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End Chapter: Paradise FOUND 2
緑の大地から伸びる花々。 その瑞々しい色合いが華やかで、春風に揺れて踊る姿は明るく、楽しげでさえあった。 見上げれば空は大きく澄んでいて、薄い青をしていた。小さな白い雲が幾つか、風に乗ってその水色の空を渡っている。 ジェレスマイアは王宮の前に広がる花畑を前に、しばしの間、佇んだ。 素朴ながらも生命力に溢れた色とりどりの花が、王宮前の広場を埋め尽くしている。穏やかな春の風が通り過ぎて、時々、その花々を揺らす。 その度に甘くも爽やかな香りが鼻腔をくすぐるのだ。 平和に栄える国の、優雅な王宮。 昨日は宮廷に住む小さな子供達が、ここで駆け回っているのを見た。
楽園だ、文字通りの、地上の楽園。
*
どうしてこんなことを望んだのか―― ジェレスマイアはこの日、多分あの日以来初めて、政務から離れることを望んで執務室を後にしていた。 足は自然と、何を意識したわけでもないというのに、この花畑へ向かった。 ――王宮前に広がる、草原のような広場。 それが今、ジェレスマイアの目前に広がっている。 天上には薄い青の空……彼女の瞳と同じ色。時刻はまだ朝を少し過ぎたところで、風も空気も清涼だった。 「お前達は下がっていろ。しばらくここに人を入れるな」 しばらくして誰もいなくなると、ジェレスマイアは、草原の中をゆっくり歩き出した。 時々、他の花よりも長く伸びたコスモスが手に当たる――生命の感触。 自然のまま……それがエマニュエルの望んでいた姿であったはずだ。 ――エマニュエルの遺体は、あの混乱の中、忽然と消えていたから、墓というものがない。 例えあったとしても、それは何の慰めにもならなかっただろう。 「エマ」 ジェレスマイアは広い草原を見渡しながら呟いた。 「エマ」 足元の花が揺れる。 いつか己も、彼女の傍へ行く日が来るだろう。 ジェレスマイアはあれ以来、自分の半分は彼女と共に死んだのだと、そう理解していた。今はただ、彼女がその命と引き換えに救った国と、自分の身体だけのために生きていて、心はどこか遠く……彼女との楽園を求めて彷徨っているのだと。 あれ以来、ダイスとジャフは断交をしている。 しかしジャフはもう攻めてこない――それがジェレスマイアの確信だった。それどころか、もし別の大国がダイスを攻めようとすれば、ジャフはきっとその妨害をするだろう。 もし逆の事態になれば、ジェレスマイアはモルディハイを助けるだろう。なんとも皮肉で可笑しなことだが、言葉は一言も交わさずとも、彼ら両王の間にはその確信があった。 大空を仰ぐ。 風が大地をなでる。花々が揺れる。 目を閉じ、ここに彼女がいたらどれほど幸せだろうかと、夢を、脳裏に描く。 エマニュエル――彼女と過ごした時間、交わした言葉、腕に抱いた感触、口付け。 時は徐々に肩の傷を癒していったが、それでも、この喪失感だけは、ジェレスマイアが生きている限り癒えることはない。 ジェレスマイアはゆっくりと前に進んだ。草原の中央あたりへ辿り着くと、一旦足を止める。
"私の思い出に……" あぁ、エマニュエル――何処へ行けばいい。何処を探せばいい。 今もあの甘い声が聞こえる。自分の名を呼んでいる。いつも。 何処まで進めばいい……何処で、この地獄が終わる……
思い出は刻々と鮮明になるばかりで、願いは、変わらず一つだけだった。 エマニュエルの命――そうだ、予言はまたも正しかった。 エマニュエルの命と、その息吹こそが、今のジェレスマイアの真の願いなのだから。
*
そこは見渡す限りの花々に彩られた、美しい草原だった。 頬をなでる風、その度に溢れる、甘い香り。 でもきっと、彼は何処からか見守ってくれている。
エマニュエルは前方を見据えた。 しかし、これほど綺麗な場所であるのに関わらず、草原は無人だ。 生命力に溢れた小さな花々が、まるで絨毯のように王宮までの道を埋め尽くしている。 前方に視線を向けたまま、エマニュエルはゆっくり歩き出した。 大地を踏む感触。 全てが愛しかった。それでも、胸に秘めたジェレスマイアへの想いの方が、ずっと…… エマニュエルは先に進んだ。 そしてその先に――
風に揺れる、漆黒の髪を見た。 後姿だ。あの頃のままの、男性的な広い背中……しかし、少し痩せただろうか。 「ジェレスマイアさん……」 エマニュエルは、ジェレスマイアの背中に声を掛けた。 エマニュエルの呼び声に、ジェレスマイアの背中が動きを止める。 「ジェレスマイア、さん……?」 もう一度、エマニュエルはジェレスマイアの名を呼んだ。 「――エマ」 低い声。しかしその声はエマニュエルにとって、何よりも優しく響く。エマニュエルは答える。 「ジェレスマイアさん」 ジェレスマイアの背中がぴくりと震えた。
「エマニュエル……?」 懐かしいジェレスマイアの声がした。 エマニュエルは無意識に、ジェレスマイアの方へ歩き始めた。 鼓動が高鳴る。 彼も、同じなのだろうかと……エマニュエルは想像した。 「エマニュエル」 「はい」 また風が吹いて、エマニュエルの金髪を鮮やかに揺らした。足元の小花が揺れる。 「私はまた夢を見ているのか、エマ。それともついに気が触れたか……」 ジェレスマイアが言った。 「違います……あの日、カイさんが私を助けてくれたんです。それで……私の怪我が治るまでずっと、森の中にいて、それで……」 エマニュエルは何とか説明を紡ごうとした。 「"それで"」 ジェレスマイアの落ち着いた声に、エマニュエルは逆に緊張を覚えて、背筋を伸ばした。 ――あぁ、やっぱりこの人は王様なのだ。 「私は夢を見た。何度も何度も繰り返し、こうしてお前が目の前に現れて、私の名を呼ぶ。しかし私が手を伸ばすと消えていく」 彼の瞳はエマニュエルを据えたまま、瞬きさえしない。 「そのまま一人残される私の、孤独を分かっているのか。あの地獄を、またもう一度味わえと言うのか」 切ない懇願。ジェレスマイアはエマニュエルを幻だと思っているのだ。 一歩、エマニュエルは前に進む。 ジェレスマイアはそのエマニュエルの手に、自身の大きな手を重ねた。そして強く掴む。 「…………っ!」 声にならない叫びが、まるで爆発したように放たれて、二人はきつく抱き合った。 ジェレスマイアは、何度も何度もエマニュエルの存在を確かめるように、彼女の身体を抱きしめ、その肌に口付けを落とす。 続いて、二人とも大地に倒れると、草花の上に身体を横たえらせた。 「いっそ夢で構わない……エマニュエル、私の楽園」 草原に横たえらせたエマニュエルの身体の上に、ジェレスマイアの身体が重なり、最初は額と額を、そして次に唇を重ねた。 「ん……」 長い口付けのあと、静かに顔が離れると、エマニュエルにはジェレスマイアの表情がはっきりと見えた。 (あ…………) その瞬間、きっと、予言は成就されたのだ。
*
「マスキール様、あれは……」 書類の山に向かっていたマスキールは、突然のギレンの声に顔を上げた。 当然、マスキールに抗議を口にする気も、権利もなく…… マスキールはジェレスマイアの為に働き続けていた。 「どうした、ギレン。外で何かあったか」 窓辺に立つギレンが、部屋の中央の机に向かっているマスキールを振り返って言った。 そして窓から、ギレンの指差す地上を見下ろす。 春先の今、確かにこの庭園は美しく咲き誇っているところだ。 「……あれは……?」 マスキールとギレンは顔を見合わせた。 「「…………」」 ――数秒の沈黙のあと。 そんなはずがない。そんな、こんな幸せが、あるはずが……
マスキールとギレンが草原を見渡せる王宮の入り口に立ったとき、優しくエマニュエルの腰を抱いたジェレスマイアが、彼らの方へ向かって歩いてくるところだった。 「エマニュエル様――!」 ギレンは、悲鳴ととれるほどの高い声を上げた。 エマニュエルがそれに気付いて顔を上げる。そして彼らに向かって、はにかんだ笑顔を見せた。 ――どこか誇らしげに。
楽園は見つかった。 それぞれの腕の中に、愛と、希望を抱きながら…… |
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