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Chapter 5: Fascination of Paradise 4

 

宮廷医師がその場に到着したのは、エマニュエルが気を失ったのとほぼ同時だった。

「――どれどれ、あぁ、大丈夫でしょう。これは宴に酔われただけのようだ。皆さま、お静かに」
騒然とする場を、慣れた要領で落ち着かせると、医師は一言二言ジェレスマイアに耳打ちした。ジェレスマイアがそれに小さく頷く。

エマニュエルはすぐに大広間から運び出された。

 

 

犯人はあまりにも呆気なく発見された。

「こんなつもりでは……本当に、お遊びのつもりだったのです……少し、いい気分になるようにと!」
――タジャン公爵という、地方ではかなり名の通った名家の娘だった。
丁度その場にいた公爵本人が、ことに驚いて急いで手を回し、この問題の娘を王宮から家に連れ帰るという条件で刑を免れることとなった。事実上の島流しだ。

そしてエマニュエルは宴の喧騒から切り離された、王宮の静かな一室に運ばれた。

会場で医師が言った台詞は、周りを落ち着かせるための方便でしかない。
実際のエマニュエルは生まれて初めての強い媚薬に、若い身体を持て余し、発熱を伴った拒否反応を起こしていた。

長椅子に横たえられ、大きなシーツに頭部をのぞく全身を包んだが、小刻みな震えは止まらないまま。
肌は火照り、息が上がる。
エマニュエルは辛そうに眉を寄せて苦しむばかりだった。

彼女を苦しめているのは、媚薬の副作用ばかりではない。エマニュエル自身の無知が、余計にそれを助長させることになっていた。

――身体を駆け巡る欲望の正体を知らない。
何かを切実に求めているのに、それが何なのかが分からない。

ジェレスマイアに添い寝を求めた夜の言動からみて、エマニュエルはまだそういった身体の欲望を知らないのだ。
それをこんな形で初めて突きつけられたせいで、戸惑いを通り越し、苦痛を感じてしまう。
幾つかの不運な要素が重なっていた。

エマニュエルはしばらく、そのまま熱に苦しんでいた。
ジェレスマイアが触れようとすると、今度は雷に打たれたように身体を強張らせる。そのせいで肌を撫でることも叶わず、ジェレスマイアは医師と共にしばらく、エマニュエルの傍に立ったままでいた。

 

騒ぎを聞きつけたマスキールがその場に到着したのは、そうしてエマニュエルが運ばれて、しばらく経ってからだ。

「遅れて申し訳ありません。向こうの外相がしつこく……しかし、もう大丈夫です。エマニュエル様なら私がお預かり致します。いつまでも主催が不在のままではなりますまい」

息を切らせて駆けつけたマスキールは、部屋に入ってくるなりそう言うと、ジェレスマイアに退席を促した。

確かにこれ以上あの場を離れている訳にはいかない。
普段ならともかく、今はモルディハイがいるのだ。彼より先にジェレスマイアが席を外すのは不自然で、不敬でもある。

しかし、すぐには動こうとしないジェレスマイアを見かねて、医師が横から口を挟んだ。
「ご心配には及びますまい。今は副作用の発熱がありますが、お若くいらっしゃる故、もう数刻もあれば落ち着きます。あとはお休みになればすぐ回復なさるでしょう」
――マスキールもその言葉に頷いてみせた。

ややあって、ジェレスマイアはやっとエマニュエルの傍から離れると、去り際にマスキールに命令した。

「分かった。これの方は、容態が落ち着いてから部屋に戻せ」
「御意」
そうして部屋から出て行くと扉が閉じられる。ジェレスマイアの後ろに、扉の外に控えていた近衛兵が数人、無言で続いた。

 

「行かれたか……」
扉の外の音を聞き届けた後、独り言のようにそう呟き、マスキールは横たわるエマニュエルを見やった。

透き通るような白い肌が、今は燃えるように赤味がかっている。
こうしてあらためて見るとエマニュエルは美しかった。
目鼻立ちのはっきりした彫刻的な美しさとは違う、人の手では創り出せない自然の美しさだ。泉に浮かんだ白鳥の、神秘的な体の線を思わせる滑らかな容姿。
しかし――

「国の運命を変えるだけの力があるかどうかは……」

謎だ。結局、エマニュエルはそれ以上でも、以下でもない。
美しい。愛らしい。純粋で、砂糖菓子のようだ。王のような厳しい立場にいる男達からすれば、エマニュエルの純粋さは一種の癒しになるのだろう。
だから惹かれる。

しかしあの予言は――あの、曖昧で正体の見えない、不可思議な予言は。
何を意味しているのだろう。

これから自分がなそうとしている事は、果たして正しいのか……正しくないのか……

(いや、正義などを問題にしている時ではないのだ。ダイスの為にも――)
そしてジャフの為にも。
無駄な血を流さなくて済む――ここで、犠牲を払えば。

「医師、悪いが少し席を外して頂きたい」
マスキールが言った。医師は驚いた顔をして答える。

「構いませんが……まだ無理に起こさない方がよろしいかと」
「少しの間、内密な話があるだけです。無理はさせません。エマニュエル様のお立場では、色々と知らねばならぬ事が」
「それは――分かりました。部屋の外へ控えましょう」
「ありがたい」

流石、王宮に仕える医師だけあって、マスキールの言葉にすぐ事情を察したらしい。台の上に出ていた道具を素早く黒皮の鞄にしまい込むと、一礼して出て行った。

マスキールは自分自身とエマニュエル以外の全員が出払ったのを確かめ、長椅子の前に膝をついた。そして声を落とし呟く。
「エマニュエル様、起きていただけますか」
言ってみても、エマニュエルはすぐには起きない。
しかしもう一度同じ台詞を繰り返すと、今度は瞼がピクリと動いた。

「ん……ぁ……」
「エマニュエル様」
「ます……きーる、さん……?」

マスキールを確認すると、エマニュエルはまだ呂律の回らない、舌っ足らずな口調で答えた。
ぼんやりした青の瞳が辺りを見回す。
いつもと違う部屋にいる事にはすぐ気が付いたようで、シーツを掴んでマスキールの方に寝返りをうった。熱に浮かされながらも、意識はなんとかあるようだ。

「お飲み物に少量の媚薬が入っていたようです。今は副作用のせいで熱がありますが、それもすぐに引くでしょう。もうしばらくの辛抱です」
「び……ゃく……」
「神経を高ぶらせる薬草を使ったものです……今何か、欲しい物がありますか?」
「ぎれ……ん……?」
「彼女なら大丈夫です。どうやら、貴女のものにだけ入れられていたようだ」

はきはきとしたマスキールの声を聞いていると、エマニュエルのぼんやりとした意識も次第にしっかりしてくる。
霞んでいた記憶が、ゆっくりと戻ってきた。

(そうだ私、ジェレスマイアさんと、もう1人の王様の前で――)

制御しきれない不思議な欲求に突き動かされて、ジェレスマイアの腕に飛び込んでしまった記憶が……薄々とだが、ある。
そこから先は、口や身体が勝手に動いてしまった感じだった。
そして突然意識が途切れて、今、ここにいる。

「じぇれす……ま……さん、は……?」
エマニュエルが聞くと、マスキールは一瞬だけ目を伏せた。しかしすぐ普段の真面目な表情に戻り、エマニュエルに分かりやすいように、ゆっくりと答える。

「王は戻られました。先程まで、ここにいらしたのですがね。流石に主催であるあのお方が、長く席を外すわけにはいかないのですよ」
「…………」
「貴女の気分がもう少しすぐれたら、部屋にお送りするようにと申し付かっています」

マスキールの言葉に、エマニュエルは小さく頷いた。
本当なら一瞬だって大広間を離れていいはずはない。それをジェレスマイアは幾ばくかの時間、エマニュエルの為に空けてくれたのだ。
彼が既にここにいないのが寂しくはあったが、それは仕方ない……と。

しかしマスキールは、そんなエマニュエルに首を横に振って見せた。

「いいえ、エマニュエル様――よく聞いてください。私は今夜、王の言葉に従いません」
「……え……」
「私は今夜、王の為に、王を裏切るつもりです。あの方が真実を知れば、私の首はもうないでしょう。しかしそれも仕方のないこと……」
「なに……を……」

――マスキールの手が、厚い外套の中、胸元へスッと滑った。
再び外へ出されたマスキールの手の内には、何か、白い布に包まれた細長いものが握られている。
唖然としているエマニュエルの前で、マスキールはゆっくりとその白い布を開いていった。

現れたのは――銀の柄の、小柄な、しかし恐ろしいほど鋭利な――短剣だった。

「な……っ!」
「お静かに」
悲鳴を上げかけたエマニュエルの口を、マスキールはさっと塞いだ。
エマニュエルはしばらくもがいたが、まだ熱と副作用の残る身体。とうてい太刀打ちは出来ず、すぐに大人しくなった。マスキールもそれを見るとエマニュエルの口からそっと手を離す。

「ジャフの王は、貴女を利用するつもりでいるようです。貴女を奪い取って、ジェレスマイア様を激昂させ、先に何らかの攻撃を仕掛けさせる。そうすればジャフにはダイス侵略に乗り出す大義名分が立つのです」
「…………」

マスキールの口調が変わった。
いつも、宰相という地位に相応しく、理路整然とした喋り方を崩さないマスキールだったが、その声には大抵温かみがあった。
――それが消えたのだ。
まるでマスキールではない誰かが、マスキールの身体を利用して言葉を紡いでいるようにさえ見えた。

「今のジャフは、現王モルディハイの独裁政治です。他の有能な親族はモルディハイ王自身が切り捨てていってしまったのです」
「マスキール、さん……やめ……て」
エマニュエルは長椅子から立とうとした、が、力を入れようとすると身体が震える。
結局立ち上がるのは叶わないまま、エマニュエルはマスキールの独白に近い言葉を聞き続けた。

「逆にいえばそれは、今のジャフは、モルディハイ王がいなくなればしばらく大した動きが取れないということです」

マスキールはそう言うと、手元にある短剣をエマニュエルへ近づけた。
恐怖にエマニュエルが身震いしても、止めようとはしない。

「……ジャフ王は貴女を手に入れようと目論んでいます。出来れば今夜。ジェレスマイア様はここは娼館ではないと断りました。しかし……部下の一人が金貨に目が眩んで、貴女を差し出すかもしれないという希望を捨てていなかったようです。私に内密に話を持ちかけて来ました。この程度の色めいた情事は、貴族の間では大した問題にさえなりませんから……そして私は、それを了解したのです」

エマニュエルにも、マスキールがこれから告げる言葉が予想できた。
――それは何という冷酷な響きを持っていただろう。エマニュエルの背中に冷たい戦慄が走った。

「当然、モルディハイ王と付きの者達は暗殺を怖れ、かなりの警備をしています。モルディハイ王の客室と寝室内には、今やジェレスマイア様でさえそう簡単には近づけません。しかし貴女は違う。王の求めた女、つい今しがた倒れた、か弱い姫。多少調べられはするでしょうが、ほぼそのまま寝室へと通されるはずです」

マスキールは短剣をエマニュエルの手に託した。
まだ震えるエマニュエルの手を取り、そこに強く握らせる。

「これでダイスは救われるでしょう。モルディハイ王がいなくなれば、少なくともジャフが体勢を立て直すまでの数年、戦争は起こりません。あの国が在り方を変えない限り危険はいつまでも残りますが、ダイスも国力を上げることが出来ます。もう数年、ジェレスマイア様の元で団結し国を挙げて対処すれば、ジャフも侵略しようと思わないほどの強力な国防を組むことが出来るかも……」

「出来ません……マスキールさん……私」
「これで予言が成就される。違いますか」
「…………」

マスキールも誰も、何の技も持たないエマニュエルが、モルディハイを殺して逃げおおせられるとは思っていなかった。
ただのか弱い若い娘だ。
だからこそ、モルディハイの元に怪しまれずに近づける。

モルディハイも、ジェレスマイアと同じく本物の戦を踏んだことのある武将軍である。
いくら油断していたとしても、ただ大人しく殺されるだけという事はない――多分に、上手くいったところで、刺し違えるだろう。

問題はその後だ。
ジェレスマイアの寵姫と思われていた娘が、モルディハイ暗殺に絡んだとあればジャフも黙ってはいない。

しかし、今のジャフは、モルディハイ一人を支柱にして動いている状態だった。
独裁を敷き邪魔者を全て追放してしまったため、地方では流された王族や貴族が、不満を抱えながらモルディハイの退位を待っている。

どちらにしても諍いは起こる――が、モルディハイが指揮する国軍と全面的な戦争に入るのと比べれば、話にさえならないほどの小さなものだ。
モルディハイがいなくなればジャフは混乱する。王の暗殺を口実にダイスに乗り込むにしても、強力な指揮者がいなければ、ジャフの様な大国の軍は上手くまとまらない。
復讐の意味でダイスに向けてくる討伐軍など、ジェレスマイアの指揮とダイスの国力をもってすれば、なんとか対処できる。

モルディハイの後釜に就くものが、反モルディハイであったならば、それさえ起こらないかもしれない。

責任は問われるだろう。
――それを、マスキールは被る気でいた。ジェレスマイアの手を清潔なままにさせておくために必要な悪役に、自分がなるつもりでいるのだ。

暗殺を計画したのはマスキールであり、ジェレスマイアは何も知らず――実際、知らないのだ――全てはマスキールが己の欲の為に動いた結果だったのだとして。
――ジェレスマイアはマスキールの処分を迫られる筈だ。
もし奇跡的にエマニュエルが逃げおおせれば、エマニュエルに対しても、同じく。

「これは――綱渡りです。普通に考えれば、成功する可能性は低い。しかし私がこれを決めたのは、貴女にあの予言があるからです」
マスキールは続けた。

「貴女の命が、ジェレスマイア様の願いを叶えると……どうして私にも同じ予言がされなかったのかが不思議ですがね」

最後の台詞には、自嘲らしき響きがこもっていた。
エマニュエルは顔をくしゃりと歪めて、青い瞳に涙を溜めはじめる。

「どうして……」
「どうして? 私にも両親や家族がいます。幼い妹も、愛している女性も。彼らに幸せになって欲しいだけです」
「…………」

エマニュエルは恐る恐る短剣に目を落とした。
――美しい。その柄には様々な模様が彫られており、小さな宝石さえ埋め込まれている。

「鞘はこちらです。これで刃を隠せば女性の装飾品にしか見えないでしょう」

マスキールが説明した。
確かに柄とそっくりのの鞘が別にあり、それを刃に被せれば、とても剣には見えなかった。

「でも……そんな、ことになったら……マスキールさんの家族……も……」
「いいえ、ジェレスマイア様なら分かって下さります。彼らには恩赦を下さるはず」
「…………」

エマニュエルの頬を、透明な涙がすっと伝わった。

 

(こんな形で…………?)

貴方と別れることになるの。
愛した人たちに会えなくなるの。
何も知らない人の命を、この手で奪うの?

 

こんなに悲しいのに、こんなに苦しいのに――
胸によぎるのはどれも、幸せだった頃の情景ばかりなのはどうしてなの……

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