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Chapter 6: Decision of Paradise 1

 

今、あなたが踏み出す一歩が、明日を塗り変えていく。
たった一言が、何かを変えていく。

道を、選んで。
可能性は無限にある。

そこを進むのは自分。辛くても、苦しくても、疲れても。

忘れないで――辿り着いた先に、何があるのかを。

 

 

それから、夢と呼ぶには少し曖昧な何かを、見た。
意識に錘(おもり)をかけられて、目を覚ますのを妨げられているような感覚で、時々現実らしき声が耳に届くのに、起き上がることが出来ない。

――嫌な予感がした。
突然、こんな風に自分が居なくなって、彼はどうするのだろう。何を思うのだろう。何を――するのだろう。
あの灰の瞳の、私の王は……

いっそ忘れてくれたらいい。

そう思うほどの何かが起こりそうな、嫌な予感が――

 

ピシャン、という弾ける音と共に、冷たい水滴がエマニュエルの瞼のあたりに落ちてきた。

「……ん……っ」
一度身をよじってから、閉じていた瞳をゆっくりと開いていく。
朝独特の低く青みがかった光と、朝露に湿った草の香りが、優しくエマニュエルの覚醒を促した。
誘われるまま目を開くと――

(ここ……は……)

最初にエマニュエルの視界に入ってきたのは、乾いた木の梁(はり)だ。
低く造られた天井を縦に伝うその木は、濡れたような濃い色目で部屋にむき出しになっていて、今までエマニュエルが居た部屋とは全く異質のものだった。
朝露だろうか、湿っていて、エマニュエルの瞼に落ちてきた水もそこかららしかった。

王宮ではない――というのが、最初の認識だった。
ジェレスマイアのものにしても、モルディハイのものにしても。

身体は自由に動く。
起きようとすると、掛けられていたシーツがするりと床に落ちて、同時に、エマニュエル自身も縁から滑り落ちそうになった。
慌てて振り返ってみると、寝かされていたベッドがひどく小さく狭いものだった事に気付く。
被さっている布も使い古された粗い麻で、嫌味なほど薄汚れている状態だ。

(ここは、どこ?)
エマニュエルは立ち上がった。

部屋を見回して全体像を把握するのに、長い時間は掛からない。一室のみの質素な造りで、最初に目に入った梁(はり)以外に目立つものはほとんどない、ただ灰色の壁が四角く伝うだけの小屋だった。
高い位置に小さな窓が一つ。
そして入り口らしき場所に、木の扉が据えつけられている。

自然と、足はその扉へ向かった。
恐る恐る、手を触れ、外に向かって押してみると、ギィッと乾いた音を立てながら開いてゆく。眩しい光と共に、外の世界がエマニュエルの視界に飛び込んできた。

「わ、わぁ……っ」

最初に浴びた乾いた空気は、エマニュエルの知るどのものとも違って、一瞬、のどを塞がれたような感覚に陥った。
空気だけではない。
小屋の周りにひらかれた庭に咲く花も、エマニュエルの見た事のない種類のものだった。

(ここは……)
ジャフだ。
きっとジャフの何処かに連れてこられたんだ……と、それだけ咄嗟に悟り、エマニュエルは何か印になるようなものがないだろうかと辺りを見回した。

しかし、そこに広がるのはただ、長閑(のどか)な高原の風景だけだ。
小屋を出ると、知らない種類の草と花が咲く田舎風の庭が続いていて、しばらく行った先から森が始まるのが見える。小鳥の高い鳴き声がそこここに聞こえて、風が通ると草 木の揺れる音が心地良く響いてくる。

エマニュエルは、ゆっくりと前へ進んだ。足元は、連れ去られた時と同じ靴を履いたままだった。

足が踏む、柔らかい土の感覚。
空気は乾いているけれど、同時に澄んでもいた。
エマニュエルがますます先に歩いて行っても、止める者は誰もいない。辺りを注意深く見回しながら、エマニュエルは更に進んでいった。
それでも、誰もエマニュエルを止めることはない。

ただ美しい高原風の情景が続いていて、自然の奏でる音楽が優しく耳を撫でてくる。

――こんなに自由なのに。

でも、きっと逃げられない。
そんな予感がして、エマニュエルは途中で歩を止めて、小屋の方を振り返った。
遠退いてから見てみると小屋は焦げ茶のレンガ屋根をしていて、風景とよく調和している。

「…………え」

そして、振り返って初めて、エマニュエルは自分が寝かされていた小屋の後ろにもう一つ、同じような小屋が立っているのを見つけた。
小屋と呼ぶべきか、同じ造りではあるが一回り以上大きく、煙突状の突起が屋根にのっている。

――そこを、まるで、エマニュエルが振り返るのを待っていたように。
建物群の影から人影が現れた。
一人ではない。二人……その内の一人は、エマニュエルも見たことがあった。

(あの、ひと)

夜の闇の中でしか見たことがなかったから、最初は驚いた。
浅黒い肌をした異国風の男――モルディハイがジェレスマイアに放った刺客で、エマニュエルを連れ去った張本人――が、ゆっくりと、誰かの手を引いて現れたのだ。 エマニュエルはその場で硬直した。
それは、彼が相手では逃げても無駄になると知っていたからでもあるし、彼の、今までの印象からは想像できないほどの、穏やかな表情のせいでもあった。
おまけに彼の片手には、一人の若い少女の手が握られている。

二人の視線がエマニュエルの姿を捉えると、男は、隣に連れている少女に何かを耳打ちした。

すると少女は、最初ははにかむように肩を竦めながらも、もう一度男に何かを呟かれると、エマニュエルの方へ走ってくる。
駆けてくる少女の、赤茶色の髪が風と共に揺れる様は、まるで草の上を舞う赤い蝶だった。

そして少女は勢い良く、エマニュエルに抱き付いてきた。

「え、え……っ! あの!」
驚いて戸惑うエマニュエルの腰に、少女は更にぎゅっと抱き付いてくる。
少女の背丈はエマニュエルの胸の辺りを少し越えた程度で、細い腕はしかし、随分と力強い。

「えぇっと……どうして? どうしよう、あなたは誰?」
そう訊くと、少女はエマニュエルに向かって顔を上げた。

「あ……」

――瑪瑙色の、瞳が。
エマニュエルを見上げていた。一寸の疑いの余地さえなく、モルディハイを髣髴とさせる色だ。

「あなたは……モルディハイさんの……娘?」

半ば呆然とした声でエマニュエルがそう呟くと、少女は首を振った。

「じゃあ……」
エマニュエルが訊き返そうとすると、今度は、いつの間にか距離を縮めていた男が代わりに、穏やかな声で答えた。

「彼女はモルディハイ王に唯一、血の繋がった妹君であられます」
「妹……?」
「申し訳ないが彼女は口が利けない。幼い頃の熱病のせいです。お名前は、"タリー" 様と申します」

草原の上に、男とエマニュエルはいくらかの距離をおいて向き合った。

タリーはしばらくエマニュエルにしがみ付いていたが、男が歩を止めこれ以上近寄ってこないのを見ると、彼の方へ駆け戻って、同じように彼の腰に抱きつく。
そしてエマニュエルを振り返ると、何か言いた気な瞳で、こちらをじっと見詰めてくる。
男は続けた。

「古来に伝わる言語で、"私の朝露" という意味です。モルディハイ王が即位した直後――父王が亡くなられてからお生まれになったので、王はタリー様の父親代わりでもあります。母親は違われますが、仲のいい兄妹です」

言外に、この赤茶の髪の少女が、モルディハイにとってどれだけ特別な存在であるのかを説明されているようでもあった。
"タリー" はジェレスマイアが言っていた言葉と同音だ。
――この子が、という驚きと、それならば何故、という疑問が、同時にエマニュエルの思考を乱す。

男はエマニュエルの困惑をすぐに察したようで、ゆっくり言葉を選ぶような慎重な口調で、幾つかの謎を説明した。

「ご存知かもしれませんが、モルディハイ王は国内に――正確には、御一族内に、多くの不満分子を抱えている。おまけに王は身体の不 自由を口実に政敵を追放したことも多く、彼女を隠して育てざるを得ない状況になった……という訳です。表向きには、亡くなったことになっている」

タリーが、悲しそうな顔をしてうつむいた。
聞こえているのか、敏感に状況を察したのか、その時の彼女は最初の幼い印象に比べて、随分大人びていた。

「ここはジャフの何処か――それが、私が貴女に言える全てです」

そこまで言って、男は、またタリーの耳元に何かを囁いた。
――ああ、やはり聞こえることは聞こえるのだと、その時エマニュエルは理解した。

エマニュエルを見るタリーの瞳は、モルディハイと同色の赤みがかった瑪瑙色で、髪は、長く柔らかい曲線を描いていて、モルディハイのものに比べると少し茶色が強い。
モルディハイの様な派手な顔のつくりではないが、はっきりとした目元はよく似ている。
色白で、そばかすの目立つ頬をしていた。

エマニュエルの知っている幾つかの事実を繋ぎ合わせれば、タリーの歳は13か14ほどになるはずだ。
ジェレスマイアの即位が17年前で、モルディハイのそれは、その3、4年後。

しかし歳よりずっと幼く見える――

タリーは男に言いつけられたのか、最後にエマニュエルを一瞥すると、二人を残し建物の方へ駆けて行ってしまった。
男はタリーの後姿が小屋の後ろへ消えるまで見届けると、エマニュエルの方へ再び向き直った。

「王もタリー様も母君を幼くして亡くしています。前王は禁欲的な方で、他に子はいらっしゃらない。可哀想な方達ですよ。王族などに生まれるものではありませんね」

そう言って、男は曖昧な微笑を浮かべた。どこか切なくて、でもそれを達観しているような、哀愁のある微笑だ。
エマニュエルが答えられないでいると、男は咽を鳴らして短く笑った。

「貴女に言っても仕方ないかもしれませんが」
「意味は……分かります」
「そうですか? それは良かった。私は、貴女が二人の王の要(かなめ)になってくれるのではと、予感したのです」
「ジェレスマイアさんと、モルディハイさんの?」
「その通り」

男はエマニュエルとの距離を縮めようとはしなかった。
ただ、お互いに声が聞こえて、話の出来る位置にいることに満足しているようで、手をぶらりと両脇に垂らしたまま、直立している。

「私は……どうしてここに?」
エマニュエルが聞いた。
「帰りたいですか」
男は、質問に答える代わりに新たな質問を返す。

エマニュエルは肯定の返事をして、首を縦に振った。
――可笑しなもの。
最初はあんなにジェレスマイアの王宮から逃げたかったのに、今は、同じその場所にすぐにでも帰りたいと願っているのだ。

「私の一族は粘土や水の様なもので、形を自在に変えて歴史の隙間を埋めます。貴女の国にも似たような者達がいるとか……確か、予言を生業としている。私達は"忍び" と呼ばれる種類の一族です」

男はそう、詩を謡うような調子で語った。

「私達が国に仕えるのは、それが一族の存続の為だからです。逆に言えば、その国の土台が揺らげば、別の国に仕えることも」
「あ……」

そういえば、この男はいつか、ジェレスマイアの元に仕えたいというような言葉を言っていたような気がする。
あの時は意味を飲み込み切れなかったけれど、そいういう事……なのだろうか。

「現実だけが……目に見える事実だけが、私達の唯一の真実でした。しかし私は夢を見ようと思った。許されぬ夢を」
――男の切れ長の瞳が、細められる。

「それほど、貴女の存在は輝いて見えた。どんな形になろうと歴史に残る筈の、二人の無類の王。そこに現れた運命の星。賭けを……してみたいと思った」

いつまで経っても、男は象徴的な話しかしない。
エマニュエルがどこまで真意を掴めるのかを、試しているように。

「私は今、初めて、自分の為に動いているのかもしれません。本来なら貴女を殺してしまうべきだったのでしょう」

――この人はどこまでを知っているのだろう。
そしてどこまでも、エマニュエルに教えてくれているのだろう? エマニュエルの予言を、彼は知っているのだろうか?

次から次へと湧いてくる疑問を胸に、エマニュエルは、そっと胸元に手を寄せ青海石の存在を確かめた。
きゅっと握ってみる。
これだけが、今のジェレスマイアとエマニュエルを結んでいる細い糸にも思えた。

「……貴方の、名前は?」
エマニュエルが聞くと、男は初めて、驚いた風に眉を上げた。

「カイ、と呼ばれております」
「カイさん」
「……貴女は誰も彼もをそう呼ぶんですね」
「変ですか?」
「いいえ」

柔らかく、通り過ぎるそよ風のように、静かに目を細めた"カイ" の微笑は、ジェレスマイアが時々見せるそれに少し似ていた。
苦しみを胸の奥に隠して、それでも前に進もうとする者の、切ない笑顔。

「貴女がここに居るのは、モルディハイ王の命です。貴女はいわば人質……ジェレスマイア王を誘き出すための餌」
「大切なタリーと一緒に、ですか?」
「ここはモルディハイ王の隠し領地のようなもの。知っている者は少ない。この周辺は長閑ですが、先は強固に守られています。今回ジェレスマイア王がタリー様の名前を出したことで、護りは一層強固になりました。私も少々、疑われましたが」
「…………」

――そうか。
と、エマニュエルは気がついた。ジェレスマイアがエマニュエルを救う為に使った"タリー" という言葉。
あれは本当なら、ジェレスマイアの切り札だったはずだ。モルディハイの、唯一のアキレス腱。
本当ならもっと大切な場面の為に、取っておくべきものだったのだ。

それを――エマニュエルの為に。

「私に……出来ることは……」
エマニュエルは一歩、カイに近付いて、彼の黒い瞳を真っ直ぐ見つめながら言った。

「日が昇りきる頃には、モルディハイ王がこちらに到着します。貴女は――」
「私は?」

 

「――貴女でいればいい。そう思います。話をしてやって下さい。あの王もまた、孤独な方だ」

 

 

あまりにも沢山の人が、幸せを探してる。

それを知っているのに、ねぇ、どうして、皆で一緒に探そうとは、思わないんだろう……?

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