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遠いおとぎ話のように、この花の楽園で語られる物語を、聞くといい。

でも、覚えておいで……これは夢物語ではない。
時に苦く、時に甘い、楽園の真実。

 

Paradise FOUND: Paradis des Fleurs 1

 

「もう今日で、貴方たちともお別れなのね」

爽やかな風がなびく草原に、ぽつりと立ったか細い少女の傍には、一匹のロバと、白と茶の混ざった犬がいた。

別れを惜しんでいるのは少女だけではないらしく、ロバも犬も、名残惜しげに少女へ鼻先を押し付けて、悲しく鳴いている。
長く伸びた少女の金髪が、そよ風に揺れて、光った。

「大丈夫よ、いつかまた会える。彼は王様だもの、きっとこのハールの土地まで馬車で送ってくださるわ。そうやって時々、里帰りをするの」
――本当に心からそう信じられるほど、少女は子供ではない。
少女は今年十九になる。いつか、いつかと先延ばしにしていたことが、遂に現実となっただけだ。

そしてそれが、思ったより遠くへとなってしまっただけで……

「この草原の花ともお別れ、ね……首都にもあるかしら。種を持っていったら咲くのかな」
少女は膝を折り、足元の小花をすくった。そこから種のある房を幾つか摘まむと、腰に下げてあった子袋に入れた。
そして立ち上がる。

"四季の美しい草原よ――小高い丘に広がる私の楽園"

"あなたの為に私が歌った、この歌を忘れないで"

少女はこの地方に長く伝わる民謡を、声高く歌った。
今まで、この歌の本来の心を知らなかった……しかし今なら分かる。きっと少女と同じように、遠くへ嫁がなければならなくなった女が、故郷を想って謡った歌なのだろう。

「フローラ! 出発の時間だ、早く来なさい!」
遠くから兄の声がして、少女は歌を中断した。

丘の下へ目を移すと、兄と父がフローラの為の馬を控えて立っているのが見える。
花の娘、フローラ……それが少女の名前だった。

少女は最後に、まだ鳴いている二匹の頭を優しくなでると、素早く丘を駆け下りた。
長い金髪が、空にベールを描くようになびく。
――この髪の色が、フローラを王都へ導いたのだった。確かにジャフではとても珍しい色ではある。

しかし……なぜ王ともあろう者が、髪の色だけで妻を選ぼうというのか……フローラにも、フローラの家族にも、さっぱり分からなかったけれど。

 

 

小気味よく、規則正しい蹄の音をたてながら歩く馬の背に揺られて、フローラは王都への道を進んだ。
かたわらには年長の兄が、供として乗馬している。
兄の馬は茶色の雄で、フローラのものはもう一回り小柄な、黒の雌馬だった。

「フローラ、くれぐれも陛下に粗相の無いようにするんだぞ。気性の荒い方だともっぱらの話だ」
「兄さまったら、それはもう、数え切れないほど聞いたわ」
「言い過ぎる事なんて無いと思うんだよ。なにせ、うちのような小さな地方貴族の娘に王家からお声が掛かるとは……」

王都へと続く森中の道を、二人はゆっくりと進んでいた。――数日掛りの登城だった。
あわい木漏れ日が視界に降りそそぐ。
(明るい……)
フローラは太陽の眩しさに目を細めながら、王宮からの使者が来た日を思い出した。

――あれはたった半月ほど前、貴族とは名ばかりで、先祖から残された土地で細々と農畜を営んでいるフローラの家に、煌びやかな王の使者がやって来たのだ。

「ここ数年、王陛下は全く女性を遠ざけるようになられたそうだ。以前はとても精力的な方だとの噂もあったが……」

そう、兄の説明どおり……彼らの住む大国ジャフの王は二年ほど前から、大陸一の好色家との噂から一転、今では自らの後宮にさえも近付かない女嫌いへと激変したという話だった。

王都の貴族たちと違い、フローラの一家は王家の事情には疎い。
風の噂としてそんな話を聞いたことがあって、ああ、それでは世継ぎはどうなるのだろうなと、周囲と同様の心配をぼんやりとした程度だった。
それが――

「"金髪青眼の娘ならば、考えてやらぬ事もない" ――か。一体どういったお心なのか」

そんなジャフ王モルディハイの、唯一の望み……いや、妥協点が、"金髪青眼" だというのだ。
この条件を満たすジャフの娘がいれば、結婚し、世継ぎを作ることも考えてやらぬでは無いと、そう言って王宮を震撼させたという。

しかし大陸の中にあっても肌色が濃く、黒髪黒眼が多いジャフ国内で、これは難題であった。
そこで、一体どこからどうやって聞きつけたのかは分からないが、見事な金糸の髪を持つフローラの存在を知った王宮が、彼女を王の后候補にと、使者を送ってきたのだ。

汲々と暮らしている地方の貧乏貴族に、貢ぎ物付きのこれを、断れるはずもなく。
――おまけにフローラはすでに十九歳。貴族の娘としては、適齢期も後半に入り始めていた。
そこに王宮からの輿入れ話……

「大丈夫、私……頑張るから。昔から王子様に憧れてたの、兄さまも知っているでしょ?」
「お前が憧れていたのは、張り子の、作り物の空想の王子だろう。こちらは生身の王陛下だ。お前の夢見ていた相手とは違うんだよ!」

自然の多い田舎で、下手に貴族の一人娘として育ったものだから、フローラはかなりの純粋培養で、童女のように純朴な娘だった。
魑魅魍魎がはびこる王宮で、このフローラがどうやって生きていくのか……
兄としては、すでに胃に穴が開いた思いだ。

「きっと素敵な方よ、分かるもの。小さい頃に一度だけ遠くからお見かけしたことがあるわ。燃えるような瑪瑙の瞳が、とても綺麗だった」
澄んだ妹の声に、兄は首をふりふり、盛大な溜息を漏らした。

「そうであることを願うよ……」

 

兄妹を乗せた馬が王宮へ辿り着くと、門番たちが代わる代わる二人を尋問した。

どこから来たのか、何故従者を付けていないのか、王宮に知人はいるのか――云々。
兄が王宮からの紋章付きの手紙を見せると、やっと納得したようで、警備兵の先導と共に入城が許された。
こんな対応から……どうも、フローラ達は別に珍しいものではなく、ただの来客の一つであるらしいことが分かった。

赤絨毯を敷いての盛大な歓迎を期待していた訳ではないが、后候補というからにはもう少し、華のあるものなのかと思っていたのだ。それが城門での対応は、まるで不審者扱いだ。

期待と不安が同じくらいに天秤の上で揺れていたフローラの心は、今、大きく不安の方へ傾き始めた。
(もしかして、金髪青眼なんて沢山いたのかしら……)
自分は、多くの候補の一人でしかなかったのか。それとも家来の一人が勝手に決めただけで、王その人は乗り気ではないのか――

「さあ、姫さまはこちらで身支度をなさって下さいませ。殿方は失礼ですが、控え室でお待ちを」

宮殿の中に入ると、そそくさと現れた女中連中が、フローラの手を引いた。
待てと口を挟もうとした兄は、しかし、警備兵に簡単に引き剥がされてしまう。
フローラは一室の豪華な女性部屋へ入れられると、まさに問答無用の手際のよさで、湯に入れられ、服を着替えさせられ、香を炊かれた。

「きゃっ!」
「息を吸うのですよ!」

最後にきゅっとコルセットを締め上げられて、慣れないフローラは短い悲鳴を上げた。
それも否応なく、さっさと仕上げられていく。
結い上げられていく紐がくすぐったくて声を上げようにも、女中達はお構いなしで手を休めなかった。

そして、小一刻後。
最終的に鏡の前に立たされたフローラは、見た事もない淑女に仕上げられていた――

薄い青のドレス、一糸の乱れもなく漉かれた髪、胸元の宝石。
北国から来た母の血を濃く受け継いだフローラの繊細な美貌が、嫌というほど映える、洗練された衣装だった。

「これならば……もしかすれば、少しはいけるかも知れませんわね」
女中の一人がそう囁いたのを、フローラは聞いた。

 

 

西の大国、ジャフ――

強大な軍事力を背景にした、王家による独裁政治が敷かれた国だ。
その評判は良いものより悪いものの方が圧倒的に多かったが、なにぶん、この世には数の論理というものがある。力のあるものこそが勝つ、という真理も。
広大な領地と、大陸一の人口を抱えたこの国に、逆らえる者など誰もいなかった。

どんな悪評にも関心一つ払わず、ジャフの現王家はしぶとく存続している。
その頂点に立つ者――それが現王、モルディハイだった。

燃えるような赤毛と、赤みがかった瑪瑙色の瞳で飾られた、傍若無人の獅子王。

一時は大陸一の好色家として名を馳せた。彼の後宮には当時、何百、何千を数える愛人達が抱えられていたという。
この辺りは、それを男の甲斐性として好むジャフの国民性から、誇張して伝えられている可能性がある。だから実際はそれ程ではなかったにしろ、モルディハイは禁欲とは程遠い至極奔放な男だった。

それが豹変したのは約二年前……
ジャフの中央から見て北東辺りに位置する小国、ダイスとの小競り合いの戦争が起きてからだった。

これがまた奇妙な戦争で、戦闘そのものは一両日で終わってしまっている。
夜には引き分けとして散り散りになり、それ以来、両国は国交を断絶していた。大国ジャフにとっては、全く小規模な争いで、一年も経つ頃にはすっかり風化し始めてい た。

しかし――王の心の中を除いては。

それがフローラをはじめ、一般の市井の人々の知る、大雑把なモルディハイ像だった。

 

フローラはごくりと息を呑んだ。
すぐ傍に立つ兄も、同じように息を呑んだのが聞こえる。

ジャフ宮殿、王の謁見の間――それは、この世の贅を全てそそぎ込んだような豪華絢爛な広間だった。

そこに集う人々もまた、派手な衣装に身を包んでいる。
今はフローラだって、生まれてから身に付けてきた中で最も華やかなドレスを着ている。しかしそれでも埋もれそうだった。
謁見の間は細長い造りになっていて、入り口から真っ直ぐ中に向かって赤絨毯が敷かれている。

兄妹はその始まりにいた。
――ここを進んだ先に、モルディハイ王がいるのだ。

「王の御許可が下りた。さぁ、進みなさい」
「は、はい!」

緊張した声で兄が答え、二人はゆっくりと謁見の間を縦に進んだ。
両脇には貴族や政治家と思わしき人々がいて、長椅子に腰を掛けてお喋りに興じていたり、生真面目に立っていたりする。どちらにしても、彼らは揃ってフローラ達を興味深く眺めていた。

婦人たちが、口元に扇子をあてて、何かを囁いている。
男たちが口の端を歪めて嫌な笑いを見せてくる――

「フローラ、お前は綺麗だよ。連中など気にすることはない」
――そう兄が囁いてくれなかったら、フローラは怖気づいてしまったかもしれない。

恨めしいほど長い絨毯を進み終えると、その先には、金の装飾をされた豪奢な椅子に座った、赤の王がいた。

「あ……」

それは、フローラが幼い頃一度だけ見た青年が、大きく成長した姿だった。
生まれて初めて来た王都で、ちらりと一目見ただけの、即位前の赤い瞳をした青年王子がモルディハイだった。王の凱旋行進があり、モルディハイもそこにいたのだ。

――恋をした訳ではなかった。
ただ、振り向かない父王を真っ直ぐ見つめる彼の瑪瑙の瞳が、遠くから見ていただけのフローラの目を捕らえて離さなかった。なぜか、とても美しく見えたのだ。
何かを渇望しているような切ない瞳が……忘れられなかった。

あれからすぐに王の急死があり、すでに青年だったモルディハイは新しく王位に就き、フローラには雲の上の人となった。

それが……

「お前が、金の髪を持つという娘か」

モルディハイのよく通る声が、広間に響いた。確かに重厚な男の声であるのに、どこか少年のような高い響きが捨て切れていない、不思議な声だ。
フローラは慌てて頭を下げた。

「は、はい! フローラと申します……この度はお目にかかれ、この上なき幸せにございます」
「ご託はいい、顔を上げろ」
「は……」

フローラはまた急いで顔を上げた。
すると、玉座に座っていたモルディハイが、バサリと派手な音を立てて立ち上がった。――金に縁取られた赤のマントが、王の背を舞う。

玉座の前にあった、五段ほどの階段を、王自らがその足で下ってくる。
(何を――)
と、声にする時間さえ、なかった。

モルディハイはフローラの目の前まで来ると、くっとフローラの顎を片手で持ち上げ、その瞳をのぞき込んだ。

乱暴で、放漫でさえあるのに、素早い野獣の動き――だ。
フローラは身動きできなかった。
そして、ずいぶんと長い時間、その瑪瑙の瞳に見つめられていた気がする。次第に広間がざわついてきた。

「目の色が違うな……」
モルディハイは言った。

「え……」
「これは青ではない。もっと深い色だ――赤味がかって、濃い」
「これは……」

そう、フローラの瞳の色は、正確には青ではなかった。
もっと深い色……薄い紫(むらさき)をしている。
これは使者も家族も懸念していた。広義の青ではあろうが、モルディハイの求めているものとは、少し違うのではないかと……。

周囲の、モルディハイを除く全ての人々が、二人の様子を見て息を呑んでいた。
ある者は残酷な笑いを浮かべ、ある者は怯えている。
何が起こるのか――モルディハイが気に入らない者をどんな風に切り捨てるか、皆、知っているからだ。

しかし次にモルディハイの口から紡がれた言葉は、その誰もの予想を裏切った。

「まあいい、タリーの慰みくらいにはなろう……娘、お前は今日から私の妹の飼育係だ」
「え」

――飼育、係?

「後宮に余っている部屋を与えよう。ただし、私の妻になろうなどという下らない考えは、一切持たないことだ」

王の取り巻きたちが一斉にざわざわと声を上げはじめた。が、モルディハイは、それだけ言うとさっさとフローラから離れ、玉座に戻った。
そして、まるで邪魔だとでもいうように、しっしと片手でフローラ達を払う仕草をした。
忠実な騎士たちが、それに従い、フローラと兄を謁見の間から連行する。

(な、な、な……)

頑強な騎士たちに引きずられながら、フローラは呆然とした。
今、何と言われた? ――飼育係?

謁見の間から外へ放り出されて呆然としていたフローラ達に、とある年配の男が、息を切らせて駆け寄って来た。
服装から、何か要職に就いた政治家なのだろうと予想される、人の良さそうな小男だ。

彼は、フローラと兄に追い付くと、なぜか突然、大きく安堵した笑顔を見せて言った。

「フローラ殿と申しましたな。これは素晴らしい、貴女は遂に王のお心を掴まれたようだ!」
「何を!? 今しがた、飼育係と言われたところでしょう!」

――兄がもっともな抗議をした
しかし、年配の男はまだ嬉しそうに顔を綻ばせたままだ。

「いいえ、いいえ、こうして王の前に立たせて無傷で謁見の間から出られたのは、貴女が初めてですよ、フローラ殿」
「「は?」」
「前の娘は、髪を染めていたことがすぐにばれ、その場で王の剣によって無残に髪を切り落とされました。その前は何だったか……そうだ、『王の為なら死ぬ事もいといません』 と言った姫が、本当に剣を振りかざされ、泣いて逃げましたな」
「「…………」」
「もっと話はありますが、どれも似たり寄ったりで」

年配の小男は、頭をふりながら、両手を上げて降参の格好をした。

「しかし貴女は、タリー様に近付く機会まで得られた。どうも未来に希望が持てそうですよ……多少ながら」

 

 

それは甘くて苦くて、どこか、奇妙なこと。
この花の楽園で、太陽が昇っていくように確かに、でもゆっくりと、変わっていく貴方を見るのは……

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