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再会はひそやかに。
二人だけの楽園で羽を休めて、夢を見よう。

 

Paradise FOUND: Une aile au Paradis..

 

朝の光に照らされたシーツの波間から、柔らかい金の髪と、透き通るほどの白い肌がのぞく。
寝顔はあどけなく、呼吸に合わせて小さく上下する胸元は、神秘でさえあった。

それはまさに天国の情景と呼んで相違なく、ジェレスマイアは胸に湧き上がる愛しさを、隠そうとも制御しようとも思わなかった。
――たとえ思ったところで、成功するとは思えないが。

「エマ」
声を掛けると、ピクリと睫が揺れて、澄んだ青の瞳がゆっくり開かれる。

最初は、とろりとした視線で外の情景を追う、碧い瞳。それがやがて、夢と現実の境を理解して、ジェレスマイアの姿を捉える。
――エマニュエルはジェレスマイアを見ると、穏やかに微笑んだ。

「ジェレスマイアさん……おはようございます」
「おはよう」

そう答えながら、ジェレスマイアは自分の台詞に可笑しな気分になった。
おはよう、などと最後に誰かに言ったのはいつだったか……多分ジェレスマイアは、エマニュエル以外にこんな言葉を使ったことがない。
夜の相手が居なかった訳ではないが、こんな情緒的な関係は、後にも先にもなかったのだ。

「すまないが、今朝はもう政務に戻る必要がある。お前はまだ休んでいるといい……食事は運ばせる」

そう言うとジェレスマイアは立ち上がって、エマニュエルを見下ろした。
当のエマニュエルは一瞬、きょとんとした瞳でジェレスマイアの姿を追った。ジェレスマイアはすでに服を着替えており、王として人前に立つに相応しい威厳さえも、厳かに纏っている。

「もうお仕事、ですね」
枕に頭を乗せたまま、エマニュエルは甘く微笑んで言った。
「残念ながら――。しかし夜には戻ろう。お前は好きなように部屋を使うといい」
ジェレスマイアも微笑み返す。

二人の草原での再会から、今朝で三日という時間が流れていた。

その間の二人はといえば、ここ、ジェレスマイアの寝室で、お互いだけの時を共有していたのだ。
誰の邪魔も、外の喧騒もない、二人だけの時間。
しかしそれももう終わりを告げようとしている。こうして幸せな時を過ごせるのも、国の安泰があってこそだ。今はもう一国の王として、政務に時間を譲る必要があった。

ややあって、エマニュエルは身体を起こすと、ベッドを降りてジェレスマイアの前に立った。

「あ、あの、これ……」
急に頬を桃色に染めて、エマニュエルがジェレスマイアの袖を引っ張る。揺れる青の瞳が何かをねだっているのだということを理解して、ジェレスマイアは少し上半身を傾げた。

「どうした?」
「これ、いつもお母さんがお父さんにしてて、私もやってみたかったんです」
「何を――」

問いを終わらないうちに、エマニュエルは踵を上げて、それは小動物のような素早い仕草で、ジェレスマイアの頬にちゅっと唇を当てた。

「いってらっしゃい……」
そう甘い声で言って、極上の柔らかい笑顔を見せる。

――その瞬間、王と呼ばれる男の中で『何か』 が弾けて散っていった。
人はそれを、自制心とか、忍耐とか呼ぶだろうか。

 

 

結局その日、王の寝室の扉が開いたのは昼も近くになってからだった。

「ジェレスマイア様! 信じていました、今日こそは出ていらして下さると!」

開け放たれた扉からジェレスマイアが出てくると、前で待機していたマスキールが駆け寄ってきて、これ以上ないほどの安堵の顔を見せる。

「あれからもう三日になります――王は気分が優れないのだ何だとなんとか言い繕ってきましたが、もう限界です。昼の議会には出ていただけるのですね」

それは質問ではなく、懇願だった。
マスキールはすでにジェレスマイアを議室へ導く体勢で、いそいそと先を進もうとする。対してジェレスマイアは、元々足早であるのだが、自身の速度を保った。

「――出来るだけ早急に、婚儀の準備を始める」

回廊を進む中、ジェレスマイアは唐突に言い放った。
それはまた至極当然の、今から昼食の準備を始めろとでも言うような王の口調で、マスキールは目を点にして振り返った。

「へ、陛下? それはまた……その、どちら様の……?」
「私の、だ」
「そそそれは! ジェレスマイア様、お相手は、エマニュエル様で……!?」

マスキールの質問に、ジェレスマイアはあからさまに眉間に皺を寄せる。そして短く、しかしはっきりと答えた。

「他に誰がいる」
「い、いえ……しかし……こういった重大な決定には、時間というものが必要で……」
「だから早急に始めると言ったんだ。何も明日式を挙げるとは言っていない。一月後で構わん」
「一月(ひとつき)!」

マスキールの裏返った声が、王の間の回廊にこだました。
それもそのはず――このジェレスマイアは、エマニュエルを失ってからもずっと、国内外の様々な縁談を断り続けてきたのだ。それでも何かと理由を付けて自慢の姫を王宮に送りつけてくる輩が多かったが、ジェレスマイアは彼女らを、まるでハエのように追い払ってしまっていた。
理由は、『私は生涯、誰とも結ばれるつもりはない』。

もちろんそれは、エマニュエルへの切ない想い故だった訳だが……
舌の根も乾かぬうちにとは、まさにこの事だ。

議会と貴族達の説得は困難を極めるだろう。
他にも、式場の選定、祭司の決定、隣国への知らせ、招待客選び、式の準備、その為の警備……文官マスキールの中に、一月分の空恐ろしい予定が組まれていく。

「……お気を変えるようなことは……ありませんね」
いくらかげっそりとした口調で、マスキールはジェレスマイアに聞いた。答えは分かっている……が、

「気を変えることがあるとすれば、それは唯一つ――もっと時期を早めろと言うくらいだろう」
「!」
ジェレスマイアの答えは、いっそ清々しいほどで、マスキールは思わず天井を見上げた。

「分かりました……すぐに手回しを始めましょう。努力させて頂きます……」

 

それが三日だったという時間の感覚さえ、エマニュエルにはなかった。
――ジェレスマイアと再会してから、今まで。

エマニュエルは初めて、ジェレスマイアの寝室を訪れていた。
広い部屋には、想像した通りの大きな四柱式のベッドと執務机、そしていくつかの実用的な調度が置かれている程度で、盛大な飾り付けはない。

しかし王の寝室と呼ばれるに相応しく、そこは外界からの騒音と切り離された落ち着ける空間で、二人きりの時を過ごすには最適の場所でもあった。

長く、遠く離れていたのがまるで嘘のように自然で、それでいて濃厚な、二人だけの世界。

そう、"世界" だ――
二人が一緒にいるとき、それは一つの世界の呼んでいいような、特別な空気が出来上がるのだ。

ジェレスマイアはエマニュエルを、文字通り、一瞬たりとも離さなかった。
その存在を確かめるように何度も繰り返される抱擁と口付けは情熱的で、共に紡がれる愛の言葉はいつだって優しかった。

次第に、エマニュエルもそれらに応(こた)えていくことを覚える。

(でも今日は、夜まで一人なのかな……)

今までならマスキールかギレン辺りがここへやって来てもいい頃だが、その気配はない。
一人残されたエマニュエルは、あらためて部屋の周囲を見回した。すると、ふと壁の端に見覚えのある扉を発見した――この三日はそこまで気を回す余裕はなかったので、気が付かなかったものだ。が。

記憶が確かならば、これは、エマニュエルが以前使っていた部屋へと繋がる扉のはずだった。

(どう、なってるんだろう)
一度は自分の部屋だったものが、今どうなっているのか、見てみたい。
いってみれば当然の欲求が沸いて、エマニュエルはその扉に手を掛けた。開けてみると、そこは覚えていた通りの控えの間があった。

――この更に先へ行くと、エマニュエルの部屋だった場所がある。

(行っても、大丈夫だよね……?)

そう思って、エマニュエルは吸い込まれるように次の扉の取っ手に手を伸ばした。
カチャリという小さな金属音が鳴って、扉が開かれる。すぐ視界に飛び込んできたのは、窓から漏れる日差しに照らされた――エマニュエルの部屋だった。

「え……」
声が、漏れる。エマニュエルはしばらく入口に立ちつくした。

(その……まま……?)

エマニュエルの部屋だった場所は、まさに、エマニュエルがここを離れた時と全く変わらないままの姿で佇んでいた。
机の上の本、寝台にあるよく使っていた櫛、ベッドの脇に掛けられた寝着……
その全てが。
しかし、ただ放置されていただけではなく、きちんと綺麗に清められている。

"お前の夢を見ていた"
――ジェレスマイアは何度か繰り返してそう言った。

"あの頃のまま、お前はまだすぐ傍に居ると思いたかったのだろう――そして時々、夢と現実の間で狂わされそうになった"

しかし、言葉よりも、ずっと確かに。
こうして残された部屋を目の前にして、ジェレスマイアの想いが深く胸に染み込んでくるようだった。

エマニュエルはそのまま部屋の中に進むと、その途中で、クローゼットを見つけて立ち止まった。

木製の扉を開くと、中には見覚えのある服たちが並んでいる。
(あ――)
一番奥には、モルディハイを迎えた宴で着た、薄い青のドレスさえ掛けられていた。大切そうに。

(どうして……)

ここは、ジェレスマイアの后となる女性の為の部屋だったはずだ。
それがこうしてエマニュエルの思い出のままに残されているのは、どうして――その理由は、簡単に分かるようで、その実、難しい。

夢を見て、いいのだろうか……

 

 

しかし、日が完全に傾いて辺りが薄暗くなり始めても、ジェレスマイアは寝室に戻ってこない。

三日も政務を放っておいた後なのだから、忙しいのは想像がついたが、それにしても気分は落ち着かないものだ。
エマニュエルは堪りかねて、そっと外の廊下を覗いてみた。

すると、扉の真向かいに立っていた警備兵とエマニュエルの、目が合った。

「どちらにお出でですか?」
警備兵の男は、そう穏やかに言って微笑んだ――の、だろう。男の身体は軽めの甲冑に包まれており、頭部は鉄仮面で覆われていて、わずかに目元だけが見えるだけだ。
エマニュエルは慌てて答えた。

「えっと、あの、ジェレスマイアさんの所に行けたらな……なんて、思って……」
「では、お連れ致しましょうか」
「え!」

駄目で元々で言ってみた懇願があっさり受け入れられてしまい、エマニュエルは思わず声を上げた。鉄仮面は、片手に構えていた槍を休めて、エマニュエルの前に軽く頭を下げる。

「貴女様が外出を望まれたら、丁重に警備してお連れしろと承っております。もちろん城内だけですが」
「本当ですか? その、ジェレスマイアさんの所にも行っていいんですか?」
「お望みなら……」
「い、行きます!」

何という好待遇。エマニュエルが興奮気味に廊下へ出ると、鉄仮面の警備兵はおごそかにエマニュエルを先導した。
エマニュエルはもちろん、何の疑問も持たずに彼の後ろを付いていった。

 

小一刻後。

エマニュエルが連れて来られたのは、寂れた王宮の一角だった。
誰もいない上に、明かりも少ない。おそらく多くの迎賓がある時分にのみ使われる特別な一区画なのだろう。

「あの、」
流石のエマニュエルも、疑いを感じ始めた。
「本当にこんな場所にジェレスマイアさんがいるんですか……? おかしいです、誰もいないなんて」

エマニュエルがぴたりと足を止めると、一歩先を進んでいた鉄仮面が振り返る。
無表情だ――あまり怖い感じはしない。が……

「安全の為、人の少ない通路を選んでいるのです」
「…………」
「それに陛下はご多忙だ。今夜はなかなか議会から抜けられないでしょう。何でも、ご結婚がお決まりになられたとか……」
「え……」

結婚? ――誰が? エマニュエルは瞳を見開いた。

「陛下ですよ。ご存知ありませんでしたか? それは失礼……」

鉄仮面は慇懃な調子でそう続けた。
それは、同時にどこか遊んでいるような口調でもあって、聞く者が聞けば激昂するか、疑いを持ったところだろう。

しかしエマニュエルは硬直した。

ジェレスマイアが結婚……? そんな……
どうして――二人はつい今朝まで、愛を確かめ合っていたのではないか。
それが何故――

足元が震えだして、エマニュエルは立ちすくんだ。急に全身が服ごと濡れたような重さと、寒気を感じ出す。

鉄仮面はふっと微笑んだかと思うと、呆然とするエマニュエルを残して、いつの間にか視界から消えていなくなっていた。
それは不思議な、怪しい出来事だったはずだ――

が、今のエマニュエルにそれを認識する力はなかった。

今分かるのは、ただ、ジェレスマイアが誰かと結婚するということだけで。

無人の廊下に残されたエマニュエルは、そのまま、ふらふらと行くあてもなく進んでいった――
気が付くと外の庭園へ出ていた。誰もいない暗いそこで、エマニュエルは糸が切れたようにぺたんと地面に座り込む。

ジェレスマイアが結婚――

自惚れていた訳ではない。しかし国王である彼が、いくら愛してくれているからといって、ただの街娘である自分を妻とするはずがないのを、忘れていたのだ。

(そんな……)

エマニュエルの瞳から溢れた涙が、頬を伝って地面を濡らす。
――それは三日月の浮いた夜。

王の間では、王妃候補が忽然と消えたと、大騒ぎになっているところだった。

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