なさらなかったんですよね……? 先日大佐に呼ばれて、今夜の招待をされたんです。でも、彼はそれ以外は何も仰りませんでした」
リリアンは運転中のデーナの横顔を見た。
彼は前を見て運転しているだけだ。

「もちろん、私の為に言わないでくれた訳じゃないのは分かっています。でも……そのお陰でここに残れます」
「……なぜ?」
「え?」
「なぜ、あんたの為に言わなかったとは思わない」
「……?」
「あんたの為じゃなければ、一体何の為だと?」
「それは……」

今度はリリアンが言葉に詰まった。
デーナがペキン大佐に報告をしなかった理由。分からない。ただ分かっているのは、自分の為ではないだろうという事ぐらいだ。今更彼がリリアンの為に何かをしてくれる理由などないのだから。

「分かりません、でもホール・セリーさんも……本当は優秀な人でしょうし……」
「あいつは当分実戦には加えられない。いくら訓練で優秀でも、実戦で使えるかどうかは別の話だ」
「…………」

ホール・セリーが優秀かどうか。もしあの時、本当にホールがデーナに怪我をさせるつもりで撃ったのなら、確かに彼の腕は優秀だろう。
しかしいくら"腕" が優秀だからといって、それが兵士として優秀だということにはならない。信頼が出来なければ意味はないのだ。
ただ、確かにあの腕が惜しいのも事実だが……。

リリアンは何を言ったらいいのか分からないといった表情で、隣のデーナを見つめた。
大きな、宝石のような瞳。
いつも何かを訴えるように見つめてくる、真っ直ぐな瞳……。
デーナを苛立たせる、あの瞳だ。
目を合わせたくなくて、前を向いたまま言葉を続けた。

「他の兵士達は、俺とダンで出来るだけあんたに近づけないようにしてる。あれ以来何もないなら、問題ないだろう」
「じゃあ……」
いつかサリとフィラが、デーナがよくリリアンを見ていると言ったのは、そのせいだろうか。
「勘違いするな。あんたはカーヴィング指揮官の娘だ。俺達は全員彼に恩がある。それだけだ」

つまり、恩義があるカーヴィング指揮官の娘のため。彼の娘であるリリアンが残りたいのならそうさせてやろう、と―?

「勘違いなんて……しません。分かっています……でも、ありがとうございます」
「礼なら大佐にするんだ。兵士達を見張っておくように頼んできたのも、彼だ」
「それでも……ありがとうございます」

繰り返してお礼を言うリリアンに、デーナは顔を向けなかった。
相変わらず前を見たまま、運転を続ける。
ペキン大佐の家に着くまでの間、デーナは殆ど喋らなかったが、リリアンは沈黙が苦手なのか、一人で喋っていた。
厨房の様子や、仕事仲間のことを。
それについてデーナは答えなかったが、リリアンはそれでも不満を言うわけではなく、話し続けていた。

目的地のペキン大佐の自宅に着くと、リリアンはまた礼を言った。
「乗せて頂いてありがとうございます……すみませんでした」
「…………?」
何について謝られているのか分からなくて、やっとデーナはリリアンに顔を向けた。
「やっぱり迷惑でしたよね……? 帰りは、きちんと一人で帰れますから……うるさくしてごめんなさい」
「…………」
何かがデーナの口をついて出そうになったが、それがどんな言葉なのか自分ではっきり分からずに黙っていると、リリアンは自分で助手席のドアを開けて外に出た。

エンジンを落として、一人になった車内が急に暗くなった気がしたのは、気のせいだろうか。

また、あの夜のような……彼女の泣きそうな顔を見た、あの病院での夜……そんな、霧がかかったような、わずかな苛立ち。
それは、彼女を目の前にすると常にデーナが感じる感情だ。そして、必要以上に冷たくしてしまう。
そうしようと思ってするのではなく、何故かそうなってしまうのだ。
ただ、そうしないと、自分が自分で無くなってしまうような……そんな気がして。

 

一足遅れて玄関に向かうと、ペキンの妻、シーラが出てきた。
「まぁまぁ、まぁ、デーナ君ね! 怪我は大丈夫なの? 私服も素敵じゃない!」

綺麗にカールされた金髪が印象的な女性だ。昔はなかなかの美人だったのだろうと思わせる、整った顔をしている。
「大した事なかったんですよ。今夜は呼んでくださってありがとうございます」
「お礼なんていいのよ。にぎやかになって嬉しいわ。さあ、入って」


シーラがデーナを居間に案内すると、すでにリリアンはソファに座ってペキン大佐の娘と話をしていた。
ペキン大佐本人は、そんな二人の姿を目を細めながら眺めている。しかしデーナが入ってくると顔を上げた。

「来たな。英雄のお出ましだな?」
「今回はどうも。いいんですか、本当にお邪魔して」
「来てから言うな」
そう軽口を叩きながらも、デーナに席を勧めた。
デーナにとって、彼の自宅を訪れるのは初めてのことだ。礼の親睦会で妻のシーラとは何度も会っているし、娘の方も何度か見たことはある。
意外にも広く、とても華やかな造りの家だ。多分、シーラの趣味だろう。

「どうだ、我が家は。これでお前も、俺がただ執務室で埃を被っているだけの男ではないと分かっただろう?」
「思ってませんよ、そんな事」
「ふん、まぁ、どちらでもいい。お前には少し家庭の良さを分かってもらおうと思って呼んだんだ」
「……その話ですか」
「家族を亡くしたからといって、一生そのままでいる必要は無いんだ。これから自分でいくらでも築けるだろう」
「大佐」

デーナが厳しい視線を向けると、ペキンは肩をすくめた。
「年寄りの戯言だ。どうも俺もそんな年になってきた様でね。どちらにしても、家内がお前を呼びたかってたんだ」

ペキンはリリアンと自分の娘に視線を戻した。
「そうだ、まだきちんと紹介した事は無かったな。娘のクリスティだ。クリスティ、これは部下のデーナ・フレスクだ」
「お父さんったら、部下なんて言っても指揮官さんでしょう」
話しかけられて、リリアンと話をしていたクリスティは顔を上げた。
「こんばんは、娘のクリスティよ。親睦会に連れて行って貰った時に、二回くらいお目に掛かった事があったと思うけど……」
「ええ、覚えてますよ」

デーナがそう言うと、クリスティは嬉しそうに目を輝かせてデーナと話を続けた。
その間もクリスティはリリアンに話しかけていたが、デーナから彼女には何も話しかけなかった。
時々、またあの瞳が気になったが……。

しばらくするとシーラがエプロンをしたまま熱そうな鍋を持って現れた。
「みんな、お腹が減ったでしょう! 食事にしましょう、さあ、席について!」


綺麗にセッティングされたテーブルは、シーラが―今夜のホステスが―それだけこの夕食を楽しみにしていたのだという事が伺えた。
実際に、彼女は嬉しそうによく喋った。

「本当に嬉しいわ。最近、あまり人が集まってにぎやかに夕食をとる事が少なくなって……クリスティは大学の寮に入ってからあまり帰ってこないものだし」
「私にも勉強や付き合いってモノがあるのよ、お母さん。子供じゃないんだから」
「分かってるわよ、だからうるさく来いとは言わないの。でも、今夜は嬉しいわ。リリアンちゃんが来ると言ったらクリスティも来るし。デーナ君も居るしね」
「私はいいのかい……シーラ」
「嫌だ、あなた! もちろんあなたが一番だけど、たまには若い子が居るのがいいじゃない!」

大佐とシーラは、かなり仲がいいようだ。
どちらかというと、大佐の方が彼女に尻に敷かれているように見えるが……。

「それに、リリアンちゃんとも久しぶりで嬉しいわ! 本当に綺麗になって……小さい頃から可愛かったけど、本当にびっくりしたわ」
「……ありがとうございます。シーラさんも変わらずお綺麗で」
「嫌ぁね! でもありがとう、嬉しいわ」

こんな調子で、食事中はシーラを中心に盛り上がった。
デーナはそれほど多く口を挟まなかったが、隣に座ったクリスティが色々話しかけてくるので相手をしていた。
シーラはリリアンを気に入っているのか、しきりに思い出話などをしていたようだった。

「どう、皆、美味しかったかしら? そろそろお茶にしましょうか」
食事もすでに終わりに近くなった頃。
夜も11時近くになっていた。シーラがお茶を勧めると、リリアンが言った。

「あの、ごめんなさい私……そろそろバスの時間があるので、お暇します」
「何言ってるの! せっかく来てくれたのに、もうちょっとお話がしたいわ。行きはデーナ君の車だったんでしょう? 送って行って貰えばいいじゃない。駄目かしら?」
シーラが言いながらデーナを見た。
デーナがリリアンを見ると、彼女が一瞬ビクッと震えたように見えた。

「でも、方向が違うでしょうし……迷惑になりますから……」

「方向? デーナ、お前、家はどこだ」
「テルの北東側です」
「リリアンちゃん、君はまだ同じ家に居るんだろう?」
「ええ……」
「確かテルの北だったろう。近いじゃないか」
「…………でも」
「俺は構いませんよ」
「でも、あの……色々とやらなくちゃいけない事があって、お先に……」

リリアンが少しうろたえ気味にそう言うと、ペキンが諭すように言った。

「駄目だ、こんな夜中に一人で。デーナ、今日はもういいから彼女を連れて帰れ」
「あらあら、残念ねぇ……。でも、用があるならしょうがないわね。また来てくれるかしら?」
「で、でも。本当に一人で大丈夫です、一本ですし……」
「いや。もし君に何かあったら、アレツに祟られてしまうだろう。デーナ」
リリアンが一人で立ち上がろうとすると、デーナも一緒に立った。

一通りのお礼と別れの言葉をペキンの家族に言うと、デーナとリリアンは外に出た。
外の風は乾いていて、冷たい。
季節は夏だが、乾いた空気のこの国は、いつも夜は涼しい。

来た時のように、デーナが先に運転席に乗ろうとすると、リリアンが口を開いた。

「あの……フレスク指揮官、私、本当に一人で帰れますから……」
「……大佐の話を聞いてなかったのか?」
「分かっています……でも、本当に大丈夫ですから……」

車の一歩手前で立ち止まっているリリアンは、ひどく儚げに見えた。
何かに怯えているようにも……。

一度空けかけたドアを閉めなおし、デーナはリリアンに向き合った。

「嫌なのか?」
「違います……もう、迷惑は掛けられませんから……」
「あんたに何かあったら、大佐はカーヴィング指揮官に祟り殺されて、俺は大佐に殺されるよ」
「…………」
リリアンの瞳が、少し赤くなっているように見えた。

少し何かを考えるように立ち止まったままだったが、デーナが先に乗ると、彼女もおずおずと従った。

帰りの車の中。
今度は本当に静かだった。
二人とも何も喋ることなく、リリアンの家に着いた。小さいが、一軒家だ。

車を止めると、リリアンはドアを開けようとして、一瞬止まった。
ここまでの道はずっと何も言わなかった。行きの時の様に話しかける事もなく。
だが、ドアを開けようとしてデーナを振り返ると、一言だけ振り絞るように言って、出て行った。

"すみませんでした" ――と。

リリアンが家の中に入って行くのを見送り、家に明かりが点くのを確認する。

それを見届けるとデーナは車を走らせた。
「…………」
リリアンが自分に送られるのを嫌がった理由は、分かっていた。自分の態度だ。
あんな風に無視されれば誰だって嫌になるだろう。
何か彼女に言うべきだった。だが、言葉は出てこなかった。

あの、瞳が。
自分を見ると思うと、冷静で居られなくなる。
苛立ってくる。
それが、彼女に対してなのか、自分自身に対してなのか……。

(まるでガキだ……)

女性の扱いが苦手な訳ではない。
いつだって一線を引いて冷静で居られたのだ。

これからも、それでいいはずだ。
特別な存在は、作りたくない。

リリアンの事も……どちらにしても、もう彼女から話かけてきたりはしないだろう。

(それでいいんだ)

心の中の靄を消すように、車を走らせた。
夜の闇の中。それぞれの心の中にそれぞれの傷を抱えて。

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