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Chapter 6: Decision of Paradise 3

 

ただ目を閉じて、闇の中に浮かぶ光を、深く胸に刻んで忘れないで。

どうして光があるの。
どうして闇があるの。

喜びはどこから来て、悲しみはどこへ行くの。
流れゆく世界を、小さな窓から、涙を流しながら眺めている少女。

物語の行方はまだ語られていない。

 

 

「待って……っ」

と、声を上げてみても、モルディハイは本当に聞こえないのか、聞こえない振りをしているのか、エマニュエルを振り返らずに馬を駆った。
ただ一人モルディハイの腕に抱かれたタリーだけが、心配そうにエマニュエルの方を振り向く。
それでも、声の出せない彼女に、なす術はないようだった。

――しかしエマニュエルにも、意地というものがある。
今でこそ、ジェレスマイアの王宮で囚われの身として過ごしていた訳だが、それ以前は人里さえないような大自然の中で育ってきたのだ。

「ん……っ!」

エマニュエルはドレスの裾を持ち上げ、腰元に巻き付けると、モルディハイとタリーの乗った馬の後を追って走った。

 

森の先に見えなくなったモルディハイ達を追って走り続けること、半刻ほど。
途中ずっと、目新しい自然を見た。

エマニュエルの知るどの森よりも、閑散としていて、乾いていて、地面は岩っぽい。
気候が違うということは何かの本で読んだ。
それは息の仕方さえ変えなくてはいけないのだということを、森を進む中で、エマニュエルはわずかに覚えていった。

「はぁ……」
流石に息が切れだして、足を止めると、樹木のひとつに手を付いて深呼吸をした。

――思い出せばずっと水を飲んでいない。
エマニュエルは、頭がくらくらと揺れて痛むのを感じて、木に背を預け空を仰ぎ見た。
知らない種類の厚い葉を通して揺れる、木漏れ日。

いつのまにかモルディハイ達を見失っている。
かろうじて、人や馬が通りやすいようにひらけている道があるから、それを頼って前へ進んでいるだけだ。人気のない獣道に、いっその事、このまま逃げ出せないだろうかという考えが過(よ)ぎる。

(でも……それから、どうするの?)

無理だとは思う。
しかし、もし逃げ出せたとして、それでどうするのだろう。

ジェレスマイアはまたエマニュエルを迎えてくれるだろうか――では、迎えてくれたとして、その後は?
結局、何の解決にもなっていなくて、また同じ事の繰り返しになるのだろう。
モルディハイがダイスの侵略を狙い続けている限り、そして、そこに明らかな国力の差が存在し続けている限り、ダイスに出来るのはただ時間稼ぎだけなのだ。

(変えなくちゃ、いけないのに)

もしかしたら、自分をここまで運んできたのは運命かも知れない。見えない力が。予言の言葉、が。
――"その命をもって、王の願いを叶えるだろう"

(でも、会いたい……)

それでも何でも、心は正直で、ただただ初めて愛した男性が恋しくてたまらないのだ。

「ふ……っ」
今更また、目頭が熱くなってくる。
眩しい木漏れ日がそれを増長した。そんな時。

「――あの男も物好きなものだ。この様な小娘を、とは……それとも、幼女を己の好きな様に染めていく趣味でもあったか」

突然背後に声を聞いて、急いで振り返ると、そこにはモルディハイが一人、いた。
「モルディハイさん……」
彼の更に後ろには、タリーと駿馬がある。

エマニュエルは零れかけた涙を呑んで、モルディハイと対峙した。先に口を開いたのは、モルディハイだ。

「感謝することだ。しばらく戯れる権利をくれてやろう」
「え」
「いくら自由にえても、ここには強力な警備があることを覚えておけ。逃げられはせん」

そう言うと、モルディハイは後ろを振り返る。モルディハイと目が合ったらしいタリーが、何か必死にコクコクと頷いていた。

「え、えっと……?」
(あ、遊んでやれ……ってこと、かな?)

あまり機嫌の良くないモルディハイの雰囲気から察するに、タリーが、エマニュエルと遊びたいという我侭を言って、それを渋々聞いてやっている……という構図がすぐに想像できた。

それでも呆けているエマニュエルに、モルディハイは
「早くしろ、娘」
と言うと、呆気なくエマニュエルに背を向けた。

(な、何だろう……?)
その、モルディハイの背中に。一瞬、妙に懐かしいものを感じて、エマニュエルは息を呑んだ。
そしてすぐに気が付く。

(……最初の頃の……ジェレスマイアさんみたい)

――言いたいことだけ言って、すぐに背を向けてしまう、その態度が。
一体、王とは皆が皆、こんな風なのだろうか?

「じゃあ……あの、おいで、タリーちゃん」
エマニュエルが言うと、タリーはその瞬間を待っていたかのように顔を輝かせ、エマニュエルの元へ駆け寄ってきた。
逆にモルディハイの背中は遠ざかっていく。
エマニュエルは駆け寄ってきたタリーの手を取ると、その背中を見送った。馬の立っている場所まで進むと、モルディハイは足を止める。

「えぇっと……何、しようか。お花摘みでいいかな?」
タリーがコクコクと大きく頷く。

二人がモルディハイから離れ始めても、彼の背中は動かなかった。エマニュエルは肩越しに振り返って見ながら、抑えがたい衝動を感じて――結局、抑えられなかった訳だが――歩を緩めた。

「あの、モルディハイさんも……一緒に」

すると、瑪瑙色の瞳が片方だけ振り返って、怒ったような、もしくは馬鹿にしたような、皮肉な視線をエマニュエルに向けた。
「う……き、来たかったらで、いいですから」
「煩い」
「……はい。」

エマニュエルは大人しく退散することにした。――もしかしたら、ジェレスマイアの王宮へ連れ去られてからの経験が、どういう風にかエマニュエルを強くしていたのかもしれない。
図太くなった、とも言える変化だが、それも一種の成長だろうか。

エマニュエルはモルディハイの鷹のような目に射られながらも、去り際に一言、言った。

「それでも、気が変わったら来てください。きっとタリーちゃんも喜ぶから……」

――モルディハイは、答えなくて。
でも、やはり、反論はしてこなかった。

 

 

それから数日は、いつも似たようなことの繰り返しだった。

エマニュエルは例の、最初に寝かされていた小さな小屋をあてがわれて、そこで夜を過ごした。
一度、夜中にそっと外へ抜け出てみると、カイが何処からともなく現われ、試みはいとも呆気なく失敗に終わった。

食事は大抵カイとタリーが一緒で、素朴ではあるが中々に手の込んだ料理が振舞われる。
タリーは随分とエマニュエルに懐きはじめ、夜、エマニュエルが就寝のため小屋に戻ろうとすると、ぐずってしまうこともあった。タリーの部屋はエマニュエルの小屋のすぐ隣にある、一回り大きな家の中にある。

(外は……どうなってるんだろう)

――そして、日に一度、モルディハイが訪れてきた。
いつも数刻ほどの短い訪問で、タリーの顔を見るとすぐに帰ってしまう。大抵は最初の時と同じように、モルディハイはタリーを可愛がり、エマニュエルの存在を露骨に無視するか、しなくても尊大な台詞を幾つか吐くという程度に留まった。

(モルディハイさんがここに来られるってことは、まだ戦争は)

エマニュエルがモルディハイと顔を合わせるとき、そこには常に小さなタリーがいた。
そのせいもあって、エマニュエルは未だに"その" 話題を切り出すことが出来ずにいる。
外の状況がどうなっているのか。唯一他に知っていそうな者はカイだけだが、彼はいつも分からないとはぐらかすばかりだ。

(始まってないはず――まだ、今は)

 

モルディハイは腕の中で、紙の上に言葉を綴っている小さなタリーを静かに眺めていた。
ここ数日、珍しく足忙しく通ってくる兄に対して、それは一生懸命な様子で。
いわく――

『昨夜はお姉さんとお絵かきをして遊びました』
『今朝は、一緒にお花摘みをしました。お姉さんは沢山の花の名前を知っていて――』
『お姉さんは――』

幼少から王宮の諍いごとに巻き込まれ続け、今なお、存在を隠されているタリーは、他人の顔色に病的なほど敏感だった。
特に初対面の人物など、まるで小鳥のように、近寄ってきただけで逃げ出してしまう。

それがどうしたことか。

――エマニュエルをここへ連れ去ってきたのは、ジェレスマイアの手が最も届き難い場所であると同時に、監視役に付けた忍びの者――カイの、勝手知ったる領地だったからだ。
ついでに実妹の世話でもさせておけ、と言ったのは確かだが、事は予想外の方へ進んできている。

『タリーは、お姉さんみたいなお母さんが欲しいです』

モルディハイにとって、タリーは、この世に存在する唯一の心を許せる肉親だった。
愛しいと――感じられる、たった一人の存在。
モルディハイはタリーを通じてのみ、素直に人を愛するという感情を知っている。

他の愛情など抱いたことは無かったし、たとえ抱いたところで、親族であろうと他人であろうと、嫉妬や謀略、屈折した感情の混じった複雑なものであるか、そうでなければただの肉欲だったのだ。

(気が触れたか――)

あのダイスでの宴の夜。
エマニュエルを陵辱しようとしたのは、肉欲どころか、ただジェレスマイアへの対抗心からだけだったはずだ。
奪ってしまえばいい、傷つけてやればいい――と。

それが今、こうしてエマニュエルを前にして、妙な躊躇を感じはじめていた。
抱こうと思えばいつでも抱ける。殺そうと思えば、いつでも殺せる。全てはモルディハイの意のままである筈が、逆に、見えない何かに感情を操られているように安定しない。

タリーの歓喜ぶりに当てられたのかとも思った。

しかし――あの娘は、そうだ、あのジェレスマイアさえ狂わせたのではないか?

興味は関心に変わり、それはまた徐々に、心をくすぐる奇妙な感覚に変わっていった。
今までは月に数えるほどしか訪れていなかったこの領地へ足しげく通うようになったのも、この不可解な思いの、正体を知りたかったからだ。

(――この私が?)

素直に認められるほど、謙虚な精神の持ち合わせは、モルディハイには無かった。
しかし、現実は現実で。

『タリーはお兄様と、お姉さんと、三人で一緒にお花畑に行きたいです』

「……仕方ない。お前が望むのならば、あれを呼んで来い」
『本当ですか?』
「あまり時間はないぞ。早くするといい」

モルディハイの許可に、タリーは弾かれたような勢いで立ち上がって、エマニュエルのいる外へ走って行った。
――その後ろ姿を見送ると、モルディハイは深い溜息を吐き、そして自らも立ち上がる。

勝利の形が変わっただけだ――
モルディハイはそう、己に言い聞かせて外に目を向けた。

草原に一人立っているエマニュエルに――もちろん、見えないようでも常に監視はあるのだが――タリーが近づき、こちらに向かってエマニュエルの手を引いてくるのが見える。
戸惑いに揺れる青い瞳が、モルディハイを捉えた。

――ジェレスマイアの名を泣き叫ぶエマニュエルを、己のものに。そう考えていた。

しかし今は。
今は、違う。もっと。

ジェレスマイアなど忘れさせてしまえばいい。
エマニュエルの”中” で、己がジェレスマイアを凌駕すること。それこそが、真の勝利では?

 

 

この頃、モルディハイの隠し領地で繰り広げられていた長閑な光景とは対照的に、その対岸ではある歴史的な戦いが始まろうとしていた。

ある者たちは歓喜した――我が王は、ついに立ち上がったのだと。
横暴な侵略を繰り返す大国に対し、雄雄しくも反旗を翻したのだと。

そしてある者たちは憂慮した。

国を思い、明日を思い、家族を思い、戦いに赴く者たちを思って。

 

晴れ渡る空は未来を知っているのか――

大地を焦がす太陽。
旗をなびかせる風。

 

いつか楽園を求めていたことがあった。

同じ空の下で

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