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第五章: ひみつの真珠

 

「来て……って言っても……あの」

突然の真の願い出に、真珠は驚いた。
しかも、現実味のない提案の気がして……口篭る。

「……どういう意味、ですか?」

そんな真珠に、真はまだ、真面目な視線を向けたままだ。

『もちろん、無理にとは言いません。貴女が嫌なら、いいんです』
「嫌……では。でも、どうやって……?」
……そして、どうして? と、そう、真珠がおずおずと訊いた。
真は、少し考える様に真珠の顔をじっと見ると、ゆっくりと説明しだした。

『昨夜、話しましたよね、僕が貴女のことをずっと想っていたことは』
「…………!」

真のその、真っ直ぐな言葉に、真珠は言葉を失う。
(こ、この人はどうして……)
嬉しいのか、恥ずかしいのか。そんな複雑な気分で、しかし、された質問に答えるように小さく頷いた。
真もどこか、照れたように微笑み、言葉を続ける。

『それで……その、渡したい物があるんです。この状態で……自分もいつどうなるか分からないし』
そういって真は一息ついた。

『後悔は、したくないんです』

 

 

こっそりと窓から抜け出す。
しかも真夜中に。

こんな事をしたのは、真珠の18年の人生の中で初めてだった。
最初はひどく緊張したのに、いざ飛び出してしまうと、今まで味わった事のないような開放感がする。

『出来るだけ安全な道を使いますから。といっても、この辺はとても治安がいいですけどね』

真はそう言って、一歩下がってついて来る真珠を気遣うように見た。
――確かに真の言うとおり、英家のあるここはいわゆる高級住宅街で、真夜中でも危険とは無縁だった。
が、真は慎重に、周りに注意しながら歩いていた。
周りから見れば――といっても、人っ子一人いないのだけど――真珠は1人で歩いている。真も気をつけなくてはと思っているのだろう。

(わ、私……何してるんだろう、夜中に勝手に……人の家に上がろうとしてるのよね?)

真に熱っぽく言われ、つい承諾してしまった。
彼の部屋に行き、"贈りたい物" を受け取ってほしいと――

「あの、でも……どうやって中に入るんですか? それに、お母様もお部屋にいらっしゃるんでしょう?」

道すがら、気になっていたことを聞いてみる。
真はものには触れられないようだし……母である百合絵にも、彼は見えていなかった。という事は、百合絵からは真珠が1人で部屋に来たように見えるはずだ。

『合鍵が隠してあって……でも、必要ないと思います。母なら分かると思いますから』
「分かる……?」

突然、今日初めて会った息子の婚約者が尋ねてきて――しかもこんな時間に――、私には貴女の息子の幽霊が見えます、彼に言われて来ました……と言えという事なのだろうか。それで、彼女は納得する……と……?

真珠が考える様な顔をしていると、真はそれを察したのか説明した。

『大丈夫です。最初は母も驚くとは思いますが、こういう事を信じやすい質なんです』
「はあ……」
そう言われてしまうと、それ以上何を言える訳でもなくて、真珠はとりあえず頷いた。

そして、こうして夜中に秘密で外へ抜け出したという開放感が――
今は、少し冒険をしてもいいのではないかという気にさせた。

今まで、こんな気持ちを味わった事はなかった。
ただ両親に言われるように生きてきて、それ以上もそれ以外も、何も知らなかった。
恋も愛も冒険も男のひとも……本の中以外では触れたことさえなく。

それが今、突然こうして、目の前にある――

恋や愛と呼べる気持ちかどうかは分からないけれど。
目の前にいる真に、好意は抱いている。
そして彼と家を抜け出して、夜の道を歩く……。少なくとも真珠にとっては、それは今までの人生で一番の冒険だった。

(……真さん、か……)

目の前に居る――"居る" と呼んでいいのか分からないけれど―― 真を、真珠はあらためて見据えた。
背が高くて……短く揃えられた黒い髪……綺麗な横顔……

(目が覚めたら……本物もこうなの……?)

もし彼の目が覚めて、元気になって、お見合いをする事になったら。
どんな感じがするのだろう。彼は今のまま、優しいままで、だけど、触れられるようになる――

ドクン、と。
そんなことを考えていると、真珠の心臓が高鳴った。

(何……だろう、これ……?)

――それは、初めて感じる鼓動。
緊張とも違う。興奮でもない。でも、胸が高鳴る……そんな。
一歩前を行く真の横顔を見ながら、真珠は頬を染めた。

その鼓動の、意味さえきちんと掴めないまま。それでも身体は正直に、芽生え始めた感情を、素直に見せはじめていて……

 

 

真の言うとおり、鍵は必要なかった。

真珠――と、真―― が部屋のある建物に辿り着くと、その扉の前で煙草を吸っている女性の姿があった。
それは見間違えるはずもない、真の母、百合絵だ。
真珠に気が付くと、煙のたつ煙草を持ったまま、目を見開いた。

「英、さんのお嬢さん……?」
綺麗な二重をくりくりとさせながら、百合絵は夢でも見ているのかという感じで、そう言った。

「は、はい……。あ、あの……夜分遅く、申し訳ありません……」

何と言っていいのか、とりあえず真珠の口からとっさに出たのは、そんな挨拶の言葉だった。
次の言葉を捜しあぐねていると、真が真珠にささやいた。
『本当の事を言って下さい。多分、彼女は信じると思いますから』
「え、ええ……」

真珠が真の言葉に頷いて答えると、百合絵は怪訝な顔をした。
――当然だ、彼女には真が見えていないのだ。おまけに、こんな時間に突然尋ねて。
しかも、独り言まで言っているのだから。

「どうしたんのかしら……こんな遅くに。お父様は知っていらっしゃるの?」
百合絵のそんな質問に、真珠はただ小さく首を振った。

「いえ、父は知りません……。でも私、その、お話したいことが……」
「……?」
「し、信じて頂けるかどうか分かりません。でも……真さんが、貴女なら信じてくれるって……」

百合絵が怪訝な表情をますます濃くした。
真珠は逃げ出したいような気分になったが、隣の真は大丈夫だと言うように 頷いている。

「……"真さん" って……会った事があったのかしら? あの子は、まだ話をした事さえなかったと言っていたのだけれど」
「はい、あの……彼が事故に遭うまでは、私も一度も話したことがなくて……でも」

しどろもどろに話す真珠を見ながら、百合絵はまだ怪訝な顔のままだった。
だがそれでも、真剣に聞いてくれているのだという事は、分かって。真珠は必死で言葉を探した。

そして――
確認するように隣の真を見上げると、彼はまたもう一度頷いた。
それに揺れる決心を後押しされて。真珠はゆっくりと言った。

「実は事故があった夜、初めて逢ったんです、真さんと……。今も、――すぐ隣にいます」

 

――それを聞いたときの百合絵の表情は。
ただ、驚いているというだけではない。まるで、長い間迷子だった自分の子供をやっと見つけた、母親の顔だった。
――実際に、ある意味そうなのだけれど。
驚きながらも、今にも涙を落としそうな表情だった。

「……本当、なの……?」
震えた声で、百合絵はそう訊いた。

「はい、信じて貰えるかどうか分かりませんが、真さんが事故に合われた日の夜、突然彼が現れて……」
「…………」
「最初は、私も驚きました。けど……沢山お話もして、それで」

そこまで言って、真珠はどう先を続けていいのか迷った。ついまた、答えを求めるように真を見上げてしまう。

『言って下さい。祖父様と同じ事かも知れない、と』
そんな真珠に、真は優しくそう言った。

意味は、分からなかったけれど。
それでもそれはきっと、百合絵には通じるのだろうという事は、感じられた。

「お祖父様と同じことかも知れない……って、真さんは言っています」

真珠がそう言うと、百合絵は燻らせていた煙草をはらりと落とした。
しばらく無言で真珠をじっと見つめて……そしてゆっくりと、その瞳から一筋の涙を流した。

 

 

「その祖父様というのはね、あの子の……真の父方の祖父なのよ」

あの後。
百合絵は真珠を部屋に招き入れた。
しかも今は、お茶まで用意してもらっている。突然夜中に訪れた上に驚かし、ここまでしてもらうのは気が引けたが、百合絵の方はあまり気にしていないようだ。

そして優しく、真珠に話を始めた。

「私達一家は、旦那の……真の父の仕事で外国にいたの。それがね、ある日突然、日本にいるはずのその祖父が、私の目の前に現れたの」
「……え?」
「私にとっては彼は義父でしたけど、とても可愛がってもらっていてね。それが突然……」

真珠はお茶を受け取りながら、百合絵の話に耳を傾けていた。
真は、その傍で立ちながら、ただそんな2人を見ている。

「"百合絵さん、日本に少し帰ってきてくれないか" と言ってね、それで消えてしまったの。夢かと思ったけれど、でもどうしても気になって、真だけ連れて一時帰国する事にしてたのよ。周りは、旦那も含めてただの幻想だって言ったけれどね」

「……それで……?」
「それで、日本に着いたら、なんとその祖父様は心臓の発作を起こして入院した所だったのよ。電報は私達と行き違いで、旦那のもとに届きました」
「…………」
「誰も信じてくれなかったわ。もちろん、当然と言えば当然ですけれどね。祖父様も、その後目を覚ましたけれど、覚えていなくて」

そう言って、百合絵は悪戯っぽく微笑んだ。
……日本人女性がする感じの微笑とは少し違う。外国が長いせいだろうか、百合絵の仕草やしゃべり方は真珠にとってとても新鮮だった。

「それを信じてくれたのは、まだ小さかった真だけ……だったの」

今度は真珠が百合絵の話に驚く番だった。
――確かに、今の真の状況と……同じといえば同じ……なのだろうか。

「それで……信じてくださるんですか、私の言う事を……」
真珠が遠慮がちに、おずおずとそう聞くと、百合絵はまた微笑んだ。
「貴女と真の言う事を、です。それに、貴女の様な良いお嬢さんが、1人でこんな時間に抜け出す事を考え付くとは思えないし……。あの子が言い出したのでしょう? ごめんなさいね」
「い……いえ……」
今更になって、真珠は頬を赤く染めた。
自分が大胆な事をしているのだと、今更ながら思い知らされたような気分で。

百合絵はそんな真珠を、慈しむように見つめた。
「それで、あの子は何か言ってるかしら。私に言いたい事でも……?」

そう言われて、真珠は真を見上げた。すると今まで黙っていた真が、どこか恥ずかしそうに微笑みながら、真珠に耳打ちする。

『心配を掛けて悪かったと……。ただ、あまり余計な事を貴女に言わないようにと言って下さいますか』
「…………!」

何もない空間を見つめながらますます頬を染める真珠を、百合絵はどこか面白そうに眺めていた。

「はい、その……心配を掛けて悪かった、と。それから……余計な事は言わないで欲しいと……仰ってます」
「……まあ」
「……すみません」
「なぜ貴女が謝るの? こちらこそ申し訳ないわ……愚息が迷惑を掛けてるみたいで」
「いいえ、そんな事は……こちらこそ突然お邪魔して」

……そんな、奇妙な会話がしばらく続いた。
真の声は直接 百合絵には届かない。
真珠を介することになるのだが、真珠も口下手で恥ずかしがっているため、一種の"意訳" になる。

奇妙で、そして温かくて、何よりも切ない……
そんな時間を、3人はしばらく過ごした。

 

 

そして。どの位時間が経ったのだろう。
まだ夜が更けるには早い。しかし、充分に遅い時間だ。
正直、真珠はこんな時間まで夜更かしすることは滅多になかった。逆に、百合絵は慣れているような感じだ。

会話を楽しみながらも、どこかうとうととし始めた真珠の肩を、百合絵は気遣うようにさすった。

「そろそろ帰らないと大変なのではないかしら? 送りますから、戻りましょう」
「い、いえ……1人でも」
「駄目ですよ。こんな若いお嬢さんを。真には、目が覚めたら怒ってやらないといけないわ」

そう言って、2人が立とうとした。
その時。

『真珠さん、すみませんでした、こんな時間に。ただ最後に1つだけ、いいですか』
「はい?」
『母に言って、机の引き出しの中にある包みを、出して貰ってください。……それが、渡したかった物です』
「……え」

真珠と真が会話していると、百合絵はそれを不思議そうに見つめた。

「どうしたのかしら、真が何か……?」
「……はい、あの……机の引き出しの中にある包みを……出して欲しいと」
「…………?」

そう言われて、百合絵は"何かしら" と言いながら溜息を吐いて机の方へ向かった。
真の仕事用の机らしく、沢山の書類や本が並んでいる。そこに備え付けられている引き出しを、百合絵が探り出した。

『自分の母親にこれをさせる事になるとはね……』
そう、小さく真は呟いた。

しばらくすると、百合絵が何かを見つけたようだった。

「これの事かしら、聞いてもらえるかしら?」
『そうです、それですよ』
「……そうだと、仰ってます」
「あら、まあ」

百合絵は見付けたその包みを大切そうに持って、真珠の傍へ戻ってきた。

「これは、あちらでは有名な宝石店の品なのよ。あの子ったら、余程 貴女とのお見合いを楽しみにしていたのね」
「え……」
「私からでごめんなさいね。本当はあの子が目が覚めたら直接渡すべきでしょうけれど……」

そう言って百合絵は、その包みを真珠に手渡した。

――白い基調の、重厚な紙箱だ。
金色の文字が印刷してある。……確かに、高価そうなものだ。真珠は驚いて真を見上げた。

「わ、私に……?」
『そうです、それを渡したくて、今夜は無理を言ってしまいました。すみません』
「でも……受け取れません、こんな……」
『貴女を想って買ったんです。貴女が嫌なら、捨てますけど……』
「そ、そんな……!」

大体、真が何を言っているのか想像が付くのだろうか。
百合絵はそんな真珠と、その傍にいるであろう真を見ながら儚く微笑んだ。

「もらって下さると嬉しいわ。私達がこうして今夜会えた証拠にも……。あの子の目が覚めたら、きっと良い思い出になるわ、そうでしょう……?」

そう言った百合絵の瞳が、僅かに潤んでいる事に気が付いて。
真珠はまた我に返った。

――そうだ、まだ分からないんだ……
真が助かるかどうか。
これからどうなっていくのか……

気丈に振舞ってはいたが、百合絵は誰よりも心配している筈なのだ。

真珠は手元に渡された包みと、真と、百合絵を交互に見た。
そして、その包みを愛しそうに胸に抱くと、静かに言った。

「……頂きます。ありがとうございます……」
『……どういたしまして』

そしてそのまま包みを抱えたままの真珠を、真が覗き込んだ。

『開けないんですか?』
「え? ほ、本人の目の前で……ですか?」
真珠が驚くと、真があぁ、と喉を鳴らした。
『……そうでしたね、日本ではこうなんでしたね。でも、向こうではこういう時、本人の前で開けるものなんですよ』
「まあ……」
『嫌じゃなければ、是非』
「…………」

そう言われて、一瞬は戸惑った真珠も……百合絵と真の好奇の目に負けて、おずおずと包みを開けだした。

「…………!」

白い紙箱に、丁寧に包まれていたそれをゆっくりと開ける。
出てきた"それ" を見て、真珠は声にならない声を出した。

「まぁ、素敵ね。貴女を想ってえらんだんでしょうね、きっと」
百合絵が覗き込んでそう言った。

けれど真珠はまだ、声も出せないまま……。

 

それ は、真珠の首飾り。
金の上品な鎖から、まるで雫のように一粒。

純白の"真珠"。

 

――これが恋なのか
――これが誰かを愛するということなのか

まだ分からない。
分からなかったけれど、でも。

先の見えない不安と、目の前に居る優しい2人、そして受け取ったばかりの美しい真珠の首飾りと……

胸が苦しくなる。
そして説明の出来ない熱い想いが、溢れてきて。

 

気が付くと涙が溢れていて、止まらなかった。
そんな真珠の肩を、百合絵は優しく抱いて……その夜は過ぎていった。

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