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Chapter 5: Fascination of Paradise 5
耳を澄ますと、僅かながら宴の喧騒が聞こえてきた。 部屋を照らす蝋燭(ろうそく)の明かりが目に染みて、痛い。 一刻ほどが過ぎると、エマニュエルは、急に身体が楽になっていくのを感じ出した。 「……楽になってきましたか」 「マスキールさん、でも私は……出来ないです。あの人もジェレスマイアさんみたいに強そうだったし、剣なんて使ったことがないし……」 エマニュエルは横たえられていた身体を自分で起こし、シーツを背もたれに掛けると、長椅子に座った。 「上手く行きません……私なんかに出来るんだったら、もっと他の人が……」 エマニュエルの脳裏には、いつかジェレスマイアと森に出た夜に現れた、刺客の男が思い出されていた。 「全ては運ですよ。向こうも、そんな貴女だからこそ油断する」 エマニュエルが黙ると、マスキールもそれ以上口を開かなかった。
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モルディハイはしばらく、ジェレスマイアやダイスの政治家達と交わるよりも、自身が連れて来た配下や女達と宴を楽しんでいた。 ――派手な赤毛と、同色の衣装。 まるで、大広間に獅子を放し飼いにしているようだ。 全くもってこのモルディハイという男は、ジェレスマイアとは真逆の存在なのだと、ジェレスマイア自身にさえ納得させてしまうような様相だ。 熱く、近寄るだけで熱風に当てられ、眩暈を起こしそうになる男―― そんなモルディハイを横目に眺めながら、ジェレスマイアが思ったことといえば、それは感心でも嫉妬でも憎しみでもなく、単純な一つの疑問だった。 (もし――) (もし我々の立場が違えば――あの予言を受けたのが、この男だとすれば) モルディハイはどうしていたのだろう? 単純な疑問。そして答えは、一々探すまでもなくすぐに見つかる。 (あれも幸せになっていたかも知れないな) そうだ、エマニュエルの命は正にこの願いを叶える。 そんな、真実の願いを――
しかし宴が本格的な盛り上がりをみせ、そして斜陽に入ってくると、モルディハイもジェレスマイアも互いにどちらからともなく近付いた。 「いかがだったか、ジャフ王」 「楽しませて頂いている。特に酒がいい。ジャフの物とは違い、ゆっくり飲めるのが気に入ったな」 確かにジャフの酒は強すぎて、味わう為に飲むのではなく、飲む為に飲むという代物であるのは有名な話だ。この辺も、互いの国民性が垣間見える。 「女も――」 「違う味わいがしそうだ。一気に燃えるのではなく、ゆっくりと欲望を燻(くすぶ)らせてくれそうな、別の旨みが……」 ジェレスマイアに振り返ったモルディハイの瞳には、どこか勝利者の優越が浮かんでいる。 「招待を感謝する……これほどに楽しい夜は、人生の中でも数えるほどしかない」 言い終わると、モルディハイはジェレスマイアから数歩、離れた。 一定の距離を取り、睨み合う二人の王たち――その姿はまるで、どちらが先に襲い掛かるかを試しあっている、獣同士だ。 「感謝には及ばない。機会があればいつでも貴殿を歓迎しよう……ジャフ王」 ――大広間には相変わらず、楽隊の奏でる心地の良い音楽が響き続けていた。時に軽快な調子で、時に物悲しい調べで。この時流れていた音楽は、奇しくも、運命の瞬間を思わせる劇的な旋律の一曲だった。
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媚薬とその副作用の熱のお陰で数刻寝込んだエマニュエルは、その深夜、いつもなら深く寝入っている時間であるにも関わらず、しっかりと目が覚めていた。 マスキールに連れて来られた王宮の知らない一角で、エマニュエルは、厳しい表情をした警備の男達に囲まれた豪華な大部屋に通された。 「ご苦労であった。やれやれ、我が王の我侭にも困ったものです……と、失礼。これは他言無用で」 エマニュエル達を迎えたジャフ側の男は、もう随分と年配で、マスキールと比べると親子にさえ見えるような歳の差だ。 「こちらが例の姫か……ふむ」 「――可愛らしいお方だ」 彼らの間で、エマニュエルは一言も発さなかった。こんな所で言うべき事など見付からなかったし、張り詰めた緊張が、喋りたいという意思を簡単に飲み込んでしまう。 「では取引は成立ですな。彼女はこちらでお預かりいたしましょう。貴方がそう長くここに居るのは、よくありますまい?」 マスキールは一瞬だけ、エマニュエルの方を見た。 マスキールさん、と。声を掛けたかった。しかしマスキールはそれを待たずに踵を返すと、ジャフ側の警備の男達に連れられ、部屋を出て行った。 「あ…………」 「お可哀想に。しかし、我が王は中々逞しい男性であらせられる。そう悲観ばかりなさることはない……こちらへ来なさい。寝室はこちらだ」 初老の男はエマニュエルの腕を掴むと、豪華な客間の奥にまで彼女を引いた。 「モルディハイ様が戻られるまで、ここで大人しく待つことです。なに、きっとすぐ戻られる。今夜は可愛がって頂くと良い。逃げようとしても時間の無駄ですぞ。貴女のお目付け役とやらが、貴女を売ったのですからな」 「それは……」
その寝室は客間より暗く、目が慣れるまで数秒必要だった。 明かりは、寝台の横に幾つか蝋燭がともっているだけで、それも薄暗い。 やっと慣れてきた目で部屋を見回すと、その部屋は思ったより狭く、窓が一つもなかった。何故だろう……ジェレスマイアの寝室を見たことがないので分からないが、それでも、今から自分がしろと言われている事を思えば何となく理由は想像が付く。 (私…………) エマニュエルは、マスキールにはっきりとした返事はしなかったし、何の約束も結ばなかった。 (これ……どうすれば……) (お父さん、お母さん……) この行為が、本当にダイスの救いに繋がるのだろうか。 そして何よりも、ジェレスマイアの願いを、叶えることができるのか。 ――なんて不可思議で、そしてなんて…… (話をしなくちゃ……駄目でもいいから、一度でも……) 何故か、この時は時間が過ぎるのを早く感じた。 とにかく、モルディハイがエマニュエルの待つ寝室に姿を現したのは、それから一刻もしない頃だった――
カチャリと音を立てて扉が開くと、蝋燭が増えたわけでもないのに、その場がぱっと燃えるように明るくなった。 ――それがその時の、エマニュエルの、モルディハイに対する印象だ。 「お前がジェレスマイアの寵姫か。名は何といったか……まぁ、そんな事はどうでもよい。重要なのは、あの男が苦しむ事だな」 そう言いながら、モルディハイは外套を脱ぎ捨てると、壁に背を向け立っていたエマニュエルに近付いてゆく。 「ふん、口が利けぬか? 今夜は泣き叫んで貰うぞ。今から始めても大差あるまい?」 モルディハイの右手がエマニュエルの前に伸び、くいっとエマニュエルの細い顎を持った。 「そうだろう? 言ってみろ、娘」 顔を近づけてくるモルディハイに、エマニュエルはやっと口を開いた。 「何だ」 「ふん?」 そこまで言うと―― 一筋の涙が、エマニュエルの頬を濡らした。 「どうして……駄目なの? モルディハイさん、大きい国の王様でしょう? ふ……っ」 「何の道化だ……己の立場を分かっているのか」 モルディハイは声を上げると、エマニュエルの身体をベッドへ放り投げた。 「ジェレスマイアの女だ……少しは敬意を示してやろうと思ったところを……訳の分からぬ事をぺらぺらと」 上下に重なった二人が、お互い苛立った表情で、睨み合う。 「ふ、二人とも同じくらい馬鹿みたいな事をしてます……でも、貴方の方がもっとひどい」 エマニュエルの瞳が見開かれる。モルディハイは、そんなエマニュエルの表情を楽しんでいた。くっと声を洩らしながら唇の端を上げ、エマニュエルの両方の二の腕を強く掴むと、細く白い首元に唇を寄せた。 「きゃっ、何……や……っ!」 「放し……て……!」 「こんな物で私が殺れると思うか……小娘が!」 (何が――) 絶望と呼ぶものを、その時感じた。 「嫌、いや……止めて」 何、を。 ――ちがう。これはあのひとに、だけ。 「可愛がってやろう……最後には、私の方があの男より素晴らしかったと鳴くだろう……」 「嫌ー! ジェレスマイアさん!!」
その時―― 「王、王! モルディハイ様、大変です、出てきて下さいませ!」 「何だと! 誰も邪魔するなと言った筈だ、今すぐ首を切り落としてくれる!」 扉の外から聞こえる声は、男のものだが、気の毒なほど震えていた。 『お、お待ち下さい、モルディハイ様は今すぐ出ていらっしゃいます。いくら貴方様とはいえ、寝室までは――』 「え…………」 「ジェレスマイア――」 (あ……) エマニュエルも急いで上半身を起こした。 |
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