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第三章: そして疑惑は確信へ

 

遠い遠い、異国の話。
いつか行ってみたい、でも、きっと叶わない……
真珠がそう思っていた世界を、真は沢山知っていた。

倫敦の町並み、巴里の女性達……

真珠にとって本の中だけだった世界が、真の口から語られると、何故か身近なものに感じられて。

 

その夜、"話でもしませんか" と提案した真に、真珠は頷いた。
きっと何か、難しい話か、この現状について話すのだと思っていたけれど、それはなかった。代わりに、真は真珠に選択権を与えた。

『何のお話がいいかな』
――と言って。

「それは……真さんのお好きなように……」
真珠が控えめにそう言うと、真は少し驚いたような顔をして、首を傾げた。
『いえ……僕にそんな話すような大層な事はないんですよ。唯の真面目な外交官ですから……女性に気に入って貰えるようなことは、何も』
「……いえ、そんな」
『そうだな、真珠さんの……学校での事などはどうですか? 楽しいですか、大学は?』

「は、はい」
『…………』

真珠が短く返事をすると、それだけで会話は途切れてしまった。
すると真は、また、少し困ったような顔をした。

話す事が、苦手な訳ではない。特に女同士では、真珠は話をする事は好きだった。
しかし、男性とこうして2人きりで、面と向かって話をする機会は、殆どない。あったとしても、学校の教授、父の仕事相手など、決まりきったものだ。
そして、彼らはほぼ全員、いつも自分の事ばかり喋った。内容は大抵遠まわしな自慢話で、真珠はただ頷いて"凄いですね" とでも言っておけばよかったのだ。彼らも、女性の真珠が自分の意見を言うのを好まなかった。

だから……戸惑ってしまったのだ。こうして、真珠に質問してくる真に。

『すみません、つまらなかったかな。もう、休んだ方がいいかも知れませんね』
「え……」

真はそう言うと、真珠の部屋に掛かっている時計に目をやった。
まだ、それほど遅い時間ではない。真が、途切れてしまった会話に気を使ってそう言ったのだという事は、すぐに分かった。

「あ、あの……」
『はい』

はしたないかも、知れない。
そうは思ったけれど、同時に、この人なら大丈夫かも知れないと……本能的に思った。"人" と呼んでいいのかどうかは、謎だったけれど。

「……真さんのお話が、聞いてみたいです」
『は?』

咄嗟に聞き返されて、真珠は少し恥ずかしくなってうつむいた。そして下を向いたまま、小さな声で呟くように言った。
「あの……真さんは外国にいらしゃったんです よね……?」
『? はぁ、まあ……』
「その……お話を、聞いてみたい、です」
『…………』

俯いたまま小さな声でそう言った真珠に、真はすぐに答えなかった。そのかわり、驚いたような顔をして、俯いている真珠を見た。
「ご、ごめんなさい、嫌ならいいんです」
その視線に気が付いて、真珠がますます小さくなった。そしてその反応に、ますます真が驚いたようだった。

『……謝らないで下さい、いいですよ。ただ、少し驚いてしまっただけです』
「すみません、はしたなくて……」
『そういう事じゃないですよ。その、貴女には興味ない事だろうと思っていたので』

そう言うと真は、優しく笑った。
それに安心したように、真珠は顔を上げる。

『そうだな……とりあえず、立っているのも疲れるでしょうから、座りましょうか』
「……疲れます、か?」

『いえ僕は、そういう感覚は……。でも、女性を立たせたままにしておくのは忍びないので』
「え……」
『すみません、椅子を引くこともしてあげられませんが……』
そう言って、真は真珠が立っている場所のすぐ傍にある、机と椅子を指した。

言われた通りその椅子に座りながら、真珠は調子が狂うのを感じていた。

(こんなに優しい人 だったなんて……)
またしても、今の彼を人と呼んでいいのかどうかは、疑問に思ったけれど。
でもまさか、自分の婚約者が、こんな人物だとは思いもしなかったのだ。父のお気に入りだと聞いていたから、きっと、その父と似たような人だろうと、漠然と思っていた。
優しくない訳ではないけれど、厳しくて硬い、そんな人だろうと。

それが、目の前にいる真は、優しくて柔らかくて。
真珠が今まで接してきた男性とは、まるきり違った。

真も、すぐ傍にある椅子に腰掛けた。
「…………?」
『いえ、必要はないんですけど……。この方がいいでしょう、立ったままじゃ説教でもしているみたいで』
そう言いながら、優しく微笑んだ。それにつられて、真珠もつい、笑ってしまった。
真珠のその笑顔をみると、真は安心したような、嬉しそうな顔をした。

『じゃあ、そうだな……何から話しましょうか』

 

 

いつの間にか、眠ってしまった。
真珠が目を覚ますと、椅子に座ったまま机に突っ伏すように眠っていた事に気が付く。

(ああ……私、あのまま……)

むくり、と。ゆっくりと机から顔を離すと、肩からはらりと何かが落ちた。
「…………?」
肩から落ちたその"何か" に目をやると、それは厚く温かい毛布だった。

(……え、どうやって?)

床に落ちたその毛布の端を拾うと、昨日の記憶と一緒に、疑問が湧いてきた。

昨夜。
あれから真と話をして……いや、正確には真珠がただ真の話を聞いていただけだけれど……その後、いつの間にか眠ってしまったのだ。
椅子に座ったままで、結局着替えさえもしていない。
それなのに、毛布だけ――?

不思議に思って、辺りを見回す。しかし、部屋の中には誰も見当たらなかった。

「真……さん?」
真珠は、つい 声に出してしまった。
本当に、彼がここに居るかどうかは分からない。でも 何故か。その名前を呼んでしまった。

返事はもちろん ない。
部屋の中にはただ、真珠が一人佇んでいるだけで……。
外から僅かに、鳥の鳴き声が聞こえてくるだけだった。

(もしかして……)

夢だったのではないかと、思えてくる。
こうして朝になって、一人になって。やはりまた、突然の知らせに驚いた自分が見せた、夢。

でも……だとしたら、何故自分は机に突っ伏して寝ていたのだろう? この毛布は?

――いや、そもそも真の幽霊? が現実だったとしても、彼は物には触れなかったようだったけれど……。真珠に椅子を勧めてあげられないのを、残念がっていたし……。
それから、昼間は真珠には見えていなかったとも。

(もしかして……今もここに……?)

何故だか分からない。でも、そう考えたら、心臓が強く跳ねたような気がした。緊張の様でいて、何故か温かい胸の高鳴り――
初めて感じる、こんな感覚。

「真さん……?」
しつこくまた、声に出してしまった。

「昨夜はお話……ありがとうございました。楽しかったです、それと……」
そこまで静かに言って、手で掴んでいた毛布を、強く握った。

「これも……もし真さんだったら……ありがとうございます」

それが真に聞こえるかどうかは、分からない。そもそも現実だったのかどうかも。……もし現実だったとしても、まだ真がここに留まっているかどうかも確かではない。
それでも、真珠はつい、そう口に出して言ってしまった。

 

その後すぐに一階に下りていくと、母親が飛んできた。
「真珠さん、まあ、昨夜は驚いたわよ、机の傍で寝ていらしたものだから!」
「え……?」
珍しく声を大きな声を上げた母に、真珠は驚いて目を見開いた。

「昨夜はね、太郎が嫌に鳴くものだから、追いかけたのよ。そうしたら突然、二階に上がって真珠さんの部屋の前で鳴くのよ。どうしたのかと思って部屋を開けてみたら、あなたが机で寝てらしたのよ」

太郎、とは 英家が飼っている柴犬の子犬だ。
普通なら外で飼うが、まだ小さいので家の中に放し飼いにしてあった。

「お父様は真さんのお見舞いや仕事で疲れてらしたから、起こすわけにもいかなくてね。とりあえず毛布だけ掛けておいたんですよ。冷えなかったかしら?」
「お母様だったんですか?」
「ええ……私じゃあなたを床まで運べませんからね。でも、功労者は太郎ね」

そう言うと丁度、子犬が真珠と母の間に入ってきた。
母が、膝を曲げてその子犬の頭を撫でる。
普段はこれでこの子犬は無邪気に喜んだが、今朝は、ただされるがままにされて、何処か違う方向を睨むように見ていた。

「…………?」
最初は真珠を見ているのかと思ったが、違う。どこかもっと遠く、真珠の斜め後ろくらいだ。

(まさか……)

動物は、人に見えないものが見えると言う。だとしたら……
不思議な偶然に、やはり昨日のことは現実だったのかもしれないと―― そう、思えた。

 

それでもいつも通り学校へ行く。終えると、真珠はすぐに家に帰った。
どうしてか 夜が待ち遠しくて。

しかし家の中に入っていくとすぐに、父に呼び止められた。

「なんでしょうか、お父様」
呼ばれてすぐに居間へ出ると、父が、仕事に行くような背広のまま立っていた。

「真珠、帰ったか。すぐで悪いが、一緒に病院へ来てもらう」
「え!?」
「すぐに用意をしなさい。外に車を待たせてある」
「は、はい……」

病院……まさか……
真珠は急いで階段を上りながら、心臓が凍りつきそうな気分がした。
まさか何かあったのだろうか。容態が急変したとか……それとも……。

急いで用意を済ませると、父は何も言わずに、真珠と共に車に乗り込んだ。
普段なら、自分から父に話を切り出すことはしないが、この時ばかりは、真珠は黙っていられなかった。

「どうしたんですか……お父様、こんな時間に。まさか、真さんに何か……」
真珠がそう言うと、父は少し驚いたようだった。
「いや、容態は変わらない。ただ、先方の母方が見える事になったんだ」
「え……?」

先方の母方……
それはつまり、真の母親……?

「真君の家族はまだ皆、ヨーロッパに居る。父親はまだ来られないそうだが、母親の方が今日の飛行機で着いたそうだ」

それを聞いて、真珠の頭の中が真っ白になった。

(そういえば、家族でヨーロッパに居たって……)
昨夜、真が、いや 真の幽霊がそう言っていた。
やっぱり、辻褄が合っている。あの真の幽霊は……やっぱり本物だったのだろうか。
それが頭を真っ白にさせた原因の一つだが、もう一つは……突然、真の母親に会うことになったという事。

(こ……心の準備が……)

いや、真の母親どころか、真本人に会うのも、正確にはこれが初めてになる。
昨夜あれから、何時間も一緒に話したせいで、そんな気は全くしないけれど――

(昨夜……)
今日一日中、ずっと 昨夜の事を考えていた。
"話すような大層なことはない" と真は言っていたが、彼の話は、真珠にとって新鮮で、とても面白いものだった。
まだ真珠が訪れた事のない、世界の裏側の話。憧れていた世界。
それも面白かったが、それ以上に真珠を惹きつけたのは、真 本人。その人だった。

彼は、沢山話をしてくれた。
最初ははにかんでいた真珠だけど、優しい彼の口調に、いつの間にか もっと、と 話をねだっていた。
こんなことは はしたないと思っていたのに。いや、今でも思っているけれど、真の前だと、何故かそれが自然に出来た。真も、それを楽しんでいるようで。

しかし彼は、それでも、自分の自慢話のようなものは一切しなかった。
ただ、真珠を楽しませるために話してくれたようで、自分の話は必要以上は全くしない。
それは真珠にとってとても新鮮で、そして――

そんな彼が、心から離れなかった。
もちろん、こんな状況……誰だって、動転するはず。
頭から離れなくなるのは、当然だろう。

でも、違う。
そんな事ではなくて……
もっと、心の奥の方が 熱くて……

なんでだろう。 どうして だろう。そんな不思議な感覚がずっと、今日一日、真珠の心の中を閉めていた――

 

病院に着くと、病室前の待合室で、上品な女性が立っていた。
見知っている訳ではない。だが、真珠には彼女を見た瞬間、すぐにこの人が真の母親だと……分かった。

「英様……ですか?」
女性は真珠たちに気が付くと、顔を上げた。
父が近づくと、今度は頭を下げた。

「この度は……なんと申し上げたら良いのか……。出来ればこんな形でお会いしたくはなかったのですが」
そう言ってから頭を上げると、真珠の父と挨拶をした。
お互い、真を通じて話は聞いていたが、顔を合わせるのは初めてだったようだ。

一通りの挨拶を済ませると、真の母は真珠の方を見た。

「こちらが……?」
「そうです。真珠、挨拶をしなさい。こちらは真君の母君の、百合絵さんだ」
「真珠です。あの……不束者ですが、よろしくお願いいたします……」

真珠が頭を下げると、百合絵と呼ばれた真の母は、複雑な顔をして小さく首を振った。
「顔を上げてくださいな。貴女の事は、真から聞いていました。出来れば違う形でお会いしたかったけれど……」

顔を上げて、と言われて、真珠はゆっくり前を見た。
百合絵が、儚げに微笑みながら、真珠を見据える。
「想像していた通り、綺麗なお嬢さんだわ。ここに真も居れば……どんなに嬉しいか……」

綺麗な女性だと……百合絵を見て思った。
真に似て ―遺伝的には、逆だけれど― 少し日本人離れした、彫りの深いはっきりとした顔立ち。

「こちらこそ……」
――想像していた通り、綺麗な人だと……
真珠はつい、そう言いそうになってしまった。

「え?」
と、百合絵に驚いた声で聞き返されて、真珠はハッとした。
真と真珠は、まだ一度も会った事がないことになっているのだ。

「い、いえ……お写真を拝見したので……似ていらっしゃると思って……申し訳ありません」
真珠は慌てて付け加えた。
確かに正確には、真とは一度も会った事がないのだけれど……。

真珠がそう言うと、百合絵は更に儚げな、悲しげな微笑を見せた。

(真さん……)
もしかしたら彼は……ここに居るかも知れない。
私達を今も、見ているのかも知れない。こんな風に悲しげに微笑む自分の母親を……。
そう思うと、心が痛んだ。

「それで、真君の容態は……」
「それが、変わらないままですわ。医師は峠は越えたと仰いましたが、まだ油断はならないと……」
「そうか……」
父が深く溜息をついた。
そして、真珠の方に振り向く。

「こんな形で不本意だが……真君に会っておいた方がいいだろう」
「え……お、お父様……?」

そう言うと父は、ゆっくりと病室の方へ歩いた。
こういう時、真珠は反対したり口を挟んだりすることは出来ない。父親の言う事はいつも絶対で、必ず従ってきた。

カチャ……という小さな音がして、病室のドアが開く。
真珠は、父の後をついて行こうとしたが、途中で足が止まってしまった。

つい、百合絵のほうへ顔を向けると、彼女もどうぞという様に、病室の方を指した。

(……真、さん)

 

それに導かれるように、真珠はゆっくりと 病室に足を踏み入れた。

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