/Four Seasons/Paradise FOUND Index/掲示板/ |
Chapter 5: Fascination of Paradise 4
宮廷医師がその場に到着したのは、エマニュエルが気を失ったのとほぼ同時だった。 「――どれどれ、あぁ、大丈夫でしょう。これは宴に酔われただけのようだ。皆さま、お静かに」 エマニュエルはすぐに大広間から運び出された。
*
犯人はあまりにも呆気なく発見された。 「こんなつもりでは……本当に、お遊びのつもりだったのです……少し、いい気分になるようにと!」 そしてエマニュエルは宴の喧騒から切り離された、王宮の静かな一室に運ばれた。 会場で医師が言った台詞は、周りを落ち着かせるための方便でしかない。 長椅子に横たえられ、大きなシーツに頭部をのぞく全身を包んだが、小刻みな震えは止まらないまま。 彼女を苦しめているのは、媚薬の副作用ばかりではない。エマニュエル自身の無知が、余計にそれを助長させることになっていた。 ――身体を駆け巡る欲望の正体を知らない。 ジェレスマイアに添い寝を求めた夜の言動からみて、エマニュエルはまだそういった身体の欲望を知らないのだ。 エマニュエルはしばらく、そのまま熱に苦しんでいた。
騒ぎを聞きつけたマスキールがその場に到着したのは、そうしてエマニュエルが運ばれて、しばらく経ってからだ。 「遅れて申し訳ありません。向こうの外相がしつこく……しかし、もう大丈夫です。エマニュエル様なら私がお預かり致します。いつまでも主催が不在のままではなりますまい」 息を切らせて駆けつけたマスキールは、部屋に入ってくるなりそう言うと、ジェレスマイアに退席を促した。 確かにこれ以上あの場を離れている訳にはいかない。 しかし、すぐには動こうとしないジェレスマイアを見かねて、医師が横から口を挟んだ。 ややあって、ジェレスマイアはやっとエマニュエルの傍から離れると、去り際にマスキールに命令した。 「分かった。これの方は、容態が落ち着いてから部屋に戻せ」
「行かれたか……」 扉の外の音を聞き届けた後、独り言のようにそう呟き、マスキールは横たわるエマニュエルを見やった。 透き通るような白い肌が、今は燃えるように赤味がかっている。 「国の運命を変えるだけの力があるかどうかは……」 謎だ。結局、エマニュエルはそれ以上でも、以下でもない。 しかしあの予言は――あの、曖昧で正体の見えない、不可思議な予言は。 これから自分がなそうとしている事は、果たして正しいのか……正しくないのか…… (いや、正義などを問題にしている時ではないのだ。ダイスの為にも――) 「医師、悪いが少し席を外して頂きたい」 「構いませんが……まだ無理に起こさない方がよろしいかと」 流石、王宮に仕える医師だけあって、マスキールの言葉にすぐ事情を察したらしい。台の上に出ていた道具を素早く黒皮の鞄にしまい込むと、一礼して出て行った。 マスキールは自分自身とエマニュエル以外の全員が出払ったのを確かめ、長椅子の前に膝をついた。そして声を落とし呟く。 「ん……ぁ……」 マスキールを確認すると、エマニュエルはまだ呂律の回らない、舌っ足らずな口調で答えた。 「お飲み物に少量の媚薬が入っていたようです。今は副作用のせいで熱がありますが、それもすぐに引くでしょう。もうしばらくの辛抱です」 はきはきとしたマスキールの声を聞いていると、エマニュエルのぼんやりとした意識も次第にしっかりしてくる。 (そうだ私、ジェレスマイアさんと、もう1人の王様の前で――) 制御しきれない不思議な欲求に突き動かされて、ジェレスマイアの腕に飛び込んでしまった記憶が……薄々とだが、ある。 「じぇれす……ま……さん、は……?」 「王は戻られました。先程まで、ここにいらしたのですがね。流石に主催であるあのお方が、長く席を外すわけにはいかないのですよ」 マスキールの言葉に、エマニュエルは小さく頷いた。 しかしマスキールは、そんなエマニュエルに首を横に振って見せた。 「いいえ、エマニュエル様――よく聞いてください。私は今夜、王の言葉に従いません」 ――マスキールの手が、厚い外套の中、胸元へスッと滑った。 現れたのは――銀の柄の、小柄な、しかし恐ろしいほど鋭利な――短剣だった。 「な……っ!」 「ジャフの王は、貴女を利用するつもりでいるようです。貴女を奪い取って、ジェレスマイア様を激昂させ、先に何らかの攻撃を仕掛けさせる。そうすればジャフにはダイス侵略に乗り出す大義名分が立つのです」 マスキールの口調が変わった。 「今のジャフは、現王モルディハイの独裁政治です。他の有能な親族はモルディハイ王自身が切り捨てていってしまったのです」 「逆にいえばそれは、今のジャフは、モルディハイ王がいなくなればしばらく大した動きが取れないということです」 マスキールはそう言うと、手元にある短剣をエマニュエルへ近づけた。 「……ジャフ王は貴女を手に入れようと目論んでいます。出来れば今夜。ジェレスマイア様はここは娼館ではないと断りました。しかし……部下の一人が金貨に目が眩んで、貴女を差し出すかもしれないという希望を捨てていなかったようです。私に内密に話を持ちかけて来ました。この程度の色めいた情事は、貴族の間では大した問題にさえなりませんから……そして私は、それを了解したのです」 エマニュエルにも、マスキールがこれから告げる言葉が予想できた。 「当然、モルディハイ王と付きの者達は暗殺を怖れ、かなりの警備をしています。モルディハイ王の客室と寝室内には、今やジェレスマイア様でさえそう簡単には近づけません。しかし貴女は違う。王の求めた女、つい今しがた倒れた、か弱い姫。多少調べられはするでしょうが、ほぼそのまま寝室へと通されるはずです」 マスキールは短剣をエマニュエルの手に託した。 「これでダイスは救われるでしょう。モルディハイ王がいなくなれば、少なくともジャフが体勢を立て直すまでの数年、戦争は起こりません。あの国が在り方を変えない限り危険はいつまでも残りますが、ダイスも国力を上げることが出来ます。もう数年、ジェレスマイア様の元で団結し国を挙げて対処すれば、ジャフも侵略しようと思わないほどの強力な国防を組むことが出来るかも……」 「出来ません……マスキールさん……私」 マスキールも誰も、何の技も持たないエマニュエルが、モルディハイを殺して逃げおおせられるとは思っていなかった。 モルディハイも、ジェレスマイアと同じく本物の戦を踏んだことのある武将軍である。 問題はその後だ。 しかし、今のジャフは、モルディハイ一人を支柱にして動いている状態だった。 どちらにしても諍いは起こる――が、モルディハイが指揮する国軍と全面的な戦争に入るのと比べれば、話にさえならないほどの小さなものだ。 モルディハイの後釜に就くものが、反モルディハイであったならば、それさえ起こらないかもしれない。 責任は問われるだろう。 暗殺を計画したのはマスキールであり、ジェレスマイアは何も知らず――実際、知らないのだ――全てはマスキールが己の欲の為に動いた結果だったのだとして。 「これは――綱渡りです。普通に考えれば、成功する可能性は低い。しかし私がこれを決めたのは、貴女にあの予言があるからです」 「貴女の命が、ジェレスマイア様の願いを叶えると……どうして私にも同じ予言がされなかったのかが不思議ですがね」 最後の台詞には、自嘲らしき響きがこもっていた。 「どうして……」 エマニュエルは恐る恐る短剣に目を落とした。 「鞘はこちらです。これで刃を隠せば女性の装飾品にしか見えないでしょう」 マスキールが説明した。 「でも……そんな、ことになったら……マスキールさんの家族……も……」 エマニュエルの頬を、透明な涙がすっと伝わった。
(こんな形で…………?) 貴方と別れることになるの。
こんなに悲しいのに、こんなに苦しいのに―― 胸によぎるのはどれも、幸せだった頃の情景ばかりなのはどうしてなの…… |
Back/Index/Next/ |