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第一章: 初めての出会い・・・

 

――それは はなぶさ 真珠しんじゅ、18歳の冬の出来事。

 

「真珠さん、ちょっといいかしら。お話があるの」
突然、そう声を掛けられて、真珠は読んでいた本から目を上げた。

「はい? なんですか、お母様」
「ここでは少し話し難いわ。ちょっと居間まで降りてきて頂戴」
「……はい」

そう言うと、真珠を呼びに来た母は、もと来た廊下へ消えていった。
後には、何故呼ばれたのか分からない真珠が、ぽつねんと残される。

(珍しいわね……こんな時間に)

そうぼんやりと考えたが、この家では口答えは許されない。呼ばれたのなら、言われた通りに行かなければならないのだ。

はなぶさ家は、長いこと伝わってきた名家だ。
先の終戦によって、経済的な豊かさは失われてきたが、それでも名のある家系である事に変わりはなかった。
都会の郊外の一角に、まだこの辺りでは珍しい洋館を構え、父は未だに地方の名士として名が通っている。

真珠は、その英家の一人娘だった。
幼い頃から厳しく躾けられ、交わる友達でさえ決められて 箱入りとして育ってきた。
まるで籠の中の小鳥のように。

読んでいた本にしおりを挟み、机の上に大切そうに置く。
その本の表面を、愛おしそうに細い指でゆっくりとなぞった。
本――それは、籠の中に入れられた真珠にとって、唯一、外の世界と繋がれるもの。
外の世界を知り、感じ、夢見る事が出来るもの……。

真珠は名残惜しそうに本から手を離すと、言われたとおり、ゆっくりと居間へ降りていった。

 

 

部屋の中央に掛かる、大きな肖像画が印象的なその居間には、すでに父と母が応接用のソファに腰掛けていた。
居間に入ってきた真珠を見ると、2人とも神妙な顔付きになった。

「お父様、お母様、どうなさったんですか?」

真珠がそう言うと、父は厳かな口調で言った。
「とにかく座りなさい。大事な話があるのだ」

言われるままに、真珠は2人の向かいにあるソファに腰をかけた。
父は、何か言いたげだが、同時にどう言っていいのか考えている様に、その大きな手を揉んだ。
真珠が不思議そうに首を傾げると、意を決したようにゆっくりと喋りだした。

「真珠、お前に許婚いいなずけがいることは分かっているな」
「はい……お父様」

その通り、真珠には18歳にして既に、婚約者がいた。
そうは言っても会ったこともない、話をしたこともない、そして顔さえ見たこともない相手であったが――
1年ほど前から言い渡された事で、外の世界を知らない真珠にとっては、賛成するでもない、反対するでもない……ただ「そう」 なのだ。
父が決めた事なのだから ただ 言われたとおりにそうなる。
それ以上でもそれ以下でもない。そんなものだった。

「実は大変な知らせがある。そのお前の許婚……まこと君が、事故にあったらしいのだ」
「え……!?」
「何でも今朝早く、仕事に出る途中だったらしい。意識不明の重態で、都内の病院に運ばれたそうだ」
「…………」

真珠は、何を言われているのか一瞬分からなかった。
意味が分からないというのではなく、あまりに突然の事で、現実として据えられなくて。

「それは……大変でしたね」
とりあえず、そんな言葉だけが真珠の口から出てきた。
それに対して、父は怪訝な顔をする。

「大変? それだけか? 将来、お前の夫となる者が意識不明の重態なんだぞ」
「それは……でも、急な事で……」

「あなた、突然の事ですもの。真珠もどう言っていいか分からないだけですわ」
父の隣に控えめに座っていた母が、父をなだめるように言う。

「確かに。とにかく、今は私達に出来る事はあまりない。真君は今、病院で治療を受けているそうだ。ただ、必ずしも助かるかどうかは分からないらしい」

まだ、真珠は黙ったままだった。
本当に、何と言えばいいのか分からない。あまりにも現実味がなさすぎて。

「もし助かれば……いや、もちろん助かって欲しいのだが……見舞いに行こう。お前はまだ真君の顔さえ見ていなかったな?」
「それは、年が明けたらと」
「そうだ、年が明けてから正式に見合いをさせるつもりだったんだが、こうなってしまってはな」
「……そ、そうですか」
「とにかく、今の私達には何も出来ない。そのうちまた病院から連絡が来るだろうから、用意しておきなさい」

「はい、お父様」

 

そのまま、部屋に戻ることを許可された真珠は、またゆっくりと階段を上っていった。
自分の部屋に帰ると、机の上に乗った本に目がいった。

(そんな……急に……)

自分の婚約者が事故にあって意識不明だと。
そう言われて、どうして考えていいのか分からなくなった。

(でも……)

何もかも、現実味がない。
顔さえ見たことがない相手なのだ。想像しようにも、何の映像も浮かんでこない。
知っている事といえば、相手の名前が 長瀬ながせ まこと ということ。長い間海外留学をしていた、将来有望な外交官である事、だけだ。

父が、いつの間にかどこかで見つけてきた。
年が明けたら正式に見合いをする予定だと言われていたので、その頃には会えるのだろうと、写真さえ見ていなかった。

薄情かも知れないけれど、真珠にとってはまるで、遠い世界の関係ない人の出来事のように思えた。
突然「事故」と聞かされた時は驚いたが、それは、相手が真だったからという訳ではない。
事故の話など聞かされれば、相手が誰であろうと、驚くのは当然というものだ。

本当に、真珠にとってはその程度の、あまり現実味のない話だった。
しばらく ぼおっと窓を眺めていると、気分も落ち着いてきて、またいつの間にか本を読み出した。

そして夕刻になり、夕食があり、入浴を済ませ……また少し本を読むと、眠りについた。
いつも通りに。
真珠にとって、日常は変わらなかった。

その、夜まで――

 

 

すぅ……と、何かが頬に触れるのを感じた。

優しくて、温かくて すこしくすぐったい。
そんな感覚。

「…………」

それに、真珠はゆっくりと目を開けた。

外は、まだ暗い。
月の明かりだけが、ゆるやかに窓から流れ込んでいる。まだ、深夜だろうか。周りは静かで、ただ、時計が時間を刻む音だけが響いていた。

しかしその静寂を遮るように、大人の男の声が、真珠の部屋に響いた。

『起こしてしまったかな……なんてな。気付く訳がないのに』

「…………?」
聞いたことのない声。
しっかりとした、大人の男の声だ。

(夢……?)

真珠は、まだはっきりとしない頭を支えるように、ゆっくりと上半身を起こした。
……今、声が聞こえたような気がするのだけど。
そう思って、部屋を見回す。

いつも通りの、自分の部屋だ。
夢だったのだろうか。夢にしてはひどく、現実味のある声だったけれど。

そう思って、また横になろうとした時だった。

「…………!」
自分のベッドの脇に、あり得ないものを発見して、真珠は弾かれたように姿勢を正した。
いや、「もの」ではない……「人」だ。しかも、男の――!
男が一人、真珠のベッドの端に腰掛けて、彼女を見詰めていた。

「あ、あなた、誰ですか!? こんな夜中にひ……人の部屋……っに!」

真珠が、ありったけの力を込めて言った。
しかし、突然の事に驚きと緊張が混じって、上手く声にならない。

口をパクパクさせていると、そのベッドの脇に座った――そう、真珠が寝ていたベッドの脇に、腰をおろしている――その男が、驚いた顔を見せた。

『え、まさか……僕が見えるの……か……?』

その男が言った。
しかしそれは、真珠に語り掛けるというより、彼が彼自身に対して喋っているような感じだった。

「み……み見えるって……あ、当たり前っです……でで、出て行ってく、下さいっ……!」

突然、目が覚めたら目の前に知らない男が。
しかも自分が寝ているベッドの脇に腰をかけて。この分でいくと、さっきの頬に触れた「何か」は、彼だ。
驚きとショックで震えている真珠を、その男は、不思議なものを見るような目つきで見ていた。

『しかも……聞こえるのか? 僕が言っていることが……?』

そう言いながら、その男は近づいてきた。
そして、ゆっくりとその手を真珠の顔へ向ける。

「……っや!」

ビクン、と。
その男の手が頬に触れた瞬間、真珠が跳ね上がった。
男に触れられた事など、無かったのだ。父でさえ、成長してからは肌と肌を触れ合う事は無くなった。

あまりの事に。
あまりに突然の事態に、真珠は震えだした。
逃げ出したい。大声を出して助けを求めたい。……それなのに、この体も喉も言う事を聞かなかった。

そんな震える真珠の姿を見て、男が困った顔をした。

『まいった……まさか見えるなんて思わなくて……。ごめん、怖がらないでくれ。何もしないから』

優しい、大人の男の声が響く。
彼は、そう言うと 体を離し、真珠から距離を置いた。

『その、急な事で驚くかも知れないけど……話を聞いてくないかな』
「は、話……って……」

その男は、ベッドから離れてゆっくり立ち上がると、何かを考えるように口元にその手を置いた。

『実は僕自身もまだ、はっきり事情が分かっている訳ではないんだ。ただ……自己紹介だけさせて下さい』
「なに……を……」

彼はゆっくりと顔を上げ、真珠を見据えると しっかりした声で言った。

『僕は、長瀬 真 と申します。知っているかどうかは分かりませんが……貴女の夫になる予定の者です』

 

夢、だ。
突然の知らせを受けて……動転した自分が見せた、夢。

真珠はそのまま気を失うと、倒れるようにベッドに埋もれた。

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