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Chapter 2: Secret of Paradise 4
"明日も来る"―― 考えるべき事は、他にいくらでもあったのに。
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「エマニュエル様、おはようございます。今朝は……」 ギレンは少しぎこちない佇まいで、朝一番、エマニュエルの部屋へ入ってきた。 腕には朝の支度を整えるための一式を持ってきているが、朝の身繕い以前に、部屋に入っていいのかどうかも確かでない――そんな風に、多少おどおどとしながら。 「お、おはようございます。あの、昨日は……」 「嫌です、エマニュエル様! 私の事など気にしないで下さい、ジェレスマイア様との間にある事には、立ち入ったりしません。そう申し付かっていますから……」 ――言おうと思って。と、エマニュエルは言葉尻を濁しながら、恥ずかしそうに言った。 それこそ正にエマニュエルとジェレスマイアの間に立ち入る、という事だ。ギレンはここに侍女として、エマニュエルの身辺を世話するために居るのであって、彼ら2人の仲をどうこう言うためではない。 「いいえっ! それは私が謝る事です、エマニュエル様。それより、こちらに朝の支度を御用意したのですけれど、今朝は――」 エマニュエルは意外にもすんなり、ギレンの言葉に頷いた。 「御髪がすんだら、すぐ食事をお持ちしますね」 エマニュエルは未だに、人に髪を整えられるのに抵抗があるのか、困ったような顔でエマニュエルの髪をすくギレンの腕の動きを眺めている。 そんなエマニュエルの雰囲気に、ギレンは確かに心当たりがあった。 (でも、何で今更なのかしら) ギレンの身分では考える事さえ恐れ多いが、ジェレスマイアは尊厳のある王であると同時に、若く魅力に溢れた男性でもある。 (本当に、よく分からないお二人だわ……) エマニュエルの流れるような金髪に櫛を通しながら、ギレンはそんな事を思っていた。
あの後すぐはしばらく、もっと別の事を考えていた――それがどれほどの間だったか、今更になっては、エマニュエルにもはっきりしなかったけれど。 "時が来れば私はお前を殺す。それが、私とお前の運命だ" だったら早く殺して欲しいとさえ言ったエマニュエルに、それは無駄な行為だと言い切った。 当初から、ジェレスマイアのエマニュエルへの扱いは、矛盾に満ちたものだった。 そして"明日も来る"―― 戸惑ったのは何も、ジェレスマイアの矛盾に満ちた対応のせいだけではない。 そして胸が高鳴る。気が付くと、今、エマニュエルはジェレスマイアが約束通りにここに来るのを待っているのだ。
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「あの娘に関する事は、逐一報告しろと言っておいた筈だ。理由を聞こうか、マスキール」 朝の閣僚会議を終え、ジェレスマイアは、マスキールを連れ自身の執務室に戻る途中だった。 「理由など……大した事ではないと判断したからです。確かに食事を拒まれていましたが、ほんの一、二両日です。続くようなら無理にでも差し上げるつもりで」 一応しおらしい態度は見せたものの、マスキールの心は別の所にある。それはジェレスマイアにもすぐ感じられた。 「確かに……ジェレスマイア様。私には分かりかねるのです、貴方の、あの娘への対応が」 マスキールの言葉の奥には、すでにその答えを知っている者の持つ、確信の響きがあった。 「あの娘を突然連れ去ったこと、王の間にあの娘を置く理由、私を後見人に就けたこと―― 一体、貴方は何を考えているのか」 マスキールの言葉に、ジェレスマイアはまず、冷たい一瞥を投げた。 「――それを知ったところで、何の変わりがある。私の最終的な目的は変わらない」 ジェレスマイアの、答え――らしきものにはどこか、自嘲する響きがあった。マスキールは意外な驚きに目を輝かせる。 「否定なさるかと思いました」 「余りに情が移ってしまうのではないかという事は、懸念しています。あの娘は我らの切り札になるかもしれない」 ジェレスマイアはそれを聞くと、マスキールから視線を移した。 「私の最終的な目標は変わらない――二度と言わせるな」 歩き去る二人の男の後姿には、他の者には容易に近づけない厳しさがあった。
運命は、我々に何を欲しているのか―― 皮肉、という言葉は余りにも陳腐だ。それでいて確かな響きがある。正にその通りだからだ。 マスキールの疑問は正しい。それはジェレスマイア自身も感じていたことだ。 ――貴方には誰か、心を開ける特別な方が必要に思われます。 あの青い瞳がこの心を動かしたのは、紛れもない事実だった。 初めて見た時の笑顔、金に揺れる長い髪。 もしこの相手がエマニュエルでなければ――あの娘が、あのような預言を背負ってさえいなければ。 確かに喜ばしい事だったのだろう。 時も折、王国は存続の危機に際している。 ジェレスマイアは冷たく厳しい表情のまま、王宮の回廊を歩き続けた。
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つ、つ、つー……と、古書に書き込まれた細かい字を指で追いながら、エマニュエルはふっとその動きを止めた。 "予言とその結末" という題の、紙面の大きい本だ。しかし厚みは意外にもあまりなく、他の古書に比べると随分と薄い。 「"予言は常にその言葉を成就する。ただし、時にとても我々を驚かす形で"……」 声に出し、文字を指で追わなければ、読み落としてしまいそうになるのだ。 「"預言者は必ずしも、分かっている全てを公にはしない。時に意味を噛み砕き、故意に言葉尻を操り、巧妙な仕掛けをする。高位の預言者であればあるほど、その傾向は強く……"」 (全てを公にする訳じゃない……?) それはどういう意味だろう。エマニュエルはその一節を食い入るように見つめた。 「本を読むのならもう少し灯りを付けるべきだ。それが嫌なら、日の在る内に読むことだ」 前触れさえなく部屋に響いた声に、エマニュエルは驚いて顔を上げた。 「いつから……」 エマニュエルは慌てた仕草でジェレスマイアと本とに、交互に視線を行き来させた。 しかしジェレスマイアは、何も言わずに立ったままだ。 「何か……」 「今日も来ると言ったはずだ。覚えていないだろうが……今日は食事を取ったのだな」 ジェレスマイアが一歩進んだ。と、同時にエマニュエルはベッドの上でずずっと後ずさった。逃げるという意識があった訳ではないが、条件反射だ。 ――実を言えば、エマニュエルは待っていたのだ。ジェレスマイアが本当に来るのを。 しかし朝を過ぎ昼を過ぎ、夕食を終え床に着く時間になっても、ジェレスマイアは現れなかった。 「何か用でも……」 エマニュエルが繰り返すように聞くと、ジェレスマイアは答えず、また前へ進んだ。 ジェレスマイアはそのままエマニュエルを見下ろした。 「何が望みだ」 「望み?」 エマニュエルはぱちぱちと瞳を瞬いた。自分の理解が正しければ、ジェレスマイアは今、何か欲しいものがないかと聞いているのだ。 「望み……何でも? 何でもいいの?」 エマニュエルは口早に自分の希望を捲くし立てた。 「今はまだ無事だって、お城でちゃんと暮らしてると伝えてあるって、マスキールさんは言ってました。でも、手紙が書けたらもっと違うんです。だから」 ――断られるに決まっている。 「――分かった。……10日に一通、許可しよう。検閲はするが、好きな様に書けばいい。信用の置ける者に届けさせる」 余りにも呆気なくて。 「……どうした。それが望みではなかったのか」 エマニュエルはやっとなんとか現実を飲み込もうとして、そして――結局あまり上手く行かなかった。 「それは別の件として処理しよう。それとは別に、望むものがあれば言うといい。装飾品でも、食事でも、行きたい場所でも何でも構わぬ」 やっとエマニュエルの瞳に喜びらしきものが浮かぶと、ジェレスマイアの厳しさ一辺倒だった表情が僅かに綻んだ。 「あの、少し……外に出して欲しいです。街じゃなくて、森とか、川とか……」 と、エマニュエルが言うと、ジェレスマイアはエマニュエルの顔をじっと見つめた。 「では用意するといい――そう遠くない場所に森がある。城内ではないが、王家の個人的な領地だ」 そう言うと、ジェレスマイアは踵を返し、もと来た扉へ素早く、それは無駄のない動きで戻っていってしまった。 (え、えっと……今から、外に出して貰えるってこと……?) (あ、あの王様と一緒に……!?) 夜だ。深夜と呼ぶにはまだ早い時間だが、日は完全に落ちている。 (でも、どうして急に?) 疑問がぐるぐると頭を回る。 着替え終わると、パタパタと扉へ向かう。 (二人きりじゃ、ない、はず……よね?) 期待のような、不安のような、妙な気持ちでエマニュエルは扉を叩いた。 ごくりと息を飲んでエマニュエルが扉を開けると、先刻までの軽装に上着を羽織り、腰に剣を挿した格好のジェレスマイアがいた。 「念の為だ、警備は無い方がいいだろう。お前を殺める気はない――少なくとも、今夜はまだ」
こんな、子供に聞かせるお伽噺がある…… 夜の森には、魔法があると。 随分と昔に聞いたきりの懐かしい物語が、そのとき何故か急に、エマニュエルの胸に思い出された。 |
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