/Four Seasons/Paradise FOUND Index/掲示板/ |
遠いおとぎ話のように、この花の楽園で語られる物語を、聞くといい。 でも、覚えておいで……これは夢物語ではない。
Paradise FOUND: Paradis des Fleurs 1
「もう今日で、貴方たちともお別れなのね」 爽やかな風がなびく草原に、ぽつりと立ったか細い少女の傍には、一匹のロバと、白と茶の混ざった犬がいた。 別れを惜しんでいるのは少女だけではないらしく、ロバも犬も、名残惜しげに少女へ鼻先を押し付けて、悲しく鳴いている。 「大丈夫よ、いつかまた会える。彼は王様だもの、きっとこのハールの土地まで馬車で送ってくださるわ。そうやって時々、里帰りをするの」 そしてそれが、思ったより遠くへとなってしまっただけで…… 「この草原の花ともお別れ、ね……首都にもあるかしら。種を持っていったら咲くのかな」 "四季の美しい草原よ――小高い丘に広がる私の楽園" "あなたの為に私が歌った、この歌を忘れないで" 少女はこの地方に長く伝わる民謡を、声高く歌った。 「フローラ! 出発の時間だ、早く来なさい!」 丘の下へ目を移すと、兄と父がフローラの為の馬を控えて立っているのが見える。 少女は最後に、まだ鳴いている二匹の頭を優しくなでると、素早く丘を駆け下りた。 しかし……なぜ王ともあろう者が、髪の色だけで妻を選ぼうというのか……フローラにも、フローラの家族にも、さっぱり分からなかったけれど。
*
小気味よく、規則正しい蹄の音をたてながら歩く馬の背に揺られて、フローラは王都への道を進んだ。 かたわらには年長の兄が、供として乗馬している。 兄の馬は茶色の雄で、フローラのものはもう一回り小柄な、黒の雌馬だった。 「フローラ、くれぐれも陛下に粗相の無いようにするんだぞ。気性の荒い方だともっぱらの話だ」 王都へと続く森中の道を、二人はゆっくりと進んでいた。――数日掛りの登城だった。 ――あれはたった半月ほど前、貴族とは名ばかりで、先祖から残された土地で細々と農畜を営んでいるフローラの家に、煌びやかな王の使者がやって来たのだ。 「ここ数年、王陛下は全く女性を遠ざけるようになられたそうだ。以前はとても精力的な方だとの噂もあったが……」 そう、兄の説明どおり……彼らの住む大国ジャフの王は二年ほど前から、大陸一の好色家との噂から一転、今では自らの後宮にさえも近付かない女嫌いへと激変したという話だった。 王都の貴族たちと違い、フローラの一家は王家の事情には疎い。 「"金髪青眼の娘ならば、考えてやらぬ事もない" ――か。一体どういったお心なのか」 そんなジャフ王モルディハイの、唯一の望み……いや、妥協点が、"金髪青眼" だというのだ。 しかし大陸の中にあっても肌色が濃く、黒髪黒眼が多いジャフ国内で、これは難題であった。 汲々と暮らしている地方の貧乏貴族に、貢ぎ物付きのこれを、断れるはずもなく。 「大丈夫、私……頑張るから。昔から王子様に憧れてたの、兄さまも知っているでしょ?」 自然の多い田舎で、下手に貴族の一人娘として育ったものだから、フローラはかなりの純粋培養で、童女のように純朴な娘だった。 「きっと素敵な方よ、分かるもの。小さい頃に一度だけ遠くからお見かけしたことがあるわ。燃えるような瑪瑙の瞳が、とても綺麗だった」 「そうであることを願うよ……」
兄妹を乗せた馬が王宮へ辿り着くと、門番たちが代わる代わる二人を尋問した。 どこから来たのか、何故従者を付けていないのか、王宮に知人はいるのか――云々。 赤絨毯を敷いての盛大な歓迎を期待していた訳ではないが、后候補というからにはもう少し、華のあるものなのかと思っていたのだ。それが城門での対応は、まるで不審者扱いだ。 期待と不安が同じくらいに天秤の上で揺れていたフローラの心は、今、大きく不安の方へ傾き始めた。 「さあ、姫さまはこちらで身支度をなさって下さいませ。殿方は失礼ですが、控え室でお待ちを」 宮殿の中に入ると、そそくさと現れた女中連中が、フローラの手を引いた。 「きゃっ!」 最後にきゅっとコルセットを締め上げられて、慣れないフローラは短い悲鳴を上げた。 そして、小一刻後。 薄い青のドレス、一糸の乱れもなく漉かれた髪、胸元の宝石。 「これならば……もしかすれば、少しはいけるかも知れませんわね」
*
西の大国、ジャフ―― 強大な軍事力を背景にした、王家による独裁政治が敷かれた国だ。 どんな悪評にも関心一つ払わず、ジャフの現王家はしぶとく存続している。 燃えるような赤毛と、赤みがかった瑪瑙色の瞳で飾られた、傍若無人の獅子王。 一時は大陸一の好色家として名を馳せた。彼の後宮には当時、何百、何千を数える愛人達が抱えられていたという。 それが豹変したのは約二年前…… これがまた奇妙な戦争で、戦闘そのものは一両日で終わってしまっている。 しかし――王の心の中を除いては。 それがフローラをはじめ、一般の市井の人々の知る、大雑把なモルディハイ像だった。
フローラはごくりと息を呑んだ。 すぐ傍に立つ兄も、同じように息を呑んだのが聞こえる。 ジャフ宮殿、王の謁見の間――それは、この世の贅を全てそそぎ込んだような豪華絢爛な広間だった。 そこに集う人々もまた、派手な衣装に身を包んでいる。 兄妹はその始まりにいた。 「王の御許可が下りた。さぁ、進みなさい」 緊張した声で兄が答え、二人はゆっくりと謁見の間を縦に進んだ。 婦人たちが、口元に扇子をあてて、何かを囁いている。 「フローラ、お前は綺麗だよ。連中など気にすることはない」 恨めしいほど長い絨毯を進み終えると、その先には、金の装飾をされた豪奢な椅子に座った、赤の王がいた。 「あ……」 それは、フローラが幼い頃一度だけ見た青年が、大きく成長した姿だった。 ――恋をした訳ではなかった。 あれからすぐに王の急死があり、すでに青年だったモルディハイは新しく王位に就き、フローラには雲の上の人となった。 それが…… 「お前が、金の髪を持つという娘か」 モルディハイのよく通る声が、広間に響いた。確かに重厚な男の声であるのに、どこか少年のような高い響きが捨て切れていない、不思議な声だ。 「は、はい! フローラと申します……この度はお目にかかれ、この上なき幸せにございます」 フローラはまた急いで顔を上げた。 玉座の前にあった、五段ほどの階段を、王自らがその足で下ってくる。 モルディハイはフローラの目の前まで来ると、くっとフローラの顎を片手で持ち上げ、その瞳をのぞき込んだ。 乱暴で、放漫でさえあるのに、素早い野獣の動き――だ。 「目の色が違うな……」 「え……」 そう、フローラの瞳の色は、正確には青ではなかった。 周囲の、モルディハイを除く全ての人々が、二人の様子を見て息を呑んでいた。 しかし次にモルディハイの口から紡がれた言葉は、その誰もの予想を裏切った。 「まあいい、タリーの慰みくらいにはなろう……娘、お前は今日から私の妹の飼育係だ」 ――飼育、係? 「後宮に余っている部屋を与えよう。ただし、私の妻になろうなどという下らない考えは、一切持たないことだ」 王の取り巻きたちが一斉にざわざわと声を上げはじめた。が、モルディハイは、それだけ言うとさっさとフローラから離れ、玉座に戻った。 (な、な、な……) 頑強な騎士たちに引きずられながら、フローラは呆然とした。 謁見の間から外へ放り出されて呆然としていたフローラ達に、とある年配の男が、息を切らせて駆け寄って来た。 彼は、フローラと兄に追い付くと、なぜか突然、大きく安堵した笑顔を見せて言った。 「フローラ殿と申しましたな。これは素晴らしい、貴女は遂に王のお心を掴まれたようだ!」 ――兄がもっともな抗議をした 「いいえ、いいえ、こうして王の前に立たせて無傷で謁見の間から出られたのは、貴女が初めてですよ、フローラ殿」 年配の小男は、頭をふりながら、両手を上げて降参の格好をした。 「しかし貴女は、タリー様に近付く機会まで得られた。どうも未来に希望が持てそうですよ……多少ながら」
*
それは甘くて苦くて、どこか、奇妙なこと。 この花の楽園で、太陽が昇っていくように確かに、でもゆっくりと、変わっていく貴方を見るのは…… |
/Index/Next |