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Chapter 3: Searching for Paradise 3

 

舞踏会にお姫さま――

そんなものが本当にこの世に存在して、彼らが生きて、息をしているなんて、知らなかった。
知ってはいたかも知れないけれど、まさか自分がその渦中に入ることになるなんて……思わなかったの。

興奮と感嘆の中で、エマニュエルは自分が注目を浴びていることにあまり気付いていなかった。

 

「おいで、こっちさ」

老婆は王の間を出るとそのまま、エマニュエルの手を引き宮廷の中に入っていった。
途端に、王の間とは雰囲気ががらりと変わりはじめる。
まず、人の数が圧倒的に多いのだ。警備が住人より多かった王の間に比べ、ここは沢山の人々が思い思いに動き回っている。

エマニュエルは声を漏らさずにはいられなかった。

美しく、華やかで巨大な宮殿――。
今まで居た王の間も、エマニュエルが以前に知っていたもの比べれば、それは信じられないほど豪奢な、贅の限りを尽くした建物だった。
しかし何ということだろう。宮殿とは、エマニュエルが今まで知っていた街一つ分よりずっと大きいのだ。

すれ違う人々は皆華麗に着飾っている。
とても生身の人間とは思えないほど、一点の染みも傷もないドレスを纏った、白い肌の婦人たち。
輝く勲章を肩に光らす紳士たち。
そんな者達が、老婆に手を引かれ先を急ぐエマニュエルの視界に、次々と飛び込んできた。

そして宮殿――ダイスの建築はえてして派手さを好まないが、計算された洗練美は、どこのものにも引けを取らない。
エマニュエルはいたるところで感嘆の声を漏らした。
彫りこまれた石像、滑らかな大理石の床、高い天井に壁画……

「あまり余所(よそ)見するでないよ」
と、老婆は言ったが、今のエマニュエルには中々難しい注文だ。

老婆の腕力は存外に強く、エマニュエルを引く腕を緩めなかった。駆け足で王宮を過ぎると、大広間に出る。
天井が一段と高くなり、ここが王宮の中心部なのだと、知識の少ないエマニュエルにも理解できた。正面に大きな出入り口が見える。
そこから大勢の人々が中へ入ろうとしているところだった。

――折りも、外は日が暮れ、自然の光では目の利かない時間になりつつある。

そのため多くの、庭園で寛いでいた者達などが、宮殿内へ入ってくるところだったのだ。
しかし老婆はちらりと振り返り、エマニュエルの顔を確認すると、そのままその人の渦へと進んでいった。

黒いフードを被った背の低い老婆と、その彼女に手を引かれるエマニュエル。
どう考えても2人は珍しい組み合わせだ。
しかも、皆が揃いも揃って宮殿内へ戻ろうとする時間、彼ら2人だけがその波に逆らい、外へ出ようとしている。
当然2人は否応なく周りの注目を引いたが、エマニュエルの瞳は、周りが彼女を見るのと同じくらい、いやそれ以上に好奇で輝いていた。

そんなエマニュエルの反応を、老婆は楽しんでいるようだった。
正確には、周りが寄越すエマニュエルへの興味に満ちた目を、自分の事のように楽しんでいる。

広い入口を抜けると、階段があり、そのまま庭園へと続いていた。

庭園はまず、コの字に宮殿に挟まれ、その後大きく遠方に広がっている。
周りを建物に囲まれた庭には、驚くほど整備された植え込みが用意されていた。
緑はまるで無機質な物体のように平坦に刈り込まれ、それらが完璧な左右対照を成して、その場を飾る――

老婆とエマニュエルは、人々の間を縫いながらそこを抜けた。すると今度は、もっと開けた広大な庭が広がっているのだ。

老婆はそのままエマニュエルの手を引いて、先へ進み続けた。
エマニュエルは手を引かれながらも、王宮を振り返る。

王の間も、エマニュエルにとっては充分に大きかった。しかし違ったのだ、ここは、王宮は、もっと巨大で豪華で、そして重いもの……
瞳に、迫るように映る王宮の姿に、エマニュエルはジェレスマイアを思った。

知らなかった。彼は、こんな大きなものの上に立っていたの。
こんなに多くのものを、その背に背負っていたの――

 

 

「待って下さい、ジェレスマイア様! 相手は最高預言者様です、最悪の事態にはならないはず……エマニュエル様も『すぐ戻る』 と仰って」

マスキールはそう言いながら息を切らして、主の背中を追った。
しかし普通に足を早めているだけでは、距離を取られるばかりだ。マスキールはジェレスマイアの後を走り出した。

「『すぐ戻る』 と――何だ。あの乱れた走り書きを言っているのか」
ジェレスマイアは振り向きも、歩を緩めもせず、マスキールに背を向けたまま言った。

「いえ! しかし、北の塔から使いが……」
「使いとは何だ。あの、お前の小間に伝言をしたきり消えた者のことか、それとも王の間に進入し警備を全員薬で眠らせたもののことか」
「それは……」
「警備! 今すぐ捜索隊を編成しろ!」

ジェレスマイアは、王宮の一角、警備兵達が駐屯する宿舎に足を踏み入れるなり、そう叫びを上げた。
そこは王宮に比べれば粗末な佇まいの部屋。
駐屯していた数十人の騎士、そして警備兵達が一斉に顔を上げた。
入口に立つものは我等が王だと知って、今まで楽な格好をとっていた者達が急いで姿勢を正す。

「これは王……! よくぞ御自らいらして下さいました。何がご入用で――」
最も位が高いと思える兵士が、王の前に膝を折ろうとした。しかしジェレスマイアはそれを遮る。
「礼は必要ない。今言った通りだ、ある者が攫われた――金髪青眼の娘で、歳の頃は17ほど。一刻も早く見つけ出せ」
「は……っ!」

一刻も早く?
マスキールはジェレスマイアから一歩下がった横で、目をむき掛けた。

「では、王よ――ここは私と警備に任せ、王宮へお戻り下さい。後は私共が」
マスキールがそう言ったのを、ジェレスマイアは多分に、聞いてさえいなかっただろう。
今まで休んでいた兵士達が立ち上がり、急いで制服や武具を検(あらた)め始めている。ジェレスマイアはその中を進み、壁に掛けてある黒い外套を取ると背にかけた。そして、同じように壁にあった剣に手を伸ばす。

――何の為に? と口にし掛けた質問を、マスキールは結局飲み込んだ。
言っても無駄であろうし、逆に、火に油を注ぐ結果になりかねない。

これが、ジェレスマイアの炎と呼べる部分だ。普段は厚い氷に閉ざされた、燃えたぎるマグマ。
普段は冷静にして沈着な王の持つ、もう一つの一面。
実際に戦場で剣を振るったこともあり、裏では獅子王の呼び名があるほどなのだ。

こうなったジェレスマイアは誰にも止められない。

いや、多分に、今のジェレスマイアを止められるのは、エマニュエルが無事発見されることだけだろうか――

 

 

庭園を走り抜けると、大分様子が変わってきた。
宮殿近くはひたすら整備されていた緑だが、ここはもっと自然に近い。

木々は思い思いに、それぞれの元来の形に伸びているし、地面も芝生や石ではなくむき出しの土だ。
落ちた木の葉がその上を覆う。
まだ庭園内ではあるのだろうが、かなり奥の方まで来ているような気がする。

「ここはどこですか……? これからどこに行くつもりなんです? それに、予言の事は――」
老婆の歩調が少し遅くなったのを見て、エマニュエルは立て続けに訊いた。

「急かすでないよ。そういっぺんに訊かれても答えきれないね」

老婆はそう答えると不意に、エマニュエルの手を離し地面に膝をついた。
「……?」
突然うずくまった様にも見えて、エマニュエルは老婆を覗き込んだが、どうもそうではないらしい。
黒いフードから覗く手が、木の葉に覆われた地面を、何かを探しているように左へ右へと這う。

「さて」
と呟いたかと思うと、老婆は両手で地面を持ち上げた。
ギギギー……という、錆びた重金属が鳴らす音が響いて、老婆の手と地面の間に、真っ黒な空間が出来る。
エマニュエルは突然の事に驚き、数歩後ずさった。

まるで魔法のように――しかし違う、その黒い空間から下に続く何かが、すぐに認識できた。

「隠し……扉……?」
「そう言う者もいるね。隠してる訳ではないのだがね」
そんな事を、老婆は飄々と言う。
「さあ、お入り、エマニュエル。予言の秘密を知りたいのだろう?」

黒々しい空間に見えたそこは、よく目を凝らすと、階段らしきもの地下に続いているのが見えた。
人が一人やっと通れるほどの細いもので、かなりの急傾斜が下へ降りている。
灯りもなく、まだ足を踏み入れた訳でもないのに、すでに寒さを感じるような湿った雰囲気だった。

エマニュエルは当然躊躇した。ドレスの裾をきゅっと掴む。意識せずとも、ごくりと咽がなった。

「本当に……教えてくれるんですね? 予言のことを」
「私が教える必要は無い。見られる、のさ。明日の朝にはね」
老婆はそう答えると、扉を支えながらもう一度エマニュエルを招く仕草をした。

――中は真っ暗だ。
エマニュエルは確かに、夜目には自身のある方だった。もちろん比べる相手も大していなかったので独りよがりな自負ではあるが、こんな時はそんなものが、躊躇する背中を押す。

エマニュエルは静かに一歩、一歩と老婆に近付いた。
黒いフードに覆われた顔を覗きこんでも、表情までは伺えない。しかしこうして近付くと少しだけ、顔の輪郭が見える。高い鷲鼻と薄い唇がうっすらと認識できた。

「そうさ、いい子だ。私のエマニュエル」
老婆の声には魔術のような不思議な響きがあって、エマニュエルはそれに導かれるように、階段の入り口に立った。
ここに秘密が隠されているの――?
そんな予感を与える、真っ暗な未知の階段。そして隠し扉――

秘密を知るという抗えない欲求に背を押され、エマニュエルは中へ入った。階段は石造りで、天井も狭い。光はなく、壁を手で伝わなければ先へ進めないようになっている。
予想したとおり、一歩足を踏み入れただけで温度が急に下がるのを感じた。

「そう、先へお進み。心配する事は何もない」
そんな老婆の声が聞こえたかと思うと、老婆自身も、エマニュエルに続き階段を降りる足音が聞こえた。

途端に、背後から落雷のような唇音が響く。
――老婆が扉を閉めたのだ。
わずかばかりあった外からの光が遮られ、完全に暗闇だけが支配する世界になった。

「大丈夫だよ、ただ先に進めばいい。悪い様にはしないさ」

後ろから老婆がエマニュエルの背を軽く押す。
エマニュエルとしてはもう、先に進む以外に道もなく、手で壁を探りながら慎重に一段一段を降りた。
鼓動が早まっているのが自分でも聞こえる。息が、疲れているわけでもないのに上がってくる。

たいした時間は経っていなかったのだろう。しかしエマニュエルにはとても長く感じた。
しばらく階段を降りると、足音の響きがが少しずつ低くなってくる。
何か、階段の終わりか、階段以外の空間が近付いているのだ。それが分かって、エマニュエルは老婆に向かって口を開こうとした。その時だ――

シュワ……っという音が短く響いて、エマニュエルの背後から、淡い光が現れた。

振り向くと、老婆が火をつくったところのようだった。
老婆は、手元にあった光を慣れた仕草で壁に掛かっていたランプに移す。途端に、辺りが明るく照らされた。

「ここ、は……」
エマニュエルは声を漏らした。

そこは確かに階段の終わりで、その先には一つの部屋が広がっていた。
――部屋と呼べるかどうかもあやふやな、ただ四方をくり抜いて土で固めただけの、小さな空間だ。
目立った装飾品は老婆が灯したランプ以外に何もない。

エマニュエルが心のどこかで期待していた、例えば、怪奇な道具が並ぶ魔女の住処のような仕掛けだとか、隠された巨大な書庫だとか、そういったものはそこには何もなかった。

「何もないですね。ここでどうやって……」
「何もないとは浅はかな考えだね。ここには私とお前がいる。それで充分じゃないのかい?」

いつの間にか老婆は、頭部のフードを後ろに下ろしていた。
初めて見た老婆の顔は、予想通りというべき様相だった。白い髪を後ろに一つにまとめており、多くの皺の入った顔は、窪んだ両眼と高い鷲鼻、そして薄い唇が印象的だ。

「全てはここにある。だから、余計な物は必要ないという訳さ」
そう言って、老婆はこめかみを細い指でポンポンと叩いた。

「じゃあ、どうして私の部屋じゃいけなかったんですか?」
「外に出たかったんじゃないのかい」
「それは……そうですけど……」

エマニュエルは部屋を見回した。天井も低く、乾いた土に汚れている。
老婆は薄い唇の端を可笑しそうに上げながら、エマニュエルに近付いた。

「じゃあまず、一つ教えてやろうかね。お前たちは少し予言を歪曲している……もちろん私がそうなる様に仕掛けたんだけどね」
「え――」
と、エマニュエルが聞き返そうとした瞬間。
老婆の手が素早くエマニュエルの口元に伸びて、一瞬、息を遮った。

「……ぁ……っ」
抵抗しようとした時は既に遅く、身体から急激に力が失われていく。
そのまま糸が切れたように倒れたエマニュエルの身体を支えたのは、小柄な老婆だった。

意識を失い倒れたエマニュエルの肩を抱くと、自分がエマニュエルを気絶させた張本人であるというのに、どこか愛しそうな仕草で金の髪を撫でる。
そしてまた丁寧な動きでエマニュエルの身体を床に寝かせると、「ふむ」 と咽を鳴らした。

「このままでも構わないけどね。少し演出をさせてもらおうか、少しね」

そう言うと、エマニュエルのドレスの裾をびりっと、何箇所破いていった。他にも袖や襟に切れ目を入れる。
下着があるので肌までは露出しないが、若い娘として見られた姿ではない。
老婆はまた「ついでさ」 と呟いて、エマニュエルの顔や髪、そしてドレスに土を塗りたくった。

 

エマニュエルにとって、その宵ほど早く明けた夜はなかった。
何せ、老婆に連れ出され気絶させられたかと思うと、目が覚めたら既に朝だったのだ。

しかしマスキールや警備兵達にとっては違う。それはそれは多くの緊張と疲労を強いられた、長い長い夜であった。

明け方――
やっと日が昇りかけた、早朝。
庭園の外れの一角で、ドレスを破られ身体中を土に汚されたまま気を失っていた、あられもない姿のエマニュエルが発見されるまで――

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