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驚いた……。
なぜ……彼女がまだここにいるんだ……?

 

An Irritation

 

「おはようございます、あの、少し良いですか?」
意外にも、先に声を掛けてきたのはリリアンの方だった。
「ああ……」
デーナは自分でも信じられないくらいの間の抜けた声で、彼女の呼びかけに答えた。

「どういうことなんだ、帰るんじゃなかったのか?」
「お約束は……していません」
「あんたは……」
「フレスク指揮官の仰る事は……よく分かります。あの後、ちゃんと考えたんです。でも、やっぱり私はここを離れたくないんです」

厨房まで入ってきてもいい、という指揮官の特権を、デーナは今日始めて使った。奥のほうにいるサリ達が、こちらをチラチラ盗み見ようとしているのが分かる。

「それで、お願いしたい事があって……」
「何なんだ。ボディーガードの物真似ならあの件で充分だ」
「分かっています。そうじゃなくて……その、言わないで欲しいんです」
「は……?」
「あの、乱暴しようとした方……ホール、……ポール?」
「ホール・セラー」

確認するようにデーナがその名前を言うと、リリアンは頷いてその手できゅっと仕事着の裾を握った。

「はい、確かそうだったと……思います。あの時、除隊と仰ってたと思うんですけど……」
「当然だ。基地内で給仕係を強姦しようとして、そのまま居続けられるほどここは堕ちてない」

デーナが低く抑えた、しかし厳しい声でそう言うと、リリアンは少し怯むようにビクっとした。
けれどデーナから視線を外すことはない。
真っ直ぐにデーナを見つめたまま、控えめな声で続けた。

「でも……言わないで欲しいんです」
「……まさか本当に合意の行為だったのか?」
「まさか! 違います……! でも……」
「…………」
「今、あの人についてサリさんに聞いたんです。ちょっと素行は悪いけど、優秀な方だって……」

リリアンがそう言うと、デーナは少し宙を見上げた。
なんとなく彼女がこれから口にする事が分かって、気が遠くなる。

「あの夜は、私も不注意でしたし……私も悪かったと思うんです」
「それで……?」
「優秀な方がここから抜けてしまったら、大変でしょう? ここの兵士を育てるのに、沢山のお金や苦労が掛かっているはずです。ですから……」

本当にこれはアレツ・カーヴィングの娘なのだろうか……と、デーナはまじまじとリリアンを見た。カーヴィング指揮官は大らかだったが、現実的で、厳しい人間だったはずだ。その娘がこれ……。

「サリ達には言ったのか?」
チラチラとこちらを見ているサリを見返した。
「いいえ……怪我は、酔って転んだ事に」
リリアンの口元に小さな切り傷がある。幸い、あざはすぐにひいたようだ。

「あの男にはもう会ったのか」
「いいえ。……これから、出来れば彼ともお話しようと……」
「"お話" ?」
「二度とああいった事はしないで欲しいって、ちゃんと言うつもりです」

これは……今時、この国ではあり得ないほどの純粋さだ。

「それで、どうするつもりなんだ。向こうが、はい、分かりました、あの時はすみませんでしたと言うとでも?」
「それは分かりません……でも、ちゃんとお話しするべきだと思って」

だんだんと兵士が食堂に集まり始めてきた。
この分だとホール・セリーもそのうち来るかも知れない。――怪我で動けなくなっていなければ、の話だが。

「その"お話" とやらは止めておけ。話なら俺からしておく」
「でも……」
「いいか、あんたは本当に何も分かっていない。確かに奴は優秀だが、あまり信頼できる相手じゃない。快く思っていない連中も多いんだ。軍議に掛けられるなら、かえって助かるくらいだ」
「そんな……」

デーナを見つめるリリアンの瞳が、何かを言いたげに揺れる。
こういう時の彼女は、意外なほど真っ直ぐで、強い視線を向けてくる。それはデーナにとって、今までに見たことのない種類のもので……"調子が狂う" とは、この事なのだと、まるで他人事の様に納得してしまった。

そして更に意外なことに、リリアンは一瞬だけ躊躇の色を見せたものの、言葉を続けた。

「でも、私が訴えなければ、それは成立しないはずです」
「確かに。訴えるつもりはないという事か?」
「……もし同じ事がまた起これば、その時はもちろん訴えます。でも、今回は私も不注意だったと思うんです」
「…………」

 

――その時、だった。

リリアンの体が、ビクッと震えた。
ハッと上げた彼女の視線の先を見ると、あの夜に殴り倒した男、ホール・セリーが、食堂の入り口から入ってくるところだ。
デーナにもリリアンが身体を硬くするのが分かる。

怯えるのも無理はない。相手はつい数日前に彼女を襲おうとした男だ。しかも、彼は憎々しいくらい涼しい顔をして入ってきた。
そしてホールは厨房の方へ視線を向けると、それがデーナとリリアンの視線とかち合う。
そしてまた、あの端正な顔を歪ませるように、二人に向かって皮肉っぽい微笑を見せた。

「どういう神経をしてるんだ、あの男は……」
どうやら反省の色はないらしい。リリアンが訴えるつもりは無いということは、まだ知らないはずだ。だとしたら、別に除隊になっても構わないと思っているか――。
――どちらにしても、この少女が敵う相手ではない。

「あんたは仕事に戻れ。あいつには俺が話を付けておく」
デーナはそういうと、リリアンの返事を待たずに、そのまま大股で食堂へ歩いていった。

 

「その傷は?」

挨拶もせずに、デーナはホールに近づくと尋ねた。
ホールの顔の目の下と、顎の辺りには大きなアザができている。
ホールは悪びれもせずに答えた。

「実は、休暇中に近所のバーで飲んでいたら喧嘩に巻き込まれたんですよ」
「へぇ、あんたの様なのを殴れる奴がいるんだな」
「外だったんで、油断してたんですよ。女もいたし」

デーナとホールが立ったまま睨み合う。
だんだんと人が集まり始め、食堂はガヤガヤと賑わい始めている――。

「座って話しましょうか、指揮官」
「ああ……」

そう言って、2人はすぐ傍の椅子を引いて向かい合って座った。
陰険な2人の雰囲気を察したのか、周りの席にはあまり他の兵士は寄り付かない。

「説明してもらおうか」
「何をです?」
「あの夜の事だ。会議に掛ければあんたは除隊になる」
「でも、彼女はどうせ訴えないでしょう」
「――なぜそう思う?」
「するのならすでにあの夜に出来たでしょう。指揮官である貴方も、大佐も、全員あそこに居たんだから」
「それで……?」

デーナが問うと、ホールはまたあの独特の嘘っぽい笑みを浮かべた。

 

「あの女もまんざらじゃなかったって事でしょう。急だったから驚いていただけで、あれで結構喜んでいたんですよ」

ホールの口調は、まるで勝ち誇った者のそれだ。
二人の間に、一瞬の沈黙が流れる。

「――つまり、余計なお世話だったって事です」
そう付け足すと、ホールは席を立ち、他の兵士達と一緒に食事を取る列に戻った。

リリアンが仕事をしながらも、心配そうにこちらをうかがっているようだった。

しばらくするといつも通り、ダンが現れ、厨房にいるリリアン達と何かを話している。リリアンはそれに、慌てて何かを言っている様だった。
――多分あの夜、急に居なくなった理由を説明しているのだろう。

 

その姿に――。
デーナは今まで感じたことのない苛立ちを覚えて、きつく拳を握った。

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