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Chapter 6: Decision of Paradise 3
ただ目を閉じて、闇の中に浮かぶ光を、深く胸に刻んで忘れないで。 どうして光があるの。 喜びはどこから来て、悲しみはどこへ行くの。 物語の行方はまだ語られていない。
*
「待って……っ」 と、声を上げてみても、モルディハイは本当に聞こえないのか、聞こえない振りをしているのか、エマニュエルを振り返らずに馬を駆った。 ――しかしエマニュエルにも、意地というものがある。 「ん……っ!」 エマニュエルはドレスの裾を持ち上げ、腰元に巻き付けると、モルディハイとタリーの乗った馬の後を追って走った。
森の先に見えなくなったモルディハイ達を追って走り続けること、半刻ほど。 途中ずっと、目新しい自然を見た。 エマニュエルの知るどの森よりも、閑散としていて、乾いていて、地面は岩っぽい。 「はぁ……」 ――思い出せばずっと水を飲んでいない。 いつのまにかモルディハイ達を見失っている。 (でも……それから、どうするの?) 無理だとは思う。 ジェレスマイアはまたエマニュエルを迎えてくれるだろうか――では、迎えてくれたとして、その後は? (変えなくちゃ、いけないのに) もしかしたら、自分をここまで運んできたのは運命かも知れない。見えない力が。予言の言葉、が。 (でも、会いたい……) それでも何でも、心は正直で、ただただ初めて愛した男性が恋しくてたまらないのだ。 「ふ……っ」 「――あの男も物好きなものだ。この様な小娘を、とは……それとも、幼女を己の好きな様に染めていく趣味でもあったか」 突然背後に声を聞いて、急いで振り返ると、そこにはモルディハイが一人、いた。 エマニュエルは零れかけた涙を呑んで、モルディハイと対峙した。先に口を開いたのは、モルディハイだ。 「感謝することだ。しばらく戯れる権利をくれてやろう」 そう言うと、モルディハイは後ろを振り返る。モルディハイと目が合ったらしいタリーが、何か必死にコクコクと頷いていた。 「え、えっと……?」 あまり機嫌の良くないモルディハイの雰囲気から察するに、タリーが、エマニュエルと遊びたいという我侭を言って、それを渋々聞いてやっている……という構図がすぐに想像できた。 それでも呆けているエマニュエルに、モルディハイは (な、何だろう……?) (……最初の頃の……ジェレスマイアさんみたい) ――言いたいことだけ言って、すぐに背を向けてしまう、その態度が。 「じゃあ……あの、おいで、タリーちゃん」 「えぇっと……何、しようか。お花摘みでいいかな?」 二人がモルディハイから離れ始めても、彼の背中は動かなかった。エマニュエルは肩越しに振り返って見ながら、抑えがたい衝動を感じて――結局、抑えられなかった訳だが――歩を緩めた。 「あの、モルディハイさんも……一緒に」 すると、瑪瑙色の瞳が片方だけ振り返って、怒ったような、もしくは馬鹿にしたような、皮肉な視線をエマニュエルに向けた。 エマニュエルは大人しく退散することにした。――もしかしたら、ジェレスマイアの王宮へ連れ去られてからの経験が、どういう風にかエマニュエルを強くしていたのかもしれない。 エマニュエルはモルディハイの鷹のような目に射られながらも、去り際に一言、言った。 「それでも、気が変わったら来てください。きっとタリーちゃんも喜ぶから……」 ――モルディハイは、答えなくて。
*
それから数日は、いつも似たようなことの繰り返しだった。 エマニュエルは例の、最初に寝かされていた小さな小屋をあてがわれて、そこで夜を過ごした。 食事は大抵カイとタリーが一緒で、素朴ではあるが中々に手の込んだ料理が振舞われる。 (外は……どうなってるんだろう) ――そして、日に一度、モルディハイが訪れてきた。 (モルディハイさんがここに来られるってことは、まだ戦争は) エマニュエルがモルディハイと顔を合わせるとき、そこには常に小さなタリーがいた。 (始まってないはず――まだ、今は)
モルディハイは腕の中で、紙の上に言葉を綴っている小さなタリーを静かに眺めていた。 ここ数日、珍しく足忙しく通ってくる兄に対して、それは一生懸命な様子で。 いわく―― 『昨夜はお姉さんとお絵かきをして遊びました』 幼少から王宮の諍いごとに巻き込まれ続け、今なお、存在を隠されているタリーは、他人の顔色に病的なほど敏感だった。 それがどうしたことか。 ――エマニュエルをここへ連れ去ってきたのは、ジェレスマイアの手が最も届き難い場所であると同時に、監視役に付けた忍びの者――カイの、勝手知ったる領地だったからだ。 『タリーは、お姉さんみたいなお母さんが欲しいです』 モルディハイにとって、タリーは、この世に存在する唯一の心を許せる肉親だった。 他の愛情など抱いたことは無かったし、たとえ抱いたところで、親族であろうと他人であろうと、嫉妬や謀略、屈折した感情の混じった複雑なものであるか、そうでなければただの肉欲だったのだ。 (気が触れたか――) あのダイスでの宴の夜。 それが今、こうしてエマニュエルを前にして、妙な躊躇を感じはじめていた。 タリーの歓喜ぶりに当てられたのかとも思った。 しかし――あの娘は、そうだ、あのジェレスマイアさえ狂わせたのではないか? 興味は関心に変わり、それはまた徐々に、心をくすぐる奇妙な感覚に変わっていった。 (――この私が?) 素直に認められるほど、謙虚な精神の持ち合わせは、モルディハイには無かった。 『タリーはお兄様と、お姉さんと、三人で一緒にお花畑に行きたいです』 「……仕方ない。お前が望むのならば、あれを呼んで来い」 モルディハイの許可に、タリーは弾かれたような勢いで立ち上がって、エマニュエルのいる外へ走って行った。 勝利の形が変わっただけだ―― 草原に一人立っているエマニュエルに――もちろん、見えないようでも常に監視はあるのだが――タリーが近づき、こちらに向かってエマニュエルの手を引いてくるのが見える。 ――ジェレスマイアの名を泣き叫ぶエマニュエルを、己のものに。そう考えていた。 しかし今は。 ジェレスマイアなど忘れさせてしまえばいい。
*
この頃、モルディハイの隠し領地で繰り広げられていた長閑な光景とは対照的に、その対岸ではある歴史的な戦いが始まろうとしていた。 ある者たちは歓喜した――我が王は、ついに立ち上がったのだと。 そしてある者たちは憂慮した。 国を思い、明日を思い、家族を思い、戦いに赴く者たちを思って。
晴れ渡る空は未来を知っているのか―― 大地を焦がす太陽。
いつか楽園を求めていたことがあった。 同じ空の下で |
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